原神の夢小説です。
合わないと感じた場合はブラウザバックをお願いします。
「お……だい……うか!」
「……じょう……っかりして……」
誰かの声が鼓膜を揺らした。
瞼をゆっくりと持ち上げると、私に呼びかけるぼんやりとした金と銀。その向こうに晴れ渡る青が見えた。空だ。手を伸ばそうとしたけれど、指がピクリと動いただけだった。
瞬きをするたびに、色が少しずつ像を結んでいく。
「旅人!こいつ目が覚めたみたいだぞ!」
「よかった。どこか痛いところはない?大丈夫?」
銀の髪の浮遊する女の子と金の髪の不思議な格好の人物が覗き込んでくる。どうやら半ば水に浸かるように倒れていたらしく、頬に張り付く髪が気持ち悪かった。ふらつきながら上体を起こそうとすると旅人と呼ばれた人物が背を支えてくれた。
「ありがとう、ございます……」
喉がひりつく、声がかすれる。旅人さんは笑って首を横に振った。
「浜のあたりに倒れてたんだ。潮に攫われなくてよかったよ」
「浜?」
辺りを見回してみれば、ここは小さな小島のようで、砂地の向こうは果てのない二色の青が混じり合って溶けていた。
「そうなんですね……重ね重ねありがとうございます」
「気にしないで」
「おう!オイラはパイモン、こっちは旅人だ!」
「私は……」
名乗ろうとして、違和感に気がつく。出るべき言葉は唇から溢れることはなく、喉が震えるだけだ。確かに誰かに呼ばれていた気がするのに、風のように柔らかな声で。思わず口元に手をやった。黙り込んだ私を不思議に思ったのだろう。二人は首を傾げた。
「どうしたんだ?」
「……わかりません」
「え?」
「わからないんです、なにも」
自分の名前も、なぜここで倒れていたのかも。そう言うと、パイモンさんは慌てて、旅人さんは顔を曇らせた。
「記憶喪失……ってこと?」
「はい、おそらく……」
頭の中すべてに白い靄がかかっているようで、心のどこかを隙間風が吹き抜ける。足元が揺らいだように思えて背筋が冷えた。世界のどこにも居場所がないと言われた気分だった。不意に視線が島の中央に吸い寄せられる。
そこにあるのは何かの紋様が刻まれた、古びた台座のようなもの。それは風雨に削られ、あちこちが欠けていた。
それを見た瞬間、吐き気がこみ上げ、頭痛が走る。潮風の奥に知らないはずの鉄の臭いがした。近づいてみると、白い羽が一枚落ちていた。拾おうとして、なぜだか指が震えた。拾い上げたそれは潮風に攫われて、あっという間に見えなくなる。
「うっ……」
「だ、大丈夫か?」
「頭を打ったのかな……とりあえず、一緒に来ない?」
「いいんですか?」
「もちろんだぞ!なあ、旅人!」
「うん」
「では、お言葉に甘えて……」
このまま街を歩くのはまずいということで、旅人さんが風で、服と髪を乾かしてくれた。まだ少し砂っぽいけれど、髪が張り付かなくなっただけで御の字だ。
「でも、名前がわからないと不便だよな……そうだ!オイラがつけてやるぞ!」
「本当ですか?」
「ああ!よし決めた!お前は白 だ!」
きっと、私の髪の色と、服の色が白いためだろう。つけられた名を口の中で転がす。未だ何も背負っていない、羽のように軽く、無垢な音。
「パイモン、そんな犬とか猫みたいな……」
「な、なんだよ特徴は捉えてるだろ!」
じとりとした目でパイモンさんを見る旅人さんと、言い返すパイモンさんを見ているうちに、思わず、くすりと笑みが溢れた。
「私、白がいいです。気に入りました」
パイモンさんが顔を輝かせて、そのまま私に抱きついた。
「白〜、お前いいやつだな〜」
可愛らしくて銀色の髪をよしよしと撫でた。旅人さんは納得いかなそうだ。
「色から取るにしても、もっとあるでしょ目の色とかさあ」
私は首を傾げた。その拍子に長い白髪が肩から零れる。
「目の色、ですか?」
「鏡があればよかったんだけど……綺麗な薄青だよ。まるで空みたいな」
面映ゆくて顔が熱くなる。
「ありがとう、ございます」
結局のところ、何でもいいのだと思いたかった。私を思ってつけてくれた名であれば、それを誰かが呼んでくれるのであれば。本当はもっと呼ばれたい名があったようにも思えたけれど、ちっとも思い出せない。胸の奥が少し痛んだ気がしたけれど、気がつかないフリをした。
旅人さんが差し出した手を取って立ち上がる。
「じゃあ行こうか」
