ヤンデレ彼女を曇らせるために仲間を全員売ってTS悪堕ちしてみた 作:なほやん
新月の夜が来た。
七日間、俺は普通に過ごした。
依頼をこなし、飯を食い、仲間と笑った。
リタの冗談に笑い、エダの茶を飲み、ミラの素振りを眺め、フィーネの焼き菓子をもらった。
普通の七日間だった。
杯が懐で脈を打つのを感じながら——普通の、七日間だった。
最後の夜、焚き火を囲んで、四つの杯を合わせた。
澄んだ音が鳴った。一つ足りない音が。
傍らにハイレム団の旗が立ててあった。赤と黒に汚れた布が、夜風にはためいている。
「……ノエルの分」
リタが五杯目を焚き火の前に置いた。
「うん。ノエルにも」
四人が笑った。
温かい夜だった。
一人ずつ眠りに落ちていった。
フィーネが最初。エダが次。ミラがその次。
リタが最後まで起きていた。
「団長。寝ないの」
「もう少し起きてる」
「……そう」
リタが焚き火の向こうから、俺を見ていた。
いつもの暗い目ではなかった。
不安な目だった。何かを感じ取っている目。
「ねえ団長」
「ん」
「なんか——今夜、変じゃない?」
「変?」
「わかんない。空気が。なんか、重い」
鋭い女だった。
「気のせいだろ。寝ろ」
「……うん」
リタが毛布を被った。
背中を向けて、しばらくしてから。
「——おやすみ、団長」
「おやすみ」
リタの背中が小さく震えた。泣いているのか。寒いのか。
確かめる前に、呼吸が穏やかになった。眠ったのだ。
四人が眠っている。
焚き火が爆ぜた。
俺は懐から杯を出した。
新月。空に月はない。闇だけがある。
杯の赤い光が、唯一の灯りだった。
握った。
世界が裏返った。
† † †
最初に気づいたのは、地面がないことだった。
立っている。だが足元に地面がない。
黒い空間に、鏡の柱が聳えている。壁も天井も暗い鏡面だった。歪んだ像が揺れている。どの鏡にも自分が映っているが——どれも、違う姿をしていた。
四人が倒れていた。
リタが目を覚ました。
「——なに、ここ。団長——!」
次にミラ。フィーネ。エダ。
全員が立ち上がり、武器を探した。
武器はあった。だが——周囲を見て、全員の顔から血の気が引いた。
鏡の壁に、顔が映っていた。
無数の顔。人間の顔。鏡の向こう側に閉じ込められている。苦悶に歪んだ口が動いている。声は聞こえない。目だけがこちらを追っている。
「何よこれ——何よこれ!」
フィーネが叫んだ。
鏡の柱の頂上から、影が降りてきた。
焚き火の夜に見たものと同じ——だが、あの時は闇に紛れていた。今は、はっきりと見えた。
鏡の頂に座す者が、俺たちを見下ろしていた。
「——ようこそ。儀の場へ」
声が鏡面に反響した。
「杯を握ったな。これは契約だ。もう後には退けない」
「団長。何の話——」
リタが俺を見た。
俺は杯を握ったまま立っていた。
四人の前に。四人に背を向けて。冥座と向かい合って。
「団長?」
リタの声が、揺れた。
「……なんで。そっち側に、立ってるの」
答えなかった。
「捧げよ」
冥座の声が降った。
「お前の最も大切なものを。その血と魂で、翼が編まれる」
エダが悲鳴を上げた。
ミラが剣を抜いた。
フィーネが弓を構えた。
リタだけが動かなかった。
俺を見ていた。
「——嘘でしょ」
声が掠れていた。
「嘘だよね、団長。こいつらに脅されてるんだよね。団長は——あたしたちを、売ったりしない」
俺は振り返った。
四人の顔を見た。
エダ。傷を縫ってくれた冷たい指。
ミラ。肩で眠った椿油の匂い。
フィーネ。暗闇の中で握り返してきた手。
リタ。「置いていかないで」と言った声。
——綺麗だな、と思った。
「……ごめん」
それだけ言った。
杯が砕けた。
赤い光が爆発した。
鏡の壁が波打った。床が歪み、天井が割れた。
無数の腕が——鏡面から、柱の罅から、空間そのものから——伸びてきた。
エダが最初に掴まれた。
エダの手が光った。掴まれた腕に、治癒の光を当てている。
治そうとしている。掴まれながら、まだ——治そうとしている。
光が鏡面に吸い込まれて、消えた。
鏡の中に、映像が浮かんだ。
ノエルが笑っている。右腕がある。エダの手が傷を縫い終えて、「もう大丈夫」と言っている。——エダが治したかった世界が、そこにあった。
エダの手が、鏡に伸びた。
