ヤンデレ彼女を曇らせるために仲間を全員売ってTS悪堕ちしてみた   作:なほやん

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第14話 『痛いよ、リタ』

 鏡が、月明かりに白く浮かんでいた。

 

 衣を解いた。

 白い布が足元に落ちる。月の光が裸の肌を撫でて、鏡の中に私の全てを映し出した。

 

 白い肌。細い首筋。鎖骨から胸元にかけての、なだらかな曲線。

 腰のくびれ。太腿の柔らかな影。

 背中から伸びた翼が、月明かりを受けて淡く光っている。

 

 いつもなら、ここで目を逸らす。逸らして、衣を纏い直して、光の天使に戻る。

 今夜は——全部、見る。

 

 鎖骨に指を当てた。薄い皮膚の下で、華奢な骨が浮いている。

 ここにエダの冷たい指があった。傷を縫うとき、いつも鎖骨の下から始めた。「ここを押さえると痛みが鈍る」と、母から教わった手つきで。あの冷たさが、まだこの骨の中に眠っている。

 

 胸の曲線に視線を落とす。

 呼吸のたびに揺れる重さ。掌を添えると、自分の体温が返ってきた。ミラの革帯の記憶がある。ミラが胸当てを締めるとき、いつも「きつくないか」と聞いた。片腕になっても、革帯だけは自分で締めた。——あの指の強さが、この曲線の下に残っている。

 

 腰から太腿へ、目を落とした。

 括れた腰。なだらかに広がる(でん)の丸み。太腿の内側に落ちる柔らかな影。フィーネのワンピースの裾が、この腰の高さで揺れていた。風が吹くと膝の上で布が踊って、フィーネは照れくさそうに押さえた。——あの布の触感が、この肌の奥に織り込まれている。

 

 翼が揺れた。

 呼吸に合わせて、羽の一枚一枚が開いては閉じる。自分の意志では畳めない。あの夜から、ずっと。肺と連動した翼が、裸の背中で息をしていた。

 付け根に触れた。肩甲骨の間、翼の生え際に——ノエルの刺繍の温度があった。星の柄。あの夜バルコニーで見せてくれた刺繍布を、私が「きれいだ」と言った時のノエルの顔。「団長の前に立つのが私の全部です」。その言葉ごと、焼印のように付け根に残っている。

 

 指先で鎖骨からゆっくりとなぞった。首筋を。胸の谷間を。肋骨の一本一本を。臍の下を。

 

 触れた場所から、甘い痺れが広がる。

 この体は——触られることを、待っている。

 

 私の指が鎖骨をなぞる。——違う。これはエダの指だ。死んだエダが、私の内側から私の肉を愛撫している。胸に触れると、ミラの革帯の記憶が締め上げてくる。太腿を撫でると、フィーネのワンピースの裾が揺れる。翼の付け根に触れると、ノエルの星が温かく脈打つ。

 殺した女たちのパーツが、私の肌の下でお互いを慰め合っている。エダの指がミラの胸を撫で、フィーネの肌がノエルの温度に寄り添い——私はその慰霊の宴の器として、ここに立っている。

 ——そしてその全てが、甘い。

 

 罪の熱だとわかっている。快感だとも、わかっている。

 仲間の悲鳴と親友の血と裏切りの対価で編まれた肉体が、こんなに(あま)く応えることが。罰であるべきものが報酬に化けている。どちらがどちらか、もう区別がつかない。

 

 鏡の中の私が、泣いていた。

 泣きながら、頬を紅く染めていた。

 白い翼が月光を受けて背中で揺れている。涙と紅潮が同居する顔は——美しかった。吐き気がするほど。

 

 泣いている自分を、きれいだと思っている自分がいる。

 その自分を、醜いと思っている自分もいる。

 どちらも本当だった。どちらも私だった。

 

  †  †  †

 

 ——窓の割れる音がした。

 

 月明かりの中に、影が立っている。

 

 リタだった。

 

 片目で、傷だらけの体で、大聖堂の塔を登って。

 手に、あの安物の剣を握っている。

 息が荒い。腕が震えている。壁を登った指先から血が滲んでいた。

 

