仮面ライダーシルク   作:霜降朽葉

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「君の事、まだ信用した訳じゃないから」

 

 夏の日差しがアスファルトに照りつける週末。志遠は真由と共に、海沿いの田舎町でバスを降りていた。山戸市の市街地からバスで揺られる事一時間。潮風と蝉の鳴き声が辺りに漂うこの町へと、二人が来たのは――勿論デートなんて甘酸っぱい目的では無い。

 

「分かってるよ。しかし暑いな……」

「そんな格好してくるからだよ」

 

 真由の言葉に、志遠はがくりと項垂れる。バスを降りてから――何なら家を出て暫くした時点で、志遠は既に後悔していた。

 仮にも女の子と二人でお出掛けである。

 

 例えそう言った関係ではないにしろ、格好をつけたくなるのが男の子というものだ。

 

 そして、その結果がこれだった。

 

 上は黒のダブルライダースジャケットに白Tシャツ。下は黒のストレートジーンズ。上も下も、ついでに靴も黒、黒、黒……鏡の前では、それなりに決まっているように思えたのだ。

 

 だが、今こうして炎天下に晒されてみれば、ただの自殺行為でしかない。背中には早くも汗が滲み、ジャケットの中には熱気がこもっている。歩く度に布地が肌へまとわりつき、体温までじわじわと奪われていくような気がする。およそ快晴の真夏日に着ていく服装では無い。

 

 彼は若く、未熟だったのだ。

 

 対して真由は、ピンクのジップアップパーカーの下に白いクルーネックTシャツを着用し、丈の短い青のデニムスカートに白い靴下とピンクのスニーカーと言った明るめな服装をしている。少なくとも志遠のそれよりは、遥かに涼しげだ。

 同じ夏の暑さを浴びているはずなのに、どうしてこうも違って見えるのか。

 

「辛いなら引き返しても良いよ?」

「何だよ、こんなの辛いもんか」

 

 志遠は意地になって暑さをやせ我慢する。引き返すなど論外だった。ここまで来て、暑いから帰りますでは格好がつかない。

 

 二人がわざわざ炎天下の町へとやってきたのには、勿論トルドボーグが絡んでいる。事の発端は、宮間高校で囁かれていた一つの噂だった。

 

《黒い服の女》

 

 そんな都市伝説めいた噂が、宮間高校のガールズトークで話題となっていた。海沿いの町外れにある峠道。そこには黒い服の女が佇み、スピード違反を侵した車に襲いかかるのだと言う。

 普通に考えれば、交通安全を謳った迷信だろう。そんな話が本当にあるはずがない――だが。

 

 それが単なる迷信では無い事は、この峠道で発生していると言う異常な数の交通事故が物語っていた。

 そして、トルドボーグの存在を知ってしまった志遠にとっては、単なる噂話として片付ける事も出来なかった。

 

「姫山さんは、黒い服の女の正体がトルドボーグだと思うの?」

「断言は出来ないよ。ただトルドボーグの仕業なら説明が付きやすいってだけ」

「もしかしたら、本当にお化けの類いだったり……」

 

「──変な事言ったら帰って貰うからね?」

 

 真由が立ち止まり、志遠に向き直りながらそう呟く。

 

 事前に妙な間があった。

 

 冗談を言っただけのつもりだった志遠は、その僅かな間に何かを感じ取る。

 

「もしかして、姫山さんお化けが怖──」

「何?」

「……何でもありません」

 

 ギロリと睨み付ける真由。志遠は思わずたじろいだ。

 どうも彼は、人との距離感に慣れていなかった。気心知れた親友の修相手なら上手くやれている。何を言っても大体は笑って済むし、多少踏み込んだ冗談を言ったところで関係が壊れることもない。

 

 だが、女の子相手だと失敗続きである。しかも相手は、未だ自分を完全には信用していない真由だ。熱い日差しの下、二人の間に険悪な空気が流れる。蝉の鳴き声だけが、やけに大きく聞こえた。

 

 志遠は何とか、この状況を変えたかった。

 