「いや——いやあああっ!」
エダの唇が動いた。鏡に呑まれる寸前、かすれた声が聞こえた。
「団長……手、冷たくしないでね」
腕がエダを引きずり込んだ。鏡の中に。鏡面が波紋のように揺れて、エダの悲鳴が向こう側で途切れた。
——その瞬間、俺の指先が冷たくなった。エダと同じ、あの冷たさ。
鏡に新しい顔が映った。エダの顔。口が開いている。声のない悲鳴。
「エダ——!!」
ミラが斬りかかった。片腕の剣が腕を三本断った。だが切断面から新しい腕が生えた。十本が、二十本が、ミラの体に巻きついた。
「離せ——この——」
ミラの剣が折れた。
腕が鏡面に引きずり込んでいく。ミラが歯を食いしばった。片腕で柱を掴み、踏みとどまろうとしている。
鏡の中に、ミラの左腕が映っていた。失ったはずの左腕が。
ミラの目が見開かれた。——手を伸ばした。鏡の中の左腕に向かって。
ミラが歯を食いしばったまま、吐き捨てた。
「……折れるなよ、団長」
全身が呑まれた。
——俺の腕に力が漲った。ミラの剣筋が、筋肉の記憶として流れ込んでくる。
フィーネが矢を射った。一本、二本、三本。全て弾かれた。
腕が足首を掴んだ。フィーネが転倒した。
「団長——助けて——団長!!」
フィーネの目が俺を見ていた。あの緑の目。盲目の夜に「覚えてる?」と聞いた、あの目。
鏡の中に、フィーネの父親が映っていた。「お前は弓がなくても、俺の娘だよ」——フィーネが一度も聞いたことのない言葉が、鏡の中で響いていた。
フィーネの手が伸びた。
俺は動かなかった。
フィーネが鏡に呑まれた。
——視界が鮮明になった。フィーネの目が見ていた世界の解像度が、俺の網膜に焼きついていく。
鏡面の向こうで、フィーネが拳を叩きつけている。声は届かない。緑の目だけが、こちら側を見ている。
三人。
三人が消えた。
リタだけが残っていた。
剣を構えていた。安物の剣。折れた愛剣の代わりに買った、何の変哲もない剣。
だがリタの構えは完璧だった。震えていなかった。
「——やっぱりか」
リタの声は、静かだった。
「あたし、ずっとわかってた。団長の目が変わったの。あの夜から」
「……」
「みんなは気づかなかった。でもあたしは——三年いたから。団長の目が、どんどん遠くなるの、見えてた」
腕が四方から伸びてきた。
リタが斬った。一本。二本。三本。正確に。冷静に。
「なんで——なんであたしたちじゃだめだったの」
斬りながら、リタが言った。
「あたし、ぜんぶあげたのに。剣も、命も、あの領主の首も——ぜんぶ団長のためだったのに」
知っていた。
リタの全部が、俺のためだった。
「足りなかった? あたしじゃ、足りなかった?」
「——足りなかった」
初めて、本当のことを言った。
「お前たちの愛では、俺の渇きは消えない。最初から。ずっと」
リタの目から涙が溢れた。
——その絶望した顔が、美味かった。今日一番の味だった。
三年間、誰よりも近くにいたのに——一番遠かった。
だが剣は止まらなかった。腕を斬り、斬り、斬り続けた。
「——嘘つき」
「嘘じゃない」
「嘘つき! 杯の音が好きだって言ったじゃん! あたしのばかが嬉しいって顔してたじゃん!」
「嬉しかった。でも——」
「足りなかったんでしょ。知ってるよ。ずっと知ってた」
リタの剣が、とうとう折れた。
二本目の剣が折れた。
腕がリタの体に巻きついた。
両腕。両足。首。
鏡面に引きずり込まれていく。
——鏡の中に、光景が映った。
焚き火。六つの杯。笑い声。
エダが茶を入れている。ミラが素振りをしている。フィーネが冗談を言っている。ノエルが刺繍をしている。そして団長が——俺が、笑っている。あの遠い目ではなく、本当に笑っている。
リタの体から力が抜けた。
その手が鏡の中に、伸びかけて——
エダが呑まれた。ミラが呑まれた。フィーネが呑まれた。三人とも、鏡の中に「欲しかったもの」を見て手を伸ばした。
——見なければいい。見なければ、鏡は効かない。
リタ自身の左目に、指を突き立てた。
爪が眼球の表面を破った。指が根元まで沈んだ。鏡が見せる幸福な嘘より、自分の肉体を壊す痛みの方を選んだ。見ることを拒絶した。
絶叫が空間を裂いた。
鏡面が罅割れた。幻影を映す器が、見る目を失って意味を失った。リタを呑み込もうとしていた鏡が砕けて、腕ごと弾け飛んだ。
