仮面ライダーシルク   作:霜降朽葉

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第三話「その痛みを、大事にしてよ」
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 入道雲が地上を見下ろす、海沿いの峠道。一人の女が立っていた。

 

 夏の日差しは容赦なく路面を照らし、照り返されたアスファルトからは陽炎が立ち昇っている。海から吹き上げる風も、生温かい。そんな中で女は手に速度測定機を持ち、ひたすら道路を見つめていた。その視線は、眼前の道路を見ているようでいて、どこか遠い。

 

 女は、在りし日の事を思い出していた。

 

 夜景の美しいレストラン。スタッフの引く夜想曲が静かに店内を彩る中、男と過ごした幸せな時間。向かい合って座る男の表情も、交わした言葉も、その時に感じた幸福さえも、今なお鮮明に蘇ってくる。

 そして男は、箱に収められた指輪を差し出し、想いを告げた。あの時、女は一生分の幸せを得た気分だった。

 

 ――だが。幸せは、長くは続かなかった。

 

 車の衝突音。

 

 峠道に鳴り響くサイレン。

 

 担架で運ばれていく、冷たくなった良く知っている人物。

 

 そして、泣き崩れる女。

 

 あの夜まで確かに存在していた幸せが、まるで最初から夢だったかのように消えていった。

 

 女は、在りし日の事を思い出していた。

 

 もう戻らない幸せを想い、その頬には雫が零れ落ちる。風に吹かれても、その涙だけは拭われることなく、頬を伝って落ちていった。

 女の耳には、未だ夜想曲が鳴り響いていた。

 

 ――と。女の目の前を、1台の車が猛スピードで横切った。速度測定機が音を立てて反応する。

 

 その瞬間、女の目付きが変わった。

 

 先程まで過去を見つめていた瞳から、感情が消える。女は速度測定機を手にしたまま、勢いよく崖から海へと飛び込んだ。

 

 

 

 

 件の車を運転する若者は、大音量でロックを聴きながら危険な速度を出していた。窓を開け放った車内へ、潮風が吹き込む。だが、それすらも若者にとっては心地良い刺激に過ぎない。アクセルを踏み込む足が緩む気配はなかった。

 

 次の瞬間。左手の崖下から、黒い影が飛び出した。

 

「――!」

 

 あまりにも咄嗟の事だった。若者はブレーキを踏むことも、ハンドルを切ることも出来ない。黒い影は一瞬で車へと迫り――車体を真っ二つにした。

 裂けた車は左右それぞれが壁にぶつかり、激しい音を立てて爆発炎上する。炎と黒煙が立ち昇る中、黒い影――水鳥の様な怪人は、狂喜の雄叫びを轟かせた。

 

 

 

 

 

 

 

仮面ライダーシルク

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ……」

 

 朝の教室。

 

 志遠は机に座ったまま、心ここに在らずと言った感じに一息吐いた。窓から差し込む朝の光も、周囲で交わされるクラスメイト達の声も、今の彼にはどこか遠いものに感じられる。

 

 数日前、彼の世界は大きく変わった。

 

 人である事を捨て、自らの情動のままに人を襲う怪人。そして、そんな怪人達と戦う、同じ高校の生徒。どれもがテレビや本の中にしか存在しない様な、現実味の薄い話だ――だが、それらは紛れもなく現実だった。

 

 あの時目にした異形の姿も、怪人同士の戦いも、そしてその裏側に潜んでいた事情も。どれも夢や作り話ではない。世界には、自分がこれまで知らなかったものが確かに存在している。一度それを知ってしまった以上、志遠はもう、何も知らなかった頃と同じ日常を見ることが出来なくなっていた。

 世界の裏側を知ってしまった以上、志遠は元の日常に戻れるのだろうか。そんな疑問が、ここ数日ずっと頭の片隅から離れなかった。

 

 それに、志遠の心を動かしていたのは、それだけではなかった。

 

 ――姫山真由。

 

 異形の姿へと転じ、同族である怪人トルドボーグから人々を守るため、ただ独り、人知れず戦い続ける少女。

 

