ヤンデレ彼女を曇らせるために仲間を全員売ってTS悪堕ちしてみた 作:なほやん
ノエルを埋めてから、一週間。
北の山間の村で、小さな宿を借りた。
体を休めた——休めたと言っていいのかは、わからない。
ミラは片腕で剣を振り続けていた。左腕があった頃と同じ回数を、右腕だけでこなそうとしている。中庭に立つ影が毎晩少しずつ痩せていくのが見えた。時々、振る手を止めて夜空を見上げている。ノエルが好きだと言った星を、ミラも見るようになっていた。
エダは薬草を調合する手が止まらなかった。ミラの断端に塗る薬。リタの手の傷に塗る薬。フィーネの古傷に塗る薬。自分の肋骨の
フィーネは冗談を言わなくなった。黙って弦を張り、黙って矢を研ぎ、黙って的を射ていた。
リタは——普通だった。
いつも通り笑い、いつも通り話し、いつも通り俺の隣にいた。ミラが中庭で倒れた時も笑っていた。エダが泣き崩れた時も、鼻歌を歌いながらハイレム団の旗を繕っていた。血と汚れの上から白い糸で縫い跡を重ねて、「団長の旗、綺麗にしておいたよ」と笑って差し出した。汚れは消えていない。白い糸が赤と黒の上に浮いているだけだった。「ねえ団長、明日の朝ごはん何がいい?」と、ノエルが死んだ翌日と同じ声で聞いてきた。
それが一番怖かった。
ある夜、フィーネが俺のところに来た。
「団長。リタが一番怖い。あの子だけ、普通じゃん。ミラが倒れても笑ってた。——あれ、普通じゃないよ」
リタが壊れかけている。
——それを見て、喉の奥が潤う自分がいる。
「……そろそろ、次の依頼を受けないとな」
翌朝、食卓でそう言うと、三人が頷いた。リタだけが箸を止めた。
「あたしたち、まだやれると思う?」
「やれる」
リタが俺を見た。いつもの笑顔だった。だがその下にある目に——諦めがあった。
「……うん。団長がそう言うなら、やれるよ」
† † †
依頼を受けた。
山の向こうの村で、魔獣の被害が出ているという。小規模な群れ。俺を除く四人でも対処できる相手だ。
山道を歩きながら、リタが隣に並んだ。
「ねえ団長」
「ん」
「あたしさ。ずっと聞きたかったことがある」
「なんだ」
「団長は——あたしたちのこと、どう思ってる?」
「どうって」
「仲間、でしょ。わかってる。でも——それだけ?」
リタの声は軽かった。
だが指が自分のマントの裾を握り込んでいた。関節が白くなるほど。
「あたしたちは全員、団長が好きだよ。知ってるでしょ」
「……」
「知ってて、知らないふりしてるでしょ」
返事をしなかった。
「別にいいよ。今さら答えなんて求めてない。ただ——」
リタが立ち止まった。
「一つだけ約束して。あたしたちを置いていかないで」
「……置いていかない」
「嘘つき」
リタが笑った。
「団長の嘘、あたし全部わかるんだよ。三年も一緒にいるんだから」
少し間があった。
「でも——団長の嘘なら、あたし、騙されてあげてもいいよ」
それでもリタは歩き出した。先頭に立って、安物の剣を腰に差して。
リタの声が震えるたびに、杯が脈打った。同じリズムだった。
† † †
魔獣の群れは、予想より多かった。
だが四人で凌いだ。
リタが前に立ち、ミラが片腕で脇を固め、フィーネが後方から射抜き、エダが治癒と防壁を回した。
俺は——後ろにいた。
ミラが言った通りに。ノエルが言った通りに。後ろに。
戦闘が終わった時、全員が地面に座り込んだ。
満身創痍だった。リタの頬が切れている。ミラの片腕が震えている。フィーネの弦が切れた。エダの魔力が尽きかけている。
だが、生きている。
「——やれるじゃん。あたしたち」
リタが笑った。血まみれの顔で。
† † †
その夜。
山中の野営地で、全員が眠った後。
俺は一人、焚き火の前に座っていた。
杯を手のひらに乗せた。
赤い光が灯った。今までとは違う。光が杯の表面を覆い、紋様が浮かび上がった。あの円形の紋様。
影が現れた。
焚き火の向こう側に、何かが座っていた。人の形をしていた。だが人ではなかった。輪郭が揺らいでいる。顔がない。だが笑っているのがわかる。
「——来たか」
声が聞こえた。低く、深く、焚き火の爆ぜる音の下を這うような声。
「よく耐えた。だがもう限界だろう。お前も。お前の仲間も」
「……何者だ」
「
「冥座?」