リタが床に叩きつけられた。
左目から血が溢れている。自分で潰した目から。
冥座の影が動いた。
「自ら目を潰したか。……面白い」
血が顔の半分を覆っている。
残った右目で、俺を睨んでいる。
「——あたしは忘れない。お前が何をしたか。あたしは絶対に忘れない。死んでも——死んでも忘れない」
曇りきった、狂気と正気の目。
「お前が——何をしたか——」
リタの声が途切れた。意識を失ったのだ。
静寂が降りた。
鏡の壁が明滅している。
四つの新しい顔が映っている。エダ。ミラ。フィーネ。ノエル——ノエルの顔まである。あの丘に埋めたはずの。
† † †
光が降ってきた。
闇の空間に、白い光が。
体が燃え始めた。
だが一瞬では変わらなかった。
ゆっくりと。一つ一つ。壊しながら。
まず——指の骨が砕けた。
右手の小指から。ぱき、と乾いた音がして、内側から折れた。薬指。中指。人差し指。親指。五本が順に崩れていく。左手も同じ。十本の指が、自分のものじゃない角度に曲がって——そこから新しい形に組み直された。
細い指。爪の形が丸くなる。関節の節が消えていく。
痛みが走った。叫んだ。だが——叫び声の裏を、別の何かが這っていた。
皮膚の裏側を指でなぞられるような——折れた骨の隙間を縫って、鳥肌が腕を駆け上がっていく。
手首が鳴った。砕けて、縮んで、細くなった。
肘。肩。骨が一本ずつ壊れるたびに、別のものが隙間から芽吹くように生えてくる。鎖骨が折れた瞬間、脳を灼く衝撃が胸の奥を貫いた。痛いのに——気持ちいい。壊れる瞬間に、新しい形が答えを出す。お前はこの形だった、と。
肋骨が内側から押し広げられて、一度割れて、小さく組み直された。
肺が縮む。呼吸が浅くなる。息を吸うと肺が痺れる。吐くと苦い。痛みと快楽が交互に肺を満たして、どちらがどちらかわからなくなる。
次に肉が溶けた。
筋繊維が解けて、皮膚の下で別の形に編み直されていく。腕が細くなった。肩幅が縮んだ。腰が括れていく。
エダの細い筆が瞼に触れた日を思い出した。あの冷たい指が、俺の顔を別のものに塗り替えていった。鏡の中に知らない女がいた。息が止まった。——あの時と同じだ。ただし今度は——皮膚の下まで。
鏡がなくても、わかった。
自分の体が、壊されている。そして——作り直されている。
女装した日に鏡で見た、あの顔。
あの時ざわついた胸の奥の感覚。
——ああ、こういうことだったのか。
あの時、すでに始まっていたのだ。
骨盤が軋んだ。
最初は音だけだった。体の深い場所で、石臼を回すような低い振動。
次に痛みが来た。腰の骨が左右に引き裂かれるように——いや違う。開いているのだ。骨が生まれ直すために割れて、間を新しい骨が埋めていく。
腸骨が広がる。仙骨が傾く。恥骨が前に迫り出して、脚の付け根の角度が変わった。
歩幅が狭くなる形だ、とわかった。
フィーネのワンピースの裾が太腿を撫でた記憶が蘇った。あの日、歩幅が小さくなった。内股になった。布のせいだと思った。違った。体が覚えていたのだ——この形を。この歩き方を。骨が最初から答えを知っていた。
骨盤が開ききった瞬間、痛みの底が抜けた。苦痛の裏側に張りついていた熱い波が一気に腰を満たして、膝が折れた。
——渇きの縁が、溶けた。ほんの少し。
喉仏が溶けた。
焼けるように熱かった。喉の奥で骨が縮み、軟骨が柔らかくなって、そのまま消えていく。声帯が震えた。何かが喉の内側を作り替えている。
声を出した。
——女の声がした。
高い。澄んでいる。知らない女の声。喉から出たのに自分の声じゃない。
もう一度。
声が鏡の空間に反響した。エルフェンの門番は俺を女と信じた。声だけが嘘だった。もう嘘ではない。
自分の声に驚いて、息を呑んだ。その息を呑む音すら——女の音だった。熱くて、浅くて、柔らかい。俺の知らない喉が、俺の知らない空気を震わせている。
——渇きの縁が、さらに溶けた。
髪が伸びた。
頭皮の内側から押し出されるように。毛根の一本一本が熱を帯びて、背中を覆い、腰まで流れた。伸びた髪が首筋に触れて、知らない肌が粟立った。
リタが櫛で梳いてくれた記憶が蘇る。「動かないで」と言いながら、俺の耳に触れた指のくすぐったさ。あの手は、もうない。あの手が梳く髪は、もうこの髪ではない。
