仮面ライダーシルク   作:霜降朽葉

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第二話「彼女のひみつ」

 

「先生、この度は本当にありがとうございました」

 

 夜も更けた診察室に、静かな声が落ちた。窓の外はすでに人影もなく、街灯の白い光だけが無機質に地面を照らしている。室内に残るのは、わずかな消毒液の匂いと、蛍光灯の淡い明かりだけだった。

 

 診察室には二人の男が向かい合っていた。一人は四十代ほどの、どこか人の良さそうな男。患者であることは、その柔らかな物腰と深々と頭を下げる仕草からも明らかだった。もう一人は白衣を纏い、髪を整然と後ろへ撫でつけた医者。眼鏡の奥には、整った理知的な瞳が静かに光っている。

 

 医者はゆっくりと男に向き直る。この夜更けにわざわざ呼び出した理由を思えば、形式的な挨拶で終わるような用件ではないことは明らかだった。

 

「こんな夜分遅くに申し訳ありません。多忙ゆえ、中々手を止められる時間が無くて」

「いえいえ! お気になさらず。先生が居なければ、私はこれからの人生を家族と過ごす事が出来ませんでした。このくらい当然です」

 

 男は再び頭を下げた。感謝は言葉以上に、身体の動きに滲み出ている。彼にとって目の前の医者は、紛れもなく命の恩人だった。

 

 つい一週間前まで、彼は治療不可能と宣告された病に苦しんでいた。終わりを待つだけの時間。だが、その運命は医者の手術によって覆された。未来が再び手の届く場所に戻ってきたのだ。

 

「その後、具合の方はいかがですか」

「はい、あれだけ苦しかった痛みが嘘のようになくなって!」

「そうですか。それは良かった」

「もう直、息子の誕生日なんです。来月には妻との結婚記念日も控えていて……もう祝ってやれないと思っていました。本当に、本当にありがとうございました先生!」

 

 言葉を重ねるたびに、男の声には熱がこもっていく。そこには確かな実感があった。死の淵から引き戻されたという、現実味のある幸福が。

 

 医者は静かにそれを受け止めていた。相槌も、微笑みも、すべてが整いすぎているほどに整っている。

 

「ところで、今日はどういった話でしょうか」

「いえ、そろそろ効き目(・・・)が表れる頃かと思いまして」

「はい? それはどういう──うっ!?」

 

 次の瞬間だった。

 

 男の身体がびくりと震え、そのまま椅子から崩れ落ちた。喉を押さえ、必死に空気を掻き集めるように呼吸しようとするが、うまくいかない。肺が拒絶しているかのように、息が入らない。

 

 何が起きたのか理解できないまま、ただ苦しみだけが全身を支配していく。

 

 医者はそんな男を見下ろし、ゆっくりと歩み寄った。床に伏した男と視線を合わせるように膝を折り、その顔を覗き込む。

 

 そして――穏やかに、微笑んだ。

 

「どんな気分ですか? 生を得たと思った瞬間に死が迫るのは」

「が……あ……! せんせい……なにを……?」

 

 男の視界は歪み始めていた。目の前の人物が、本当に自分を救った医者なのかすら、判別がつかなくなる。

 

 救いと絶望が、同じ顔をしている。

 

「私は待ち侘びましたよ。一週間、この瞬間が訪れる事を」

「どうして……い、やだ……しにたく、な……い」

 

 震える手が、医者へと伸びる。助けを求める、本能的な動きだった。

 

 その手を、医者は優しく包み込んだ。

 まるで慈しむかのように、けれどその瞳の奥に宿るのは――歪んだ歓喜。

 

「──嗚呼、その希望にしがみつく顔。何と美しい……!」

 

 男の視界が暗転する。力を失った手が、音もなく床へと落ちた。

 

 それが最後だった。

 

 医者はゆっくりと立ち上がる。両腕を広げ、天井を仰ぐその姿は、まるで舞台の上の役者のようだった。恍惚に満ちた表情が、静まり返った診察室に浮かび上がる。

 

 

仮面ライダーシルク

 

 

 

 

 昼下がりの教室。

 

 窓から差し込む柔らかな光の中で、志遠は弁当の蓋を開けることもなく、ぼんやりと机に視線を落としていた。

 原因ははっきりしている。昨日の出来事だ。脳裏に焼き付いて離れないのは、二体の異形が互いを殺そうとする光景。現実とは思えない、しかし確かにこの目で見た光景。

 

「おーい、阿武川。どったの? ボーッとしちゃってさ」

「……え? あ、あぁ悪い」

「昨日から様子が変だぞ? 何かあったのか」

 