「で、でもさ。姫山さんはやっぱり格好良いよ」

「いきなり何?」

「トルドボーグかどうかも分からないのにここまで来て調べようとしたりさ、普通の人ならそこまでやらない」

「……言ったでしょ? 私の目的は」

「でもその目的の中で、苦しんでいる人の気持ちを背負って戦ってたじゃん」

「それは……」

 

 その言葉に、真由の声が僅かに止まる。志遠の脳裏にも、先のモスキートルドとの戦いが蘇っていた。あの時、真由は確かに義憤を抱いて戦っていた。悪意に踏みにじられた者達の怒り。悲しみ。自分自身が受けた苦痛とは別の、誰かの痛み。それらを代わりに元凶へと叩きつける。

 

 戦う理由の根っこに私情があったとしても、それだけで他人の苦しみを背負う事など出来るだろうか。志遠には、とてもそうは思えなかった。

 

「やっぱり、姫山さんは仮面ライダーだよ」

「またそれ? 私はそんな綺麗なものじゃ無いよ。見たでしょ? 私の正体」

「見たよ。その上で断言してるんだ。なんて言うかさ、それっぽく変身する時ポーズを付けようよ! こう、右手はあの石を持って顔の左側に、左手はベルトの右側に当てて、相手を睨み付けながら右手を顔の前で横にスライドさせてさ。変身!! って叫んでベルトに石を添えて両手を下に広げて──」

「──馬鹿馬鹿しい。私真面目にやってるんだよ? 茶化さないでよ」

 

 呆れ半分、怒り少し。そんな表情で真由が志遠へと言う。

 彼なりのフォローだったのだろう。だが、見事に空回りをしていた。何とか彼女を元気づけたくて、止められなかったのだ。

 

「茶化してなんか……俺はただ、姫山さんは化け物じゃないって思って欲しくて……」

 

 志遠の言葉が、徐々に小さくなっていく。その声に剽軽さなど含まれていない。本気でショックを受けている様だった。

 真由は志遠から目を逸らして、海辺の方を向いている。その横顔を見ていると、胸の奥がざわついた。

 

 今度こそ、嫌われてしまったのだろうか。

 

 自分はまた、余計な事を言ってしまったのだろうか。

 

「あの、姫山さん。もう変なことは言わないから、その……」

 

 不安げな声を上げる志遠。だが真由は振り向かなかった。

 

 ただ一点を、睨み付けていた。

 

「あの人」

「そうだよね! あの人が……えっ?」

 

 予想外の言葉に、志遠が真由を見る。

 

 彼女の視線の先。

 

 離れていて詳細こそ分からないが、主張の強いその色を纏った人影は、妙にはっきりとした輪郭をしていた。志遠の背筋を、嫌な予感が走る。

 

「黒い服の女! ほ、本当に居た……」

 

 身構える志遠。だが、そんな彼を余所に、女はただ道路をじっと睨み付けている様だった。

 

 動かない。

 

 何をするでもなく、ただ道路を見つめている。それが逆に恐ろしかった。

 やがて、道路を一台の乗用車が猛スピードで走り、女の前を横切る――次の瞬間。女が崖から海へと跳んだ。

 

 その姿が見えなくなる一瞬。女の身体が、人間ではない鉄の異形へと変わった。真由は、それを見逃さなかった。

 

「これ持ってて!」

 

 唯一身につけていた手提げ鞄を志遠に押しつけ、真由が走る。

 

「えっ、ちょ――」

 

 次の瞬間、彼女の身体が光に包まれ、消えた。志遠は呆然とその場に立ち尽くした。一瞬前までそこにいた人間が、本当に消えた。何度も目にしてきたはずの能力なのに、こうして目の前で使われると未だに現実感が追いつかない。

 

 それが戦闘中に真由が多用していた瞬間移動能力(テレポーテーション)である事を理解するのに、志遠は数秒を要した。

 

「……ま、待ってよ姫山さん!」

 

