空気が重い、大地が揺れる。
まるで星そのものが悲鳴を上げているかのようだった。
南米異聞帯、九つの層の青の冥界ソソアウワキ。砂丘の広がる大地に、藤丸立香とトネリコが降り立つ。
一際大きな砂丘の上で、脅威を目にする。
「――トネリコ、ククルカンは?」
「今後方で休んでる。デイビットに受けた傷が深いみたい……こんなこと言うのは不謹慎だと思うんだけど、ククルカンに傷を与えるって、あの人って本当に人間なのかな!? あんなのでもククルカンって
トネリコの頭の中で、ククルカンがトレジャーハンターを思わせるウェスタン風の恰好で、お花畑をスキップをしている姿が再生される。
これがトネリコから見たククルカンのイメージである。
頭の中が空っぽで、邪魔なものは力ずくで蹴散らす、お気楽でお転婆で箱入りのお嬢様。結構酷いイメージである。まぁ、ククルカンもトネリコのことを同様に考えているのでどっちもどっちであるが……。
「まぁ、どんな存在でも必ず勝ち筋を持ってるのが、デイビットだからね」
「詳しいの?」
「いいや、全く……でも、それぐらいはするとは思ってるよ」
そう答える藤丸の表情は、トネリコのちょっとした笑い話に合わせる余裕などなく、どこまでも硬く強張っていた。
これから始まる、かつて経験した絶望。
その重圧と恐怖が、容赦なく藤丸の全身を蝕んでいく。心臓がうるさいほどに警鐘を鳴らし、本能が今すぐここから逃げ出せと喚き立てていた。放っておけばガタガタと震え出し、後ろを向いて走り出しそうになる自身の両足を、藤丸は脳からの命令を総動員して、地面に無理やり縫い付けるように抑え込んでいた。
──その時、ス、と細く柔らかな感触が、藤丸の震える肩に触れる。
藤丸が隣に視線を向ければ、トネリコが柔らかな笑みで微笑んでいた。
「俺、また固まってた?」
「うん、すごくガッチガチに」
「そっか。ハハ……こんなことになるかもしれないからって何年も前から備えて来たのに、カッコ悪いなぁ」
藤丸が、自身の情けなさに肩を落とす。
これまで多くの修羅場を潜り、少しは恰好良くなれたと思えたのに、この有様である。
「ううん、あなたはそれで良いんだよ。それにカッコ悪いなんてことはない。こんな状況で怖くないって言うんだったら、もうそれは藤丸立香じゃない別の何かになる。恐怖を知りながら、それでもここに立っている。それがどれほど凄くて、格好良いことか……私が一番よく知っている」
トネリコはそう言うと、藤丸の肩に置いていた手に少しだけ力を込めた。かつて数多の災厄と戦い、人々の絶望を背負い続けてきた彼女の瞳には、絶対的な信頼が湛えられている。
「何年も、たった一人で未来を背負って頑張って来たんでしょ? そんな人のことを格好悪いだなんて、神様が許しても私が許さない。さあ、顔を上げて。私のマスター」
悪戯っぽく、しかしこの上なく誇らしげに微笑む彼女の言葉。
その温もりは、藤丸の薄い胸の内で暴れていた本能の恐怖を優しく宥め、冷え切りそうになっていた身体に、戦うための確かな熱を取り戻させていく。
「……ありがとう、トネリコ。いつも君には救われてばかりだな」
「ふふん、今の私はあなたのサーヴァントなんだから、お安い御用だよ」
藤丸は深く息を吐き出し、強張っていた頬を自らの両手でパチンと叩いて前を見据えた。まだ、その足は震えている。
だが、恐怖を抑えて藤丸はトネリコと共に前を見据えた。
その瞬間──先ほどまでとは比較にならないほど、大地の揺れが激しくなった。
「来るよ。リツカ、ククルカンが来るまで、私達で止めよう!」
トネリコが杖を構える。
ミクトランの天文台がある第七層から、第六層へと踏み込んでくる山よりも巨大な影が現れる。
ORT……前回と違い、動物で言う心臓部分を再生させた完全体。感じる威圧感は、前回以上。
「──いいや、トネリコ。ここで止めるんじゃない」
迫り来る巨大な蜘蛛の影を凝視しながら、藤丸は震える拳を強く握り締め、言い放った。
「ここで、完全に倒そう」
「え……っ!?」
トネリコが驚愕に目を見開く。あの怪物を前にして、時間稼ぎではなく撃破を口にする藤丸の狂気とも言える闘志に、彼女は息を呑んだ。
「ORTが復活した以上、このままじゃ南米異聞帯そのものが滅びる……そんな結末、二度と御免だ」
藤丸の脳裏に、かつてORTの猛威によって全てを消し去られた凄惨な記憶が過る。
あんな光景は、もう見たくない。