 声をかけてきた修の顔は、純粋な心配に満ちていた。

 

 志遠は一瞬、言葉に詰まる。あの出来事をそのまま話すことは出来ない。信じてもらえるはずがないし、何より自分でも整理がついていない。

 

 だが、黙っているのも違う気がした。

 短く息を吸い、現実的な部分だけを選び取る。

 

「ちょっと気になる女の子がいてさ」

 

 次の瞬間、修は飲んでいたパック牛乳を盛大に噴き出した。

 

「だ、大丈夫か!?」

「けほっ、けほっ……すまん、阿武川。聴き間違いかもしれんから、もう一回言ってくれ」

「え? あぁ。だから気になる女の子がいて」

 

 確認を終えた修は、志遠の肩に手を置いた。その表情は、どこか感慨深い。

 

「阿武川……ついにお前にも春が来たんだな」

「……は?」

 

 一瞬、意味が理解できない。だがすぐに、志遠は修の盛大な勘違いに気付いた。

 

「いやあの、斑目が思ってる様な事じゃ無いからな?」

「皆まで言うな友よ。ミヤ校の女子の事なら俺に任せろ……それで、どの子が気になるんだ?」

 

 妙に乗り気な様子に、志遠は弁明を諦める。

 

「ええっと、俺もよく知らないんだけど……ヒメヤマさん? って名前で、眼鏡かけててお下げみたいなツインテールの子」

 

 修は少し考え、すぐに手を打った。

 

「多分その子は、姫山真由(ひめやま まゆ)だな。今年の春から隣の教室に来た、転校生だ」

 

 相変わらずの情報網に、志遠は内心で感心する。絶賛彼女募集中のこの友人は、宮間高校に在籍する女子生徒について顔と名前レベルで記憶している。こう言う事には頼りになると思った志遠の考えは正しかった様だ。因みに、そんな友人には未だ彼女がいない。

 

「姫山さん……」

「転校生と言う事で初日は黄色い歓声があがったが、当人は周りと馴れ合わない感じだったらしくてな。すぐに存在を忘れられていった子だ。現在はそんな子居たね程度の知名度で収まっている地味……失礼、素朴な生徒さ」

 

 説明を聞きながら、志遠は昨日の彼女を思い出す。

 あの戦いの中で見た姿。人外の力を振るい、異形と渡り合っていた少女。今語られている人物像との落差が、どうしても噛み合わない。

 

「それにしても、ついに阿武川も、女子に興味を持つようになったか。お父さんは嬉しいぞ……!」

「そんなんじゃ無いって……それでその、姫山さんに会うにはどこに行けばいい?」

「昼休み中に彼女の姿を見た生徒は居ないらしい。当然、校門は目立つから外にも行っていない。だとすれば残された可能性は──屋上だな」

 

 修が上を指差す。妙に様になっている仕草だった。

 

「屋上か、行ってみるよ。ありがとうな、斑目」

「良いってことよ」

 

 志遠は席を立つ。

 

「阿武川」

「うん?」

「──グッド・ラック!」

「だから違うって」

 

 軽口を背に受けながら、志遠は教室を後にした。

 

 

 階段を上がりきり、屋上の扉に手をかける。

 

 ここが開いていること自体、少しだけ現実から外れた感じがした。場所によっては立ち入り禁止の空間。踏み込めば、日常の枠から一歩外に出るような感覚。

 

 そしてこれから自分がしようとしていることもまた、日常の延長線にはない。

 

 昨日の出来事を問いただす。

 

 それはつまり、あの“異形”に触れるということだった。

 

 扉を開けた瞬間、風とともに声が流れ込んでくる。

 

*1ら、ら、ら、ら ら、ら、ら♪

 ら、ら、ら、ら ら、ら、ら♪」

 

 柔らかく、どこか儚い旋律。だがその奥に、ほんのわずかな温もりが混じっている。

 

 声の主はすぐに見つかった。

 

 フェンスに背を預け、地面に座り込む少女。姫山真由はそこに居た。

 志遠は立ち止まる。声をかけるべきか、一瞬迷った。彼女にとっては触れてほしくない話かもしれない。それでも――

 

「……しっかりしろ俺。何も知らないままなのが嫌だから、姫山さんに会いに来たんだろ」

 

 小さく呟き、自分を奮い立たせる。

 

 そして声を張った。

 

「あのっ! 姫山さん!!」

「むぐっ!!?」

 

 見事なタイミングで、彼女はサンドイッチを喉に詰まらせた。

 ジタバタと手足を動かす様子は、先ほどの歌声とは別人のように慌ただしい。

 

「え!? ご、ごめん!」

「んーーっ!んーーっ!!」

 

 必死に指差された先にはパックココア。志遠は慌ててそれを手渡す。

 

 真由は奪い取るように受け取り、一気に吸い込んだ。

 

「けほっ!

