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脚本:霜降朽葉
"──被害者同士に面識は無く、現場から財布が抜き取られていた事から警察は強盗殺人事件として捜査を行なっているとの事です。"
薄暗いボロアパートの一室。唯一の光源である旧型テレビの青白い光が、部屋の中心に座る一人の男を照らしていた。
男はカップ麺を啜り、ずるずると品の無い音を立てながら咀嚼する。髪は伸び放題に乱れ、無精髭が顔を覆い、全体として清潔感という言葉とは無縁の風貌だった。濁った眼だけが、画面の中のニュースキャスターをじっと見据えている。
その背後には、片付けられていないグラビア雑誌、乾ききったカップ麺の容器が無造作に散乱していた。
さらにその奥──まるで墓標のように、あるいは骨の塚のように、無数の財布が積み上げられている。色も形もばらばらなそれらは、ただのゴミではない。男にとっては“収穫”であり、“証”であり、そして何より──誇るべき戦利品だった。
その山の上を、一匹の蜘蛛が静かに歩いている。男はそれを気にする様子もなく、ただ麺を啜り続けていた。
*
「ねぇねぇ、また出たんだって。殺人鬼」
「マジ? これで何件目だよ」
騒がしい会話が廊下に響く。
町で噂の殺人鬼。夜な夜な人を襲い、命を奪い、財布を奪っていく存在。確かに恐ろしい話だ。だが──。
(俺には関係ない話だな)
志遠はそう割り切っていた。
仮に現場に出くわしたところで、自分に何が出来るのか。助ける力も無ければ、立ち向かう勇気もない。もし標的が自分になれば──それこそ何も出来ずに終わるだろう。
だからこそ、関わらない。あの日以来、彼はそう決めていた。
「ま、そもそもピンポイントで殺人鬼なんかと出会う訳ないか」
軽く肩をすくめ、現実的な結論で思考を締める。ドラマの中の話だ。そう自分に言い聞かせながら、志遠は階段の曲がり角へと差し掛かり──。
「ギャッ!?」
「うぉ!?」
勢いよく、誰かと衝突した。互いに転倒こそ免れたが、志遠は軽く仰け反り、相手の少女は頭を押さえてうずくまる。
茶色の髪を耳のあたりで結んだツインテール。素朴で、どこか地味な印象の女子生徒だった。彼女は慌てて眼鏡の位置を直し、周囲をキョロキョロと見回す。
そして次の瞬間、何かに気付いたように踊り場の掃除用具ロッカーへと駆け込み、その中へ身を滑り込ませた。扉の隙間からこちらを見て、「しーっ」と口元に指を当てる。志遠が何が起きているのか理解する前に、扉は閉じられた。
(……なんだ今の)
困惑する間もなく、下の階から激しい足音が響いてくる。やがて現れたのは、一人の男子生徒だった。
「おい貴様! ここに姫山が来ていないか!?」
息を切らしながら詰め寄ってくるその人物──
規律に異常なまでの執着を持ち、「違反」と見なした者には徹底的な説教を行う。納得のいく回答を引き出すまで決して解放しないその姿勢は、教師からは評価される一方で、生徒達からは忌避されていた。
(さっきの子……追われてたのか)
ロッカーの中の少女を思い出す。
「…………」
関わるべきではない。
志遠の理性は、即座にそう結論を下す。ここで正直に言えば、自分は無関係でいられる。逆に庇えば──面倒事に巻き込まれる可能性が高い。責任を背負う覚悟など、自分には無い。そう思い、口を開こうとした瞬間──。
脳裏に、過去の後悔がフラッシュバックする。
「おい! 貴様聴いているのか!?」
「……え? あ、すんません。ぼーっとしてました。えと、ヒメヤマさんかは分かりませんが、さっき女の子が上の階に走って行きました。はい」
言ってしまった。
言葉が口をついた瞬間、志遠は内心で舌打ちする。理性ではなく、反射で動いてしまった。
「上だな!? くそっ……!」
足立はすぐに踵を返し、上階へと駆け上がっていく。その背中を見送りながら、志遠は小さくぼやく。
「……何だよあれ、礼くらい言えよ」
視線をロッカーへ向ける。まだ扉は開かない。
「えーっと。アイツ上に行ったから、多分今なら大丈夫」
声をかけると、恐る恐る扉が開いた。少女は周囲を確認し、ようやく安心したように息を吐くと、志遠へ向き直る。
「巻き込んでしまってごめんなさい。それから……ありがとう」
