ヤンデレ彼女を曇らせるために仲間を全員売ってTS悪堕ちしてみた 作:なほやん
大聖堂に用意された私室に戻ると、鎧が壁にかけてあった。
白い装飾鎧。天使用に仕立てられたもの。背中に翼の通る切れ込みがあり、胸当ては女の体に合わせて湾曲している。
手を伸ばした。
指が金属の表面に触れた瞬間——記憶が走った。
ミラの革帯。
入団して間もない頃、胸を締めた日を思い出す。「動くと緩む。きつくする」と言って、無言で私の——あの頃はまだ「俺」だった体の胸板に革帯を巻いた。
今は、締める意味がある。柔らかい胸がある体だから。
手を離した。指先が震えていた。
術式を一つ唱えた。黒い塊を浄化する際に使う、光の詠唱。
自分の声が部屋に響いた。——澄んだソプラノ。
エダの旋律だった。
エダは詠唱する時、独特の節回しをつけた。術式の文言に、歌うような抑揚を乗せる癖があった。「母さんがそう教えたの。術式は歌よ。歌えば、魔力が喜ぶの」——あの冷たい指で俺の傷口を塞ぎながら、そう言っていた。
今、私の声がその旋律をなぞっている。エダから教わったわけではない。体が覚えている。
衣を脱いだ。
翼の付け根に手を回すと——指先に、微かな凹凸を感じた。
刺繍だった。
ノエルの星の柄。あの小さな布切れが、変容の炎で肌に焼きついて残っている。翼の付け根、肩甲骨の内側。指で撫でると、ほんのわずかに温かい。他の肌より、確かに。
太腿に手を滑らせた。
フィーネが選んでくれたワンピースの記憶。女装した日、鏡の中の「知らない女」に息が止まった日。フィーネが裾を直しながら「ここ、もうちょっと短い方がいいかな」と笑った。あの裾の感触が——この体に残っている。
仲間を殺して得た体に、仲間の記憶が刻まれている。
鎧に触れればミラ。声を出せばエダ。翼の根元にノエル。太腿にフィーネ。
——そしてそれが、官能を帯びている。
殺した人間の残像で、快感を得ている。
最悪だった。
最悪だと理解しているのに、指が止まらなかった。もう一度、翼の根元に触れた。ノエルの星が温かい。
——ごめん。
謝る資格がないことは、わかっている。
† † †
リタが目を覚ましたのは、五日目の朝だった。
大聖堂の医務室。白い天蓋のついた寝台に横たえられたリタの顔色は、まだ土気色だった。片目を覆う包帯。首から腕にかけて走る縫合痕。蝕の夜に左目を自ら潰した傷が、まだ塞がりきっていない。
目が開いた。
残った右目が、天井を見て、壁を見て——私を見た。
「——誰」
かすれた声だった。
「誰なの、あんた」
白い翼。長い髪。知らない女の顔。
リタの目に映っているのは、そういうものだ。
「覚えてないか」
声を聞いて、リタの顔が変わった。
声は変わっても、喋り方の癖は変わらない。三年間、毎日聞いた声の主が誰か——体がわかるのだろう。
「団長?」
「ああ」
「なんで——女——翼——」
「これが代償だ。あるいは、報酬だ」
リタの顔がゆっくりと歪んだ。
恐怖ではなかった。嫌悪でもなかった。
理解だった。全てを理解した顔。あの夜何が起きたか、この体が何でできているか、なぜ自分だけが生き残ったか——全部を、一瞬で読み取った顔。
「みんなは」
「いない」
「——エダは」
「いない」
「ミラは」
「いない」
「フィーネは」
「いない」
一人ずつ確認した。一人ずつ、リタの目の光が消えていった。
「あんたが——やったの」
「ああ」
リタが寝台から立ち上がった。
傷だらけの体で。点滴の管を引き千切って。裸足が石畳を踏んだ。
私の胸ぐらを掴んだ。
「返せ」
声が震えていた。
「返せよ。みんなを返せ。エダを返せ。ミラを返せ。フィーネを返せ。ノエルを——」
名前を一つ呼ぶたびに、握る拳に力がこもった。
天使の衣の白い布が、リタの指の間で皺になる。
「返せない」
「なんで——なんでなんでなんで——」
リタが崩れた。
膝から力が抜けて、私の体にもたれかかった。顔が胸に埋まった。
柔らかかった。
四人の命で形づくられた胸が、リタの涙を受け止めている。
泣き声が布越しに震えた。嗚咽が肋骨に響いた。
——長い沈黙の後。
「——綺麗」
リタが呟いた。
泣きながら。私の胸に顔を埋めたまま。
「……なんで。こんな——こんな綺麗な体してんだよ」
——勝った、と思った。
あんなに私を憎んでいるリタが、この体の美しさに屈服した。万の民衆の祈りより、この一言の方が瘢痕を熱くした。リタの絶望した「綺麗」を、極上の肉を咀嚼するように味わっている自分がいた。
「みんなの命で。みんなの体で。こんな——」
リタが身を離した。
自分の口を押さえた。「綺麗」と言った唇を。
爪が唇を引っ掻いた。
白い肌に赤い筋が走った。血が滲んだ。それでも止めなかった。「綺麗」と言った自分の口を、罰するように。
「——殺す」
血の滲む唇で、リタが言った。
「絶対に殺す。あんたがどんな姿になっても。どんな綺麗な顔しても。あたしは——絶対に」
扉が開いた。
甲冑の音。兵士が三人、駆け込んできた。
「光の天使様! ご無事ですか! この者が——」
「大丈夫です」
私は一歩、リタから離れた。