……こんにちわ、何か私に御用ですか?」

 

 何事もなかったかのように、落ち着いた笑顔。

 その切り替えの速さに、志遠は思わず面食らう。

 

「えと……先日は、助けてくれてありがとう」

「──何の話でしょうか? 私、君とは初対面の筈ですが」

「生徒会長から庇ったじゃん。ってそうじゃなくて……蜘蛛の化け物から俺を助けてくれたでしょ? その、何か凄い姿に変わって」

 

 具体的に踏み込んだ瞬間、空気が変わった。

 真由はため息を一つつき、立ち上がる。鋭い視線が志遠を射抜いた。

 

「君は知らなくて良いことだよ。ありがとうと思うなら、これ以上関わらないで」

 

 距離を詰めてくるその圧に、志遠は言葉を失う。

 

「あ、えーっと」

「もう一つ。私の事、誰にも言わないで」

 

 顔が近い。逃げ場のない圧力。

 言い終えると、彼女はそのまま立ち去ろうとする。

 

 だが志遠は、食い下がった。

 

「一つだけ教えてよ! あの蜘蛛みたいな奴は何なんだ!?」

「……あれは、《トルドボーグ》」

「トルド、ボーグ……?」

 

 聞いたことのない単語だった。

 

「あいつらはある組織に勧誘されて、自ら志願して異形の力と姿を得たサイボーグ人間だよ」

「志願だって!? 何の為に」

「力が欲しいから。世界に虚しさを感じたり、自分の欲望を満たしたい人達がいるんだよ……人である事を捨ててまでして、望みを叶えるためにね」

 

 志遠の中で、嫌悪が芽生える。

 理解できない。いや、したくない。自らの欲望の為に力を得、その過程で罪の無い人間の命を奪う。そんな奴らは人間なんかじゃなくて──。

 

「──化け物、じゃないか」

「そう。トルドボーグは、与えられた力を自らの欲望のままに振るう、人の心を捨てた化け物。人知れず人間のフリをして、社会に紛れ込んでる」

 

 淡々と告げるその声に、感情は薄い。

 

 そして。

 

「……私も、そんな化け物の一体だよ。君が見た通り」

 

 その一言だけを残して、彼女は去っていった。

 志遠は動けなかった。その言葉の重さが、胸に沈む。

 

「なんだよ、それ」

 

 理解できない。納得できない。

 自分を助けた彼女が、自分にありがとうと言ってくれた彼女が《同じ》だなんて。

 

「人殺しの化け物と、一緒な訳無いだろ……!」

 

 気付けば走り出していた。

 

 

 階段を駆け下りる。

 今ならまだ間に合うはずだった。

 

「姫山さ──」

 

 だが、その先で目にしたのは望んだ光景ではなかった。

 

「捕まえたぞ姫山!」

 

 生徒会長の足立に腕を掴まれ、拘束されている真由。

 その表情には、明確な苛立ちが浮かんでいた。

 

「姫山お前、学校行事に参加せずに帰宅しているらしいな!」

「すいません。参加したいのは山々なんですが、私忙しくて?」

「忙しい? 学校を疎かにしてまでしてやる事があるのか、何だ。言ってみろ!」

 

 最悪だ、と志遠は思った。あの取り調べ(・・・・)が始まれば、終わらない。

 

 そして――その光景は、過去の記憶を呼び起こす。

 囲まれる誰か。見ているだけだった自分。

 夕焼け。机。花。

 

「……あの、生徒会長!」

 

 身体が勝手に動いていた。

 

 声に驚き、足立の手がわずかに緩む。その瞬間を逃さず、真由は振りほどいて走り去った。

 

「おい姫山! ……何だお前は!!」

「あ、えっと、秋の学園祭出し物について禁止事項とか聴いてきてって言われたんですけど……もしかして、邪魔でした?」

「…………お前な!! 相手の状況を見て話しかけろ!!」

 

 怒鳴りつけられながらも、志遠はどこか安堵していた。足立はそのまま真由を追って去っていく。

 

 静寂が戻る。

 

「はあ……またやっちまった」

 

 ため息が漏れる。

 

 だが、それでも――見過ごすよりは、よかったと思ってしまう自分がいた。志遠はそのまま教室へと戻っていった。

 