 二人分の荷物を抱えながら、志遠は既に見えなくなった真由を、方角だけを頼りに追うのだった。

 

 

 

 

「パパー、はやくおうちかえりたい」

「分かってるよ。急ぐからちょっと待ってな」

 

 峠道。

 

 男は、幼い息子の催促を受け、普段よりも速度を上げて乗用車を運転していた。突然のトラブルから出発時間が遅れ、子供が愚図りだしての事だ。普段は法定速度を守る事を心がけている彼も、今回だけはと肩に力を入れていた。

 

 少しでも早く家へ帰ろう。その程度の気持ちだった。自分が今、何者かに狙われているなどとは知る由もない。

 そんな男の運転する車に、海側の崖の下から水鳥の異形が跳躍しながら現れた。その両腕に装着された翼の刃が、車体へと迫る。

 

 ――だが。

 

「う、うわあああ!?」

 

 車体が切り裂かれる事は無かった。テレポーテーションで出現した真由が、水鳥怪人へと体当たりを叩き込み、その軌道を逸らしたのだ。

 怪人は車を外れて岸壁へと激突する。車体は大きく揺れ動いた。男は咄嗟にハンドルを握り締め、車を止める。幸いにも、車は無事だった。

 

「逃げて!!」

 

 既に変身した真由が男へと叫ぶ。男は何が起きたのか理解出来ないまま、ただ事では無い焦りに突き動かされるように車を急発進させた。何が起きたのかは分からない。だが、あの場所に留まってはいけない。その本能だけが、彼を動かしていた。

 

 車が遠ざかっていく。真由はそれを確認すると、岸壁へと向き直った。そこには、ゆっくりと起き上がろうとしている水鳥怪人がいる。真由は身構えた。

 

 相手もまた、彼女を睨み付ける。

 

「邪魔を……するなあああああ!!」

 

 憎悪の叫びを上げ、怪人が真由へと襲いかかる。ダイバースーツの様な装甲に身を包んだその姿はペンギン――否。かつてペンギンと呼ばれていた鳥を彷彿とさせた。

 

ウミガラス型トルドボーグ

ペンギントルド

 

 ペンギントルドが真由に掴み掛かる。互いの身体がぶつかり合い、両者は揉みくちゃになりながらアスファルトの道路を転がった。

 背中を地面に打ち付ける衝撃。真由が体勢を立て直すより早く、ペンギントルドは馬乗りになる。

 

 拳が振り下ろされた。

 

「くっ……!」

 

 真由は咄嗟に両腕を上げる。

 

 拳が装甲を叩く。

 

 一発。

 

 二発。

 

 三発。

 

 防いではいる。だが、衝撃までは殺しきれない。腕が痺れ、身体がアスファルトへと押し付けられていく。それでも真由は耐えた。

 そして、一瞬の隙を突く。身体が光に包まれ――その場から消えた。テレポーテーション。ペンギントルドの拳は空を切り、地面を抉った。

 

「どこだ……!」

 

 獲物を見失い、ペンギントルドが周囲を警戒する。その瞬間、背後に真由が出現した。

 彼女の手から伸びた念力の糸が、ペンギントルドの身体へと絡み付く。怪人が抵抗するより早く、真由は糸を引いた。遠心力を利用して、その体ごと振り回す。

 そして――岩壁へ叩き付けた。

 

「ぐううう!」

 

 鈍い音と共に、ペンギントルドの身体が岩壁へと叩き付けられる。真由は荒い息を吐きながら、その姿を見据えた。ヨロヨロと立ち上がるペンギントルド。その姿を見て、真由は勝ち筋を見出した。

 

 ――いける。そう思った。だが、その慢心がいけなかった。

 

 ペンギントルドは飛び込む様な動作で一気に真由との距離を詰める。

 

「――!」

 

 両肩を掴まれる。次の瞬間、怪人は真由を抱えたまま崖へとジャンプした。足場が消える。身体が宙へ投げ出される。

 

「しまっ――」

 

 真由は、そのまま海へと引きずり込まれた。冷たい海水が全身を包む。身体が沈む。息が、出来ない。

 