深く頭を下げ、そのまま足早に階下へと去っていく。その背中を見送った後、数秒の沈黙。
「やっちまった」
ぽつりと呟く。
関わらないと決めたはずだった。それでも身体は勝手に動いてしまう。
(後で目付けられたら面倒だな……)
そんな不安を抱えながら、志遠は帰路へとついた。
*
「明音さん、ただいま」
「お帰り志遠……んー? 随分と沈んでるじゃないか。何かあった?」
「いや別に──あー、生徒会長に目付けられそうになった」
「生徒会長って前から話してる怖い人? それで疲れてるのか。お疲れさん」
玄関をくぐると、いつもの穏やかな空気が迎えてくれる。
「ご飯は出来てるけど、食べる?」
「うん、いただきます」
「オッケー。準備しておくから着替えてきな」
その言葉に頷き、志遠は自室へ向かう。制服を脱ぎ、ハンガーに掛ける。鞄を開け、弁当箱を取り出そうとした瞬間──。
「あれ!?」
手が止まる。中に、弁当箱が無い。
(嘘だろ……)
記憶を辿るまでもなく、答えは明白だった。机の中に入れたまま、持ち帰るのを忘れてしまったのだ。
「後で取りに行くか……」
そう小さく呟き、志遠はとりあえず明音の用意してくれた食事を優先することにした。
*
「ご馳走様」
温かい食事を終え、志遠は食器を片付ける。満腹感とは裏腹に、胸の奥には小さな引っかかりが残っていた。
「明音さん、その……弁当箱学校に忘れてきちゃって」
「んー、そっか。じゃあ明日はタッパにでも入れて──」
「いや、今から取りに行ってくるよ」
「別に良いわよ。絶対無いといけないもんでもないし。それに、最近何かと物騒でしょ?」
「殺人鬼の事? そうそう遭わないよ。ちょっとひとっ走り行ってくる」
「あっ、ちょっと志遠」
制止の声を背に、志遠は外へ飛び出した。
*
「よかった、やっぱり机の中に入れっぱなしだったか」
目的はすぐに果たされた。弁当箱を手にした志遠は、帰路を急ぐ。
夜の街は静まり返り、昼間とはまるで別の顔を見せていた。空には月が浮かんでいるが、黒い雲に隠れがちで、光は頼りない。街灯だけがぽつぽつと闇を照らし、その間を縫うように影が広がる。
(なんか……妙に静かだな)
犬の鳴き声すらない。不自然なほどの無音。ふと、放課後に聞いた噂が頭をよぎる。
「……大丈夫、大丈夫。殺人鬼になんか出くわすもんか」
口に出して、自分を落ち着かせる。だが足取りは自然と早くなっていた。そのまま何事もなく帰る──はずだった。
「う……ぐ…………」
かすかな呻き声。前方の曲がり角の向こうから聞こえてきた。
「────」
足が止まる。
(逃げろ)
理性が警告する。確認する必要など無い。関われば、ろくなことにならない。だが──。
恐怖というものは、時に人を逆へと動かす。知らないままでいることへの恐怖。それが、志遠の足を前へと進ませた。
「大丈夫……大丈夫だ……殺人鬼なんか、いるもんか」
自分に言い聞かせながら、角の向こうを覗く。
そして──見てしまった。
若い女性が、糸のようなもので首を締め上げられている。その先に立つのは──蜘蛛の頭部を持つ、異形の怪物。
「あ……あぁ……!」
理解が追いつかない。現実として受け入れることを、脳が拒絶する。だが怪物は確かにそこにいた。
やがて糸を引き戻し、女性の身体が崩れ落ちる。女性はもう動かなかった。
「う、うわあああっ!!」
悲鳴が漏れる。その瞬間、怪物の視線が志遠を捉えた。
「チッ、見られちまったか。面倒だが、目撃者は始末しないとな」
言葉を発した。怪物が、人の言葉を。
志遠が混乱する間もなく、怪物から糸が放たれる。
「がっ……!?」
首に絡みつく感触。次の瞬間、志遠の呼吸が奪われる。
圧迫。窒息。肺が空気を求めて悲鳴を上げていた。
苦しい。痛い。そんな感覚と共に志遠の意識がゆっくりと削られていく。
(俺、死ぬのか……)
だが不思議と、志遠の思考は静かだった。諦めに似た感情。その中で彼の脳裏に浮かんだのは──。
(最後に、誰かの為に行動できて良かったな)
あの少女の姿。それを思いながら、意識は闇へと沈み──。
「がっは!? けほっ、げほっ!!」
──沈む事はなかった。
突然、呼吸が戻る。空気を貪るように吸い込みながら、志遠は咳き込んだ。
(何が……起きた……?)