 

 

 

「おかえり。で、どうだったよ」

「フラれた」

「oh...まあ元気出せよ阿武川」

 

 そんな軽口を挟みながら、いつもの日常が何事もなかったかのように続いていった。

 

 

 

 

 夕暮れの空気は、どこか湿り気を帯び始めていた。まだ本格的な夏には早いはずなのに、草むらの奥では気の早い虫たちが鳴き始めている。季節の境目に立っているような、曖昧で落ち着かない時間帯だった。

 志遠はそんな道を、一人歩いていた。足取りは一定だが、思考は定まらない。頭の中で、同じ問いが何度も巡っていた。

 

 トルドボーグの存在は知った。では、その先は?

 

 関わるのか。それとも、知らないままの日常に戻るのか。

 

 答えは、分かっている。後者の方がずっと安全で、ずっと平穏だ。何も知らなければ、危険に踏み込む必要もない。普通の学生として、普通の毎日を過ごしていける。

 

 ――それでも。

 

「……姫山さんは、どうするんだろう」

 

 ぽつりと零れた疑問は、消えずに胸に残った。

 

 彼女はなぜ戦っているのか。命を落としかねない危険に、自ら踏み込んでいる理由は何なのか。

 理解できない。だが、理解しないままでいいとも思えなかった。

 

「あれ?」

 

 視線の先に、見覚えのある姿を見つける。道路脇の茂みに身を屈め、何かをじっと見つめている少女――姫山真由だった。

 その視線の先には、小さな個人病院がある。

 

 志遠は少しだけ迷い、やがて声をかけた。

 

「あ、あの、姫山さん……」

 

 反応は素早かった。真由は振り返るなり、慌てて手を下へと動かす。

 

『しゃ・が・ん・で!』。

 

 言葉にせずとも伝わる指示に、志遠は頷くようにして身を低くし、茂みの中へと滑り込んだ。

 

「何しに来たの!?」

「いやその、たまたま見かけたから……昼間はゴメン」

「……生徒会長の件は、お礼とか言わないから。って言うか、君のせいでああなったんだからね?」

「分かってるよ。それで、何してるの?」

 

 問いかけに、真由は顎で前方を示す。

 その表情は、昼間とは打って変わって鋭い。獲物を狙う獣のように、神経が張り詰めている。

 

 志遠もそちらを見る。病院の前で、男女が言い争っていた。

 

「先生、どうしてあの人は亡くなったんですか! 先生はもう大丈夫だって言ったじゃないですか!!」

「──御主人の事は、残念でした。では、私はオペがあるのでこれで」

 

 取り乱す女性に対し、医者は淡々と応じる。その声音に、感情の揺らぎはほとんどない。

 

 志遠の胸に、嫌悪が滲む。

 

「何だよアイツ、人が亡くなって悲しんでるのにどうでもいいのかよ……うん?」

 

 その時、女性の足元から小さな影が飛び出した。

 男の子だった。涙を零しながら、病院の外へと駆け出していく。止まる様子はない。まっすぐこちらへ向かってくる。

 

 真由が立ち上がり、その子を受け止めた。

 

「どうしたの? 道路を走ると危ないよ」

「パパがお医者さんのせいで死んじゃったあああ!!」

 

 幼い声が、空気を震わせる。あまりにも直接的な悲しみだった。端から見れば、理不尽な悲劇に元凶を見出したい幼子の癇癪。

 だが真由は、その言葉を聞いた瞬間、目の色を変えた。

 

「──泣いちゃだめ」

「……ふえ?」

「君が泣いたままだと、きっとパパは安心出来ない。今すぐじゃ無くて良い、これからは君が、ママを護ってあげて」

 

 両肩を掴み、真っ直ぐに言葉を伝える。

 その表情は優しいはずなのに、どこか痛みを抱えているようにも見えた。

 

「君の悔しさは、私が持っていくから」

 

 不思議と、子供は泣き止んだ。小さく頷き、駆け寄ってきた母親の元へと戻っていく。その背中を見送りながら、志遠は息を呑んだ。

 

「姫山さん、まさかあの子の父親は」

「……この病院で手術を受けた患者が、一週間後に不可解な死を遂げる事件が頻発してるって噂になってたの」

「じゃあやっぱり」

「さっきの医者を見てハッキリした。アイツが、トルドボーグだよ」

 

 握りしめられた拳が、小さく震えている。怒りか、それとも――別の感情か。志遠には、まだ分からなかった。

 

 

 

 

