夕日が差し掛かる峠道。
昼間の熱気がまだアスファルトに残る中、小さな石塔の前で黒い服の女――ペンギントルドは物思いに耽っていた。海から吹く風が、黒い衣服を僅かに揺らす。その姿は、まるでそこに刻まれた過去を見つめ続けているかのようだった。
ザリ……。
砂を踏む足音が、彼女へと近付いてくる。ペンギントルドが振り返った。そこに立っていたのは、真由だった。
その姿を確認した瞬間、ペンギントルドの眼差しが鋭くなる。服と同じ、真っ黒な殺意。
「次邪魔をすれば、殺すと言った筈だ」
「うん。それでも私は、貴方を止めるよ」
真由は、狩猟者としての鋭い眼差しをペンギントルドへと向ける。そこに迷いは無かった。例え相手に事情があろうとも、罪の無い人間を襲うことを見過ごすわけにはいかない。それが真由の選んだ答えだった。
それを合図とするように、ペンギントルドも異形の正体を現す。互いに距離を取る。空気が張り詰めた。
トルドストーンを取り出し、自身も異形へと転じようとする真由。
だが、その時。ふと、膝に巻かれた銀のハンカチが目に止まった。夕日を受けた布地が、僅かに光っている。
そこに残された血の跡。そして、その布を巻いてくれた少年の顔。真由の脳裏に、志遠の言葉が蘇る。
『姫山さんはちゃんと痛みを感じている。それが人間であるって事なんじゃ無いかな』
――何が変わるわけでも無い。ハンカチを巻いたからといって、戦う力が増すわけではない。敵を倒す力が強くなるわけでもない。
それでも。
真由はストーンを持った右手を顔の左に構え、左手を腹部に出現させたベルトの右側面へと添える。そして、志遠の言葉を思い出しながら、右手を横へとスライドさせる。
電子音の後に、口を開く。
"Silkmoth Ghost"
「──変身!!」
ストーンをベルトに翳す。
光が溢れた。
ストーンは光の中へ吸い込まれていき、真由の身体を眩い輝きが包み込んでいく。
光が収束する。
それを確認した真由は、両手を下へと広げた。頭の中に浮かべる――戦う姿を。
やがて、姫山真由の姿は、シルクモストルド・ゴーストフォームへと変化した。
否。
今の彼女は、《仮面ライダーシルク》だった。
「何の真似だ」
「何でも無いよ。気持ちの問題」
そう、ペンギントルドへと言葉を告げるシルク。ポーズを付けたからと言って、強くなった訳じゃ無い。能力が変わったわけでもない。
そこにあるのは、ただ一つの祈り。
――汝は怪物にあらず。汝は人なり。
それを、自分自身へ言い聞かせるためのものだった。
「訳の分からない事を……!」
先に仕掛けたのはペンギントルドだ。地面を蹴り、飛び込む様にシルクへと肉迫する。腕のカッターが夕日を弾き、鋭い軌道を描いた。だが、シルクは慎重にその動きを観察していた。
前回とは違う。相手が海中で強いことを、もう知っている。だからこそ、焦らない。刃を紙一重でかわす。次の一撃も避ける。その動きを見切った瞬間、一瞬の隙を突いて念力の糸を放った。
糸がペンギントルドの身体を絡め取る。動きが止まった。そこへシルクは、お返しと言わんばかりにパンチを叩き込む。続けざまにキック。さらに拳。ペンギントルドの体が大きく揺らいだ。
「小癪な……再び海中へ引きずり込んでやる!」
ペンギントルドがシルクを掴む。そのまま、投げ飛ばす様な要領でシルクを崖下へと突き落とした。
身体が宙へ放り出される。海面が迫る。
次の瞬間、シルクは着水した。遅れてペンギントルドも海中へと飛び込む。
――このままでは二の舞だ。シルクは海中へ沈みながら、そう判断した。
「っ……」
だが、どうした事か。
シルクは海中で棒立ちしたまま動かない。徒に動けば思う壺だと判断したのだろうか。にしても、余りにも無防備だ。
「観念したのか? このままトドメをさしてやる!」
獲物に狙いを定めたペンギントルドが迫る。腕の刃が、水上から差し込む夕日を反射し、鈍い光を放った。そのままシルクへと切り裂く。刃が身体を捉える。
だが、シルクは反撃しない。動かない。ただ、何かを待っている――そんな風に見えた。
「終わりだ。首の動脈を貰う!」
ペンギントルドが狙いを定める。そして、シルクへと突撃した。このままやられてしまうのか。
次の瞬間――シルクは、ペンギントルドの腕を掴んだ。そして、その姿が海中から消えた。
再び峠の道路。
突然海中から陸地へと戻されたペンギントルドは、何が起きたのか分からず、一瞬だけ判断を鈍らせる。その僅かな隙。シルクは見逃さなかった。
ペンギントルドが精密な斬撃を喰らわせようとする、その一瞬の鈍りを見計らい、念力の糸で彼女を拘束。ホームグラウンドである海中から、テレポーテーションによって強引に引きずり出したのだ。
勢いを付けたキックがペンギントルドへ叩き込まれる。
「ぐあっ!」
よろめくペンギントルド。その隙に、シルクは紅色のトルドストーンを取り出した。それをベルトへと翳す。
"Silkmoth lord"
ロードフォームへと変身したシルクは、先程のお返しと言わんばかりに地面を蹴った。
消える。
次の瞬間、ペンギントルドの横を通り過ぎる。
そして反対側から再び迫る。
一撃。
また一撃。
さらに一撃。
高速で往復しながら、斬撃の乱舞を叩き込んでいく。ペンギントルドの身体に火花が走った。
「がああああっ!」
