夜はすぐに訪れた。街灯の光だけが道を照らし、周囲は深い闇に沈んでいる。コンビニの袋を手に、志遠は再びあの場所へ戻ってきた。
真由は、まだそこにいた。夕方から一歩も動かず、ただ病院を見張り続けている。
「姫山さん、ご飯買ってきたよ」
「……何しに来たの? 家の人、心配するんじゃないの」
「明音さん──叔母さんにはちゃんと出かけるって言って来たから大丈夫だよ。姫山さん、夕方から何も食べてないでしょ? それに、昼間のお詫びもあるし」
「要らない。別に私、お腹減ってなんか──」
言葉の途中で、彼女の腹が小さく鳴った。
静かな夜に、妙に響く。
真由は顔を赤らめながらゆっくりと顔を向け、涙目で志遠を睨みつけた。
その視線に押されるように、志遠は袋を差し出す。
「えーっと……はい」
真由は無言でそれを奪い取り、卵サンドにかぶりつく。続けてお茶を流し込み、ようやく一息ついた。
少しだけ、空気が緩む。
「それで、何しようとしてるの?」
「……言わなくても、君には分かってるんでしょ?」
低い声だった。
志遠は頷くことが出来なかった。
分かっている。だが、認めたくはない。
「だってさ、怖くないの? 姫山さんは戦う術があるとは言え、下手をすれば殺されるんだよ? 何でそこまでして」
「君はさ、自分が助ける術があるのに動かなくて、その結果誰かが死んだって構わないって思う?」
「──え?」
言葉が、胸の奥に突き刺さる。
過去の記憶が蘇る。見ているだけだった自分。動かなかった自分。後悔だけが、残ったあの時。
「初めてトルドボーグと戦った時、私は戦いが怖くて逃げようとしたの。その結果……偶然近くを通りかかった名前も知らない人が、犠牲になった」
「…………」
「あんな後悔、二度としたくない。だから私は、トルドボーグに傷付けられる人がいて、自分が何とか出来そうなら……勇気を出したいの」
その言葉は、決意だった。強がりではない。本物の後悔から生まれた、揺るがない意志。
「姫山さん……君は」
「それに、私にはどうしても会いたい人が──」
言いかけて、真由は顔を上げた。病院の灯りが、一つを残して消えていく。
その瞬間、彼女の目が変わった。獲物を捉えた狩人のように。
「差し入れありがとう、残り食べてくれて良いから!」
袋を押し付けるように渡し、真由は駆け出した。
「え? ちょっと姫山さん!」
*
裏口のインターホンが鳴り響く。
やがて足音が近づき、扉が開く。
「誰だい? 診療時間はもう終わって──」
言葉が終わるのを待たず医者の腕が掴まれ、そのまま外へと引き摺り出された。
「乱暴なお嬢さんだ。私に何か用かな……!」
「何で、あの子の父親を殺したの?」
「父親……? ああ、あの患者の事か。彼の知り合いかい?」
「答えて」
「……ふむ、どこから話すべきか。よし、まずは私の事でも語らせてもらうか」
整えられた姿勢。まるで舞台の上で語る役者のようだった。
「私の精製するウイルスは特別でね。宿主の体内に侵入した後、痛覚神経を麻痺させながら肉体を破壊せず、宿主を生かしながら密かに増殖していくんだ。まるで、病が完治したと錯覚させる程にね」
*
志遠は物陰に身を潜め、その様子を見ていた。
「何だよアイツ……いきなり何を言ってるんだ?」
医者の言っている事はあまりに場違いで、意味が分からない。だが次第に、その言葉の意味が分かり始める。
「そうして一週間後、突如爆発的に増殖を始め、肉体を蝕み死に至らしめる……実に素晴らしい子たちさ」
「……貴方、さっきから何を話してるの?」
