あべこべ逆転異世界で孤児院の頼れるお兄ちゃんになるため奮闘する 作:あに
「……なんの話ですか。レイトさん」
僕の言葉によって、一瞬のうちに静寂に包まれた執務室。
その静まりを打ち消したのは重みを含んだ低い声だった。
「あ、えっと、そうですよね。
ちゃんと説明しないと駄目ですよね」
その声に少し手元をぶらつかせながらも、僕は彼女に言葉を返す。
……アリアさんの疑問も当然だ。
急にこんなことを言われても、困ってしまうだろう。
――ちゃんと、説明しないと。
「この前話したアリスちゃんのところの騎士さんが今日、孤児院に来てくれたんです」
「……ライデルのとこのですよね。
それがどうかしたのですか」
僕に言葉をぶつけるアリアさんの眼光はいつもよりずっと鋭い。
正直言って、その顔を直視するのは怖かった。
たぶんだけど。
彼女はあまり貴族に対して良いイメージを持ってないのだろう。
言葉尻からもなんとなく分かる。
まぁ、仕方ないことではある。
この孤児院だって、地主である貴族がきちんとしていれば必要なかったのかもしれないのだ。
口減らしで追い出された子どもたちを見てきたアリアさんが顔をしかめてしまうのも分かる。
……だけど今は、話を続けないと駄目だ。
「それで、話してくれたんですが。
僕が貴族さんのお屋敷で働けば、お金を頂けるみたいなんです」
人を見抜く能力は備えているつもりだ。
少なくとも、僕は彼女らのことは信頼している。
まぁ正確にはアリスちゃんとレジーさんを、だが。
「孤児院の経営が危ないのは知ってます。
帳簿、アリアさんも見ましたよね。
このままだと、子どもたちがご飯を食べられなくなっちゃいます」
――おそらく数ヶ月もしないうちに、今の蓄えは底をついてしまう。
みんなに不自由をさせるわけにはいかない。
お兄ちゃんとして、ここは一肌脱がないと駄目だろう。
……だから、このチャンスを逃すわけにはいかないのだ。
僕は勇気を振り絞って、アリアさんへと伝える。
「もちろん、しばらくすれば帰ってくるつもりです。
なので、それまでアリアさんには孤児院のことを――」
「だ、ダメに決まってますっ!」
だけど、僕の言葉は顔を真っ青にしたアリアさんの声によって掻き消される。
その声は僕が今まで聞いた誰の声よりも鋭く、焦燥に満ちていた。
……やっぱり、止められるよなぁ。
「……貴方に、身体を売らせるような真似、許すと思いますか」
「や、やっぱ、そうなっちゃいますか?
教会としても、貴族と関わるのはあまり良くないですし……」
「――っ、そういうことではありません!」
僕の声に呼応して、アリアさんが声を荒げる。
「貴方はもっと、自分を労ってください。
その目のことだけじゃないでしょう。この前だって……」
肩を掴む彼女の手は、ガクガクと震えていて、激しく頭を揺らしていた。
その仕草に不安を抱きながらも、僕は彼女の手に自らの左手を重ねて、呟く。
「いいんです。お金は必要ですから。
アリアさんも分かってるでしょう」
この孤児院で働きに出れるのは僕しかいない。
アリアさんには教会のお仕事があるし、エリスちゃんもまだそんな苦労をする歳じゃない。
他の子どもたちはもってのほかだ。
「――僕がやらないと駄目なんです。
だって、お兄ちゃんですから」
「なんで、そんなこと言うんですか?
レイトさん。
……どうして、私から離れようとするんです」
アリアさんの手の力が強まる。
肌に食い込む指に少し、痛みを覚えながらも僕は彼女の身体を受け止める。
「わ、わたしに、問題があったなら謝りますっ。
だから、だから、いやです。
ずっと一緒って、約束したじゃないですか」
抱擁なんて言葉じゃ表せないほどアリアさんは僕の背中を激しく掴む。
見ると、その目には涙が滲んでいた。
彼女のこういう顔は、何年も見ていない。
「……ごめんなさい、アリアさん」
……これ以上、話をするのは駄目か。
直感的に理解した僕は彼女の瞼に指を伸ばして涙を拭き取る。
そのまま、しばらく。
僕はアリアさんを抱いたまま、彼女の隣に座っていた。
「……落ち着きましたか。アリアさん」
「はい、申し訳ない、です。
情けない姿を見せてしまって」
そう呟く彼女の目元は少し赤く腫れあがっていて、直視すると、思わず心臓が痛くなる。
……結局、彼女の説得は失敗してしまった。
それどころか、部屋には重い空気が満ちている。
寝室に移動しても、その緊迫は消えやしない。
だから、僕は彼女に言葉を投げかける。
「今日は一緒に寝ましょうか。アリアさん」
「……へっ」
この暗い空気を吹き飛ばすための、甘言を。
「最近はちょっと寒いですから。
二人で寝た方がきっと暖かいですよ」
「え、えっと、その、いいのですか?