 一体彼女は、いつまで戦うのだろう。

 

 その戦いに、終わりは来るのだろうか。

 

 真由が戦っている姿を思い出す度、志遠の胸には何とも言えない重さが残った。

 自分には、彼女が何を背負っているのか分からない。ただ、それでも気になって仕方がなかった。答えを知りたかった。

 だが、今の志遠には、再び彼女と対峙すべき理由が無い。彼女の事も、トルドボーグの事も知った今、二人を繋げる接点は無くなってしまった。

 そう考えると、妙に寂しい。自分でも、その感情が何なのかはっきりとは分からなかった。

 

「阿武川が恋煩いに陥ってらっしゃる」

「そんなんじゃ無いよ」

 

 修の言葉を真っ向から否定する。だが、否定したところで志遠自身の心まで誤魔化せるわけではない。やはり心は、ここではない別の場所にあった。

 

 ここ数日に渡る友人の劇的な変化に驚くばかりの修だが、流石に心配になったのか、助け船を出す事にした。

 

「そんなに姫山さんの事が気になるんなら、会いに行けばいいじゃんか」

「そうは言ってもさ、理由も無いのに顔を見に行くのも何か気まずいし……」

 

 志遠としては、本心だった。

 

 会いたい。

 

 話したい。

 

 だが、何を理由に会いに行けばいいのか分からない。

 

 そんな志遠の一言は、常に女子の心を射止める為に己を磨く修にとって、聞き捨てならないものだった。

 

「……阿武川、一つ大事な事を言うぞ」

「な、何だよ改まって」

「いいかよく聴け? 女の子に振り向いて貰いたいなら、待ちの姿勢は捨てろ。理由が無い? 彼女が気になるのなら、それ自体が理由だ」

 

 逃げ腰な友人へ贈る名言――と言いたい所だが、そもそもの事、修は志遠と真由との関係を盛大に誤解している。

 それでも、その言葉は志遠の胸に妙に深く響いた。彼女が気になる、それ自体が理由。そう考えてしまえば、今まで抱えていた迷いが少しだけ馬鹿らしく思えてくる。

 

 何か特別な理由がなければ会いに行ってはいけない。そんな決まりなど、どこにもないのだ。どうやら修の言葉は、志遠の背中を押すには十分な効果を発揮した様だ。

 

「うん……そうだよな、難しく考えすぎてた。ありがとうな、斑目」

「良いって事よ相棒……グッドラック!」

「だからそう言うのじゃ無いんだって」

 

 

 

 

 屋上の扉を志遠は開ける。

 

 扉の向こうから、夏の熱気を含んだ空気が彼の身体を通り過ぎていった。むっとするような暑さ。それでも、今の志遠には不思議と心地良かった。決意を新たに外へと出る。

 

 真由の事が気になる。

 

 放ってはおけない。

 

 だったら、会いに行けばいい。

 

 彼女と再び出会う理由など、そんな簡単な事で良かったのだ。

 

「ラ、ラ、ラ、ラ、ラ、ラ、ラ~。

ラ、ラ、ラ、ラ、ラ、ラ、ラ~♪」

 

 風に乗って聞こえてくる、可憐な旋律。志遠の足が止まりかける――やはり、真由は今日もここに居た。

 少しだけ胸が高鳴るのを感じながら、扉から外に出た志遠は右に回り、彼女の方へと歩みを進めた。

 

「こんにちわ姫山さ──」

 

 そこまで言いかけて、志遠はどうした事か突然真由から慌てて目を逸らした。何を見たのか、自分でも理解するより先に顔を背けていた。

 

 声に気付き顔を上げた真由は、顔を赤らめる志遠の姿から、彼が何を視た(・・・・)のかを瞬時に理解する。そして勢いよくスカートを手で押さえ、隠した。

 

「……スケベ」

「ご、ごめんなさい……」

 

 頬を赤く燃やしながら不機嫌な視線を向ける真由に、志遠は返す言葉も無い。自分から会いに来たというのに、開口一番でこれである。志遠は穴があったら入りたい気分だった。

 