 切っ先が、私の喉元に突きつけられた。

 

「今度はあたしが、団長を殺す」

 

 声は静かだった。

 

 私は裸のまま、動かなかった。

 翼が月明かりに光っている。白い羽がリタの顔を照らしている。傷だらけの頬。潰れた左目の痕。自分で抉った——私のせいで。

 リタの片目に、翼の光が映っていた。

 

 ——ああ。その顔だ。

 

 広場では聞けなかった声が、来た。

 

「なんで——なんでこんなことしたの」

 

 リタの声が震えていた。剣は震えていなかった。

 

「答えろよ。なんであたしだけ残したの」

 

 リタの片目が、裸の私の体を見ていた。鎖骨を。胸を。腰を。翼を。

 仲間の記憶で編まれた、この残酷な体を。

 

 私が一歩踏み出した。

 切っ先が喉に食い込む。浅い傷。首筋に血の珠が浮いた。

 

 リタの剣がずれた。

 喉から鎖骨を滑り、肩を越えて——背中に回った。切っ先が翼の付け根に触れた。

 ノエルの刺繍がある場所に。

 

 安物の剣の冷たさが、焼印の温もりを貫いた。

 

 ——ノエルの声が聞こえた。

 

 「団長の前に立てました」。あの穏やかな声が。星の柄が。一針一針の正確さが。もう二度と縫えない最後の刺繍が。

 

 天使の殻が、罅割れた。

 

「俺」

 

 と言った。

 

 この体になって初めて、あの頃の声が出た。澄んだ女の声の底から、錆びた男の声が——刺繍の温度に引きずり出されるように、一瞬だけ顔を出した。選んだのではない。漏れたのだ。

 

「俺にはずっと穴が空いていた」

 

 リタの目が見開かれた。耳を塞ぎかけた。——塞げなかった。

 美しい天使の唇から、腐った記憶のような男の掠れ声が漏れている。この不協和音こそが、私という存在の正体だった。剣先が微かに揺れた。

 

「仲間がいても。名声があっても。お前たちがどれだけ好きだと言ってくれても——何かが足りなかった。ずっと。最初から」

 

 月明かりが白い肌を照らしている。喉に食い込んだ剣先から、血が鎖骨を伝って落ちた。

 

「冥座に穴を埋めてやると言われた。代わりに仲間を差し出せと」

 

 リタの唇が震えた。だが声は出さなかった。

 

「差し出した瞬間、穴が満ちた。一瞬だけ」

 

「——」

 

「すぐに空っぽに戻った。何も変わらなかった」

 

 翼が揺れた。羽の一枚一枚が、告白の言葉に反応するように震えている。

 

「でも——一つだけ、穴が埋まる瞬間がある」

 

 リタを見た。

 殺意と憎悪と、その奥にあるもの。全部が混ざった、片目の顔。

 

「殺意と、憎悪と、その奥にあるもの。全部が混ざった君の顔が——俺の穴を埋めるんだ」

 

 言ってしまった。

 ずっと言えなかった言葉が、この女の体の喉から、男の声で出た。

 

 リタの目から、色が消えた。

 瞳孔が開いて、片目が黒く塗り潰された。

 

 ——そして、戻った。

 殺意よりも深い何かが、片目の奥で燃えていた。

 あの山道で「置いていかないで」と言った時と同じ目だった。同じ目で、剣を握っている。

 

 リタが剣を振り下ろした。

 本気の一撃だった。風を切る音が耳元を裂いた。

 

 壁にかけたハイレム団の旗を、斜めに切り裂いた。焦げた布が二つに裂けて、床に落ちた。

 

 返す刃が頬を掠めた。

 白い肌に赤い線が走る。浅い傷。だが今度は、鋭い痛みが頬骨を抉るように走った。

 

「——痛いよ、リタ」

 

 自分の声が、また女に戻っていた。

 

 リタの片目から、涙が一粒落ちた。

 剣を握った手が震えている。今度は剣ごと。

 

 私はその涙に手を伸ばした。

 指先でリタの頬に触れた。涙を拭う。冷たかった。リタの肌は、昔からいつも冷たかった。

 

