藤丸が冠位指定を宣言する約12時間前――
カルデアにて。
カツ、カツと白い廊下を1人の少年が歩く。
万年分厚い雲に覆われ、朝日が差し込むことのない南極にあるカルデアだが、まだ今の時刻は一部の職員を覗いて殆どが寝静まっている時刻。
それでも目が冴えてしまった彼は、ベッドの中にいるのもままならず、こうして廊下を歩いていた。
目的地はない。これは単なる時間潰しなのだから。
「やあ、カドック」
廊下を歩いていた少年――カドック・ゼムルプスは後ろからかけられた声に反応し、足を止める。
「キリシュタリア、もう起きたのか」
「それは君もだろう?」
「あぁ、目が冴えてしまったんだ」
「私もさ――」
カルデアの礼装ではなく、いつもの白を基調としたスーツとマントに身を包んだ美青年。
自身の所属するAチームのリーダーである存在、キリシュタリア・ヴォーダイム。
キリシュタリアがカドックの横に並び、共に歩き出す。
横に並んで歩く――たったこれだけのことだが、カドックは旅を始める前はこの行為すら受け入れ難かった。
理由は単純な嫉妬だ。
たかだか500年程度の歴史しか持たないしかも落ち目のゼムルプス家の凡人と3000年の歴史を持ち、才能溢れ、あの時計塔でもあらゆる派閥から期待を寄せられる天才。
そりが合わないと勝手に思っていた。
それがなくなったのは、この2年間の旅路のおかげだろう。
「面白いことでもあったのかい?」
「何がだ?」
「いや、君が面白そうにしているものだからね。面白い夢でも見られたのかと」
「別に、俺とお前がこういう関係になる何てここに来た時は思いも知なかったからな。感慨深さを感じていただけだ」
キリシュタリアの問いかけに2年間の旅路を思い出しながら答える。
レフ・ライノールによる裏切りから始まり、特異点Fの攻略、そして、『報復』の理を持つ人類悪が引き起こした
7つの特異点に送られた汚染された聖杯の回収及び破壊を目的とした旅に人理修復を成したばかりで、人理が不安定な頃に日本の下総に発生した特異点の攻略。
どれも魔術の常識を破るような出来事だ。
話しの途中にワイバーンが来るのは当たり前。これまで培ってきた魔術や小賢しい知恵などは簡単に吹き飛ばされ、出来たのは意思を押し通すことのみ。
それは隣にいるキリシュタリアも同じだった。
見損なったことはない。
何故ならキリシュタリア・ヴォーダイムの意思はあの災害の前でも挫かれることはなかった。
他の誰もが下を向きかけた時でさえもチームのリーダーとして前を見据えていた。
尊敬の念は強くなり、同時に横に並んでやると、意思だけは負けないと奮い立ったのはその時だった。
記憶を掘り返していて思う。
多分、あれがキリシュタリアを友達として意識し始めることになったきっかけなのだろうと。
恥ずかしいため、言葉にすることはないが。
2人は気が付けば、カルデアスのある中央管制室へと来ていた。
扉を開け、中に入るとそこにはカルデアスの観測をし続ける職員と――。
「おや、早い御目覚めだね2人共。ここに何か用かい?」
幾度となくカルデアの危機をその頭脳を持って救って来たレオナルド・ダ・ヴィンチがタブレットを片手にそこにいた。
「いや、目が覚めてしまったから少し歩いていただけだよ。ダ・ヴィンチちゃん」
「そっか。何かいるかい? 今ならこの万能の天才が手ずから紅茶を入れてあげるよ?」
「いや、紅茶よりコーヒーの方が良いんだけど、そっちはないのか? いや、あのレオナルド・ダ・ヴィンチに文句を言う訳じゃないんだが……」
「ハハハ! 別に構わないさ。人理修復という偉業を成した君達にはそれぐらいしても罰は当たらないさ!! よし、君にはコーヒーを入れてこよう。あ、後私のことはダ・ヴィンチちゃんでも良いんだよ。カドック君?」
「……考えておくよ」
ダ・ヴィンチの言葉にカドックは目を逸らして答える。
気恥ずかしさゆえにちゃん付けを避けていることを理解しているダ・ヴィンチとキリシュタリアは僅かに口端を緩めてカドックに視線を送る。
カドックにはコーヒー、キリシュタリアには紅茶を2人に用意してくる。それと同時にもう一杯のカップを持ってくる。
「あ、そうそう。これをマシュに持って行ってくれるかな? 丁度、君達が来るよりも少し先に来ていてね。今はカルデアスの下にいるはずだ」
「マシュが?」
「私達と同じく目を覚ましてしまったのかな? 了解した。そういうことなら私達が持って行こう」
キリシュタリアがダ・ヴィンチからカップを受け取り、中央管制室からカルデアスの下へと向かう。
カドックもそれに続いた。
カルデアスの下には、ダ・ヴィンチの言う通り、マシュ・キリエライトがじっとカルデアスを見上げていた。
「マシュ……」
「キリシュタリアさん、それにカドックさん……予定よりもお早い御目覚めですね。お体の方は大丈夫ですか? 疲労回復のためにも今は睡眠を優先した方がよろしいのでは?」