 夜はすぐに訪れた。街灯の光だけが道を照らし、周囲は深い闇に沈んでいる。コンビニの袋を手に、志遠は再びあの場所へ戻ってきた。

 真由は、まだそこにいた。夕方から一歩も動かず、ただ病院を見張り続けている。

 

「姫山さん、ご飯買ってきたよ」

「……何しに来たの? 家の人、心配するんじゃないの」

「明音さん──叔母さんにはちゃんと出かけるって言って来たから大丈夫だよ。姫山さん、夕方から何も食べてないでしょ? それに、昼間のお詫びもあるし」

「要らない。別に私、お腹減ってなんか──」

 

 言葉の途中で、彼女の腹が小さく鳴った。

 

 静かな夜に、妙に響く。

 

 真由は顔を赤らめながらゆっくりと顔を向け、涙目で志遠を睨みつけた。

 その視線に押されるように、志遠は袋を差し出す。

 

「えーっと……はい」

 

 真由は無言でそれを奪い取り、卵サンドにかぶりつく。続けてお茶を流し込み、ようやく一息ついた。

 

 少しだけ、空気が緩む。

 

「それで、何しようとしてるの?」

「……言わなくても、君には分かってるんでしょ?」

 

 低い声だった。

 志遠は頷くことが出来なかった。

 

 分かっている。だが、認めたくはない。

 

「だってさ、怖くないの? 姫山さんは戦う術があるとは言え、下手をすれば殺されるんだよ? 何でそこまでして」

「君はさ、自分が助ける術があるのに動かなくて、その結果誰かが死んだって構わないって思う?」

「──え?」

 

 言葉が、胸の奥に突き刺さる。

 過去の記憶が蘇る。見ているだけだった自分。動かなかった自分。後悔だけが、残ったあの時。

 

「初めてトルドボーグと戦った時、私は戦いが怖くて逃げようとしたの。その結果……偶然近くを通りかかった名前も知らない人が、犠牲になった」

「…………」

「あんな後悔、二度としたくない。だから私は、トルドボーグに傷付けられる人がいて、自分が何とか出来そうなら……勇気を出したいの」

 

 その言葉は、決意だった。強がりではない。本物の後悔から生まれた、揺るがない意志。

 

「姫山さん……君は」

「それに、私にはどうしても会いたい人が──」

 

 言いかけて、真由は顔を上げた。病院の灯りが、一つを残して消えていく。

 

 その瞬間、彼女の目が変わった。獲物を捉えた狩人のように。

 

「差し入れありがとう、残り食べてくれて良いから!」

 

 袋を押し付けるように渡し、真由は駆け出した。

 

「え? ちょっと姫山さん!」

 

 

 

 

 裏口のインターホンが鳴り響く。

 

 やがて足音が近づき、扉が開く。

 

「誰だい? 診療時間はもう終わって──」

 

 言葉が終わるのを待たず医者の腕が掴まれ、そのまま外へと引き摺り出された。

 

「乱暴なお嬢さんだ。私に何か用かな……!」

「何で、あの子の父親を殺したの?」

「父親……? ああ、あの患者の事か。彼の知り合いかい?」

「答えて」

「……ふむ、どこから話すべきか。よし、まずは私の事でも語らせてもらうか」

 

 整えられた姿勢。まるで舞台の上で語る役者のようだった。

 

「私の精製するウイルスは特別でね。宿主の体内に侵入した後、痛覚神経を麻痺させながら肉体を破壊せず、宿主を生かしながら密かに増殖していくんだ。まるで、病が完治したと錯覚させる程にね」

 

 

 

 

 志遠は物陰に身を潜め、その様子を見ていた。

 

「何だよアイツ……いきなり何を言ってるんだ?」

 

 医者の言っている事はあまりに場違いで、意味が分からない。だが次第に、その言葉の意味が分かり始める。

 

「そうして一週間後、突如爆発的に増殖を始め、肉体を蝕み死に至らしめる……実に素晴らしい子たちさ」

「……貴方、さっきから何を話してるの?」

「私はね、人間が魅せる《生きる希望を得た後、逃れられない死を前にした時の顔》こそがこの世で最高の美だと信じて疑わない。叶うことのない希望に縋る姿……良いものだぞぉ? あれは」

 

 笑っていた。

 

 心の底から楽しんでいるように。

 

「だから私は、患者として訪ねてくる《後がない者達》に一瞬の希望を与えた。後の絶望をより熟成させる、マヤカシの希望をね。あの患者も、実に良い顔をしてくれたよ……嗚呼、今思い出しても美しい」

 

 志遠の背筋に、冷たいものが走る。理解してしまったからだ。

 

