TS転生者が初星学園でアイドルになる話   作:ピンノ

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第34話

 

 朝、私は部屋中に響くような目覚ましの音と共に目を覚ました。

 体に染み付いた動作で腕を伸ばして時計のボタンに触れて音を止めると、私は、そのまま大きく伸びをした。

 

 カーテンの隙間からはまだ暗い空が見えるし、布団の外は肌寒い。

 絶好の二度寝日和ではあるが、しかし、私は迷うことなく布団から出た。

 

 ……今日は、ついに今回の『H.I.F』本戦の、当日である。

 

 今日で、今年の冬の『H.I.F』の、結果が出る。

 

 着替えて外に出た私は、すう、と深く息を吸い、空を見上げる。

 そういえば、『選抜試験(セレクション)』を前にして、漠然とした不安に駆られて早起きをして走り込みをしたのも……こんな、薄暗い朝だったっけ。

 

 いや、まあ最近は日課としていつもこんな薄暗い朝に走り込みをしているから、考えてみるとそこは別に、何も感慨深くなるようなところでもないか。

 

 私は、軽く、走り始める。

 

 これは、こんな日もレッスンを欠かさないというような高い意識とかではなくて、単純に、今日がついに本戦だと思うと、緊張と楽しみで、いてもたってもいられなかったからである。

 

 しかし、もちろん疲労困憊で途中で思うようにパフォーマンスを発揮できませんでした、となっては困るので。

 今回走るペースは、いつもよりも遅めにして、さらにおまけに、かなり短く済ませるつもりでいる。

 

 ──アスファルトの歩道に、タッタッタ、と足音が響く。

 

 顔を上げて見れば……私と同じように、歩道を走っている生徒が、チラホラいる。

 

 この時間帯に、よく見かけるいつも通りと言っていい顔ぶれだ。

 けれどそのペースは、いつもの光景と比較すると、大分緩慢であるように見える。

 

 きっと、私と同じようなことを考えているのだろう。

 

 みんながみんな、揃って緩やかに流しているのだけれど、そこに流れる空気は、ちっとも緩やかなものではない。

 

 まるで嵐が来る直前かと思うくらいに……どこか、ピリピリしているのを感じるようだ。

 

 しかしそれは、不思議と、私にとって不快な空気とか険悪な雰囲気とかそういう印象はまるでなくて。むしろ、触れていると心が熱くなってくるような。もっと身を浸していたくなるような。

 そんな、程よく心地よい緊張感だと感じられた。

 

 勢いよく飛ばせないのが、もどかしい。

 空に朝日が昇り、ステージに立つ時が来るのが待ち遠しい。

 

 ふつふつと湧いてくるそんな気持ちに、今は、しっかり蓋をする。

 

 そうして……疲労を感じない程度に、体が温まるくらいの走り込みをして。

 事前にここまで、と決めていたところまで走った私は、走るのをやめて、そのまま一周をゆっくり歩くことにする。

 

 冬の早朝のひんやりとした冷たい空気が、体を、外側から気持ちよく冷やしてくれる。……けれど、しかしその内側で逸る気持ちは、まるで冷える気配がない。

 

 歩いて呼吸を整えた私は、いつも以上に念入りにストレッチをする。

 

 もちろん、ストレッチそのものはいつもちゃんとじっくりやっているけれど。こういうのは、あくまで気持ちの話である。

 

 

 ……そうして、走って温まった体がいい感じにほぐれた私だったけれど、しかし、会場の方へと向かうにはまだ少しばかり早いので。一旦、寮の自室へ戻ることにする。

 

 そこでするのは……ちょっとした、イメージトレーニングみたいなもの。

 

 想像するのは、漠然とした理想のライブ。

 多少曖昧なところはあっても、ある程度自分の中でイメージが固まっている方が、本番でスムーズにできるはず。

 

 例のプロデューサーとの『答え合わせ』の後、取り組んだのはほんのちょっとした調整くらいで、それ以外は、それまで通りの基礎トレーニングを積み重ねることの継続だった。

 

 ……その、ちょっとした調整の中で。

 プロデューサーは、私にイメージトレーニングという手段を提案すると共に、そんな感じのことを言ってきたのだ。

 

 まあ……イメージトレーニングというには漠然としすぎているので。これは、ただのライブの妄想と言い換えてしまってもいいかも知れない。

 

 

 ──私は、1人静かに、妄想を頭の中で思い浮かべる。

 

 しかし……何度想像してみても、やはり、ライブはステージの上に立つアイドル1人だけでは成立しない。

 理想のライブを創り上げるには、やはり、観客の存在は必要不可欠だ。

 

 重要になってくるのは、いかにして、観客をその気にさせるか。

 

 最初からステージに立っていいライブを作るぞと意気込んでいるであろうステージ上のアイドルと違って、観客は、別にそういうつもりで来ていないのだという人も少なくない。

 

 例えば……あっちの方にいる観客がふとよそ見をしていたら。

 例えば、そっちの方の観客の意識が逸れていたら。

 あるいは、いい感じに会場全体を染め上げることができてきたら、今度はどう純度を高めていくか。

 

 色々なパターンを思い描き、空想上の自分が的確に判断を下していく。

 

 ……よし。

 

 頭の中で作った、架空の目まぐるしく状況が変化する特殊なライブを、どうにか脳内でしっかりとやり遂げた私は、静かな眠りから目を覚ますように、ゆっくりと目を開けた。

 

 時計に目を向ければ、思っていたよりは少し早いけれど……しかし、さすがにそろそろいい時間だった。

 