 少女との再会は、何とも絞まらないスタートとなった。

 

「それで? 私に何の用かな。君が知りたい事は全部話したつもりだけど」

「いやその、姫山さんが心配になってさ。戦いの後だし」

「……別に心配される様な事にはなってないよ。君が気にすることじゃない」

 

 案の定な言葉を返され、志遠はたじろいだ。真由の声には、これ以上踏み込ませまいとするような距離があった。このまま会話が途切れれば、彼女は先日の様にこの場から立ち去ろうとするだろう。せっかく会いに来たのに、それでは何の意味もない。何とか彼は場を繋ぎたかった。

 

「えっと、さっきの歌。この間も歌ってたよね。何て名前なの? 聴いたことのない歌だけど……」

 

 苦し紛れに口にした質問だった。

 

 だが、その瞬間。

 

 一瞬、真由の表情が強張るのが見えた。

 

 しまった。もしかして、踏み込んではいけない内容だったのだろうか。志遠の胸に焦りが走る。

 別の話題に変えようか。そう思った時、真由は静かに口を開いた。

 

「名前なんて無い、聴いたことあるわけ無いよ。この歌は、私と《お姉ちゃん》の歌だから」

 

 唐突に彼女の口から語られた、姉の存在。志遠は思わず息を呑んだ。

 だが、その人物には心当たりがあった。

 

「もしかして、姫山奈央って人? トルドボーグと戦ってる時に言ってた……」

「……私の、双子の姉」

 

 そう言って真由は、奈央との在りし日に思いを馳せる。その横顔を見つめながら、志遠は何も言わずに待った。真由が自分から語ろうとしているのなら、それを遮るべきではない。

 

 やがて――。

 

 彼女の記憶は、遠い過去へと遡っていった。

 

 

 

 

 幼きある日。真由と奈央は、何時ものように山間にある廃れた教会跡に居た。

 

 小学生辺りの時代だろうか。現在のカントリーツインテールとは違い、二人してお揃いのセミロングで、同じワンピースを着ている。

 一見すると、どちらがどちらなのか分からない。それでも、二人の雰囲気には僅かな違いがあった。真由よりもどこか落ち着いていて、聡明さを感じさせる少女。それが奈央なのだろう。

 

 この場所は、仕事で中々父が帰ってこない退屈を紛らわす為に、奈央が見つけた二人だけの秘密基地だった。大人の目が届かない場所。二人だけでいられる場所。幼い二人にとって、そこは小さな世界そのものだった。

 

『学校で喧嘩したの?」

『だって! あいつら私の事《親無し》だってイジメるし、お姉ちゃんの事まで馬鹿にしたんだもん!』

 

 顔や膝に絆創膏が貼られた方の双子――真由は、学校での不満を口にしていた。悔しさを吐き出すような声。奈央はそんな妹を見つめ、困ったように眉を下げる。

 真由が怒っていることも、傷ついていることも分かっていた。だからこそ、奈央は少しだけ考えるようにしてから、問いかけた。

 

『真由は、この世界が嫌い?』

 

 不意に、奈央は不思議な事を聴いた。

 真由は少し考えた後に口を開いた。

 

『私はパパとお姉ちゃんが居れば良いよ。ママもきっと、お空の上から見守ってくれてるし。他の人達は……意地悪だから、嫌い!』

 

 満面の笑みで答える真由。それは、真由にとって嘘偽りのない答えだった。

 

 大好きな父と姉がいる。

 

 空の上から見守ってくれている母もいる。

 

 それだけで十分幸せなのだ。

 

 だが、それは奈央が望んでいた答えでは無かった様だ。

 

『私は、真由にはもっと世界を好きになって欲しいな』

 

 そう答える奈央の顔は、とても悲しげに真由には映った。真由は、奈央にそんな顔をして欲しくなかった。

 

『うん……じゃあ、他の人達の事も好きになれる様に頑張る』

『ふふ、そう言ってくれてありがとう真由』

 

 真由に慈愛に満ちた笑みを浮かべる奈央。その笑顔を見て、真由もまた少しだけ安心した。

 