形成を逆転され、ペンギントルドは満身創痍となる。シルクは動きを止めた。荒い息を吐くペンギントルドを見据え、必殺の構えへと移行する。
"Lastattack Bloodywaltz"
「──貴方を倒す前に一つだけ聴きたいことがある。姫山奈央と言う人を知ってる?」
「黙れえええええ!!」
「……そう。なら……貴方はここで止める!」
決意の目。シルクは地面を蹴った。一直線にペンギントルドへと突撃する。
そして――必殺のブラッディーワルツを叩き込んだ。激しい爆発が巻き起こる。
「ああああああっ!!」
ペンギントルドの姿が爆炎の向こうへ消えた。
よろめきながら、ペンギントルドが倒れ伏す。身体は既に限界だった。もはや、その命は風前の灯火。それでも。
「あ……あぁ……」
ペンギントルドは、執念だけで立ち上がった。だが、その視線の先はシルクではない。彼女はヨロヨロと、小さな石塔へと歩みを進めていく。
一歩。また一歩。足を引きずるようにして。
その脳裏には、在りし日の光景が走馬灯の様に流れていた。二度とは戻らない幸福。あの日の笑顔。あの夜。そして、指輪。
耳の奥には、あの時の夜想曲が鳴り続けている。まるで、悲壮に満ちた彼女の心を癒やすかのように。
「あぁ……あ……」
やがて石塔まで辿り着いたペンギントルドは、震える手を伸ばした。その先に、誰かがいるかのように。
そこには誰もいない。それでも彼女には、確かに見えていたのかもしれない。伸ばした手が、そこには居ない誰かに触れた。
その瞬間。
まるで憑き物が落ちたかの如く、ペンギントルドの身体から力が抜けた。崩れ落ちる。
そして――その身体は、今度こそ爆発四散した。
夜想曲は最後まで。
その爆音すらも包み込んでいった。
シルク――真由は、ただその光景を立ち尽くしながら見届けるしか出来なかった。
*
「トルドボーグは皆、同情の余地もない悪人だと思ってた」
帰路に着くバスの最後部の座席。ほぼ貸し切り状態となった田舎町特有の車内に、真由の声が妙に響いた。窓の外では、夕暮れの景色がゆっくりと流れている。
「アイツは、ただ理不尽に幸せを奪われて悲しんでいただけだった。倒して良かったのかな。私、間違ってるのかな……?」
真由の視線は、窓の外へ向けられていた。ペンギントルドは、残虐な精神だけで動いていたわけではない。
怒り。そして、その根源にあった深い悲しみ。
それに突き動かされていただけだった。その在り方を知ってしまったからこそ、真由は自分の行動に迷いを抱いていた。自分は、あの怪人を倒して良かったのだろうか。他に方法は無かったのだろうか。
志遠は、そんな真由の言葉を聴きながら、少しだけ考えた。何かを簡単に決めつけるような言葉を返してはいけない。だが、黙っているわけにもいかなかった。
「……確かに、アイツは可哀想な奴だったかも知れない」
志遠は、一度言葉を切った。真由がこちらを見る。
それを感じながら、志遠は続けた。
「事故に関係無い車まで襲うのは間違ってると思う。襲われた車の中には、仕方の無い事情で急いでいた人も居たかも知れない」
「…………」
「アイツは、悪い奴だった」
同情は出来る。その悲しみも理解出来る。
それでも、許してはいけない。
志遠が言いたかったのは、そういうことだった。それが本当に正解なのかは分からない。人の命を奪った者を裁くことと、その者が抱えていた悲しみに同情すること。その二つを、どう折り合いを付ければいいのか。
志遠自身にも、答えは出ていない。それでも――。
真由は、ほんの少しだけ安心を覚えた。自分の感じた悲しみを、否定されなかった。それだけで、胸の奥にあった重さが僅かに軽くなった気がした。
暫くすると、真由は何も喋らなくなった。どうしたのかと、志遠は少し心配になる。だが――。
突然、真由が志遠の肩に頭を小さくぶつけた。
「え?」
志遠が驚いて横を見る。真由は、そのまま動かない。
そして、すぅすぅと寝息を立て始めた。
「ひ、姫山さん……!?」
思わぬハプニングに、志遠の鼓動が早くなる。肩に感じる重み。すぐ側にある少女の寝顔。志遠はどうしたものかと戸惑った。
起こすべきか。それとも、このままにしておくべきか。
だが――。
疲れ果てて眠る彼女を起こすのは、申し訳無いと思えた。今日一日、ずっと戦っていたのだ。戦って。傷ついて。そして、最後には自分が倒した相手のことまで気にしている。
そんな彼女を、今くらいは眠らせておいてもいいだろう。
「お疲れ様、姫山さん」
小さく呟き、志遠は真由を寝かせながら、視線を窓の外へと向ける。空には既に、夕闇色の光が広がっている。海沿いの景色も、少しずつ夜の色へと変わっていく。思った以上に長居をしたみたいだ。今日一日の出来事を思い返しながら、志遠は静かに窓の外を見つめていた。
海沿いの町での事件は、こうして幕を閉じたのだった。
《次回、仮面ライダーシルク》
「いやはや志遠〜あんたにもこんな可愛いガールフレンドが出来るなんてねぇ」
「いやあの、私そう言うのじゃ」
「好きなの頼んで良いからね!」
「あの子はその日の事を、ずっと後悔してる」
「志遠と、仲良くしてあげてね」
「化け猫野郎、真由から離れろ!!」
真由は一話で志遠に観測され、二話で在り方を肯定され、三話目にて漸く変身と叫ぶ。これにより、彼女は怪人シルクモストルドではなく、仮面ライダーシルクとして再誕したのです。祝え!