「がぼぼ……!」

 

 蚕のトルドボーグである真由は、海中では圧倒的に不利だ。泳ぐための身体ではない。身動きが取れず、手足を必死にばたつかせる。視界が水に揺らぐ。

 

 そんな彼女へ、猛スピードで迫る黒い影。逃げる事も出来ない。次の瞬間、鋭い刃が迫った。

 

「ガッ! ゴボッ!!」

 

 地の利を得たペンギントルドは、水中を飛翔するかのように泳ぐ。すれ違い様に、腕に装着された羽状のカッターで真由を斬り裂いた。水中に身体を引っ張られるような衝撃が走る。

 だが、攻撃はそれで終わらない。ペンギントルドは一度離れると、すぐさまUターンした。

 

 再び迫る。

 

 一撃。

 

 二撃。

 

 三撃。

 

 次々と高速斬撃が真由の身体を斬り刻んでいく。海中では逃げ場が無かった。どれだけ手足を動かしても、思うように身体が動かない。やがてペンギントルドは、最後の一撃へと移る。

 

 下方から真由へと突撃。

 

 そのまま彼女の身体を海面へとかち上げた。

 

「――っ!」

 

 放り出された真由は、そのまま海岸の岩場へと叩き付けられる。衝撃に身体が跳ねた。変身が解除される。真由はその場へと倒れ伏した。

 

 遅れて海上へと飛び出したペンギントルドが、真由の側へと着地する。腕の刃が光を反射した。ゆっくりと、真由へと迫ってくる。万事休すか。

 

 だが、ペンギントルドは真由にとどめを刺すことは無かった。ただ、冷徹に彼女を見下ろしている。

 

「お前に恨みはない。私は、私から大切な人を奪った《車》を狩り続けるだけだ」

 

 怒気をはらんだ声で、ペンギントルドが言い放つ。その声には、真由がこれまで対峙してきたトルドボーグとは明らかに異質な意志が宿っていた。

 ただ人を襲う怪物ではない。そこには、明確な目的と、その目的に縋るような執念があった。

 

 肩で息をしながら、真由は起き上がる事が出来ない。身体が重い。呼吸を整えることすらままならない。

 

「私の邪魔をするなら、次こそ殺す」

 

 そう言い残し、ペンギントルドは海中へと飛び込んだ。水面が大きく揺れる。そしてそのまま、どこかへと泳ぎ去っていった。

 取り残された真由は、ただ荒い呼吸を繰り返しながら、それを見送るしかなかった。

 

 

 

 

「姫山さん、何処まで行ったんだよ……」

 

 真由を追って早数分。ヘトヘトになりながら、志遠は海沿いの峠まで彼女を探しに来ていた。喉が渇いている。額から流れた汗が目に入り、視界が滲む。黒いライダースジャケットは相変わらず暑苦しく、身体はとっくに悲鳴を上げていた。

 

 それでも足を止める気にはなれなかった。恐らく、そんな遠くまでは行っていない筈だ。真由がテレポーテーションを使ったとはいえ、目的もなくどこかへ行くような人ではない。ならば、ここまで来れば見つかる筈だった。

 

 ――なのに。姿が見えない。それが、どうにも引っ掛かった。

 

 まさか。

 

 真由の身に、何かあったのでは?そう考えた途端、疲労など気にならなくなった。不安が志遠を突き動かす。やがて、まさかと思いながら崖下を見下ろした。

 

 海岸の岩場地帯。その中に、見覚えのある影があった。

 

「姫山さん!!」

 

 崖のはるか下。そこに真由は居た。岩の上に仰向けに倒れたまま、動かない。

 

 ――嫌な想像が頭を過る。志遠の背筋が冷たくなった。ついさっきまで、普通に言葉を交わしていた少女。その姿が、まるで動かない。

 考えるよりも先に、身体が動いていた。荷物をその場へ置き、志遠は崖を下っていく。足場は悪い。何度も足を滑らせそうになる。それでも慎重さだけは失わないようにしながら、出来る限り急いだ。やがて岩場まで降りると、志遠は急いで真由の元へと駆け寄った。