 これが――トルドボーグ。

 

 人の形をした、人で無し。

 

「ふざけないで」

 

 静かな怒声が、狂った空気を裂いた。真由が拳を握りしめ、まっすぐに医者を見据える。

 

「……その身勝手な娯楽のせいで、大切な人を奪われた者の悲しみを考えた事ある? 生きる尊厳を奪われた者の苦しみを考えた事ある!?」

 

 その声には、はっきりとした怒りが宿っていた。

 

「姫山さん……」

 

 

 

 

 真由はポケットから輝石を取り出し、腹部に出現したベルトへと翳すと、光が灯る。

 

『SilkMoth Ghost』

 

「──貴方だけは、絶対に許さない」

 

 その言葉と共に、彼女の姿が変わる。蚕の異形へと変貌し、さらに人魂のような鎧を纏う。瞳には青白い光。

 

 それを見た医者は、興味深そうに息を漏らす。

 

「成る程、随分と大胆な事をするお嬢さんだと思ったが、同族(・・)だったか。私の正体を知った以上生かして帰すつもりは無かったが……これは楽しめそうだ」

 

 その身体もまた、変異する。布に覆われた身体。唾の広い帽子。鳥のような仮面。その下に見える複眼と細長い管。羽音を立てる薄い翅。

 

 ――ペスト医師の服を着た蚊の怪人。そう形容すべき異形が姿を現した。

 

藪蚊型トルドボーグ モスキートルド

 

「君には特別に、即効性のあるウイルスを与えよう。是非とも美しい姿を見せてくれ」

 

 空へと浮かび上がり、針を撃ち出す。真由はそれを躱すが、動きは不規則で捉えられない。

 やがて一瞬の隙。真由は急降下で迫る突進を受け、壁へと叩きつけられた。

 

「羽虫のトルドボーグにも関わらず飛ぶ術を持たぬとは、哀れな」

 

 再び放たれる針──だがその瞬間、真由の姿が消えた。

 

「む?」

 

 獲物を見失ったモスキートルドの背後に現れ、真由が念力の糸で敵を拘束する。

 

「はぁっ!」

「がっ……!」

 

 白い拳が叩き込まれる。さらに追撃。連続する打撃。

 モスキートルドにも流石に焦りが見え始めた。

 

「こしゃくな!」

 

 羽ばたき、拘束を振りほどく。今度は逆に、モスキートルドが真由を掴んで空へと上昇。壁、電柱、地面と、次々と彼女を叩きつけた。

 

「ぎゃっ!」

 

 衝撃が積み重なる。やがて抵抗が弱まったところで、真由は放り捨てられた。

 地面に倒れ伏す真由。モスキートルドはそんな彼女に、ゆっくりと歩み寄った。

 

「お嬢さんの身ながら少しはやる様だが、私の飛行能力には及ばなかった様だ」

 

 闇の中で、その影が大きく伸びる。

 

 

 

 

「あのままじゃ、真由がやられる」

 

 志遠の喉から漏れた言葉は、ほとんど独り言に近かった。

 目の前で繰り広げられている戦いは、もはや自分の手の届く領域にはない。助けに飛び出したところで、何が出来るわけでもない。それは理屈ではなく、本能的に理解していた。

 

 自分は無力だ。ただ見ていることしか出来ない。その事実が、胸の奥を締め付ける。

 

「何か無いのかな。飛ぶことが出来なくても、せめてアイツのスピードに追い付ける方法とか……!」

 

 思考だけが空回りする。焦りが募るほど、何も浮かばない。

 

 

 

 

「それにしても、勝ち目も無い割に思い切った事をしたものだ。君は弱者に味方する英雄にでもなったつもりかな? 私と大差ない、化け物(・・・)のくせに」

 

 嘲るような声音が、夜気に響く。

 

 地に伏した真由の身体が、一瞬だけ強張る。何かを噛みしめる様に顔を下げる真由。だが彼女はすぐに息を吐き、ゆっくりと立ち上がった。

 

「……分かってるよ、自分が化け物だって事くらい。それと、貴方は勘違いしてる。勝ち目なら、あるよ」

「なに?」

 

 その言葉と同時に、真由はベルトの側面から新たな輝石を取り出した。

 

 これまで使っていた青白いものとは違う。薄紅色に揺らめく、どこか妖しさを帯びた石。それをベルトへと翳す。

 吸い込まれるように装填された瞬間、ベルトの光が変わる。オレンジの人魂の鎧が霧散し、代わりに――血を思わせる薄紅と、金の輝きが絡み合うように新たな装甲が形成されていく。

