仮面ライダーシルク   作:霜降朽葉

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第二話「君は、化け物なんかじゃない」
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「先生、この度は本当にありがとうございました」

 

 夜も更けた診察室に、静かな声が落ちた。窓の外はすでに人影もなく、街灯の白い光だけが無機質に地面を照らしている。室内に残るのは、わずかな消毒液の匂いと、蛍光灯の淡い明かりだけだった。

 

 診察室には二人の男が向かい合っていた。一人は四十代ほどの、どこか人の良さそうな男。患者であることは、その柔らかな物腰と深々と頭を下げる仕草からも明らかだった。もう一人は白衣を纏い、髪を整然と後ろへ撫でつけた医者。眼鏡の奥には、整った理知的な瞳が静かに光っている。

 

 医者はゆっくりと男に向き直る。この夜更けにわざわざ呼び出した理由を思えば、形式的な挨拶で終わるような用件ではないことは明らかだった。

 

「こんな夜分遅くに申し訳ありません。多忙ゆえ、中々手を止められる時間が無くて」

「いえいえ! お気になさらず。先生が居なければ、私はこれからの人生を家族と過ごす事が出来ませんでした。このくらい当然です」

 

 男は再び頭を下げた。感謝は言葉以上に、身体の動きに滲み出ている。彼にとって目の前の医者は、紛れもなく命の恩人だった。

 

 つい一週間前まで、彼は治療不可能と宣告された病に苦しんでいた。終わりを待つだけの時間。だが、その運命は医者の手術によって覆された。未来が再び手の届く場所に戻ってきたのだ。

 

「その後、具合の方はいかがですか」

「はい、あれだけ苦しかった痛みが嘘のようになくなって!」

「そうですか。それは良かった」

「もう直、息子の誕生日なんです。来月には妻との結婚記念日も控えていて……もう祝ってやれないと思っていました。本当に、本当にありがとうございました先生!」

 

 言葉を重ねるたびに、男の声には熱がこもっていく。そこには確かな実感があった。死の淵から引き戻されたという、現実味のある幸福が。

 

 医者は静かにそれを受け止めていた。相槌も、微笑みも、すべてが整いすぎているほどに整っている。

 

「ところで、今日はどういった話でしょうか」

「いえ、そろそろ効き目(・・・)が表れる頃かと思いまして」

「はい? それはどういう──うっ!?」

 

 次の瞬間だった。

 

 男の身体がびくりと震え、そのまま椅子から崩れ落ちた。喉を押さえ、必死に空気を掻き集めるように呼吸しようとするが、うまくいかない。肺が拒絶しているかのように、息が入らない。

 

 何が起きたのか理解できないまま、ただ苦しみだけが男の全身を支配していく。

 

 医者はそんな男を見下ろし、ゆっくりと歩み寄った。床に伏した男と視線を合わせるように膝を折り、その顔を覗き込む。

 

 そして――穏やかに、微笑んだ。

 

「どんな気分ですか? 生を得たと思った瞬間に死が迫るのは」

「が……あ……! せんせい……なにを……?」

 

 男の視界は歪み始めていた。目の前の人物が、本当に自分を救った医者なのかすら、判別がつかなくなる。

 

 救いと絶望が、同じ顔をしている。

 

「私は待ち侘びましたよ。一週間、この瞬間が訪れる事を」

「どうして……い、やだ……しにたく、な……い」

 

 男の震える手が、医者へと伸びる。助けを求める、本能的な動きだった。

 

 その手を、医者は優しく包み込んだ。

 まるで慈しむかのように、けれどその瞳の奥に宿るのは――歪んだ歓喜。

 

「──嗚呼、その希望にしがみつく顔。何と美しい……!」

 

 男の視界が暗転する。力を失った手が、音もなく床へと落ちた。

 

 それが最後だった。

 