 そうだ、と奈央は何かを思い付いた様に両手を叩いた。

 

『真由、一緒にお歌を作ろう?』

『お歌?』

『そう。辛い事や嫌な事があった時は、お歌を歌うの。そうしたら前を向けるようになるおまじない』

『楽しそう! うん、作ろう!』

 

 そうして二人で、ぎこちないながらも短い歌を思いついた。上手に歌えるわけでもない。立派な歌詞があるわけでもない。それでも、二人にとっては大切な歌だった。

 

 辛い時も。

 

 嫌な事があった時も。

 

 二人はその歌を一緒に口ずさんできた。歌えば、少しだけ前を向ける。幼い二人がそう信じて作った、そんな想い出の歌だった。

 

 

 

 

 悲壮な祈りが込められていた歌の真相を聴き、志遠は聴くべきではなかったかも知れないと後悔する。先程まで何気なく聞いていた歌。それが真由にとって、ただの歌ではなかった。姉との大切な記憶そのものだったのだ。

 

 ここで会話を止めるべきか? そう思った志遠だったが、どうしても気になる事があった。これほど大切にしている姉。ならば――。

 

「その奈央さんは、今どこにいるの?」

 

 真由の表情が僅かに曇った。

 

「……私達は、トルドボーグを生み出している組織──《メメントルド》に攫われたの」

 

 想像していた嫌な予感は、当たっていた。彼女がトルドボーグに対し、奈央の事を問いただす理由。そこまで考えれば、答えは一つしかない。

 

「攫われたって……トルドボーグは、自ら志願した奴らが改造されるんじゃなかったの?」

「他のトルドボーグは私の知る限り皆そう。私達が無理矢理だったのは……何でだろうね」

 

 本当に、何で。と、無関心にも諦めにも聞こえる口調で真由は言う。その声を聞いた志遠の胸が、重くなる。

 彼女は今まで、どれだけのものを抱えてきたのだろう。それを思うと、軽々しく何かを言うことが出来なかった。

 

「お姉ちゃんは、一瞬の隙を突いて私を逃がしてくれた。今はどうしているかは分からない」

 

 私は、お姉ちゃんを助けたい。

 

 不安や決意が入り交じった声で、真由はそう答える。その両拳には、強く力が籠っていた。志遠には、それが見て取れた。

 

 怖いのだろう。

 

 不安なのだろう。

 

 それでも、それ以上に姉を助けたいという意志がある。その気持ちだけは、痛いほど伝わってきた。

 

「その……嫌な事聴いちゃってごめん」

 

 そう言って頭を掻く。これ以上、彼女に関われば徒に傷つけるだけかもしれない。

 

 自分は、元の日常に帰るべきだろうか。怪人の事を知らなかった頃へ。真由と出会わなかった頃へ。

 そうすれば、少なくとも自分だけは安全な場所に戻れる。

 

 だが。

 

 志遠はどうしても――私情の上でとは言え、誰かの為に戦う彼女を独りにしたくは無かった。今の話を聞いた以上、尚更だった。

 自分が何か出来るとは思っていない。戦えるわけでもない。怪人の知識があるわけでもない。

 それでも、何もせずに帰ることだけは、どうしても出来なかった。

 

 だから、最後の賭けに出た。

 

「……あのさ! 何か俺に手伝える事無いかな」

「え?」

「さっきのお詫びもあるけど……何か姫山さんがこのまま独りだけで戦って欲しくないって言うか」

「……君が出来る事なんて何も無いよ。足手まといになるだけだから別に──」

「荷物持ちとかでも何でもやるから!!」

 

 勢い任せに志遠が言う。自分でも、何を言っているのかよく分からなかった。それでも、引き下がるつもりはなかった。

 

 役に立てなくてもいい。

 

 格好悪くてもいい。

 

 せめて、独りで戦う彼女の隣に立つ理由が欲しかった。それが、志遠なりの意地だった。

 

 その誠意が通じたのか、或いは根負けか。真由は困惑の表情で志遠を見つめた。しばらく何かを考えるように沈黙した後――大きなため息を吐いた。

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