ORTを倒す。これは、カルデアと地球大統領の力を借りても達成できなかった偉業。ORTを倒せるのはORTのみ。それでも、最初からククルカンもミクトランも滅ぼす前提で作戦を立てて堪るかと拳を握り締める。
「──オッケー!! なら、やろう。何度も世界を救ったんだ。だったら今度も救ってやろうじゃんか!」
藤丸の意思に答えるように、トネリコが不敵に笑い、手にした杖をORTへと先端を向ける。
「それじゃあ、一番槍は私が!!」
『いいや、残念ながら、それは朕の役目だ』
トネリコの膨大な魔力が炸裂する寸前、震える大気と砂塵を裂くようにして、傲岸不遜にして圧倒的な支配者の声がソソアウワキの砂丘全体へと響き渡った。
『藤丸立香、そこから離れるが良い。もしくは、妖精國の魔女よ。藤丸を守れ。でなければ、巻き添えを食うぞ?』
その言葉と同時に現れるのは、ミクトランの世界観とは一ミリも交わりの無い、中華の意匠を纏う未知の超巨大建築物。
「万里の長城!?」
『違うぞ、正しくは十三万千四百二十四里の長城と呼ぶべきだ。まぁ、長すぎる呼称も不便ゆえ、長城と呼んでも良いがな。力が貸して欲しいのだろう? 長城のペイロードを切り離し、落下気道に乗せた。着弾まであと一分だ』
「始皇帝、ありがとうございますッ」
『構わぬ。これも契約の内だ』
通信の相手は第三異聞帯の始皇帝。
遥か洛陽の玉座から離れることなく、地球を巡る長城の一部を質量兵器として、南米へと切り離したのだ。
超高度から落下する長城の破片。しかし、そこに一切の狂いはない。始皇帝による寸分の狂いもない精密な演算は、ミクトランの地上に生きるディノスたちや藤丸らには一切当てることなく、ただ一体の怪物だけを完璧に圧殺する極超音速の針路を描いていた。
「──リツカ、私の後ろへ!」
トネリコが即座に杖を突き立てる。幾重もの魔力障壁が展開され、彼女自身と藤丸を頑強な繭のように包み込んだ。
直後、ミクトランの空が、摩擦熱による紅蓮の光で引き裂かれる。
凄まじい衝撃。それはかつて、藤丸がバビロニアで目にした女神ケツァル・コアトルの大宝具『
だが──爆煙と光物質の嵐が吹き荒れる中、ORTは、速度を落とすことすらしていなかった。
長城の質量弾が直撃したはずの表皮は、何事もなかったかのように結晶の輝きを保っている。それどころか、ORTはただの一歩も足を止めることなく、ただ機械的に、次の階層を目指して進撃を続けていた。
『──ほう? 朕の天裁を以てしても、微動だにせぬか。やはり、噂に違わぬ怪物よな』
通信の向こうで、始皇帝の楽しげな、しかし引き締まった声が響いた。
『では、次は我らが行こう。世界の異物よ、真なる神の矜持を知るが良い!』
『私も続きましょう。滅びを望む星の終末よ、我が権能の全てを以てその悪性を裁断する』
『我が愛しき子らに害なす巨星よ。北欧の凍土に眠る、亡き異形の炎を以て審判を下そう』
「えーい、私もやるよ!!」
始皇帝の放った一撃の余韻が冷めやらぬ中、ゼウス、アルジュナ、スカサハ=スカディの凛烈な声が相次いで通信機から発せられ、その熱波に煽られるようにトネリコもまた強く杖を握り直す。
通信の向こうの神々がいるのは、それぞれのテリトリーたる異聞帯の玉座。しかし、世界を隔てる境界線など、彼らの前には防壁の役目を果たさない。各異聞帯の王たちは、自身の世界から南米のこの座標へ向け、嵐の壁をブチ抜きながら、その絶対的な火力を一斉に解き放った。
まず天を衝いたのは、神代の英霊すら文字通り叩き潰す絶対的な光。
遙か超高度の衛星軌道上に浮かぶ機神アルテミスから放たれたのは、極大の精密光子狙撃。寸分の狂いもなくORTの頭上へと垂直に降り注ぎ、大気を一瞬で蒸発させる。
間髪入れず、それと並走するように大神ゼウスの真なる雷霆が解き放たれる。
機神の全機能を解放した一撃必殺の神罰は、地底世界の天球を真っ二つに裂くような絶大なる蒼電の奔流となり、ORTの巨体を真っ向から押し潰すように猛り狂った。
さらに北欧の女王スカサハ=スカディが、神代のルーンを編み上げる。
顕現したのは、未だ神々が生きていた世界を崩壊一歩手前まで追い詰めた、炎の巨人が振るったとされる絶望の再現──その名も『
超常の魔術によって再現された破滅の招来が、爆音を轟かせながらORTの胸腔へと肉薄する。
呼応して、黒き壊劫の神アルジュナが、全ての権能を込めて矢を放つ。あらゆる魔や悪性を灰すら残さず裁断する炎神の矢は、嵐の壁をぶち抜き、飛来したその神罰の劫火は、スカサハ=スカディの魔剣と螺旋を描きながら、ORTの頑強な表皮へと猛烈な勢いで突き刺さった。