 医者はゆっくりと立ち上がる。両腕を広げ、天井を仰ぐその姿は、まるで舞台の上の役者のようだった。恍惚に満ちた表情が、静まり返った診察室に浮かび上がる。

 

 

仮面ライダーシルク

 

 

 

 

 昼下がりの教室。

 

 窓から差し込む柔らかな光の中で、志遠は弁当の蓋を開けることもなく、ぼんやりと机に視線を落としていた。

 原因ははっきりしている。昨日の出来事だ。脳裏に焼き付いて離れないのは、二体の異形が互いを殺そうとする光景。現実とは思えない、しかし確かにこの目で見た光景。

 

「おーい、阿武川。どったの? ボーッとしちゃってさ」

「……え? あ、あぁ悪い」

「昨日から様子が変だぞ? 何かあったのか」

 

 声をかけてきた修の顔は、純粋な心配に満ちていた。

 

 志遠は一瞬、言葉に詰まる。あの出来事をそのまま話すことは出来ない。信じてもらえるはずがないし、何より自分でも整理がついていない。

 

 だが、黙っているのも違う気がした。

 短く息を吸い、現実的な部分だけを選び取る。

 

「ちょっと気になる女の子がいてさ」

 

 次の瞬間、修は飲んでいたパック牛乳を盛大に噴き出した。

 

「だ、大丈夫か!?」

「けほっ、けほっ……すまん、阿武川。聴き間違いかもしれんから、もう一回言ってくれ」

「え? あぁ。だから気になる女の子がいて」

 

 確認を終えた修は、志遠の肩に手を置いた。その表情は、どこか感慨深い。

 

「阿武川……ついにお前にも春が来たんだな」

「……は?」

 

 一瞬、意味が理解できない。だがすぐに、志遠は修の盛大な勘違いに気付いた。

 

「いやあの、斑目が思ってる様な事じゃ無いからな?」

「皆まで言うな友よ。ミヤ校の女子の事なら俺に任せろ……それで、どの子が気になるんだ?」

 

 妙に乗り気な様子に、志遠は弁明を諦める。

 

「ええっと、俺もよく知らないんだけど……ヒメヤマさん? って名前で、眼鏡かけててお下げみたいなツインテールの子」

 

 修は少し考え、すぐに手を打った。

 

「多分その子は、姫山真由(ひめやま まゆ)だな。今年の春から隣の教室に来た、転校生だ」

 

 相変わらずの情報網に、志遠は内心で感心した。絶賛彼女募集中のこの友人は、宮間高校に在籍する女子生徒について顔と名前レベルで記憶している。こう言う事には頼りになると思った志遠の考えは正しかった様だ。因みに、そんな友人には未だ彼女がいない。

 

「姫山さん……」

「転校生と言う事で初日は黄色い歓声があがったが、当人は周りと馴れ合わない感じだったらしくてな。すぐに存在を忘れられていった子だ。現在はそんな子居たね程度の知名度で収まっている地味……失礼、素朴な生徒さ」

 

 説明を聞きながら、志遠は昨日の彼女を思い出す。

 あの戦いの中で見た姿。人外の力を振るい、異形と渡り合っていた少女。今語られている人物像との落差が、どうしても噛み合わない。

 

「それにしても、ついに阿武川も、女子に興味を持つようになったか。お父さんは嬉しいぞ……!」

「そんなんじゃ無いって……それでその、姫山さんに会うにはどこに行けばいい?」

「昼休み中に彼女の姿を見た生徒は居ないらしい。当然、校門は目立つから外にも行っていない。だとすれば残された可能性は──屋上だな」

 

 修が上を指差す。妙に様になっている仕草だった。

 

「屋上か、行ってみるよ。ありがとうな、斑目」

「良いってことよ」

 

 志遠は席を立つ。

 

「阿武川」

「うん?」

「──グッド・ラック!」

「だから違うって」

 

 軽口を背に受けながら、志遠は教室を後にした。

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