ビジター 異邦の天秤   作:あー 

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空想の果実

 目が覚めると暗闇の中だった。

 意識は明瞭、身体に力も入る。しかし、何も見えない。瞬きをしたり眼球をぐるりと動かしてみるが一切の光を感じない。

 

 仰向けから四つん這いになり静かに動く。手のひらには鉄の冷たい感触が伝わる。膝を床に擦るように這うと、なにかにぶつかった。探ると金属の棒が縦に並んでいるようだった。どうやら檻に入れられたようだ。

 

「おはよう」

 

 何処からか女性の声がした。落ち着いた声色だった。私は少しの間をおいて答える。

 

「おはようございます……目が見えない」

「地下だからね」

 

 なるほど、蝋燭の灯が消えて光源が失われたのか。

 

「……あなたは?」

「もう忘れたのか、さっき会ったばかりじゃないか」

 

 どうやら、檻の中で膝を抱えていた少女のようだ。

 

「これからどうなる?」

「さあね。君の値打ち次第さ」

 

 つまり、二束三文で売られるということか。

 それどころか、買い手がつかなければ殺されるだろう。

 

「ハミル……」

 

 その名を口にした私の声は震えていた。恐怖と絶望。そして、なによりあの男への怒りによって。

 

「君が悪い」

 

 ……なんだ? 聞き間違いか?

 

「いまなんて?」

「君が悪い。そう言ったのさ」

 

 理不尽な仕打ちに憤りを感じていた私は、その矛先を彼女へと向ける。

 

「どういう意味ですか」

「なにもしなかっただろ」

「当たり前だろう」

「なら胸でも張ればいい。選択に悔いがないのであれば」

「奴隷になることを選んだわけではない」

「選んだのさ。攫われてきたわけでもあるまい」

「そんなのは悪人の理屈だ」

「君が相手にしていたのは悪人で、ここは悪人の腹の中だ。悪人の理屈に従うしかない」

 

 暴論だった。

 私が選んだわけではない。否応なく引きずりこまれたのだ。ある日、突然に世界の有様が狂ったのだ。それでも、私は私なりの努力をして生活を営み、言葉も覚えた。見ず知らずの人間に自己責任を諭されるいわれはない。

 

「あなただって自ら望んでここにいるわけではないはずだ」

「そうだね」

「理不尽じゃないか」

「そうだね」

「この町は治安がいいんだ。浮浪者の姿を見ただけで追い出すほどにな」

「そうだね」

「こんな事がまかり通るなんておかしいだろう――!」

「――現実をみろ」

 

 こちらの熱とは裏腹に、落ち着きはらった彼女の声に私は息をのんだ。

 あるいは単純に戸惑ったのかもしれない。

 私は、彼女の言葉の続きを待った。

 

「生きるとは、現実に向き合い抗うことだ」

「……抵抗して殺されていればよかったのか?」

「いいや、抵抗して生き残ればよかった」

「何を言っているんだ」

「君は毒林檎をかじった。誘惑に負けたんだ」

「それは後になって言えることだろ」

「結果論ではないよ。過去の自分はこうしてきた。未来の自分はこうあるべきだ。ここがこうであそこがああなら理想的な結果になるに違いない――そんなものは全て君の思い込みだ。ハミルは君が林檎を盗んでいたことを知っていたし、君がのこのこついてくることも承知していた。彼は現実主義者だからね」

 

 反論はできなかった。

 

「君は何もしなかった。だから何かをしようとした悪人に負けたんだ」

 

 なにも見えない暗闇の中、私はゆっくりと目を閉じた。

 私はいま、檻の中にいる。それは、私が地下への階段を降りてきたからであり、私が林檎酒を飲んだからだ。今の状況を回避する機会はいくらでもあった。しかし、私はそれらを全てふいにした。

 ――なぜなのか。

 現実から目を背けていたからだ。ハミルが私の知りたいことを知っていて、私を助けてくれるのだと決めつけていた。

 ――根拠はあったのか。

 そんなものはない。気が病んでいたといえばそうだが、ただ楽をしたかったのかもしれない。

 この半年、寄生虫が怖くて飲み水は煮沸していた。迫害が怖くて町民に声をかけることをやめていた。

 それなのに――。

 自分が向かっている方向すら確認せず、見知らぬ案内人の後姿を追っていた。相手の内面も周囲の景色も見えないまま、日の光の届かぬ場所までやってきた。そうして、足元の影は広がり闇となって私をのみこんだのだ。

 すべてが己の行動に起因している。

 ハミルは私を見ていた。私の言動を洞察し、応じていた。なにも見えていない私が騙されるのは当然の帰結だった。

 

 彼女は語ることをやめない。

 

「空想の果実を描いてはいけない。それを見て癒されることはあるだろう。それを目指して歩くことはできるだろう。しかし、そこにはなにもない。描いた果実はただの絵だ。虚構だ。かじることもできなければ、のどを潤すこともない」

 