「それは君にも言えることだろう。なんせ、君は一度死んだんだ。一体何をしていたんだよ」
相も変わらず自分よりも他人の心配をするマシュに対して呆れを感じながら、カドックは問いを投げる。
「私は大丈夫です。ドクターの診断では常に問題ないと結果が出ています。ですが、Aチームの方々は人理修復という偉業とその後の亜種特異点の攻略による疲労があるはずです」
「君も私達と一緒に旅をしただろう。それにもうあれから時間はかなり経ったんだ。疲労が取れるには十分だよ」
肩を竦めながらキリシュタリアはカップをマシュに差し出す。
マシュはそれを礼を口にしつつ受け取った。
「……そうは言っても、私が戦うことができたのは第五特異点までです。何故か生き返りはしましたが、戦う力はもうありません」
そう口にしてマシュは肩を落とす。
カップの中で水面が立ち、映っていた自身の姿が揺らめく。
英霊を依り代として生み出された試験管ベビー。それがマシュ・キリエライト。
だが、肝心の英霊との融合術式が行われた際は英霊の因子を内在させながらも発言することなく終わっている。
ようやく特異点Fで英霊の力が発現し、マスターなくしてデミ・サーヴァントとして戦えるようになっても英霊の真名は不明のまま。
宝具も不完全なままだった。
当然戦闘能力はAチームが召喚した一級サーヴァント達には一歩劣り、特異点での戦いでは碌に活躍できた覚えはない。
それでも、自分の価値——敵の攻撃を受け続けるタンク役として求められたからこそ戦い続けたが、第五特異点で限界は訪れ、一度マシュ・キリエライトは死んだ。
そう、一度だ。
何の奇跡か。彼女は生き返ることは出来た。
原因は分からなかったが、それを喜ぶ者はいた。
最も喜んだのは、カルデアの主治医であるロマニ・アーキマン、彼女と友となりたがっていたオフェリア・ファムルソローネだ。
だが、生き返った当の本人が喜ぶことはなかった。
戦うために産まれたと言うのに、力はなくなった。
望まれたのに、自分にはその願いを叶えることが出来ない。
魔獣を押し返すことの出来た膂力も消え、ダンベル一つ持ち上げることにも苦労し、全力で駆けても魔術を使用したAチームの面々には追いつけない。
欠陥品となった自分には何の価値があるのか。
そんな自問自答を彼女はずっと続けている。
「マシュ、僕は……僕は、君がいてくれて良かったと思っているぞ」
カップの中をじっと見続けるマシュに耐え兼ねて、カドックが口を開く。
「お前は何時だって僕達の前に立ってくれた。そのおかげで僕達が助かったのは一度や二度じゃない」
思い出すのはサーヴァントの一撃を防ぐマシュの背中。
彼女が前衛に立った時、後方に敵の攻撃が及んだことは一度もない。
だからこそ、断言する。
「お前は僕達を何度も守ってくれた。それに僕達は助けられてきたんだ。それは事実だ。だから、そんな顔をするなよ」
「カドックの言う通りだ。それに、君がそれ以上自分自身を貶めると言うのなら、それは君に感謝している私達をも貶める行為だ。だから、君は胸を張ってくれ」
「――はい、キリシュタリアさん。カドックさん。申し訳ございません」
二人の言葉を受けてマシュが顔を上げ、頭を下げる。
それを見た二人は困ったように視線を合わせた。
責めた訳ではない。欲しいのは謝罪の言葉ではないのだ。
しかし、今それを口にしてもマシュ・キリエライトは自分自身を認めないのだろう。
旅の始まりよりは互いに言葉を積み重ねるようにはなった。だが、まだマシュ・キリエライトと他のAチームには距離がある。
軽く一息つく。
時間がいずれ解決するだろう。
寿命の心配もなくなったのだ。ペペロンチーノが中心となって女性陣をお茶に誘うようにもなった。
それが彼女を変えてくれることを二人は祈る。
「それで、マシュはここで何をしていたんだい? 何か忘れ物でも?」
カップの中身を飲み干した頃、再びキリシュタリアが口を開く。
「……忘れ物、そうですね。それと似たようなものだと思います」
「お前が忘れ物? 意外だな。何を置き忘れたんだ?」
マメな性格をしているマシュを知っているカドックは、マシュが何かを置き忘れるということは信じられなかった。
目を丸くして問いかける。
「いえ、物の置き忘れではないのです」
カドックの問いにマシュが答える。
思い出すのは、レフ・ライノールがここで起こした爆破事件のことだ。
コンクリートによって下半身を潰され、意識が朦朧としている中――英霊が力を貸してくれる前に、誰かが手を握ってくれた。
そんな気がしたのだ。
「……ここで、私は大切な何か見落としたのではないか。そう思って、ここに来たのです」
そう口にして、マシュは自身の手を撫でる。
――まだあの時の暖かさを覚えている。
誰がこの手を握ってくれたのか。そう想いを馳せて周囲を見渡す。
その想いを知らないキリシュタリアとカドックは顔を見合わせ、首を傾げた。