目の前の光景に微かな戸惑いを覚える。 現在、絶賛キャメロットに囚われている?マシュ・キリエライト。
現代では、捕虜は国際人道法――ジュネーヴ条約で、捕虜は人道的かつ「人格と名誉を尊重」した扱いを受ける権利があり、暴行、強制尋問、見せしめが禁止されている……と本で読んだことはあるが、ここまでのんびりとした時間を過ごせるほど、捕虜と言うものは恵まれているのだろうか。
妖精國にて、円卓に名を刻むトネリコ、バーヴァン・シー、そしてトトロット。
三人の妖精が、それぞれに優雅な、あるいは無邪気な仕草でティーカップを傾けている。城の一室に設けられたお茶会の席は、温かい紅茶の香りと、甘い焼き菓子の匂いで満たされていた。
窓から差し込む午後の光が、テーブルクロスに刺繍された繊細な模様を浮かび上がらせる。
穏やかで、牧歌的な時間。しかし、その穏やかさの中に、マシュはどこか異質なものを感じ取っていた。
それは自身の内にある、常に張り詰めた緊張感のせいかもしれない。自分の心は、まるで水面に広がる波紋のように、静かに揺れ動いているのを感じる。
「マシュ、あなたもどうぞ。このお菓子は、城の妖精たちが、今回のお茶会にと特別に焼いてくれたものです。あなたの口にも合うでしょう」
トネリコが、優雅な手つきで皿を差し出す。
その瞳には、どこか遠い過去を懐かしむような、柔らかな光が宿っていた。それが何なのかは分からないが、悪意はないことは理解出来た。
「あ、ありがとうございます。いただきますっ」
差し出された焼き菓子を一口頬張る。サクサクとした食感と共に、蜂蜜と木の実の優しい甘みが口いっぱいに広がる。美味しい、と素直な感想が頭に浮かぶ。
しかし、その美味しさの裏で、この穏やかな時間がいつまで続くのか、そして、自分はここで何をしているのか、という問いを、心の奥底で繰り返す。
視線は無意識のうちに、窓の外の広がる景色へと向けられた。
窓から見える景色は、心の内とは違い、穏やかな時間が流れている。
「マシュはいつも真面目ね。もっと肩の力を抜いて、楽しめばいいのに、いや、というか楽しめ。これは魔女様が用意してくれたお茶会なんだぞ? 詰まらねぇなんて言ったら、容赦しねぇからな?」
バーヴァン・シーが、紅茶の入ったカップをテーブルに戻し、口を開く。
体が強張っていたことを、お茶会が詰まらないと感じていると思われたのか、少しばかり怒りの表情が見える。
慌ててマシュが口を開いた。
「そ、そんなことはありません!楽しませていただいています!! ただ、こういうのは初めてなもので……少し緊張してしまって――」
「フフッ大丈夫さ、マシュ。トネリコもバーヴァン・シーもお茶会の作法がなっていないからって、初めての子に向けて叱りつけるようなことはしないさ。だから、楽しむと良いよ」
バーヴァン・シーの隣にいるトトロットが、焼き菓子を両手で抱え込むようにして、幸せそうに頬張りながら、ニッコリと笑いかけてくる。
その無邪気な姿は、心を少しだけ和ませる。
よくみれば、トトロットの小さな口元には、焼き菓子の粉がついている。ほのぼのとしたトトロットの雰囲気に思わずマシュは頬が緩んでしまう。
バーヴァン・シーも、緊張していることが嘘ではないと理解すると軽く鼻を鳴らしてから、上品にカップに口を付けている。
そこから始まるのは他愛のない話。
街ではまた新しいお菓子を妖精が作るようになったとか、今度考えている靴のデザインとか、魔術の打ち合い大会でも開催しようかとか、気になった花嫁がいた等々……。
カルデアではすることがなかったテーブルを囲んでする他愛のないのんびりとした会話。こういうものがペペロンチーノが言っていたお茶会、というものなのだろう。
のどかな時間が過ぎていく。
この異聞帯に来てからずっとこのような穏やかな時間ばかり。