そして、最後を締め括るのは、妖精國の魔女。
トネリコはただ不敵に笑って、手にした杖の先端を迫り来るORTへと向けた。
瞬間、彼女の示す
それは彼女が、呪いの厄災を穿つために用意した十二基の聖槍。
ミクトランの空を昼よりも白く染め上げるほどの絶対的な熱量が、先行する神々のあらゆる大火力を巻き込み、光の濁流となってORTへと容赦なく叩き付けられた。
神々の全力、異聞帯の頂点が結集した、理外の超火力が地底世界の冥界を圧倒的な白光で満たした。
轟音が止み、空を埋め尽くしていた爆煙がゆっくりと風にさらわれていく。
並みの英霊ならば数千回は死んでいる総攻撃。
常識的に考えれば、もう終わっていても可笑しくはない。これで死なない生物はいないと考えるだろう。
だが、しかし、それでも──。
怪物の歩みは止まらない。
カチ、カチカチカチ、と空間そのものを凍りつかせるような異音。現れたのは、無機質で巨大な大型の円盤。あれこそが、ORTの本体。
忘れてはならないのが、ORTの蜘蛛型の形状、あれは老廃物や角質から形成された、ある意味では爪に近いものであることである。
幾度となく前回絶望を叩きつけられてきたおかげで、まだ心構えは出来てはいた藤丸だが、あの総攻撃を以てしても、外を削っただけであることを突き付けられ、思わず歯噛みする。
外殻を吹き飛ばされた大型円盤の各部から、周囲のあらゆる物質をデータごと侵食し尽くす、凶悪な金属触手が無数に解き放たれた。
推定射程、実に二十キロメートル。
うねる金属の触手嵐が地を穿ち、ソソアウワキの大地をデタラメに破壊しながら、円盤は変わらず機械的に前進を続けている。
「ほんと、正真正銘の怪物だなッ……でも、外皮は削れた!」
額からとめどなく流れる冷や汗を拭う暇もなく、藤丸は震える両足を踏み締め、すぐさま次なる反撃の準備を整えるために北欧の女王へと呼びかける。
「──スカディ! ごめん、『館』を使わせて貰う!」
『問題ない。召喚式を授けた時から、すでにあれは其方のものだ』
「ありがとう、トネリコ……」
「うん、分かってる。サポートするよ」
藤丸は大きく息を吸い込み、うねる金属触手の嵐を見据えながら、力強く一歩を踏み出した。その身に宿る魔術回路が、かつてないほどの高熱を帯びて鳴動を始める。
「一番から四番の
開放された魔力貯蔵庫から、文字通り桁違いの魔力の奔流が藤丸の体を経由して、あらかじめ構築されていた術式へとダイレクトに注ぎ込まれていく。
極限まで高まる魔力の奔流のなか、藤丸は静かに詠唱を紡ぐ。
呼び出すサーヴァントは決まっていた。
「素に銀と鉄 礎に石と契約の大公」
──詠唱開始を確認。
──
──対象:■■■■。本人の明確な同意を確認。
──生体ステータス解析。
──当該個体が英霊となる未来は、人類史のいかなる
「降り立つ風には壁を 四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ」
──……
──全リソースを集中、存在しないはずの「仮初の未来」の演算を開始します。
──もしも、彼/彼女が世界を救い得たなら。もしも、この凡人が、ただ一つの執念で星の運命を覆したなら。
──あり得ざる
──その「仮初の未来」より、英霊としての記録を、現在へ逆流・固定。
──仮想英霊体の構築を開始します。
「
──警告。既存のクラスに該当する適性が検出されません。
──霊基の出力にはクラスの定義が不可欠です。
──……エラーを強制スキップ。現霊基データに基づき、新規クラスを構築。
──クラス『マスター』をシステム内に新設・定義。
──クラスにおける限界値の計測。
──当該個体が保持する、座の英霊たちとの契約の総数をスキャン。
──測定不能。人理定礎を支える全ての英霊とのパスがこの一騎に集中しています。
「────告げる 汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に 聖杯の寄るべに従い、人理の轍より応えよ」
──実績および霊基適性の合致を確認。当該個体は、人類史において最も多くの英霊を知る『マスター』と判定されます。
──これより、新設クラス『マスター』における最高位を開放。
──霊基ランクを
──霊器属性、およびコードの
「汝、異界の言霊を纏う新天 悼み 背負い 護り給え 天秤の守り手よ──―!」
──霊基装填。
──
人理「――は?」