ヤンデレ彼女を曇らせるために仲間を全員売ってTS悪堕ちしてみた 作:なほやん
依頼は、山岳地帯の竜退治だった。
竜といっても、古代竜のような伝説の存在じゃない。翼長は馬二頭分ほどの若い飛竜で、麓の村の家畜を喰い荒らしているという。ハイレム団の実力なら、危険の少ない依頼だ。
——そのはずだった。
「巣が二つあるぞ!」
ミラの叫びが岩壁に反響した。
一頭じゃなかった。
番いだった。しかも巣に卵がある。子を守る飛竜は、通常の三倍は凶暴になる。
依頼書には一頭としか書いてなかった。村人が二頭目を見落としたのか、あるいは知っていて黙っていたのか。どちらでも同じだ。もう遅い。
雄が先に来た。
岩陰から飛び出した巨体が、風を裂いて急降下してくる。
「散開!」
俺が叫ぶより先に、五人は動いていた。
リタが前に出て剣を構え、ミラが右に回り込む。エダが後方から援護の術式を詠唱し、ノエルが盾を掲げて俺の前に立った。
フィーネは高台に駆け上がり、弓を引き絞っている。
何十回と繰り返してきた、息の合った布陣だった。
雄の飛竜を仕留めるまでに、半刻もかからなかった。
リタの剣が喉笛を裂き、ミラが翼の付け根を断ち、フィーネの矢が片目を貫いた。
血飛沫が岩肌を濡らし、断末魔が谷間に響き渡った。
「二頭目、来る」
ノエルの声は静かだった。
雄の死骸の向こうから、もう一つの影が這い出てくる。
雌だった。
雄より一回り小さい。だが、目が違った。
卵を守る母の目だ。狂気に近い殺意が、瞳の奥で燃えている。
「さっきと同じ布陣で——」
言い終わる前に、雌が吐いた。
炎じゃなかった。
酸だ。
黄緑色の飛沫が扇状に広がり、岩を溶かし、地面を抉った。
「避け——」
エダが突き飛ばされた。
ノエルが盾で庇ったのだ。だが酸は盾の縁を越えて、ノエルの右腕に降りかかった。
じゅう、と音がした。
金属が泡立ち、鎧の隙間から黄色い蒸気が立ち昇る。その下で——ノエルの白い肌が黒く泡立っていた。
「ノエル!」
ノエルは声を上げなかった。
右腕の鎧が半分溶け落ちて、剥き出しになった肉が脂を弾いている。焦げた蛋白質の嫌な臭いが鼻の奥に張りつき、息を止めても消えなかった。
だがノエルは盾を左手に持ち替え、まだ立っていた。
「団長。指示を」
震えていなかった。声も、体も。
右腕がぶら下がったまま、こちらを真っ直ぐ見ている。
俺は指示を出した。
リタとミラで左右から挟み、フィーネが目を狙い、エダが足止めの術式を張る。
ノエルには下がれと言った。
「嫌です」
初めて命令を断られた。
ノエルは盾を構えたまま、俺の前から動かなかった。
左腕一本で盾を支え、溶けた右腕を垂らしたまま。
雌の飛竜が二度目の酸を吐いた時、フィーネの矢がその口腔を貫いた。
酸が逆流し、飛竜自身の喉を焼いた。悲鳴とも咆哮ともつかない声を上げて、崩れ落ちた。
終わった。
全員が膝をついた。
エダが真っ先にノエルに駆け寄った。治癒の術式が青白く光る。
だが、光がノエルの右腕に触れた瞬間、エダの顔が凍りついた。
「だめ。骨まで溶けてる」
沈黙が降りた。
「腕、落とさないと。毒が回ったら——」
「やれ」
ノエルが言った。
エダを見て、頷いて、それだけ言った。
ミラが剣を抜いた。
リタが目を逸らした。フィーネが唇を噛んだ。
俺は、ノエルの左手を握った。
「——」
ノエルは何も言わなかった。
ただ俺の手を握り返した。強く。
ミラの剣が振り下ろされた。
飛び散った鮮血が、ハイレム団の旗の白い紋章を汚していく。——まばたきもせずに見ていた。血の色が布に染み込んでいく速度まで、目が追っていた。
旗で断端をきつく縛った。白地に、赤が広がった。
† † †
村に戻ったのは、日が暮れてからだった。
ノエルは意識がなかった。エダの治癒術で出血は止まったが、顔に色がない。
村長が出迎えた。飛竜二頭の討伐を聞いて、顔を輝かせた。
「おお! さすがはハーレム団!」
誰も訂正しなかった。
宿の一室で、五人が集まった。
寝台の上で、ノエルが薄く目を開けた。
右側に——もう何もない空間に、一瞬だけ視線をやった。
それから俺を見て、かすかに笑った。
「……団長。すみません。盾、左では上手く使えないかも」
「馬鹿言うな」
「でも、団長の前には立てます。腕がなくても、立てます」
俺は笑えなかった。
リタが壁に拳を叩きつけた。
「依頼書に一頭って書いてあったじゃん。ふざけんなよ」
「リタのせいじゃない」
エダが静かに言った。
「全員の判断ミスだ。巣の確認を怠った」
ミラが吐き捨てた。
フィーネが黙ってノエルの額の汗を拭いていた。