「私はね、人間が魅せる《生きる希望を得た後、逃れられない死を前にした時の顔》こそがこの世で最高の美だと信じて疑わない。叶うことのない希望に縋る姿……良いものだぞぉ? あれは」
笑っていた。
心の底から楽しんでいるように。
「だから私は、患者として訪ねてくる《後がない者達》に一瞬の希望を与えた。後の絶望をより熟成させる、マヤカシの希望をね。あの患者も、実に良い顔をしてくれたよ……嗚呼、今思い出しても美しい」
志遠の背筋に、冷たいものが走る。理解してしまったからだ。
これが――トルドボーグ。
人の形をした、人で無し。
「ふざけないで」
静かな怒声が、狂った空気を裂いた。真由が拳を握りしめ、まっすぐに医者を見据える。
「……その身勝手な娯楽のせいで、大切な人を奪われた者の悲しみを考えた事ある? 生きる尊厳を奪われた者の苦しみを考えた事ある!?」
その声には、はっきりとした怒りが宿っていた。
「姫山さん……」
*
真由はポケットから輝石を取り出し、腹部に出現したベルトへと翳すと、光が灯る。
『SilkMoth Ghost』
「──貴方だけは、絶対に許さない」
その言葉と共に、彼女の姿が変わる。蚕の異形へと変貌し、さらに白い鎧を纏う。瞳には青白い光。
それを見た医者は、興味深そうに息を漏らす。
「成る程、随分と大胆な事をするお嬢さんだと思ったが、
その身体もまた、変異する。布に覆われた身体。唾の広い帽子。鳥のような仮面。その下に見える複眼と細長い管。羽音を立てる薄い翅。
――ペスト医師の服を着た蚊の怪人。そう形容すべき異形が姿を現した。
藪蚊型トルドボーグ モスキートルド
「君には特別に、即効性のあるウイルスを与えよう。是非とも美しい姿を見せてくれ」
言い終えたモスキートルドが空へと浮かび上がり、吹き矢の様に針を撃ち出す。真由はそれを躱しながら反撃を試みるが、動きは不規則で捉えられない。
やがて一瞬の隙。真由は急降下で迫る突進を受け、壁へと叩きつけられた。
「羽虫のトルドボーグにも関わらず飛ぶ術を持たぬとは、哀れな」
再び放たれる針──だがその瞬間、真由の姿が消えた。
「む?」
獲物を見失ったモスキートルドの背後に現れ、真由が念力の糸で敵を拘束する。
「はぁっ!」
「がっ……!」
白い拳が叩き込まれる。さらに追撃。連続する打撃。
モスキートルドにも流石に焦りが見え始めた。
「こしゃくな!」
羽ばたき、拘束を振りほどく。今度は逆に、モスキートルドが真由を掴んで空へと上昇。壁、電柱、地面と、次々と彼女を叩きつけた。
「ぎゃっ!」
衝撃が積み重なる。やがて抵抗が弱まったところで、真由は放り捨てられた。
地面に倒れ伏す真由。モスキートルドはそんな彼女に、ゆっくりと歩み寄った。
「お嬢さんの身ながら少しはやる様だが、私の飛行能力には及ばなかった様だ」
闇の中で、その影が大きく伸びる。
*
「あのままじゃ、真由がやられる」
志遠の喉から漏れた言葉は、ほとんど独り言に近かった。
目の前で繰り広げられている戦いは、もはや自分の手の届く領域にはない。助けに飛び出したところで、何が出来るわけでもない。それは理屈ではなく、本能的に理解していた。
自分は無力だ。ただ見ていることしか出来ない。その事実が、彼の胸の奥を締め付けた。
「何か無いのかな。飛ぶことが出来なくても、せめてアイツのスピードに追い付ける方法とか……!」
志遠の思考だけが空回りする。焦りが募るほど、何も浮かばなかった。もはや万事休すなのか……?