バーヴァン・シーに手を引かれて、街を連れ回される時は情報が目まぐるしく入ってきて、少々目を回したが……それでも嫌いではなかった。むしろ、それは心地良く、胸が温かくなる時間だった。
もっとこの時間が続けば良いと思ってしまう。しかし、それは叶うことのない願いだろう。
異聞帯を残しておけばどうなるか、それはダ・ヴィンチから聞いている。汎人類史のためにも異聞帯は消し去らなければならない。
そのためにも、地上に異聞帯を出現させた異星の使徒のリーダーである藤丸立香を討たねばならない。
できれば、彼女たちとは戦いたくはない。しかし、藤丸立香を討とうとカルデアが動けば、彼女たちは彼を守ろうとするだろう。
そうなったら、どうなるか。
できれば、話をしたい。藤丸立香と話がしたい。何を話せば良いのか分からないが、取り合えず、話がしたかった。
だが、それは難しい。藤丸立香を彼女たちは大切にしている。彼女たちに歓迎されているとは言え、自分はカルデアの一員。恩人と口にしている人物を、おいそれと敵の目の前に出すはずがない。
「? マシュ、どうしたんだい?」
「……え、あ、すみません。少し、考え事をしていました」
「あら、そうなの? それじゃあ最初から話した方が良いでしょうか?」
物思いにふけっている内に何やら話が進んでいたらしい。
「よろしくお願いします……」
「チッ……テメェ、魔女様が話をしてるってのに、無視してたなんていい度胸じゃねぇか」
「まぁまぁ、バーヴァン・シー……マシュだって色々考えることがあるんだよ」
「本当にすみません。その、何を話していたかを教えて頂いても?」
「そうですね。私たちの恩人――藤丸立香に会いに行こう、と言う話ですよ」
「――あぁ、そうだったんですねって……はい!?」
素っ頓狂な声が口から飛び出る。
どうすれば藤丸立香と話しが出来るのか。頭を悩ませていたことに、あっさりと解決策が出て来て思わず唖然としてしまった。
お茶会が終わり、トネリコに誘われるまま、城壁の上を歩いていく。
時刻は既に夕時。
今、歩いているロンディウムの城壁は、夕暮れ時になると、どこか物悲しい、しかし美しい光景を映し出していた。遠くの空は、燃えるようなオレンジ色に染まり、ゆっくりと夜の帳が降りてくる。夕焼けの色は、まるで世界が燃えているかのようにも見えた。
暫く城壁の上を歩いていると、一人の人物が城壁の上で街を見下ろしているのが目に入る。
「あ、いましたいました。それじゃあ行きましょうか。おーい、リツカくーん!!」
親し気な態度でトネリコが、城壁の上で街を見下ろしている黒髪の少年に向けて声を掛ける。
マシュもトネリコの後に続く。
そこに立っていたのは、藤丸立香。
彼は城壁にもたれかかるようにして、街を眺めている。
その姿は、
汎人類史を滅ぼした悪人。これがカルデアでの藤丸立香の認識。しかし、マシュ・キリエライトの目から見た藤丸立香は、その認識からかけ離れた人物に見えた。
数々の戦場を生き抜いてきた豪傑でも、偉業を成し遂げた英雄にも見えない。
汎人類史を滅ぼした人間。数多の命を奪ってきた犯罪者。その肩書を背負っているはずの目の前の人物から、一切の危機感を感じない。
藤丸立香が近づいて来たトネリコとマシュを――とりわけマシュを見て――目を見開いていた。
「リツカ君~。いやぁ、偶然ですね~」
ニヤニヤと笑みを浮かべて藤丸に近づくトネリコ。
当然ながら、トネリコがここに来たのは偶然なんかではない。遠見の魔術で藤丸の居場所を探し出し、マシュと一緒に来たのだ。
目的は当然、マシュと藤丸を会わせるため。
マシュと藤丸を会わせるという約束をしたからというのもあるが、マシュを捕虜にしたというのに、一向に会いに行かない大馬鹿野郎に痺れを切らしたからである。
