私の、これからの方針が決まったので。
今度は、プロデューサーに割り当てられている教室……いわば、事務所というか、拠点というか。
とにかく、そういった用途で自由に使えるようになっている場所へと、案内してくれるらしい。
──新しい、自分たちだけの場所。
そのフレーズに、私は自分の心臓の鼓動が早まるのを感じていた。
……ただし、それは喜びや期待、ではなくて。
ある種の、『嫌な予感』とでもいうべきもので。
冷や汗が頬を伝う感覚から目を逸らしながらも、貼り付けた笑顔が少々強張っているのを感じる。
何に対してここまで強く意識しているのかと言えば、それは隣を歩くこの男がいわゆる『学園アイドルマスター』の主人公に当たる人間なのではないか、という疑念が、私の中でやや有力な説として再浮上してきているということだ。
……この予想が合っていたのなら、多分。
それは教室の扉を開けた時にわかることだろう。
もしも、それが私の知っているものだとしたら。
それは、画面の向こう側で、何度も見た光景であるはずだ。
朧げな記憶ではあるけれど、たしか、『信頼』と書かれた習字が壁に貼り付けられていて。
そしてその側に、1台のノートパソコンが置いてあるのが特徴……だったと思う。
……が、しかし。
気持ちを落ち着かせる意味を込めて、身も蓋もないことを言ってしまえば。
これは別に、間違いのない確実な判別方法とは言えない。
何故かと言えば、『学園アイドルマスター』というゲームのプレイヤーであった私は、その、主人公に割り当てられた教室の内装を知っているけれど。
一方で、それ以外のプロデューサーに割り当てられた教室の内装がどうなっているのかが、わからない。
つまり、言ってしまえば。
もしかしたら、設定上、全員の教室が同じ内装になっていることだって、あり得ない話ではないだろう。
それに、彼がいわゆるその『学P』と呼ばれているような存在であったとして、だからといってどうする、ということもないのだし。
……なんて。
しかし、いくらそんなことを思っても、私の中の妙な緊張感は、まるで拭えそうにない。
なぜなら、結局のところ。
どれだけ不確実とは言ったところで、私の中ではそれくらいしか判別する手段が思いつかないというのは変わらないのだし、それに、彼がそういう立ち位置の人物だったとしたら、色々と想定が崩壊することになるだろう。
──私の知る限りでは、『学園アイドルマスター』というゲームにおいてプレイヤーの分身たる主人公の『プロデューサー』は、一度も画面に顔が出てきたことはなかったはずだ。
そしてそれに、そもそも1キャラクターとして深掘りされているところも、あまりなかったと思う。
……まあ、単に私の知識が所詮はにわか知識だから、ただ知らないだけ、という可能性もあるかも知れないけれど……もし仮にそういうものがあったとして、今私が知らないのだから、それは考えても意味がない。
……それで。ちなみに、と言うか。
どうして私が、こんなにも彼がその「主人公であるかどうか」という点にこだわっているのかと言えば。
それは、もしも彼が、そうであったのなら。
まず前提として、私などと契約してしまうのはあまりに惜しいといえるほどに、極めて有能な人間であるということが確定することになる。
……普通に考えて、私などでは、とんでもなく不釣り合いだ。
この時点で、極端な言い方をすれば、この世界にとっての大きな損失とさえ言えるだろう。
そして、あとは。いわゆる『学P』には、普通に原作キャラクターをプロデュースしていてほしいという気持ちもある。
……と、まあ。以上の観点から。
この男がそうであったのなら、すぐにでも契約を取り消して。
そして、代わりに、もっと才能あふれるアイドルを導くべきである。
……と、思うのだけれど。
まあ、彼がどういった存在であるかは置いておいて、少なくとも、そんなことを言っても納得してくれなさそうなのは……これまでの短いやり取りの中で、既に予想がついていることでもある。
つまりは、だからこその『嫌な予感』と、いうことで……。
……話が一巡したので、説明はここまでということにしよう。
「──えーっと、すみません。ちょっと、お手洗いに行ってきますから、ここで待っていてもらってもいいですか?」
「わかりました。待っていますので、行ってきてください」
……考えれば考えるほど、頭の中で思考がぐるぐるして。
そしてついでとばかりに、なんだかお腹も痛くなってきたので。
私は1度、現実から逃避するかのように。
トイレに行く、ということで、その瞬間を先延ばしにすることを選択した。
……。
……そして。
……少し歩いて、トイレに着いたものの。
結局、トイレに行ったところで、お腹の痛みがあくまでストレスによるものである以上、特に何もする事はなく。
……仕方がないので、少しだけ時間を稼いだ後、そのまま、手を洗うだけ洗って。
そしてトイレを、後にする事にした。
……。
……我ながら。