 

 果たして――真由には意識があった。起き上がれないではいる。だが、無事だった。

 志遠の気配に気付いたのか、真由は顔だけを横へ向ける。

 

「姫山さん、良かったぁ……」

 

 志遠は、その場にへたり込みそうになるほどの安堵を覚えた。肺の奥に溜め込んでいた息を、ようやく吐き出す。

 

 生きている。それだけで良かった。

 真由は、彼がわざわざここまで来た事に呆れと驚きを向ける。だが、それもすぐに申し訳無さそうな表情へと変わった。

 

「ごめん。あのトルドボーグに逃げられた」

「そっか……でも、また挑めば倒せるよきっと。命あってこそだ」

 

 志遠のその言葉に、真由は「うん」と小さく頷いた。そして起き上がろうとする。だが――。

 

「痛っ」

 

 真由が右膝を押さえた。志遠もそこへ視線を向ける。

 見れば、血が出ている。恐らくは、変身解除された際に擦りむいたのだろう。

 

「それ……怪我してるじゃないか! えぇっと」

 

 志遠は慌ててポケットを探る。そして、徐にハンカチを取り出した。伸ばしたそれを真由の擦りむいた膝へ巻き始める。

 

「ちょ、ちょっと! そんな事しなくても大丈夫だって」

「血が出てるなら応急処置はしないと……こんな感じで良いのかな」

 

 ぎこちないながらも、ハンカチを包帯代わりにする志遠。手先が器用な方ではない。しかも、女の子の膝にハンカチを巻くという状況そのものに、妙な緊張まで覚えていた。

 

 だが真由は、そんな彼の苦労も知らず、折角巻かれたそれを解きだした。

 

「大丈夫なんだって、ほら」

 

 真由が指を指した擦りむき傷。その傷が――ビデオの逆再生の様に、元の綺麗な肌へと戻っていった。

 

 志遠は思わず目を見開く。

 

「私の身体にはオートヒーリング能力があるから、このくらいの傷すぐに直るんだよ

*1

……ああもう、ハンカチが汚れちゃったじゃん」

「そ、そうなんだ。早とちりしてごめん」

「うん。だからこんな痛みは平気なんだよ」

 

 痛みはすぐに消える。だから、痛いのは平気。

 

 真由はそう言った。確かに、傷はもう無い。血も止まっている。本人がそう言うのなら、そうなのだろう。

 

 ――なのに。

 

 志遠は、その言葉に無視できない引っかかりを覚えた。痛みが消えることと、痛くないことは同じなのだろうか。今この瞬間、彼女は確かに「痛い」と言った。なら、その痛みまで無かった事にしていいのだろうか。

 

「何か、それは違うよ姫山さん」

「え?」

 

「傷はすぐ治っても、今痛かったんだよね? だったら、その痛みを軽く見ちゃ駄目だよ」

 

 そう言って志遠は、既に完治している真由の膝に、再びハンカチを巻き直した。

 

「ちょっと、何してるの?」

「姫山さんはちゃんと痛みを感じている。それが人間であるって事なんじゃ無いかな」

 

 既に完治した場所に応急処置を施す事に、医学的な意味など無い。

 

 だからこれは、ただの証明だった。姫山真由という少女が、痛みを理解しない怪物ではなく。傷つけば痛みを感じ、誰かに心配されれば戸惑い、誰かを想って戦う――一人の人間である事の証明。

 

 少なくとも志遠は、そう伝えたかった。

*2

 

「……ありがとう」

 

 真由の口から出た、その言葉。何に対してのものなのか。それは、真由本人にも分からなかった。

 ただ、胸の奥に何かが触れたような、不思議な感覚だけが残っていた。

 

「取り敢えず、ここから上まで戻ろうか……って、登れるかな」

 

