「ねぇねぇ、また出たんだって。殺人鬼」
「マジ? 毎日出るもんなの?」
昨日と同じような会話。同じ場所、同じ時間、同じような放課後の光景。だが──志遠だけは違っていた。
昨日まで他人事だった“殺人鬼”という存在が、今や現実として彼の中に根付いている。あれは噂ではない。確かに存在する“何か”だ。
志遠の首筋を冷たい汗が伝う。気付けば彼の足はわずかに震えていた。
「いよぅ阿武川!」
「うわあっ!!」
「どわあ!?」
突然肩を叩かれ、志遠は思わず大きく仰け反る。心臓が跳ね上がるかの様な錯覚を彼は覚えた。
「って、何だ斑目か。脅かすなよ」
「えぇ、今脅かす要素あったか?」
「……無いな。悪い、考え事してた」
息を整えながら答える。目の前にいるのは、彼にとって見慣れた顔──
「阿武川が考え事とか珍しいな。明日は槍でも降るか?」
「どう言う意味だよ」
「悪い悪い。んで、何悩んでたん? 相談くらいなら乗るぜ」
軽口を叩きながらも、修の表情は気遣いに満ちている。だが……。
(……言えるわけないよな)
志遠は考えた。あの出来事を、そのまま話せばどうなるか。
信じてもらえるはずがないし、何より自分自身がまだ受け入れきれていない。それでも──。
(このままだと、気が変になりそうだ)
胸の奥に溜まった不安が、言葉を押し出した。
「その、さ。最近嫌な噂あるじゃん」
「あー……町に現れる殺人鬼だろ? 物騒だよな。」
修はすぐに話に乗ってきた。むしろ待ってましたと言わんばかりに、情報を並べていく。
夜道を歩く人間を狙った連続殺人。
被害者に共通点は無く、完全な無差別。
そして、財布だけが抜き取られている。
そのどれもが、志遠が昨日見た光景と一致していた。
だが──。
「妙なのは犠牲者の状態。みんな首を絞められて殺されてるらしいけど──その絞まり方が異常らしい。まるで機械で引っ張ったみたいに締め上げられていて、人間業とは思えないらしいぜ」
その一言で、志遠の背筋が凍る。それはまさに、彼が体験したもの。あの糸の圧迫感。呼吸を奪われる恐怖……思い出しただけで喉が締め付けられるようだった。志遠の顔から血の気が引いていく。
「にしても、最近こう言うの多いよな。春頃にも猟奇事件あったし。まああれは野犬に襲われたんだろうって結論づけられてたけど……おい阿武川、大丈夫か?」
「……え!? あ、あぁ。大丈夫」
「? まぁ、ちとオカルトめいた事言ったけど、物騒なことには変わらないからな。お互い早く帰ろうぜ」
「うん、そうだな」
それ以上は会話が続かなかった。互いに別れ、志遠は一人で歩き出す。周囲の喧騒が、どこか遠くに感じられた。
「人間業とは思えない、か」
志遠はそうぽつりと呟く。蜘蛛の怪物と蚕の怪物。どちらも人間ではない。
だが、確かに“存在している”。
(あれが……《怪人》ってやつなのか?)
どこかで聞いた都市伝説が彼の脳裏をよぎるが、それを現実として受け入れるにはあまりにも飛躍していた。
日常が壊れる音がする。志遠がそんな感覚を振り払うように顔を上げた時──。
「うん?」
人混みの中に、志遠は見覚えのある姿を見つけた。茶色のカントリーツインテール。控えめな佇まいの女子生徒。
昨日、志遠が助けた少女だ。
(……あの子)
志遠はなぜか、その姿から目が離せなかった。脳裏に、二つの声が重なる。
『巻き込んでしまってごめんなさい。それから……ありがとう』
『逃げて!!』
志遠の頭の中で違和感が、はっきりとした輪郭を持ちそして──繋がった。
「昨日のあの白い奴……!」
あの声だ。
間違いない。
蚕の怪物の中から聞こえた声は、紛れもなく彼女のものだった。
(まさか……)
志遠の中で、疑念が確信へと変わっていく。
「…………」
危険だ。関わるべきではない。頭では理解している。だが──志遠の足は、止まらなかった。無意識のうちに、彼女の後を追っている。
(もし本当に、あの怪物が……)
知らない誰かなら、目を逸らせた。だが、正体を知ってしまったかもしれない以上、見過ごすことができない。
確かめなければならない。そんな衝動が、志遠を突き動かしていた。それに──。
(あいつ……悪い奴には見えなかった)
命を救われた事実が、判断を鈍らせているのかもしれない。それでも、あの必死な声だけは嘘には思えなかった。
志遠は人混みの中、静かに彼女の背中を追い続けた。