 その通りだ。これまでの自分は元の世界に帰る努力も、この世界で生きる決意もしてこなかった。能動性はなく、なんとなく生きてしまった。

 認めるべきだ。愚かだったと。

 しかし――その果実が見えていたのは私だけではない。ハミルもまた私の描いた果実が見えていたのだ。それはなぜなのか――もはや手遅れかもしれないが、それだけはなんとしても確認をしなければならない。

 ゆっくりと目を開ける。正面を見据えるがやはりそこは暗闇のままだった。それでも絶望はしていない。まったくの空想ではない。現実を見据えたうえで残された可能性に目を向ける。

 虚構だと確約されているわけではない。ハミルの話に虚実が混じっているのなら虚をふるい落として実を拾う。

 これを賭けだとは思わない。いまの私に出来ることはこれしかないのだから。 

 

 私は今、一つの標を得た。

 

 

 ◇

 

 

 ――少女との話を終え、しばらくした頃。

 カツカツと、石を打つ音が聞こえてきた。何者かが地下へ降りてきている。

 身体を起こす。足音が迫るにつれ、それが一人のものではないことに気がついた。

 やがて、ぼんやりと淡い光が広がり、ハミルが姿を現した。側には口元を布で隠した黒装束の女を連れていた。ハミルは手にさげたランタンの火を燭台の蝋燭に移していく。闇が払われ、私はあらためて周囲を見渡した。

 階段側の壁面に設けられた二つの燭台とハミルの持つランタン。そこから照らしだされる地下空間は主に石造りで床は土だ。檻は二メートル四方の立方体で格子も床も鉄。部屋の中央に位置しており、光源を正面とすると右に少女の檻、左に他より一回り大きな檻があった。私が来たときと比べ変化はない様に思う。新しくわかったことといえば部屋の奥行きくらいだろうか。目が暗闇に慣れているのだ。これといった情報の更新はない。そのはずだが、どこか違和感を覚える。

 

 ハミルが怪物の檻の前に立ち、錠を解く。

 だが、怪物の様子に変化はなく、無言で伏したままだ。

 黒装束の女は檻に近づく。

 

「あなたに復讐の機会を与えます」

 

 老いも幼さも感じさせない大人の声だった。光源を背にしているためかその瞳は酷く暗い。

 

「グウェリアと戦いなさい」

 

 途端、怪物は起き上がる。女と対峙したその眼には紅い火が揺らめく。

 

「セレインとグウェリアは近く戦争になるでしょう。あなたには前線で戦ってもらいます。待遇は一兵卒ですが活躍次第では相応の褒章を約束しましょう。不服はありませんね?」

 

「不服などあるものか。視界にうつるグウェリア兵は全て殺す。その褒章としてグウェリア兵を私の目の前に連れてこい。そうすれば永遠に奴らを殺すことができる」

 

 驚くことに怪物は人間の女性の声で答えた。外観からは似つかわしくないその声からは、その瞳に似つかわしい殺意が顕になっていた。

 

「結構。では、跪きなさい」

 

 言われたままに、怪物は跪いて頭を垂れる。

 黒装束の女はおもむろに取り出したナイフで自身の指先を傷つけると、腕を檻の中にいれて怪物の頭上に差し出した。

 血の雫が眉間に落ちる。

 

「今はまだ名は明かせぬ。代わりにこの血をもって主従の契りとす」

「祖国の神々とエルアド・バシリスカス・ア=ゴアナディの名に懸けて――」

「ならぬ。そなたの国は滅び、神々は去った。その名の意味はもはや失われた」

「ならば、国を失い、友を失い、民を失ってなお、恥知らずにも生きながらえたこの身に懸けて――貴方に忠誠を誓う」

「よかろう」

 

 女は檻から手を抜くと数歩退いた。入れ替わるように前に出たハミルが、鍵を解いて檻の扉を開ける。

 エルアドはその巨躯をわずかに屈めて檻を出た。ハミルたちに襲いかかる素振りはない。従順にみえる。

 ハミルにより燭台の灯が消される。不完全燃焼の微粒子が細い煙となり、まっすぐ昇っていく。

 燭台の灯がまた一つ消える。ハミルのランタンだけが不気味に周囲を照らす。

 そして、ハミルを先頭に、エルアドはこちらを一瞥することもなく、主人となった女とともに階段の向こう側へと消えた。

 

「エルアド……」

 

 再び訪れた闇の中、私は彼女、あるいは彼の名を口にする。

 彼女の事情は知らない。語らったのはほんの少しの間だけだ。

 それでも、彼女には生きるうえで大切なこと教えてもらったと思っている。

 そして、私が実のところなにも学んでなどいなかったということも。

 

 私が先ほど周囲を見渡したときに感じた違和感の正体。それは、エルアドと少女の位置関係だった。

 暗闇の中で少女だと思っていたその声の方向にいたのはエルアドだった。

 一度だけ目にしていた姿形にとらわれて声の主は少女だと思い込んでいた。

 私はまたしても空想を描き、現実を見ていなかったのだ。 

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