 志遠は崖の上を見上げる。改めて見てみると、降りてきた場所は彼が想像していたよりも高い場所だった。ここまで必死だったから気付かなかった。行きはよいよい帰りは辛い。登るのには骨が折れそうだった。

 

「呆れた。後先考えずに降りてきたの?」

「いやまぁその……はい」

 

 項垂れる志遠。真由はため息を吐いた。

 そして、何を思ったのか、彼の前に両手を差し出した。

 

「手、握って」

「え!?」

 

 突然の行為に、志遠は目を丸くする。彼女には何らかの意図があるのは何となく分かる。分かるのだが――。

 

 女の子の手を握る。

 

 そんな事は、志遠にとって簡単に出来る事ではなかった。無意識に心臓がドキリと跳ねる。

 

「変な意味じゃ無いよ。上に戻りたいんでしょ?」

 

 志遠の動揺を悟ったのか、真由が言葉を続ける。確かに、いつまでもこんな所にいるわけにはいかない。兎にも角にも、道路まで戻らなければ話が進まない。

 

 志遠は意を決して、真由の両手を握った。女の子特有の、小さくて柔らかく、暖かい手のひら。その感触に触れた瞬間、全身が熱くなるのを感じた。

 

 ――だが。

 

 そんな幸せな感覚は、次の瞬間には別の感覚に上書きされた。

 

 身体がふわりと浮く。

 

 上下の感覚が失われる。

 

 まるで上下逆さまになるタイプの絶叫マシンに乗せられたような、気持ちの悪い浮遊感が全身を包み込んだ。

 

「うっ……!」

 

 胃が持ち上がるような感覚。頭の中までぐるりと回った気がする。そして、次の瞬間には――峠の道路に戻っていた。

 

「うぷ……今のって?」

「テレポーテーション。何度か見てるでしょ?」

 

 遅れてやってきた吐き気を抑えつつ、真由の説明に大凡合点がいった志遠は、慣れない感覚から抜け出そうと姿勢を正す。

 

 ……便利な能力だとは思う。思うのだが、出来ればもう少し心の準備をさせて欲しかったと感じる志遠だった。

 

「それで、これからどうするの? トルドボーグは逃げちゃったらしいし、一端帰るの?」

「……うぅん、アイツは多分、この峠道からは離れない。早く倒さないと、また犠牲者が出るよ」

「分かるの?」

「アイツ、大切な人を奪った車を狩り続けるって言ってた。多分、ここで交通事故があったんだと思う。その復讐として、危ない運転をする車を標的に襲ってるんだと思う」

 

 真由の仮説を聴いた志遠は、一度同情した。大切な人を奪われた。その怒りや悲しみを考えれば、ペンギントルドが車を憎む理由は理解出来る。だが――。

 全く無関係の車まで襲う事には、どうしても理不尽なものを感じた。

 

 自分の大切な人を奪った者への復讐。その気持ちそのものまで否定するつもりはない。それでも、関係のない誰かの命まで奪っていい理由にはならない。

 

 そんな復讐があってはならない。

 

 そう考えた志遠は、携帯を取り出し、この地域周辺の情報を調べる。画面を指で滑らせながら、検索結果を追っていく。

 

「……あった、多分これだ。一ヶ月ほど前、ツーリング中の男性が危険運転を行っていた車と接触し死亡。男性は結婚を間近に控えていた」

「事故のあった場所は分かる?」

「えーっと……ここをもう少し行った所。小さな慰霊碑が建ってるって」

 

 志遠の情報を受け取った真由は、覚悟を決めたように歩みを進めた。

 その足取りには、迷いが無かった。

 

「行くの……?」

「うん。こんな事、止めなきゃ駄目だよ」

*1
姫山真由は改造人間である。彼女のトルドボーグとしての身体は、損傷が起きると体内を巡るナノマシンが即座に細胞の増殖復元を行い、傷を完治出来るのだ。

*2

志遠のテーマ、アコースティックギターで

ミ ソラ ソ

ミ レド レ

ミ ソラ ソ

シ ラソ ミ♪

日だまりの穏やかな公園の様なイメージ。

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