だが髪は伸び続けた。リタの記憶など知らないとでもいうように、腰の下まで——灰銀だった色が、先端から純白に染まっていく。
胸が膨らんだ。
最初は違和感だった。胸板の筋肉が溶けて、代わりに内側から何かが押し上げてくる。皮膚が伸びた。張った。重さが生まれた。
呼吸するたびに、自分の体が揺れた。——ミラの革帯で胸元を締めた日を思い出した。平らな胸を女に見せかけた。あの窮屈さが嘘みたいだった。もう見せかける必要はない。この胸は——本物だ。
重い。呼吸のたびに揺れる。重力に従って形を変える。俺の知らなかった重さが、胸の上に乗っている。
——渇きの縁が、また溶けた。
全過程で——痛みがあった。
だが痛みの奥に——
あの渇きが。
生まれてから一度も消えなかった渇きが。
縁が溶けていた。一つ壊れるたびに。一つ作り変えられるたびに。骨盤で少し。声で少し。髪で少し。胸で少し。
四人の悲鳴が俺の中に注がれていた。エダの冷たい指が俺の骨を組み直し、ミラの腕力が俺の筋を編み替え、フィーネの視力が俺の瞳を磨き上げている。四人がかりで、俺の中の男を殺して塗り潰していく。
——その暴力的な救済に、俺は泣きながら感謝していた。
底の抜けた器に、四人の悲鳴が注がれて、焼かれて、固まって——空っぽの器が、別の形に焼き直されていた。
あの風呂場で——リタの肩の線を見て、「なりたい」と思った。
あの渇望だけが渇きの縁をかすめていた。仲間の温もりは全部素通りしたのに、あの三秒だけが引っかかっていた。
——これだったのだ。
俺が欲しかったのは、仲間の愛じゃなかった。
この体だった。
声が出た。
自分の声じゃなかった。高い、澄んだ、女の声。
悲鳴なのか。歓喜なのか。
自分でもわからなかった。
懐に残っていたノエルの針が、胸の中心に向かって沈んでいった。縫われている。傷跡の端を、ノエルの針が一針ずつ縫い合わせている。——ノエル。お前の針が、最後の仕上げをしてくれるのか。
背中から、翼が生えた。
肩甲骨の間が裂けた。皮膚が割れて、骨が突き出た。だがそれは骨ではなかった。光だった。白い光が肉を押し退けて外に広がり、羽の形を取った。
白い翼。光を放つ翼。畳めない翼。
鏡の空間が崩れ始めた。
闇が裂けて、光が差した。
外の世界が見えた。
夜明け前の空。星が消えかけている。
——ノエルが好きだった星が。
† † †
私は光の中に立っていた。
白い翼を広げて。
白い肌で。
知らない女の体で。
かつて灰銀だった髪が、腰まで流れる純白に変わっていた。瞳の色だけが——あの頃と同じ、冷たい灰色のまま。
手を見た。細い指。爪の形が変わっている。
だが、それ以上触れる気にならなかった。
何も感じなかった。
足元に、リタが倒れていた。
片目を失い、全身を傷だらけにして、気を失っている。
それ以外には——誰もいなかった。
焚き火の跡だけが残っていた。
杯は溶けていた。四つとも。ノエルのために置いた五杯目も。荷物も、武器も、寝袋も——全部が黒い染みになって地面に焼きついている。
その中に、一枚だけ。
ハイレム団の旗が倒れていた。端が焦げている。赤と黒に汚れた布が、それでもまだ、旗の形を保っていた。
風が吹いた。
新しい体に、夜明け前の空気が触れた。
冷たかった。
そして——何も感じなかった。
あの瞬間、確かに満ちたはずだった。
なのに。
何も残っていなかった。
冥座の声が、遠くから聞こえた。
——言っただろう。永遠に満たしてやる、と。
——嘘は言っていない。お前は今、満たされている。
——お前がそれを「空っぽ」だと感じるのは——お前が人間だった頃の残滓だ。じきに消える。
消えなかった。
焦げたハイレム団の旗を拾い上げた。仲間の血と汗が染み込んだ布を、裸の肩にかけた。四人の混ざり合った体臭が——エダの薬草、ミラの椿油、フィーネの焼き菓子、ノエルの刺繍糸——新しい私の肌に吸いつくように馴染んだ。この旗が、私の最初の衣だ。
私はリタを見下ろした。
血まみれの、片目の女。
その顔を見た瞬間——全てが、あるべき場所に収まった。
この女だけが、私が何をしたかを知っている。
リタが私を憎む限り、私は自分の罪を確認できる。リタが生きている限り、私は天使でいられる。
翼が朝日を受けて光った。
白い、美しい光。
仲間の悲鳴で編まれた翼が。
お ま た せ