大馬鹿野郎が半目で睨んでくるが、トネリコはそれを無視。連れて来たマシュの背中を押して、自身の前へと出す。
「リツカ君、妖精國のお客さんであるマシュちゃんが、リツカ君にお話があるそうですよ。是非、お話を聞いてあげて下さいね~」
トネリコがにこやかに軽い説明だけして、二人の前から姿を消した。
言いたいこと、やりたいことだけやって颯爽と去っていく。何も言わずに置き去りにされたマシュは、彼女の頭を一発殴っても良いぐらいの所業である。
「…………」
「…………」
いきなりのことに二人の間に気まずい空気が漂う。
マシュからすれば話をしようとは考えていたが、何を話すべきかが定まっておらず、藤丸に限ってはそもそもマシュを避けていた。
気まずくなるのは当然だった。しかし、ずっとこのままという訳にはいかない。
「マシュ、取り合えず歩かない?」
「――あ、はい!そうですね。綺麗な街並みを見ながらの会話はとても弾むと思います!」
藤丸立香は、マシュと二人きりになった城壁の上で、ゆっくりと歩き始めた。
太陽はもう沈みかけ、空は夕焼けに染まりかけている。茜色の空と、その下で広がるロンディウムの街並みが、どこか幻想的な雰囲気を醸し出していた。風が、二人の間を吹き抜けていく。
藤丸がチラリと後ろに視線を向けると物陰から顔を出したトネリコがいる。
悪戯が成功した子供のような表情をしている。藤丸の視線に気付くとトネリコは、グッと親指を立てて見せる。思わずぶっ飛ばしてやろうか、と藤丸は口にしたくなった。
当初、藤丸はマシュと会うつもりはなかった。
会えば、きっと自分の意思が弱くなる。そう思っていたから。前回の旅路で、マシュに助けられたのは一度や二度ではない。
真面目で天然、基本的に礼儀正しいけれど、法螺貝を吹いて敵に突っ込んだりなど、たまにぶっ飛んだことをしてしまう可愛い後輩。
――そして、誰よりも怖がりで、誰よりも勇敢な自分のファーストサーヴァントだった女の子。
彼女といると想いが溢れる。
一緒にいたい。もう一度横で旅をしたい。仲間になりたい。
想いが溢れて止められなくなる。
だが、それはできない。もう自分の最後はマシュ・キリエライトの横ではないのだ。彼女の手を掴んだら、巻き込んでしまいかねない。
それは嫌だ。だから、会わないと決めた。なのにトネリコのお節介によって、こうして二人きりになってしまった。
「それでも、会わなきゃ後悔するぞって意味なのかな」
「――はい?」
「何でもないよ。独り言……」
「はぁ、そうですか」
マシュの瞳が藤丸立香を捉える。
どういう人間かを改めて探っている目だ。しかし、同じ結論に至ったのだろう。可愛らしく眉を顰めている。
「あの、あなたは本当に汎人類史を滅ぼした人でしょうか?」
「直球だね。
「はうぅ……すみません。しかし、耳にしている悪業とあなたから感じる印象が全く違ったので……」
コミュニケーションの経験不足からくる直球質問。
しゅんとした姿に可愛いと感じながらも藤丸は口を開く。
「俺から感じた印象を聞いても良い?」
「……そうですね。全く何の脅威も感じませんでした」
ほんの少し間をおいて、マシュは自分が藤丸に感じた印象を隠さずに伝える。
「特異点を攻略している最中、私たちは汎人類史を滅ぼしたのは人類悪だと思い込んでいました。しかし、実は、人類悪の後ろにはあなたがいた、という話をラスプーチンさんから聞いて、勝手ながら『最後の事件』に登場するモリアーティのような人物をイメージしていたのです」
マシュの脳裏に再生されるのは、あの大災害。
あの大災害に黒幕がいたとは、旅の最中では全く気付かなかった。カルデアが全力を尽くしてなお、分かったのは汎人類史を滅ぼしたのは人類悪だと言うことだけ。藤丸立香の影すら掴むことは出来なかった。