あ、いや、べつに嫌とかではなくてですね?
最近はあまりこういうことをしたがらなかったので……」
「まぁ、確かに少し気恥ずかしいですが。
でも、今日くらいはいいでしょう」
僕はまるで甘えるような声色のまま、彼女の手を取って、僕のベッドへと誘う。
一緒に寝るのは、いつぶりだろうか。
この世界に来たばかりの頃は、毎日、不安に押し潰されそうになりながら、彼女の身体にすがったものだ。
「ほら、もう夜も遅いですよ。
……ね、いいでしょう」
されるがままに、僕の隣に転がるアリアさんの顔は、先ほどまでよりもずっとほころびに溢れている。
……アリアさんのこういう顔が好きだ。
ちょっと、にやけた口元とパチパチとしている瞼、溶けてしまいそうなほどふやけた声。
だらしないなんて形容することもあるけど、でも親しみやすくて、見ていると安心できる。
――僕が守りたいのは、彼女も一緒だ。
「す、少し近くないですか?
レイトさんっ」
「嫌ですか?」
「へ、あっ、いや、そんなわけ、ないですけど」
そんなことを言いながらも、しばらくは僕の身体に触れてはモゾモゾとしていた彼女だが。
――きっと、疲れていたのだろう。
次第に聞こえだす寝息とともに、僕は彼女の腕の中で動きだす。
「……ごめんなさい。アリアさん」
「んぅ、ずっと、いっしょですからね」
罪悪に刺された自らの胸に左手を当てながら、僕はゆっくりとポケットに入れていたペンへと手を伸ばした。
夜が明けた、早朝。
アリアさんは起きていない。
朝が弱いのは知ってるし、寝相が悪いのも知っている。
夜中はぎゅっとして離してくれなかったけど、朝になれば身体は解放されている。
耳を澄ませる。
音はない。まだ空も暗いし、子どもたちが寝ているのは確かだ。
……抜け出すなら今しかない。
「――書き置き、どうしよう」
そう考えながら、ベッドを降りた僕だけど、不意に頭の上にとある考えが浮かんで、立ち止まる。
……子どもたちには、説明した方がいいだろうか。
お風呂で話したエリスちゃんはともかく、ニーナだったり、他の子は僕がいなくなると凄く不安になっちゃうかもしれない。
最後に一度だけ、顔を見せるくらいなら、良いのかもしれない。
――いや、駄目か。
話したらきっと、鈍るだろう。
決意が。
僕は首を横に振った後、覚悟を決めるため手のひらに固めた魔力で耳を塞ぐ。
……これで音は聞こえない。
彼女たちの寝息も、寝言も耳に入らない。
母さんから貰った耳を塞ぐのはしたくなかったけど、こうでもしないと覚悟が鈍って、仕方なかった。
左目の視覚だけを頼りに、机へ歩く。
時間はない。
夜中にこっそり書いた書き置きを机の上へと乗せる。
『ごめんなさい、アリアさん。
少しの間留守にします。
子どもたちのことを頼みました』
子どもたちも手のかかる子たちとはいえ、エリスちゃんもアリアさんもいる。
僕がいなくなったとしても孤児院の運営はなんとかなるはずだ。
……それに、なに。
今際の別れというわけでもない。
お仕事の話を聞いて、軽くお金を頂いたら戻ってくればいいのだ。
教育係と言っていたし、アリスちゃんの都合で休みの日だっていくつかはあるだろう。
十日間だ。
少なくとも、それまでには一度帰る。
何があってもだ。
「――行ってきます。アリアさん」
僕は彼女の額にそっと、口付けを落としてから、孤児院を出発した。