その背を追いながら、一度だけ振り返った。古びた台座はまるで墓標だ。風が吹いて、身体が自然と前に傾いた。ふと背中が軽いような違和感を覚えて、肩甲骨のあたりに手をやる。そこには何もない。それがなんだかとても寂しい気がしたけれど、頭を振って前を行く二人に駆け寄った。
「わあ……」
賑やかな人の声。空気に混じる香辛料の香り。視界で揺れる提灯。思わず感嘆の声が漏れた。五感の全てにつられるように、あちこちへ視線を向けていると、旅人さんとパイモンさんが微笑ましいものを見る目で見ていることに気づいてハッとした。頬が熱くなる。
「うぅ……ごめんなさい……」
「いいんだよ、璃月港は気に入った?」
鼻をくすぐるのは美味しそうな食べ物の匂い、耳に届くのは子どもたちの笑い声。飢えとも悲しみとも無縁な港町。自然と顔は笑みを形づくった。
「はい、とっても!」
穏やかな風が髪を遊ばせる。何気なく僅かに身体を前に傾けた。背中が妙に軽くて、何かを失くしたようで少し心許ない。風が吹くたびに肩甲骨のあたりが寂しがるように疼いた。
「なんだか、ずっとこうしたかった気がします」
こんな平穏の中を生きてみたかった。心の片隅で誰かが頷いたような気がした。
不意に視線を感じて、屋根の上に目をやった。けれどそこには誰もいない。気のせいだったのだろうか。
「どうかした?」
「いえ、何でもありません」
「何かあったら言うんだよ。不卜廬ではどこも悪くないって言われたけど……」
「はい、ありがとうございます」
どこも悪くないのなら、どうして靄は晴れず、空白は埋まらないのだろう。深まるばかりの疑問には蓋をして、旅人さんに笑いかけた。その時だった。
「うええん」
突然響いた泣き声に肩が跳ねる。見れば女の子が一人、大粒の涙を零している。
「どうしたの?」
しゃがみ込んで目を合わせる。女の子は全身真っ白な女に驚いたのか目を丸くした。涙が止まったことに安堵しつつ尋ねる。
「大丈夫?どこか痛いの?」
女の子は目を潤ませたまま、小さな声で呟いた。
「ふうせん……」
「ふうせん?」
「あ、あれじゃないか?」
パイモンさんが指差した方を見ると、建物の側の木に赤くて丸いものが引っかかっていた。
「せっかくお母さんが買ってくれたのに……」
女の子の目には新たな涙が盛り上がってきている。自然と手が伸びて頭を撫でた。風船は屋根の側の木の枝に引っかかっていて、いつ風に飛ばされるかわからない。パイモンさんが飛んで取ったとしても彼女ではきっと諸共に風で煽られてしまう。私が建物の上から手を伸ばしたほうが現実的だ。
「少し、待っていてくださいね」
女の子の頭を撫でながら、空を見上げた。
「この子を見ていてくれませんか」
心配そうな顔をする旅人さんたちに女の子を託し、建物の外側についた階段を登る。そして屋根の上に出ると、赤色に向けて手を伸ばした。恐ろしくはなかった。空が近づいたことになぜだか満足感すら湧いていた。
「もう……少し……」
枝の隙間に手を差し入れて、紐を掴んだ。その瞬間、
「え……」
風に引かれるように重心がずれて、足が滑った。慌てて腕を動かして均衡を保とうとする。肩甲骨の奥が熱をもって、ふわりと身体が軽くなり、瞬き一つぶん重力を忘れた気がした。まるで皮膚が裂けたかのような錯覚があった。喉が詰まる。けれど、瓦が軋む音で我に返った。どうにか後ろに重心を移し、屋根に尻もちをつきそうになった瞬間、後ろから誰かに腕を取られた。反射的に振り返って、
金色と目があった。
支えてくれたそのひとは私が体勢を整えた途端に手を離すと、旅人さんたちが駆け寄ってくる前に掻き消えた。私の手にある風船を見つけた女の子は目を輝かせた。
「ありがとう!白いおねえちゃん!」
その笑顔に胸の奥が暖まるのを感じた。
「どういたしまして。もう失くさないようにね」
頭を撫でていると、女の子の母親らしき人が走ってきて、頭を下げた。手を繋いで歩いていく二人を手を振って見送る。赤い風船が、澄みきった青の中に浮かんでいる。彼方に飛び去る鳥の影を目が追った。
「きれい……」
そう言えば、お礼を言いそこねたあのひとは誰だったのだろう。空っぽのはずの器がカラカラと音を立てた。目があった瞬間に揺れたあの色になぜだか胸が締め付けられた。
読んでくださりありがとうございます。楽しんでいただけたら嬉しいです。