 

『SilkMoth Lord』

 

 コウモリ翼の様な意匠。だがそれは妖しさだけではなく、どこか気品を纏っていた。

 両手には双剣が現れる。その佇まいは、まるで夜を統べる騎士。

 

「何をするかと思えば、姿が少し変わっただけか。それで勝ったつもりなのは……舐め過ぎじゃないかな!!」

 

 モスキートルドが羽音を響かせ、一直線に迫る。再び掴み上げようと伸ばされた腕。

 

 ――しかし。

 

 その手は空を切った。

 

「何!?」

 

 そこには、もう誰もいない。次の瞬間、視界の外から斬撃が走る。すれ違いざまに、双剣がその身体を切り裂いた。

 

 風を裂くような速度。いや、それはもはや風そのものだった。

 

 さらに。何度も、何度も。残像すら追いつかない速度で、連続する斬撃が叩き込まれる。

 

「ぐわっ!」

 

 モスキートルドが態勢を崩しながらも反撃に出る。口から放たれるウイルスの針。

 だが真由は避けない。剣で叩き落とす。最小限の動きで正確に、迷いなく。攻防の主導権は、完全に逆転していた。

 

 焦りを滲ませ、モスキートルドは上空へと逃げる。だが──。

 

「ハッ!!」

 

 真由は地上に留まらない。積み上げられたガラクタを蹴り、さらに屋根へ。そこからもう一度踏み込み、夜空へと跳び上がる。

 

 月明かりに照らされ、その姿が宙に浮かぶ。

 

 狙いは――羽根。

 

「ハァッ!!」

 

 交錯の一瞬。双剣が背を裂き、羽根を断つ。

 飛行能力を失ったモスキートルドが、叫びながら地へと落ちていく。

 

 衝突音。土煙。

 そして、立ち上がる影。真由は静かに構え直す。

 

『LastAttack BloodyWaltz』

 

「──貴方を倒す前に一つだけ聴きたいことがある。姫山奈央(ひめやま なお)と言う人を知ってる?」

「ま、待て! 私はまだ、人間が絶望する顔を見続けて──」

「そう……なら、貴方に用はない!」

 

 踏み込み。一閃。そして――連続する斬撃。

 

 舞うような剣閃が、モスキートルドの身体を刻み込み、最後に、大きく斜めに斬り抜ける。

 

 静寂。遅れて――爆発。

 

「ぎゃあああっ!!」

 

 倒れ伏すモスキートルド。だが絶命には至らなかった様だ。焼け残った身体が、地を這う。

 

「い、いやだ……私は、まだ」

 

 その視界に映る、水溜まり。

 そこに映るのは――死にかけの自分の顔だった。

 

 必死に生へ縋る、醜くも滑稽な姿。

 彼が何よりも渇望し、美を感じたもの。

 

「嗚呼、これは……! なんて、美しいんだ。は、ははは…………」

 

 笑いながら。そのままモスキートルドは崩れ落ちた。次の瞬間、完全に爆散する。

 

 真由はその場に立ち尽くし、ただ無機質にその光景を見つめていた。

 

 

 

 

 しばしの静寂の後、志遠はようやく身体を動かした。駆け寄る先に居るのは、まだ異形の姿のままの真由。

 

「姫山さん、お疲れ様──」

「それ以上近付いちゃ駄目だよ」

 

 鋭い制止に志遠の足が止まる。

 その声には、先ほどまでとは違う冷たさがあった。

 

「どうしたんだよ急に。もうトルドボーグも居ないじゃないか」

「居るよ。ここにもう一体」

 

 そう言って、真由は向き直る。血の鎧を消し去り、露わになるのは――人ではない姿・蛾の異形。

 

「アイツの言ってた事、気にしてるの? 姫山さんはアイツらとは違うよ!」

「君、何か勘違いしてない? 気にするも何も、事実なんだよ。言ったでしょ? 私はトルドボーグ、アイツらと同じ化け物」

 

 真由がそう言った次の瞬間、その姿が陽炎の様に消える。

 直後に背後から、冷たい手が首筋に触れる感触。

 

「日常に潜み、自分の目的のために動き、命を奪う。私とアイツらと、何が違うのかな」

 

 囁きが、志遠の耳元で落ちる。わずかに力を込められれば、それで終わる距離。確かな死の気配。

 

 だが――

 

「……ふざけるな!」

 

 志遠はその手を振り払った。振り向き、異形のままの真由と真正面から対峙する。

 