*
「それにしても、勝ち目も無い割に思い切った事をしたものだ。君は弱者に味方する英雄にでもなったつもりかな? 私と大差ない、
モスキートルドの嘲るような声音が、夜気に響く。
地に伏した真由の身体が、一瞬だけ強張る。何かを噛みしめる様に顔を下げる真由。だが彼女はすぐに息を吐き、ゆっくりと立ち上がった。
「……分かってるよ、自分が化け物だって事くらい。それと、貴方は勘違いしてる。勝ち目なら、
「なに?」
その言葉と同時に、真由はベルトの側面から新たな輝石を取り出した。
これまで使っていた青白いものとは違う。薄紅色に揺らめく、どこか妖しさを帯びた石。それをベルトへと翳す。
吸い込まれるように装填された瞬間、ベルトの光が変わる。白の鎧が霧散し、代わりに――血を思わせる薄紅と、金の輝きが絡み合うように新たな装甲が形成されていく。
『SilkMoth Lord』
血の鎧の様な意匠。だがそれは妖しさだけではなく、どこか気品を纏っていた。
両手には双剣が現れる。その佇まいは、まるで夜を統べる貴族。
「何をするかと思えば、姿が少し変わっただけか。それで勝ったつもりなのは……舐め過ぎじゃないかな!!」
モスキートルドが羽音を響かせ、一直線に迫る。再び掴み上げようと伸ばされた腕。
――しかし。
その手は空を切った。
「何!?」
そこには、もう誰もいない。次の瞬間、視界の外から斬撃が走る。すれ違いざまに、双剣がその身体を切り裂いた。
風を裂くような速度。いや、それはもはや風そのものだった。
さらに。何度も、何度も。残像すら追いつかない速度で、連続する斬撃が叩き込まれる。
「ぐわっ!」
モスキートルドが態勢を崩しながらも反撃に出る。口から放たれるウイルスの針。
だが真由は避けない。剣で叩き落とす。最小限の動きで正確に、迷いなく。攻防の主導権は、完全に逆転していた。
焦りを滲ませ、モスキートルドは上空へと逃げる。だが──。
「ハッ!!」
真由は地上に留まらない。積み上げられたガラクタを蹴り、さらに屋根へ。そこからもう一度踏み込み、夜空へと跳び上がる。
月明かりに照らされ、その姿が宙に浮かぶ。
狙いは――羽根。
「ハァッ!!」
交錯の一瞬。双剣が背を裂き、羽根を断つ。
飛行能力を失ったモスキートルドが、叫びながら地へと落ちていく。
衝突音。土煙。
そして、立ち上がる影。真由は静かに構え直す。
『LastAttack BloodyWaltz』
「──貴方を倒す前に一つだけ聴きたいことがある。
「ま、待て! 私はまだ、人間が絶望する顔を見続けて──」
「そう……なら、貴方に用はない!」
踏み込み。一閃。そして――連続する斬撃。
舞うような剣閃が、モスキートルドの身体を刻み込み、最後に、大きく斜めに斬り抜ける。
静寂。遅れて――爆発。
「ぎゃあああっ!!」
倒れ伏すモスキートルド。だが絶命には至らなかった様だ。焼け残った身体が、地を這う。
「い、いやだ……私は、まだ」
その視界に映る、水溜まり。
そこに映るのは――死にかけの自分の顔だった。
必死に生へ縋る、醜くも滑稽な姿。
彼が何よりも渇望し、美を感じたもの。
「嗚呼、これは……! なんて、美しいんだ。は、ははは…………」
笑いながら。そのままモスキートルドは崩れ落ちた。次の瞬間、完全に爆散する。
真由はその場に立ち尽くし、ただ無機質にその光景を見つめていた。
*
しばしの静寂の後、志遠はようやく身体を動かした。駆け寄る先に居るのは、まだ異形の姿のままの真由。
「姫山さん、お疲れ様──」
「それ以上近付いちゃ駄目だよ」
鋭い制止に志遠の足が止まる。
その声には、先ほどまでとは違う冷たさがあった。
「どうしたんだよ急に。もうトルドボーグも居ないじゃないか」
「居るよ。ここにもう一体」
そう言って、真由は向き直る。血の鎧を消し去り、露わになるのは――人ではない姿・蛾の異形。
「アイツの言ってた事、気にしてるの? 姫山さんはアイツらとは違うよ!」
「君、何か勘違いしてない? 気にするも何も、事実なんだよ。言ったでしょ? 私はトルドボーグ、アイツらと同じ化け物」
真由がそう言った次の瞬間、その姿が陽炎の様に消える。
直後に背後から、冷たい手が首筋に触れる感触。
「日常に潜み、自分の目的のために動き、命を奪う。私とアイツらと、何が違うのかな」