ぼやける視界の中、音が聞こえる。唸り声。顔を上げると──。
そこには、もう一体の怪物がいた。白い蛾──蚕のような異形。それが、先ほどの蜘蛛の怪物に襲いかかっている。拳。蹴り。体当たり。洗練などとは程遠い、だが必死な攻撃。
やがて蚕の怪物が、こちらを振り向いた。
「逃げて!!」
聞こえたのは、少女の声だった。場違いなほど人間的な、焦りと必死さを含んだ声。志遠の理解は追いつかない。だが身体は動いていた。生存本能が、全てを押しのける。
志遠は立ち上がり、転びそうになりながらも走り出した。背後で、戦いの気配が激しくなる。だが振り返る余裕などない。ただ、逃げた。生きるために。
その背中を確認し、蚕の怪物はわずかに頷く。しかしその一瞬が隙となった。
鈍い衝撃音。反撃を受け、体勢を崩す。その隙に蜘蛛の怪物は糸を上空へ放ち、夜の闇へと跳び去っていった。
残されたのは、荒い呼吸と、静まり返った夜だけだった。
*
「はぁっ、はぁっ……!」
肺が焼け付くように痛む。喉は乾ききり、空気を吸い込むたびに胸の奥が軋む。それでも志遠は止まらなかった。止まれば、あの光景が追いついてくる気がしたからだ。
ようやく見慣れた秋本家の玄関が視界に入る。安堵と同時に膝から力が抜けそうになるのを必死に堪え、志遠は乱暴にドアを開けた。そのまま転がり込むように中へ入る。
「おかえり……どうしたの、そんなに慌てて」
「ちょ、ちょっと暗闇に誰か居た気がして、怖くなって……水、貰える?」
「あいよ、ちょっと待ってね」
自分でも驚くほどに志遠の声は震えていた。だが、それ以上の言葉は出てこない。
明音から差し出されたコップを受け取ると、志遠はそれを一気に煽った。冷たい水が喉を通り、ようやく現実へと引き戻される。志遠は大きく息を吐き、肩の力が抜けた。
(……生きてる)
その当たり前の事実が、妙に重く感じられた。
「だから明日で良いって言ったのに。この辺は夜になると暗いから、気味悪かったでしょ?」
「う、うん……」
明音の問いに曖昧な返事を返す志遠。本当のことなど、言えるはずがない。2体の怪物等、あまりにも現実離れしすぎている。言葉にした瞬間、それが現実として確定してしまいそうで──志遠は無意識に思考を拒んでいた。
それでも、頭の奥には焼き付いて離れない光景がある。
──自分を助けた存在。あれは一体何だったのか。
「あの白い奴の声、どっかで聴いた事があったような……」
ぽつりと漏れた言葉に、明音が首を傾げる。
「うーん? 何か言った?」
「え? あ、いや。何でも無いよ」
志遠は慌てて誤魔化す。それ以上考えるのはやめた。考えれば考えるほど、理解不能な現実に引きずり込まれそうになる。そのまま、何事もなかったかのように夜は更けていった。
だが志遠の中だけは、確実に何かが変わり始めていた。