微笑んだ。光の天使の、慈悲深い微笑みを。
「この方は混乱しているだけ。長い眠りから覚めたばかりですから。どうか、お薬を」
「はっ、畏まりました!」
兵士がリタの腕を掴んだ。リタは暴れなかった。
ただ、連れていかれながら振り返った。
片目で、私を見た。
あの目を——私は知っている。
「置いていかないで」と言った夜の目。「嘘つき」と笑った日の目。「あたしたち、このままずっとこうしてられると思う?」と聞いた声の、奥にあった目。
† † †
三日後、リタは医務室から消えた。
窓の鉄格子が内側から外されていた。包帯と点滴の管だけが寝台に残されていた。
兵士が報告に来た。
「天使様。あの女が——逃亡いたしました。追手を出しましょうか」
「いいえ。放っておきなさい」
微笑んだ。
「傷ついた人を追い詰めるのは、天使のすることではありません」
兵士が感涙した。「なんと慈悲深い御方だ」と呟いた。
——リタ。
逃げたのではない。潜ったのだ。
あの女は折れない。砕いても砕いても折れない。「絶対に殺す」と言った言葉を、リタは守る。嘘をつかない女だから。
数週間が過ぎた。
ときどき噂が耳に入る。「天使に刃を向ける女がいる」「片目の女が兵士を三人倒した」「狂人だ。聖なる御方に刃を向けるなど」。
狂人。
この国で一番正気なのは、あの女だけだ。
リタが地下で何をしているか——推測はつく。
武器を調達している。仲間を集めている。いや、仲間は集まらないだろう。リタの言葉を信じる人間はいない。光の天使が悪魔だと叫んでも、誰にも届かない。
だがリタは——一人でもやる。そういう女だ。
地下の暗闇で兵士を何人倒したか。その度に傷が増えているだろう。あの領主を殺した夜のように、爪の間に黒い汚れが——。
躊躇はあっただろうか。
地下から広場に出る時、あの石段を見上げた時——一瞬でも、迷っただろうか。
迷ったはずだ。リタは馬鹿だが、馬鹿じゃない。広場で叫んでも誰も味方しないとわかっている。石を投げられるとわかっている。天使に赦されるたびに、自分だけが狂人になるとわかっている。
——それでも来た。来るしかなかった。
† † †
祝福の儀式の日だった。月に一度、光の天使が民の前に姿を現す日。
大聖堂の石段の上に立った。
白い衣が風に揺れる。翼が朝日を受けて光っている。
「光の天使様に祝福あれ!」
群衆の中に、裂け目ができた。
焦げ茶の髪が血と泥にまみれている。
片目。左目があった場所には、赤黒い傷跡。残った右目だけが、まっすぐにこちらを射ている。
「お前は天使なんかじゃない! 悪魔だ!」
リタの叫びが広場を貫いた。
怒号が始まった。
「衛兵! 不敬者を取り押さえろ!」
石が飛んだ。リタの肩に当たった。二つ目、三つ目が続く。
リタは退かなかった。
私は石段の上の特等席から、それを眺めていた。
微笑んだ。
「この方をお放しなさい」
声を出すと、澄んだ鈴のような音が広場に落ちた。
「怪我をしているわ。手当てを」
私はリタに歩み寄った。兵士が道を開ける。
白い指で、リタの肩の傷に触れた。
耳元に唇を寄せた。私の肌から立ち上る、エダの薬草の、ミラの椿油の、フィーネの焼き菓子の香りを、リタに押しつけるように。
「ごめんね」
リタの体が硬直した。吐き気を堪えるように身を震わせるのが、指先から伝わってきた。——死んだ仲間の匂いがする体に、赦されている。
赦された。
また赦された。真実を叫んでも誰にも信じてもらえない。天使はそれすら赦す。赦されるたびに、リタだけが狂人になる。
——知っている。知っていてやっている。
赦せば赦すほど、リタは孤立する。この構造を、私は味わっていた。
喉が勝手に悦びに満ちた溜息を漏らし、翼が白く輝きを増した。心は空虚なのに、肉体だけが加虐に応えている。
兵士がリタの腕を掴んだ。
リタは振り払った。片目で、傷だらけの体で、三人の兵士を。
群衆を掻き分けて走り出した。
走り去る背中を見送った。
三年間、あの背中はいつも俺の前にあった。先頭に立って、安物の剣を振って。
今は——逃げる背中だ。
リタは必ず来る。
広場では叫ぶしかできない。だが——夜に、二人きりなら。
† † †
兵士の報告が続いた。
「片目の女が再び兵士を襲撃。今度は五人——」
「地下水路で目撃情報。追手の二人が返り討ちに——」
「反乱分子の一団が、地下に——中心にいるのは、片目の女剣士——」
リタが地下で暴れている。
天使に刃を向ける狂人。不敬者の頭目。
この国の人間は誰一人として知らない。あの「狂人」だけが正気であることを。
壁にかけた布が、夜風に揺れていた。
焦げた、ハイレム団の旗。あの夜、唯一焼け残ったもの。ノエルの血の赤と、魔獣の汚濁の黒と、変容の炎の焦げ。その層が重なった布の上で、天使の白い指が、今夜来るはずの殺意を待って踊っていた。
翼の付け根に手を当てた。
ノエルの星の刺繍が、まだ温かい。
リタが地下で刃を研いでいる。
私が空で翼を広げている。
この距離が、ちょうどいい。
近すぎず、遠すぎず。殺しに来る距離。殺されに待つ距離。
——ああ。これが、天使の暮らしだ。