俺は何も言えなかった。
団長は俺だ。
全部、俺の責任だ。
† † †
その夜、俺は宿の外に出て一人で月を見ていた。
中庭の井戸端に座って、手の中の杯を回す。酒は入っていない。空の杯。
足音がした。軽い。
「団長」
ノエルだった。
「寝てろ。腕を——」
「片腕でも歩けます」
ノエルが俺の隣に座った。左腕だけで、器用に。
月明かりが短く刈り込んだ銀青の髪を照らしている。小柄だが、肩のラインは鎧を着慣れた者の形をしていた。
しばらく黙っていた。
「団長」
「ん」
「星が綺麗です」
見上げた。
確かに、満天の星だった。
「……ノエル。お前、星が好きなのか」
「はい」
「初めて聞いた」
「聞かれなかったので」
沈黙。
ノエルが自分から話題を出すのは初めてだった。
「団長」
「ん」
「私のこと、怖いですか」
「は?」
「入団の時。村で三十人相手にしてた時。団長、私を見て一瞬、引きました」
「……覚えてるのか」
「覚えてます」
「——怖かったよ。正直に言えば」
「そうですか」
「でも、すごいとも思った」
「……そうですか」
声の温度が、ほんの少しだけ変わった。
「私は、強いだけです。それしかない。剣は使えない。弓も引けない。術式も唱えられない。盾の前に立って、殴られるだけ」
「それが一番大事だ」
「そうでしょうか」
「お前がいなかったら、俺たちは何度死んでたかわからない」
ノエルが黙った。
長い沈黙の後、小さく言った。
「……団長の前に立つのが、私の全部です」
「ノエル——」
「他の人の前には立てません。団長だから。団長の前だから」
星明かりがノエルの横顔を照らしていた。
無表情のまま。だが、目の縁に水分が光っていた。
腕を失った痛みなのか、別の何かなのか——聞けなかった。
ノエルが残った左手で、ポケットから何かを取り出した。
小さな布の切れ端だった。花の刺繍がしてある。あのマントの裏地と同じ柄。
「私、こういうの作るの好きなんです。盾しか取り柄がないって言いましたけど——嘘でした」
「知ってる。ノエルのマントの刺繍、綺麗だった」
ノエルの唇の端が、ほんの数ミリ上がった。
笑ったのを見たのは、入団以来——二度目だった。
「——団長に、あげます。これ」
刺繍の布を差し出された。
小さな星の柄だった。青い糸で、丁寧に縫われている。
「お守り、みたいなものです。片腕になっても——団長の前に立てるように」
受け取った。掌に収まる大きさだった。
一針一針が正確に揃っている。指先でなぞると——もう二度と、この正確さでは縫えないのだ、と気づいた。片腕では布をピンと張れない。右手の針を受け止める左手の指先も、もう必要ない。この世界から、ノエルの「技術」という美しさが永遠に失われた。——その事実に、俺の指先がかすかに震えた。惜しいのか、それとも。
この刺繍は、ノエルの最後の一枚だ。
「ありがとう」
「……はい」
ノエルの目が閉じかけた。薬の眠気が来たのだろう。
俺はノエルを支えて、部屋に戻した。
寝台に横たえると、すぐに寝息が聞こえた。
廊下に出ると、リタが壁にもたれて座り込んでいた。膝を抱えている。
いつもの笑顔すら、浮かべていなかった。
ただ座っていた。手には何もなかった。ノエルのように刺繍も、エダのように薬も。ただ膝を抱えて、俺の部屋の前で——待っていた。
その目が——暗かった。
瞳の中に、炎も星明かりも映っていなかった。
光を全部飲み込んで、何も返さない。井戸の底を覗き込んだ時のような、果てのない闇。
「……リタ?」
声をかけると、一瞬で表情が戻った。
「ん? なに、団長」
「いや——何でもない」
「なにそれ。変なの」
笑って、立ち上がって、背中を向けた。
「——おやすみ」
声だけが、笑っていなかった。
喉の奥で押し殺した何かが、一音だけ震えて、消えた。
リタが通り過ぎた後の空気に、鉄の匂いが残っていた。掌を見た。爪の跡が、赤黒く食い込んでいた。——拳を血が出るまで握り締めていたのだ。あの膝を抱えていた手で。
夜風が廊下を吹き抜けた。
ノエルの刺繍の温度が、まだ掌にある。心地よくて、でも足りない。
そしてリタの、あの目。
あの目を見た時——目が離せなかった。
理由はわからなかった。ノエルの刺繍を握った手は温かかったのに、リタの暗い目を見た瞬間の方が、ずっと鮮明に残っている。
掌が汗ばんでいた。
何かがおかしいのだとは思った。仲間が傷ついた夜に、リタの絶望した目のことばかり考えている自分が。
だがそれが何なのか——名前をつけられないまま、夜風が廊下を素通りしていった。