ビジター 異邦の天秤 作:あー
「おはようシルガ」
「……おはよう」
あれから何日経過したのだろうか。
昼も夜もない地下での生活は、私から時間的感覚を奪いつつあった。
食事はおそらく日に一度。ぬるい水に硬いパンが与えられる。檻の中でじっとしているだけの生活とはいえ、人間の食事としては十分な量とはいえない。身と心が徐々にやつれていくのを感じる。排泄もほとんどしない。必要があれば檻の隅にある砂の入った箱にしていたが、いまでは箱も砂も清潔なものだ。
地下にいるのは相変わらず、私と少女の二人だけだ。
何者かが階段を降りてくる。足音は二人。
ハミルが客を連れてきたのだろう。私と隣人である少女はさきほど、手下の男から体をふくように濡れた布を渡されていた。予感はあった。
燭台に火が灯る。客の顔は黒い布で隠されていた。
また、隣の檻を見に行くのだろう。客によって目的は様々だったが、虚ろな少女の様子をみて「値段に見合わない」と首を振って立ち去るのがお約束だった。
「服を脱ぎなさい」
それは、女の声だった。
「聞こえないのかしら。服を脱ぎなさいといったのよ」
同性愛者か、あるいは娼館の人間か。
「異邦人とは聞いていたけれど。なるほど、言葉が通じないようね」
シルガも異邦人だったのか――?
だから、まともに会話ができないのか。
出身はこの世界の異国だろうか。それとも――あとで私の知る限りの言葉で話してみよう。
売れ残ればの話だが。
「会話はできます」
「なんですって?」
「街を彷徨っていたところを私が声をかけて連れてきましたから」
ハミルめ、こんな少女まで――どこまでも下衆な奴。
「ということは、私は愚弄されているのかしら」
奴隷が客を馬鹿にしたとなると、ハミルの商人としての評価は落ちるだろう。あの少女、なかなか肝が据わっている。しかし、やりすぎると後が怖いのではないか。我々の命はハミルが握っているることを忘れてはいけない。
「奴隷の分際で私を無視するとはね――こちらを向きなさい」
鋭く威圧的な声だ。
客の怒りの矛先はハミルではなく少女に向いたようだ。
「聞こえているのでしょう。こちらを向け」
ガシャリと金属音が響き、檻が揺れる。客は癇癪を起こして私の檻を蹴ったようだ。
八つ当たりをするのなら、ハミルの脛でも蹴ればよいものを。
「あなたはここから出たくないのかしら」
うるさい女だ。なぜ私の檻の近くで叫ぶのか。
私は少女から客のほうへ視線を移す。
客はなぜか私を睨みつけていた。
「それでいいのよ。ここから出たければ精々私に気に入られるように努めることね」
は?
つかのまの静寂。
目の前の女が私の裸体を見たがっている。
それもそこそこ必死に。
アホなのか。アホなのだろうな。うん、アホだ。
「アホか」
私は母国語で毒づいた。
そして力なく微笑む。
「悪意はないようね。それにしてもどこの国の言葉かしら」
「さて、私と話したときはミランダル語ですが。なかなか流暢ですよ」
檻が揺れる。
「服を、脱ぎなさい」
感情的で賢くはなさそうだ。この女相手なら、買われた後に逃げられるかもしれない。
私は上着を一枚脱ぐ。それだけで半裸だ。
「痩せているけれど、怪我はしていないようね」
「はい」
「どのようにして騙したの? あまり頭が悪くても困るのだけれど」
「同郷のふりをしました」
「どこの生まれかしら」
「こことは異なる世界だそうです」
「意味がわからないわ。詳しく話しなさい」
客に説明を求められたハミルは何かを考慮したのか、少し間をおいて経緯を語りだした。
「半年前のことです。街に一人の浮浪者が目撃されるようになりました」
この男はその時から私を知っていたのか。
「その者の言葉は誰にも通じませんでした。他国と交易をしている商人たちでさえ理解できなかったそうです」
わが身に起きた状況を説明できれば誰かが助けてくれる。そう信じていた時期だった。言葉が通じない焦燥はあったが、逆にいえば言葉さえ通じれば希望はあるのだと前向きに考えていた。
しかし――。
「一月後、その者は道行く人々に片言のミランダル語で、”自分はこことは違う世界からきた。助けて欲しい”と訴えていました。通行人が浮浪者に”こことは違う国か?”と問うと”国ではなく世界だ”と答えます。通行人は主たる国や大陸の地名を挙げますが、浮浪者は首を横に振り、違う世界、異なる世界と言うばかり。結局、浮浪者は頭のおかしな異邦人と思われて誰からも相手にされなくなりました」
そもそもの話、この街の住民には異世界という概念がないのだ。
どこか遠い地から流れてきた者――異邦人。この世界で私の存在を表す言葉はこれしかなかった。
「そして、つい先日のことです。可哀想に、彼は目尻に涙をためて、嗚咽を漏らしていました。私は彼を慰めようと声をかけましたが、その警戒心たるや野生動物のそれでして、安心させるためにも同郷であることを匂わせて酒場に誘ったのです。その後はすっかり打ち解けて、私は彼に一杯奢り、彼は眠りこけ、目が覚めたときには檻の中というわけです」
「――異なる世界ね。神々の座す天上世界のことかしら」
「さて」
「天からの使いを騙して捕まえるなんて罰があたるわよ」
「それは嬉しい誤算です。彼が天使であるなら価値も跳ね上がります」
「異常者なら無価値よ」
これが普通の反応なのだ。だからこそ、ハミルの言葉は不自然ではあった。
「浮浪者が半年で言葉をねぇ」
「お気に召しましたか」
「どうかしら、少し間が抜けているようにも思えるわ」
女は私に視線を合わせると、からかうように問う。
「ねぇあなた、どうしてそんなに簡単に騙されてしまったの。ハミルもあなたも黒髪だけれど、目鼻立ちがまるで違うわ。同郷だなんて明らかに嘘っぱちじゃない」
当然の疑問だ。
私からすればハミルがそれで騙せると踏んでいたのはなぜか、ということになるのだが――。
今はそれを言及するときではない。
「私の故郷は多民族国家です」
「そう、あなた素敵な声ね」
「ありがとうございます」
私の答えに納得したのか女は満足げに頷いている。
まるで警戒していない。ささいなことで感情的になるかと思えば、上辺だけの誠意を受け入れる安直さ。つけいる隙は十分にあるはずだ。
「下も脱ぎなさい」
なんの為に――とは聞かない。
多少の気恥ずかしさはあったが、私は躊躇うことなく全裸になった。
「よろしい」
彼女はじっくりと私の裸体を査定した。その眼差しに恥じらいの色はなく、むしろ冷ややかでさえある。
「小さいわね」
黙れ。