藤丸立香が異星の使徒になる話   作:大田シンヤ

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13.妖精國のお客様

 窓の外から差し込む柔らかな陽光が、白いカーテンの隙間を抜けてマシュ・キリエライトの顔を白く照らし出す。

 その不意な眩しさにマシュがゆっくりと瞼を持ち上げた時、最初に視界に入ったのは、カルデアの質素な自室とはかけ離れた、見慣れないほど豪華な天蓋付きのベッド。

 柔らかな陽光が、白いカーテンの隙間から差し込んでいた。

 

 意識が浮上するにつれ、全身を襲う微かな倦怠感と、直前の戦いの記憶が蘇ってくる。

 キャメロットでの決戦。呂布奉先の圧倒的な武威。

 そして、抗う術もなく吹き飛ばされた瞬間の衝撃。

 

「……ここは?」

 

 掠れた声で呟き、体を起こそうとした時、腹部に温かな重みを感じた。

 

「フォ……フォウ?」

 

 視線を重みを感じた場所に移すと、そこには、丸くなって眠る白く愛らしい小獣。

 フォウ──かつてカルデアでそう名付け、過ごしていたが、いつの間にか姿を消していたはずの小獣が何故かそこにいた。

 マシュが震える手でその背を撫でると、フォウは「キュ?」と短く鳴いて目を覚まし、マシュの手をぺろりと舐める。

 夢ではないと実感するとマシュの瞳から自然と涙が溢れ出す。

 

「良かった……こんな所にいたんですね、フォウさん! 爆破事件以降、姿が見えなかったのでてっきり……」

 

 マシュは溢れる涙を拭おうともせず、フォウの小さな体をそっと腕の中に抱き寄せた。

 掌から伝わるこの柔らかな毛並みの感触は、カルデアの廊下や自室で幾度となく触れてきたかけがえのない記憶と同じもの。

 

 マシュは愛おしげに、フォウの首筋や背中を何度も、慈しむように優しく撫でた。フォウが気持ちよさそうに目を細めて喉を鳴らすたび、指先を通してその確かな体温が心へと染み込んでいく。

 

 周囲を見渡すと、そこは清潔で広々とした客室だった。

 武装は解除され、身軽な寝巻き姿になっていたが、部屋の隅には彼女の象徴である巨大な盾が、丁寧に立てかけられている。

 窓の外に目を向ければ、そこには汎人類史のそれとは異なる、幻想的な美しさを湛えたキャメロットの街並みが広がっていた。

 白亜の建物が陽光を反射して輝き、空には見たこともないほど澄んだ青がどこまでも続いている。

 

 その光景に既視感を覚え、息を呑む。

 整然と並ぶ石造りの路地、天を突くようにそびえ立つ尖塔。

 それは先程までAチームと共に攻め込み、熾烈な戦いを繰り広げていた戦場の街だった。

 

 自分は今、あのキャメロットの中にいる。

 そうと気づいたと同時に、マシュの胸に言いようのない緊張と困惑が押し寄せる。敗北した自分がなぜここにいるのか、状況を把握しようと思考を巡らせたその時だった。

 フォウがマシュの腕からぴょんと飛び降り、扉の方へと駆けていく。

 

「あ、待ってください、フォウさん!」

 

 マシュが追いかけようとしたその時、廊下から騒がしい足音が近づいてき──。

 

 バンッ!! 

 

 ──重厚なはずの木扉が、まるで紙細工のように乱暴に蹴り開けられた。

 

「さっさと起きろ田舎騎士!!」

 

 鼓膜を震わせるような快活な怒鳴り声と共に、風を切り裂いて踏み込んできたのは、鮮やかな紅色のドレスを翻した一人の少女。

 

 彼女の顔に浮かんでいたのは、内側から溢れ出す高揚感を隠しきれない満面の笑みだった。爛々と輝くその瞳は、何か特別な大仕事を任された喜びか、あるいはこれから始まる予定への期待か、隠しきれない高揚感に染まっている。

 

「……あ」

 