 そのまま、指を自分の頬に戻した。リタの涙と自分の血が、指先の上で混ざった。

 

 舌先に載せた。

 

「——甘い」

 

 いや。この味を、知っている。あの夜、六人で飲み干した安酒の味だ。穴が空くほど笑った、あの時間の味がする。

 仲間の悲鳴で編まれた体は、血まで——あの夜の味がした。

 

 リタが息を呑んだ。

 その顔に浮かんだものは、殺意でも憎悪でもなかった。もっと深くて、もっと救いようのないものだった。

 ——あの頃と同じ顔だった。宴の夜、俺の隣で笑っていた時と。

 

「大丈夫ですか! 光の天使様!」

「剣を下ろせ! 侵入者!」

 

 ガチャガチャと下品な音を立てて、衛兵が雪崩れ込んでくる。

 

 リタは窓枠に足をかけた。

 振り返った。——広場では振り返らなかった。今夜は、振り返った。

 

「あんたが何の姿をしてても——あたしは忘れないから」

 

 同じ言葉だった。

 だが声が違った。広場で吐いた時よりも、低く、静かで、震えていた。

 

 月明かりの中に消えた。

 

  †  †  †

 

 衛兵を下がらせた。

 慈悲深い微笑みで。

 

 一人になった部屋で、壁にかけた布を見た。

 焦げた、ハイレム団の旗。あの夜、唯一焼け残ったもの。

 

 翼の付け根が、じんわりと温かい。

 ノエルの刺繍の温度。星の柄が、まだ肌に残っている。

 

 頬の傷に指を当てた。リタの剣がつけた、赤い線。

 もう血は止まりかけていた。明日には消えるだろう。この体は、そういう風にできている。

 

 だから、リタはまた来る。

 

 殺しに来る。何度でも。

 傷をつけに来る。何度でも。

 あの顔を見せに来る。殺意と憎悪とその奥にあるもの。全部が混ざった、あの顔を。

 

 絶対に。

 

 窓から月が見えた。

 割れた窓硝子の破片が、月光を受けて床に散っている。リタが登ってきた爪痕が、窓枠に赤く残っていた。

 指でなぞった。舌先で触れた。民衆が捧げる万本の百合よりも、この生々しい傷跡の方が、ずっと芳しかった。

 

 翼の付け根が疼いた。ノエルの針が、私の心臓の裏側に「リタ」という名前を永遠に縫い付けたのだ。

 

 ——ああ。なんて幸せなんだろう。

 

 空洞が満ちていた。

 仲間を捧げても埋まらなかった穴が、天使になっても消えなかった渇きが——リタの殺意の中にだけ、満ちている。

 

 リタは私を殺せない。

 私はリタを手放せない。

 

 この二つが噛み合っている限り、終わらない。永遠に。

 

 冥座が言った。「永遠に、満たしてやる」と。

 嘘だった。天使の体では穴は埋まらなかった。

 ——だがリタが埋めてくれる。冥座にもできなかったことを、リタだけがしてくれる。

 

 月が窓枠の向こうに傾いていく。

 夜が明ける。また光の天使として、慈悲深い微笑みで民衆の前に立つ。花を受け取り、祈りを浴び、災厄を自分で起こして自分で消す。

 

 だが夜が来れば——リタが来る。

 

 床に落ちた旗を拾い上げた。

 リタの剣に裂かれた、ハイレム団の旗。焦げた端が、さらにほつれている。

 二つに裂かれた布を合わせてみた。合わない。もう元には戻らない。

 

 裂けた旗を胸に抱いた。仲間の血と汗と——今はリタの剣筋が染み込んだ布を。

 

 鏡に映った私が、まだ泣いていた。

 泣きながら、微笑んでいた。裂けた旗を抱いて、裸の翼を月に晒して。

 

 リタ。お前が私の悪魔でいてくれる限り、私は天使でいられる。

 ——さあ、明日も殺しに来て。

 










 第一部、これにて一区切りです。
 ここまでお付き合いいただき、本当にありがとうございました!

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