「世界の裏側に座し、天使を待つ者。——ずっと、待っていた」
焚き火が揺れた。
「杯を渡した。何人にも。何人にも。——皆、飲まれた。穴が浅い。浅い。鏡の中で、まだ泣いている」
「……」
「お前は——深い。深い。ようやく見つけた。杯を飲み込む穴を。お前が杯を飲む。杯がお前を飲むのではない。——ずっと、探していた」
声が変わった。一瞬だけ、ノエルの声に聞こえた。——「団長の前に立てます」。空耳だ。空耳のはずだ。
「こいつらの愛では埋まらない。それはお前が一番よく知っている。こいつらを食べて初めて——お前は、お前になれる」
「何のために」
「私もかつて、穴を持っていた。世界の裏側に落ちてなお、埋まらなかった。——だから天使を作る。穴のない存在を。完成した翼を見届ければ、私の穴も閉じる」
冥座の声が、一瞬だけ震えた。嘘か本当か、わからなかった。
「……皆と言ったな。その『皆』の中に——お前の仲間もいたのか」
沈黙が降りた。焚き火の炎が、影の輪郭を揺らしていた。
「——いた。一人だけ」
声が変わっていた。低く這うような声ではなく——もっと薄い、擦り切れた声。人間の喉が出す声だった。
「名前は覚えていない。顔も。ただ——あいつの匂いだけが、まだ消えない。焚き火の煙に似ていた」
一瞬だけ——冥座の影の輪郭が、人間の形に見えた。すぐに揺らいで、元の不定形に戻った。
「お前の穴は生まれた時からある。私が作ったものではない。私はただ、それを見つけただけだ」
「……」
「お前ならば——なれる。新しい体。新しい力。新しい存在。お前はもう人間ではなくなる。だが——渇くことは、二度とない」
永遠に、満たされる。
その言葉が胸に落ちた時、懐の杯が震えた。
「代償は」
「知っているだろう」
知っていた。
「最も大切なものを捧げよ。お前の仲間。お前の絆。お前が持つ全ての温かいもの。それを炉にくべろ。天使の翼の代価としては——安いものだ」
「今すぐではない。儀式には月が要る。次の新月の夜に、杯を握れ。それだけでいい」
「断ったら」
「断れるか?」
冥座の影が笑った。
「お前はもう三ヶ月、杯を手放していない。投げ捨てる機会は何度もあった。お前は自分で選んで、持ち続けた」
反論できなかった。
「新月まで七日ある。考えろ。——だが、答えはもう出ているはずだ」
影が消えた。焚き火がぱちりと爆ぜた。
杯が掌の中で静かに光っていた。俺の体温と、もう区別がつかない。杯を握っているのか、杯に握られているのか——その境目も、消えていた。
四人が眠っている。焚き火の光に照らされた、穏やかな寝顔。
リタが寝返りを打った。唇が小さく動いた。
耳を寄せた。
——『だんちょう』
リタは、夢の中でも俺を呼んでいた。
杯を握る手が、一瞬だけ緩んだ。
ミラが壁際で剣を抱いたまま眠っている。片腕を失ってもなお、しなやかな右腕の筋が寝息に合わせて微かに動いている。——あの腕があれば、俺の背中の翼はより力強く羽ばたくだろう。
エダが丸まって、自分の手を握りしめている。——あの冷たい指。ノエルの傷を縫った指。天使になったら、あの指を真っ先に自分のものにしよう。
そう思った自分に、吐き気がした。——吐き気の奥に、甘さがあった。
フィーネが仰向けで口を開けて寝ている。少しだけ、いつものフィーネが戻っていた。閉じた瞼の下の緑の瞳。——あの目があれば、この澱んだ世界の隅々までが美しく見えるはずだ。
七日後の新月。
俺は杯を握るだろうか。
握らないと、思いたかった。こいつらの寝顔を見ていれば、握るはずがないと。
だが——胸の奥の渇きは、こいつらの寝顔を見ても埋まらない。埋まらないどころか、穏やかに眠る四つの顔を見ていると、懐の杯が歓喜に震えていた。愛しい。守りたい。——そう思うほどに、杯が熱を帯びる。こいつらの命の輝きが、そのまま翼の材料になることを、魂が理解してしまっている。
リタが蹴った毛布をかけ直した。
焚き火に照らされたリタの顔が柔らかく見えた。昼間の「置いていかないで」の声が、まだ耳の奥に残っている。
置いていかない。
リタの耳元に唇を寄せた。眠っている頬の産毛が、吐息で揺れた。
——置いていかないよ。お前たちを、俺の一部として、永遠に連れていく。
嘘を吐く口が、もう慣れていた。
杯と俺の体の区別が、もうつかなくなっていた。