 マシュの視線がいきなり開いた扉、そしてその扉を蹴り開いて登場した少女に向いた瞬間、扉の前まで駆けていき、誰かの訪問を待ち構えていたはずのフォウは、ふっとその姿を消していた。

 

 あまりの勢いで現れた少女と、その底抜けに明るい表情。そして扉の前で消えたフォウ。矢継ぎ早に起こる状況の変化に、マシュは警戒を口にする暇もなく、ただただ呆然と立ち尽くすしかなかった。

 

「何だオマエ、起きてたの? でも、やっぱり田舎騎士ね。何、その間抜けな面!! いつまで寝ぼけてんのよ!」

 

 鮮やかな紅色のドレスに身を包んだ少女はマシュの困惑などお構いなしに、高いヒールの音を鳴らして不遜に歩み寄ってくる。

 彼女はマシュの目の前でぴたりと止まると、その華奢な肢体からは想像もつかないほどの濃密な魔力を誇示するように、悠然と胸を張った。

 

「さっさとそのダサい寝巻き姿から着替えなさい。これから街へ連れていってあげるんだから」

 

 唐突な外出の宣告に、マシュはようやく困惑を言葉に変えた。

 

「ま、待ってください。街へ行くとは、どういうことですか? そもそも、あなたは……」

 

「はあ? どういうことも何もないわよ、決まってるでしょ! このキャメロットの案内をしてやりなさいって、そう言われてるの!」

 

 バーヴァン・シーは信じられないと言いたげに大仰に肩をすくめると、ようやくマシュが状況を全く理解していないことに気づいたようで、ニヤリと楽しげに口角を吊り上げた。

 

「……あぁ、そうか。オマエ、間抜けみたいに寝すぎてたから、私が誰かも知らないわけ? いいわ、特別に教えてあげる」

 

 少女は長い睫毛を震わせ、自慢げに、そして何よりもその名を口にできることが誇らしくてたまらないといった様子で告げる。

 

「一度しか言わないから、その足りない脳みそに刻み込みなさい。私はバーヴァン・シー。この妖精國を代表する魔女の弟子にして、ギフト──トリスタンを授かった、選ばれし妖精騎士よ!」

 

 彼女は自分の名前と、何より魔女から授かったギフトを誇示するように、これ以上ないほど輝かしい笑顔をマシュへと向けた。

 

「ほら、さっさと行くわよ! そんなボロ布みたいな格好で私の隣を歩かせるつもり?」

 

 バーヴァン・シーはマシュが疑問の声を上げる隙も与えず、その細い腕を強引に掴み取る。

 驚きに目を見開くマシュを余所に、彼女は弾むような足取りで部屋の外へと踏み出す。それはまるでお気に入りの友人を連れ出して、これから始まる楽しい予定に胸を躍らせる、年相応の少女そのものの軽やかさだった。

 

 寝間着姿のまま困惑するマシュを連れて、バーヴァン・シーが向かったのは、城の一角にある広々とした衣装部屋。

 扉を開けると、そこには無数の色鮮やかな生地やドレスに囲まれた、小柄で快活そうな妖精が待ち構えていた。

 

「おー、来たなトリスタン! その子が噂の汎人類史の騎士か?」

 

「そうよ、トトロット。哀れな捕虜にして、魔女様からの預かり物。……ほら、トトロット、こいつを何とかしなさい。女の子ならおしゃれしなくちゃ、見てるこっちが不愉快だわ!」

 

「分かってるって! 任せとけ!」

 

 トトロットと呼ばれた妖精は、マシュの姿を見るなりその周囲を素早く飛び回り、驚くべき手際で布地やメジャーを操り始める。

 マシュの困惑を置き去りにして進むその光景に、彼女は思わず声を上げる。

 

「え、あの……トトロット、さん? 一体何をされているんですか?」

 

 問いかけられたトトロットは、マシュの腰回りの寸法を測りながら、当然だと言わんばかりに胸を張った。

 