 私は、バッチリ身支度を整えると、改めて、寮の部屋から外に出た。

 

 ……そうして、敷地の門のあたりまでたどり着くと。

 

 

 「おはようございます、観月さん」

 

 

 そこには、プロデューサーが待っていた。

 その姿は……心なしか、スーツがいつも以上にピシッとしているような気がする。

 

 ただ、少し遅れて、そんなキッチリした格好なのに、以前私が買った小学生の修学旅行のお土産みたいなストラップが2つも揺れていることに気が付いたので……面白いやら嬉しいやら、なんだか複雑な気持ちになってしまった。

 

 私のカバンにも同じストラップが付いているし、なんなら、実は今回の『H.I.F』の課題曲用の衣装にも、それとなく似たデザインの小さなアクセサリーが付いている。

 

 ただ……そっちの方のやつは市販のものを括り付けたものではなく、ちゃんと、プロデューサーや職人の手によって最初から専用に設計されたものなので、流石によくできている。

 一見してもそういうデザインだと気付かないようになっているし、気づいた上で見ても、全然、印象が浮いてしまわないようになっている。

 

 この安っぽい龍のストラップのデザインを、私が勝手に自分の中である種の象徴的なものとして扱っていることは、さすがのプロデューサーといえども知らないだろう。

 

 だって、私が転生してきたことや、それから転生前は今とは違う性別で、今とは全然違う生き方をしながら、漠然と今の自分みたいな生き方に憧れていたことは……そんなことは、これまで誰にも一度も口にしたことはないし、それに、これから先も、誰に対しても教えるつもりのないことだ。

 

 なのに、こんな風にわざわざ衣装に仕込んだのは、きっと、プロデューサーにとってもこのデザインのストラップは、私の考えるそれとはまた違った意味で象徴的なものだからだろう。

 

 プロデューサーと出会い、初めて、ちゃんとステージの上に立てるようになった時。私は、特に深い意味もなくこのストラップをプロデューサーに渡したっけ。

 

 それから、夏の『H.I.F』で十王星南に敗れて、改めて自分自身と向き合った時、初めてこういうストラップに前世の自分を象徴させることを思い付いて。

 その意図を伏せて、ただの何でもないプレゼントとして。プロデューサーに渡しながら、お揃いのストラップとして、私も自分のカバンにこれを付けた。

 

 ……彼は、これにどのような意味を込めているのだろうか。

 

 それを直接聞く予定は、今のところは考えていない。

 そういうのは……ほら。なんかこう、曖昧なままのほうがロマンチックだったりするような風潮があるだろうし。

 

 いや、まあ……こんなデザインのストラップにロマンチックも何も無いだろうけど。なんか、わざわざ聞くのを想像しただけで照れくさいというかなんというか。

 

 ……この話は、ここまでにしよう。

 そんなことよりも、これから私たちは、『H.I.F』本戦の会場へと向かうのだ。

 

 気を、しっかり引き締めないと。

 

 プロデューサーが、無意識なのか何なのか、視線はこっちに向けたまま何度も自分のスーツに付いたそのストラップに指を触れさせている様子が無性に気になるけれど……気付かないフリをしよう。

 

 そのストラップをどう思ってそんなことをしてるのかなんて、私は、絶対に聞かない。

 これで、ただ「自分の今の格好に合わない異物があるな……」みたいな感じだったらそれはそれで一番嫌だ、とか、そんなことは、別に決して考えていない。

 

 

 「本戦前ですが、緊張などはしていませんか?」

 

 

 横を歩く私に対して、プロデューサーはそんなことを聞いてくる。

 

 ……緊張なんて、していないわけがない。

 

 そしてそれは、もしかしたら。

 プロデューサーも同じなのではないかと、ふと思った。

 

 私は……静かにそっと、カバンに揺れるストラップに手を触れた。

 

 

 「──もちろん、とっても緊張しています!」

 

 

 見た目としては金色ではあるものの金にしてはやたら軽く、しかしたしかに金属的ではあるその硬質な感触を、無意識のうちに指で何度も確かめながら、言葉を続ける。

 

 考えるのは、今から私がステージに立ってやろうとしていること。

 ……やはり、これまでの、覚え込んだ動きをトレースするのとは、まるで違うから。

 

 

 「今回は今までと全然違うことをするわけですし、今回やることって、本番で大失敗しちゃうことも全然可能性として考えられるわけですし」

 

 

 言いながら、考える。

 

 ……きっと、今からでも、それどころか、ステージに立ってからでも。

 リスクを回避するために、今まで通りのパフォーマンスへと切り替えるという手段は、あるだろう。

 

 ──だけど。

 少なくともそれでは、私は、私の理論値に挑むことはできなくなる。

 

 

 「……だけど、プロデューサー。私は、今日は会場のみんなを巻き込んで、誰よりも楽しいライブを、作ってみせます」

 

 

 私なりの方法で、今日ステージに立つ他の誰のものよりも楽しい、一番の……最高傑作の、ライブを作る。

 

 せっかく見つけ出せた、そんな、自分の望みにさえ向き合えないのなら。

 リスクを回避したところで、とても『一番星(プリマステラ)』になどなれないだろう。

 

 ……もしも何かの間違いでなれたとしても、私はそれを、相応しいと思えない。

 

 

 「ぜひ、そうしてください。楽しみにしています」

 

 

 私の宣言に対して、プロデューサーから、軽いようで重い、期待を貰って。

 

 それはまるで……火のついていた竈門の中に、さらに思い切り薪を焚べられたような、そんな気分になりながら。

 

 彼と共に、私は、会場である講堂の中へと足を踏み入れた。

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