何をやっているのだろう、と。そう思う。
……ぼんやりと、そう思いながらも、私は、歩いて。
そうして、先程の場所へと、向かっていると。
「……どうしよう。このままじゃ、遅刻しちゃう……」
──廊下の、向こうで。
何度も画面の向こう側から聞いたような声が、私の耳に聞こえてきた。
……思わず、というか。
反射的に、少しだけ顔を上げ。ちらり、と、目線を向けてみると。
そこには、一輪の白い花のような可憐な少女……葛城リーリヤが、何やら困ったように、周りを見渡していた。
葛城リーリヤ。彼女は、スウェーデン……つまり、北欧の血を引くハーフであり、それ故の日本人離れした外見が非常に特徴的、なのだけれど。
彼女はあまり自分に自信がなく、よく俯いているものだから、何かと『地味』などという見当違いの評価を下されがちである。
……ただ、基本的には気弱な性格ではあるけれど。
かなり、芯の通った側面も強く持ち合わせているので、案外、強い自我を発揮しているシーンの方が印象に残っている……ような気がする。
そして、それから。
そんな、神秘的な外見とは裏腹に。
実は、日本のアニメやゲームなどに精通する、かなり極まったオタクであるという特徴も持っている。
……と。
まあ、これらは、もちろん前世の知識を由来とする情報なので。
私がこの目で確認している限りで言えば、せいぜい、本当に気が弱そうな雰囲気があるところや、それから、ちゃんと見たら顔がいいな……というくらいのものである。
……それで。
そんな彼女は。何か、困っているのだろうか。
──困っているのなら、声をかけてみるべきだろうか。
……私は一瞬、そんなことを思ったけれど。
「ん、リーリヤ?」
……私が近づくよりも先に彼女に対して話しかけた人がいた。
こちらからは後ろ姿しか見えないけれど、間違いない。
あれは、有村麻央先輩だ。
3年生で、非常に可愛らしい容姿をしているものの、本人は宝塚のような、王子様のような……そんな、かっこいいアイドルを理想としている。
それから、常に周りに気を配り、いつも人に親切にしているというところも特徴だ。
──かっこよくて、かわいい。
最終的には、そんな相反した二つの性質を……。
……と。
これ以上語り続けると、私は、ただ彼女らの良さを語り続けるだけの人になってしまい、延々と場面が進まなくなってしまう。
ということで、前世の記憶を参照した解説は、一旦ここで打ち切ることにして。
──それで。
どうやら、彼女たちは、何かを話している様子だけれど……ここからだと、遠くてあまりよく聞こえない。
まあ……私には関係のない事、ではあるけれど。
少しばかり、興味が出てしまったので。
私は、自分の存在感を薄める力を使って……そして。
どうせバレないとはわかっていつつも、だからと言ってずんずんと近づいていくのは……こう、なんとなく憚られたので、こっそりと。
足音もたてないよう、抜き足差し足で、彼女たちに近づいてみた。
「そ、そうなんですか……?急がないと──」
「ふむ、急ぎなら、ボクが背負って行こうか」
……。
……この、やり取りは。
多分、聞いた事がある。
具体的には、ゲーム本編で、何度か見た。
「ええっ!?だ、大丈夫です、自分で走ります!」
──これは、原作の中で、多分サポートカードのコミュにあったやつ……じゃあないだろうか。
まあ、具体的に何のサポートカードかまでは覚えていないけれど……。
「そうか。それじゃあ、トレーニング棟までボクがエスコートするよ」
……そうして。
トレーニング棟へと向かって、行ってしまった2人の後ろ姿を見送りつつ。
……まさか生で、そして目の前で、いわゆる原作のワンシーンを見られるとは、と。
私は、1人静かに感激していた。
……これこそまさしく、転生者冥利に尽きる、というものだろう。
これを機に、いっそ朧げな記憶を頼りに、前世でかつて見たことのあるシーンを何個見られるか、というような、聖地巡礼みたいなことを始めてみても良いのかもしれない。
……。
……なんて、そんな考えが浮かんでくるくらいには。
はっきり言って、テンションが上がった。
……そして。
テンションが上がった事によって、元気が回復した私は。
──打って変わって、いそいそと。
気持ちやや軽めの足取りで、プロデューサーの待つ廊下へと戻って来た。
「……」
そして……この男の元に近づいてから、少し経って。
そういえば存在感を薄めた状態のままだった、という事に気がついた私は。
「──すみません、お待たせしました!」
……一旦廊下を戻ると、それを解除し。
そうして再び、改めて声をかけた。
「何か、いいことでもありましたか?」
「……いえ。ですがその、これから……私たちの事務所とも言える教室に案内してくださるのでしょう?それが、楽しみでして」
「……なるほど。そうでしたか」
……どうやら、表情に感情が出ていたみたいだったけれど。
どうにか、咄嗟の言い訳でうまく誤魔化すことができたようだ。