「決まってるだろ、花嫁修業……じゃなくて、女の子の身だしなみチェックだよ! 君、そんな無機質な格好じゃ心が枯れちゃうよ。今から僕が君に一番似合う服を用意してやるんだ!」

 

 仕立てるという言葉に、マシュはさらに目を丸くし、慌てて自分の身を検分した。

 

「そ、そんな必要はありません! 私は戦うための装備があれば十分ですし、今はその……このような華やかな場所に来るような立場では……」

 

「バカ言え! 女の子が遊ぶときに可愛い格好しなくていつするんだ? ほら、じっとしてろ!」

 

 ハベにゃんの威勢のいい一喝に気圧され、マシュはそれ以上言葉を続けることができなかった。

 「一体なぜこんなことを……」そんな台詞が口から洩れるが、誰の耳にも届かず空気に溶けて消えて行く。

 

 目の前の妖精二人は、すでにマシュを置いてけぼりにしたまま、衣装選びに完全に入り込んでいた。

 トトロットが両手いっぱいに抱えてきたドレスの山を前に、バーヴァン・シーが「これなんかどう?」「いや、こっちのシックな方が映えるわ!」と、楽しそうに声を弾ませて品定めを始めている。

 

 次々と目の前に突きつけられる色鮮やかな生地を前に、マシュは視線をあちこちに泳がせ、完全に目を白黒させて固まるしかない。

 そうして言葉を失っている間に、トトロットの素早い手が伸び、最初の衣装がその身体へとあてがわれる。

 

 それからの数時間は、マシュにとって未知の体験の連続だった。

 有無を言わせぬ手際で何着ものドレスを着せ替えられ、さらには髪を梳いたリボンが選ばれ、顔には不慣れな化粧まで施されていく。

 

 ようやくすべての準備が終わり、目の前の大きな鏡を見つめたマシュは、息を呑んで硬直した。

 そこに映し出されていたのは、これまでの過酷な旅路では想像もできなかったほど華やかな姿。あまりの変貌ぶりに、彼女はまるで自分ではない誰かを見ているような心地に囚われていた。

 

 バーヴァン・シーは横のソファに腰掛け、退屈そうに爪を弄んでいたが、時折、装いを新たにしたマシュを盗み見ては「……ふん、マシになったじゃない」と小さく毒づく。

 その言葉には棘があったが、彼女の口元はわずかに緩んでおり、どこか満足げな表情を浮かべていた。

 

 衣装部屋を後にした二人は、城を出て、光り輝くキャメロットの街へと繰り出した。

 そこで目に飛び込んで来たのは、先刻までの戦場の記憶が嘘のように眩い世界。

 驚くべきことに、カルデアが攻め込んだ際に破壊されたはずの石畳や建物の外壁は、妖精たちによって既に跡形もなく修復されている。

 復興の活気に満ちた市場では、見たこともない色鮮やかな果実が山積みになり、風に乗って菓子店から甘く香ばしい匂いが漂っていた。

 

「ほら、次あっち! ボヤボヤしてると置いていくわよ!」

 

 高いヒールの音を弾ませて先を行くバーヴァン・シーに急かされるまま、マシュは街中を歩く。

 露店に並ぶ繊細な細工のブローチを髪に当てられ、どちらが似合うかと一方的に品定めされる。人気だという菓子店では、焼きたてのパイを半分強引に分け与えられ、そのあまりの甘さと美味しさに頬を綻ばせる。

 広場の大噴水や、歴史ある英雄たちの彫像を巡る観光は、さながら平和な時代の遠足のようでもあった。

 

 ――けれど、バーヴァン・シー主催の観光は、それだけでは終わらない。

 

 それだけでは終わらず、妖精たちが集うカフェで見たこともないようなカラフルなスイーツを次々と口に運ばれ、奇妙な形をした楽器を演奏する妖精たちの賑やかなライブに連れて行かれ、さらには、ミクトランから伝わったとされるサッカの競技場へと連れ込まれる。