囁きが、志遠の耳元で落ちる。わずかに力を込められれば、それで終わる距離。確かな死の気配。
だが――
「……ふざけるな!」
志遠はその手を振り払った。振り向き、異形のままの真由と真正面から対峙する。
「姫山さんとアイツらが同じだって!? この間の蜘蛛怪人も、さっきの奴も、何の罪も無い人や幸せな人の命を奪っていったじゃないか。姫山さんがそれと同じだっていうの? 違うだろ! 姫山さんはそんな奴等が許せないから、戦ってるんじゃないのかよ!!」
「……それ、は」
「俺は、そんな奴等に恐れず向かっていく姫山さんが眩しいって思った。だからそんな自分を否定するって言うなら……俺が許さない」
言い切る、迷いなく。
志遠のその言葉に、真由の心が揺れる。否定されるはずだった。拒絶されるはずだった。それなのに。
肯定された。
人として。
「……じゃあさ、化け物じゃないのなら、私は
問いは、弱さを帯びていた。だがそれは、志遠も同じだった。真由を肯定したいがあまり、《その後》を考えていなかったのだ。
志遠は言葉に詰まる。
「それは……」
考える。必死に。ここで答えを示さないと、ここまでの意思が無駄になる。
「……!!」
その時、救いの光が如く志遠の脳裏にある単語が浮かび上がる。それは、世界に伝わる、英雄の名前。
「……仮面ライダーだ」
「え?」
「仮面ライダーだよ!!」
空気が止まった。緊張とは違う、別の意味で。
「カメン……何?」
毒気を抜かれた真由は、思わず人の姿に戻る。純粋な疑問が、そのまま顔に出ていた。
「ネット上で噂になってるヒーローの名前だよ! 文化・国家・人種問わず世界中で噂されている、人を襲う怪物達から人間の自由と平和を守るヒーロー。マスクドライダーさ」
「う、うん」
もはやその場は完全に志遠のペースだった。謎の熱量に、真由は押されるしかない。
「姫山さん、あの変身した姿の名前、何ていうの?」
「え? うん……《シルクモストルド》だけど」
「シルクモス……シルク……よし、じゃあシルク! 姫山さんは、仮面ライダーシルクだ!」
滑稽な勢い任せ。だが、その奥にある想いは本物だった。
――君は化け物じゃない。その証明。
真由は一瞬だけ驚き、やがて小さく息を吐いた。
「……変わってるね、君」
呆れるような声。たがその声には、もう異形の影は消え棘はなかった。
「さっきの差し入れ、やっぱり全部くれる? お腹空いちゃった」
「え? うん。元々渡すつもりだったから……はい」
「ありがとう……じゃあ、私帰るから。夜道に気をつけてね」
そう言って真由は振り返り、夜の闇へと歩いて行く。志遠とは異なる道。これ以降、もう交わる事が無いであろう道。
「……あのさ! 俺、阿武川志遠って言うんだ! また、屋上行って良いかな!!」
志遠は腹の底から叫ぶ。二人の道が遠ざかって行く事を拒むかの様に。
真由からは返事はなく、振り向くこともない。
ただ、ほんの少しだけ。
志遠に見えない様に、真由は困惑の表情を取った。
《次回、仮面ライダーシルク》
「君の事、まだ信用した訳じゃないから」
「俺はただ、姫山さんは化け物じゃないって思って欲しくて……」
「私の邪魔をするなら、次こそ殺す」
「トルドボーグは皆、同情の余地もない悪人だと思ってた」
「私、間違ってるのかな……?」
「変身!」
君にも出来るトルドボーグデザイン講座☆
・まずボディスーツを素体にします
・その上に職業・衣服をイメージしたパーツAを付けます
・その次にベースとなる生物を模したパーツBを付けます
・首、二の腕、太腿はスーツ部分が剥き出しです
・全体的にスマートで寒色の1〜2色で構成します
・全体的な質感は機械的でサイボーグ感が強いです
・骨格・姿勢は人間的で、異形感・獣っぽさは少なめです
・頭部はモチーフの生物を模した仮面の様になっています。
・命名法則は「生物の英語名+トルド」です
・生物の英名の語尾がトで終わる場合は+ルドとなります
(例:モスキートトルド✕、モスキートルド◯)
・基本的に固有名ではなく種族単位で命名します
(例:スパイダートルドのモチーフはオニグモ)
・シルクモストルドの様な一部例外もいます。
これで君も、秘密結社メメントルドのスカウトマンだ!