「姫山さんとアイツらが同じだって!? この間の蜘蛛怪人も、さっきの奴も、何の罪も無い人や幸せな人の命を奪っていったじゃないか。姫山さんがそれと同じだっていうの? 違うだろ! 姫山さんはそんな奴等が許せないから、戦ってるんじゃないのかよ!!」

「……それ、は」

「俺は、そんな奴等に恐れず向かっていく姫山さんが眩しいって思った。だからそんな自分を否定するって言うなら……俺が許さない」

 

 言い切る、迷いなく。

 志遠のその言葉に、真由の心が揺れる。否定されるはずだった。拒絶されるはずだった。それなのに。

 

 肯定された。

 

 人として。

 

「……じゃあさ、化け物じゃないのなら、私は何なの(・・・)? 答えてよ」

 

 問いは、弱さを帯びていた。だがそれは、志遠も同じだった。真由を肯定したいがあまり、《その後》を考えていなかったのだ。

 

 志遠は言葉に詰まる。

 

「それは……」

 

 考える。必死に。ここで答えを示さないと、ここまでの意思が無駄になる。

 

「……!!」

 

 その時、救いの光が如く志遠の脳裏にある単語が浮かび上がる。それは、世界に伝わる、英雄の名前。

 

「……仮面ライダーだ」

「え?」

「仮面ライダーだよ!!」

 

 

 

 空気が止まった。緊張とは違う、別の意味で。

 

 

 

「カメン……何?」

 

 毒気を抜かれた真由は、思わず人の姿に戻る。純粋な疑問が、そのまま顔に出ていた。

 

「ネット上で噂になってるヒーローの名前だよ! 文化・国家・人種問わず世界中で噂されている、人を襲う怪物達から人間の自由と平和を守るヒーロー。マスクドライダーさ」

「う、うん」

 

 謎の熱量に、真由は押されるしかない。

 

「姫山さん、あの変身した姿の名前、何ていうの?」

「え? うん……《シルクモストルド》だけど」

「シルクモス……シルク……よし、じゃあシルク! 姫山さんは、仮面ライダーシルクだ!」

 

 滑稽な勢い任せ。だが、その奥にある想いは本物だった。

 

 ――君は化け物じゃない。その証明。

 

 真由は一瞬だけ驚き、やがて小さく息を吐いた。

 

「……変わってるね、君」

 

 呆れるような声。たがその声には、もう異形の影は消え棘はなかった。

 

「さっきの差し入れ、やっぱり全部くれる? お腹空いちゃった」

「え? うん。元々渡すつもりだったから……はい」

「ありがとう……じゃあ、私帰るから。夜道に気をつけてね」

 

 そう言って真由は振り返り、夜の闇へと歩いて行く。志遠とは異なる道。これ以降、もう交わる事が無いであろう道。

 

「……あのさ! 俺、阿武川志遠って言うんだ! また、屋上行って良いかな!!」

 

 志遠は腹の底から叫ぶ。二人の道が遠ざかって行く事を拒むかの様に。

 

 真由からは返事はなく、振り向くこともない。

 

 ただ、ほんの少しだけ。

 

 志遠に見えない様に、真由は苦笑した。

 

 

 

「彼女のひみつ」了

 

 

 

 

《次回、仮面ライダーシルク》

 

 

「君の事、まだ信用した訳じゃないから」

 

「俺はただ、姫山さんは化け物じゃないって思って欲しくて……」

 

「私の邪魔をするなら、次こそ殺す」

 

「トルドボーグは皆、同情の余地もない悪人だと思ってた」

 

「私、間違ってるのかな……?」

 

 

 

 

「変身!」

*1
ラ↑ド↓シ↑ラ↓

ソ↓ラ↑ド↓♪




君にも出来るトルドボーグデザイン講座☆

・まずボディスーツを素体にします
・その上に職業・衣服をイメージしたパーツAを付けます
・その次にベースとなる生物を模したパーツBを付けます
・首、二の腕、腹、太腿はスーツ部分が剥き出しです
・全体的にスマートで寒色の1〜2色で構成します
・全体的な質感は機械的でサイボーグ感が強いです
・骨格・姿勢は人間的で、異形感・獣っぽさは少なめです
・頭部はモチーフの生物を模した仮面の様になっています。

・命名法則は「生物の英語名+トルド」です
・生物の英名の語尾がトで終わる場合は+ルドとなります
(例:モスキートトルド✕、モスキートルド◯)
・基本的に固有名ではなく種族単位で命名します
(例:スパイダートルドのモチーフはオニグモ)
・シルクモストルドの様な一部例外もいます。

これで君も、秘密結社メメントルドのスカウトマンだ!
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