 ルール無用で激しく球を蹴り合う――というか、もはや球ではなく対戦相手を蹴り飛ばしている妖精たちと、それを囲んで熱狂する観客たちの凄まじい熱量に、「い、いや、スポーツはルールを守ってこそ成立するのでは……!?」と思わず突っ込みかけたりしながらも、あまりにも目まぐるしい展開に、マシュはただただ圧倒されるばかりだった。

 

「どうだ、田舎騎士。あたしの案内は最高でしょう?」

 

 バーヴァン・シーは、得意げな顔でマシュに尋ねる。

 マシュは、すっかり疲れ果てた表情でコクコクと頷くことしかできなかった。

 けれど、疲れの中にあったのは心地よい充実感。

 

 カルデアという施設の中で育ち、外の世界へ出れば常に人類の存亡を懸けた戦いに身を投じてきた彼女にとって、ただ可愛いものを選び、ただ美味しいものを頬張るという時間は、これまでの過酷な旅路では想像もできなかった少女らしい時間。

 年相応の誰もが享受するはずの当たり前の出来事は、マシュには何よりも得難く、未知の輝きに満ちていた。

 

 再び賑やかな街へと歩き出しながら、マシュはふと、カルデアの皆のことを思い出した。 ロマニ・アーキマン、オルガマリー所長、そしてAチームのマスターたち。みんな無事に撤退できたのだろうか。負傷者は出ていないだろうか。

 

 そんな暗い不安が、マシュの胸をよぎる。

 しかし、バーヴァン・シーはそんなマシュの憂いなど知ったことかと、その細い手を引いて次の店へと引っ張っていく。

 

「次はあそこよ! あそこの店は、あたしのお気に入りなんだから!」

 

 そうして連れ回されているうちに、気付けば空は美しい茜色に染まり、キャメロットの街に夕暮れが訪れていた。

 

 城内にあるマシュの部屋まで戻ると、バーヴァン・シーはマシュが確かに部屋の中へ入るのをその目で見届ける。

 そして、ふいっと顔を背けながら、ぶっきらぼうに言い放った。

 

「……ふん、今日はこのくらいで勘弁してあげるわ。次はもっと面白いところに連れて行ってあげるから、ちゃんと今度は私が来る前には準備しておきなさい!」

 

 それだけを言い残すと、彼女は高いヒールの音を響かせ、今度こそ満足そうに廊下の向こうへと去っていった。

 パタン、と静かに扉が閉まる。

 

 その瞬間、堰を切ったように凄まじい疲労感が全身を襲った。

 デミ・サーヴァントである肉体は、本来であれば人間よりも遥かに疲れにくいはず。

 事実、呼吸は乱れておらず、筋肉に痛みも感じない。それなのに、芯から摩耗していくような感覚が彼女を支配していた。

 

 マシュは知りえないことではあるが、それは生まれて初めて目にする新鮮な光景や知らない文化、その目まぐるしい体験の数々をこれでもかと吸収した結果、度重なる知的な興奮と五感への過剰な刺激に、ただただ圧倒されたことが原因だった。

 

 疲労の原因など露知らず、マシュはゆっくりとベッドの縁に腰を掛けた。

 

 カルデアの皆の安否が気がかりで、自分は捕虜のような身の上であるはず、何より地球白紙化という前代未聞の人類史の危機に直面しているのに。

 胸の奥に去来するのは、不謹慎なほどの楽しかったという純粋な感情。

 

「(……これは、駄目です。こんな感情、抱いてはいけないはずなのに……)」

 

 胸の内から溢れ出る感情にマシュは戸惑いを覚え、それを抑えようとする。

 けれど、温かいパイの甘みや、鮮やかなドレスの感触、手を引かれて街を歩いた記憶が、どれも愛おしくて消えてくれない。

 

 激しい思考とは裏腹に、心地よい疲労は容赦なく彼女の意識を微睡みへと誘っていく。 マシュは抗うこともできず、ゆっくりと重くなっていく瞼を閉じた。

 そうして、新しく仕立てられたばかりの華やかな衣装に包まれたまま、穏やかな眠りの中へと落ちていった。

 

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