だからだろう。影も見せずに佇む黒幕に、マシュは愛読書に登場する主人公の宿敵の姿を重ね、勝手な人物像を当て嵌めてしまっていた。
「ですから、その……初めてあなたを見た時は、驚きました。見るからに――」
「しょぼそうだった……?」
「いいえ、いいえ! それは違います。見るからに優しそうだったので、驚いたのです!!」
藤丸の言葉を強く否定し、マシュが体を乗り出す。
必死に手を振るマシュの言葉に、嘘の気配は微塵もなかった。彼女の紫水晶の瞳には、ただ純粋な困惑と、相手を傷つけてしまったかもしれないという焦燥だけが浮かんでいる。
自分の放った言葉が、意図せず相手を貶める響きになってしまったことに気付いたのだろう。
「優しそうか……そう見てくれるのは嬉しいけど、俺は世界を滅ぼした人間だよ?」
ふっと藤丸の口元から笑みが消えた。
城壁の外に広がる闇が、その横顔を冷たく切り取る。歩みを止めた彼の背中は、どこか遠い世界に一人で立っているかのように頼りなく、同時に酷く頑なだった。
「それは君の勘違いじゃないのかな?」
振り返った藤丸の瞳は、冗談の気配を一切排した、静かで真剣な光を宿している。
「……そう言われてしまったら、そうなのかもしれません。でも――
だからこそ、本当にこの人が汎人類史を滅ぼしたのだろうかと疑ってしまうのだ、とマシュは言葉を続ける。
そして、一歩。城壁の冷たい床を踏みしめ、覚悟を決めたように視線を上げた。
「何故、汎人類史を滅ぼしたのでしょうか」
それは、藤丸立香という人物を目にしたその瞬間から、彼女の胸の奥底にくすぶり続けていた問い。こうして目の前に立ち、彼の穏やかな本質に触れれば触れるほど、その矛盾は看過できないほど大きく膨らみ、彼女を突き動かしていた。
「――最初は、思わず走り出してた」
藤丸立香が口を開く。
例えるならば、道路で車に引かれそうになっている人を見かけたのと同じ。
自分の手の届く範囲にいる人達が、危険な目に遭っているから、体に廻った衝動に駆られて走り出した。
「だけど、助けたい人達を助けるには、汎人類史を滅ぼす必要があった。あの時は俺しかいなかったから、俺は汎人類史を滅ぼした」
「……助けたい人達というのは、異聞帯の方々のことでしょうか?」
「
含みのある言い方にマシュが疑問を感じる。
「それもというのは、汎人類史も救おうとしているのでしょうか? だとしたら、カルデアと手を組むことは出来ないでしょうか!」
マシュの言葉に、熱がこもる。
現在観測されている七つの
通常、剪定事象に指定された世界が消滅すれば、そこに生きる人々も歴史の塵となって消え去る運命だ。しかし、これほどの強度を持つ世界であるならば話は別。理屈の上では、消えゆく世界の住人を汎人類史へと移住させることも、決して不可能な夢物語ではないはずなのだ。
どちらかを切り捨てる必要などない。その確信が、マシュの背中を強く押した。
「カルデアの技術と、あなたの力があれば、誰も消さずに済む道がきっと見つかります! だから、どうか――」
城壁の外、吹き抜ける風を遮るようにマシュはさらに一歩を踏み出す。その瞳には、暗闇をこじ開けるような、確かな希望の光が宿っていた。
しかし――。
「ごめん、悪いけどそれは断る」
「な――何故、でしょうか……」
確かに見えた希望。それは切って捨てられる。
マシュの問いかけに藤丸はバツが悪そうに答えた。
「異聞帯の救い方はもう考えてる。今も問題なく進行中だ。だから、カルデアの助けを借りる必要はないのが一つ」
藤丸は立てていた人差し指の隣に、すっと中指を並べた。
バツが悪そうに揺れていた彼の声音から、次第に迷いが削ぎ落とされていく。城壁の外の冷たい風が、二人の間に明確な境界線を引くように吹き抜けた。
「そして、もう一つ。カルデアと俺とでは、救おうとしているものが違うんだ」