あべこべ逆転異世界で孤児院の頼れるお兄ちゃんになるため奮闘する 作:あに
「そういうことです。
さて、引き受けていただけますか」
グレースさんは僕にそう告げ、左手を差し出す。
「少し、考えていいですか?」
「はい。
もちろんですよ」
彼女の話を聞くに、結局のところは教育係なんだろう。
ただ、その一環としてリリィちゃんとお話をして欲しいというだけで。
……にしても、そうか。
次の当主はリリィちゃんになるのか。
こういうのは基本的に歳が上の方、つまりはアリスちゃんがなるものだと思っていたけど……
それだけ、優秀だということなのだろうか。
……世襲とか、そういう貴族っぽいことにはあまり関わりたくないというのが本音だ。
でも、彼女たちのことは気になる。
仕事とかじゃなくて、一人の兄として。
僕はグレースさんに質問をする。
「何で僕にそんなことを?」
「アリスを更生させた貴方以上の適任がいらっしゃいますか?」
……更生とまでのことをした記憶はないけど。
彼女の口ぶり的に、よっぽど前のアリスちゃんは荒れていたのだろうか。
まぁ、あんだけ離れている孤児院まで逃げて来るくらいだしね。
僕が関わることで、彼女たちが良い方向に進めるなら、それは嬉しいことだ。
自分にそんな価値があるとは思わないけど、でも僕が力になれるなら、やってもいいだろう。
「分かりました。
お受けします、そのお話」
差し出されたグレースさんの手を握る。
真っ白で綺麗な細い手に触れるのは少し緊張するけど、でもここで働くということは彼女らは家族になるようなものだ。
あんまり、照れるのも良くない。
そんな僕の姿を見た彼女は、微笑みを向けながら深々とした礼を向ける。
つられて、礼をする僕だけど、すぐにグレースさんの笑い声によって顔を上げることになった。
「ふふっ、これが契約書です」
見ると、応接室の机の上に一枚の紙が置かれてある。
契約書。
貴族さんのところで働くとなると、こういうのも必要なのだろう。
ざっと目を通してみるが、細かい文字が多い。
う、こういう文章を読むのは得意ではないのだ。
僕は苦い顔のまま、顔を下に落としていく。
――が、そんな顔は下の方に書いてあったお給料の欄によって吹き飛ばされることになった。
「それがお賃金になります。
私たちとしても、十分な額を出しているつもりですよ」
多い。というか、多すぎるくらいだ。
流石の財力と言いたいところだが、それにしても多い気がする。
「こ、こんなに、いいんですか?」
「貴方には期待していますから。
その代わり、きちんと働いてもらいますよ」
……これだけ貰えれれば、孤児院だって立て直せる。
それだけじゃない。
美味しいご飯も食べさせてあげられるし、良い服だって買ってあげられる。
僕は迷わず契約書へとペンを走らせる。
こんなチャンス、逃すわけにはいかない。
「……はい、えぇ。
これで契約完了、ですね」
「はいっ!
これからよろしくお願いします、グレースさん」
少々現金かもしれないが、仕方あるまい。
そのためにここにきたのだから。
……でも、感謝しないといけない。
グレースさんにも、この出会いを作ってくれたアリスちゃんにも。
そう思ってもう一度頭を下げた僕だが、ふと、あることを言い忘れていたことに気づいて顔をあげる。
「えっと、お金は僕にじゃなくて、孤児院の方に送ってください」
僕がお金を貰ってもしょうがない。
孤児院にはアリアさんもエリスちゃんもいる。
あの二人なら、お金が入ったら僕からの物だって察してくれるだろう。
「……ん、わかりました」
少し複雑そうな顔をしながら、グレースさんは僕の言葉に頷く。
あまり色々言い過ぎるのも何だけど、でも契約の前に話はきちんとした方が良い。
僕は彼女へと言葉を続ける。
「それと、一つお願いがあるんですけど、いいですか?」
「いやです」
……早くないですか、断るの。
彼女の言葉を聞いた僕は俯きながら、ため息を吐く。
うぅ、この話だけはちゃんとしたいのに。
そんな風に思って、モジモジしていると。
目の前にグレースさんが近づいてきて、小さく、囁きだす。
「……冗談ですよ。そんな可愛らしい顔はしないでください。
いじめたくなっちゃいます」
どうやら冗談だったらしい。
僕の顔に触れながら言う彼女の瞳は全然そんな風には見えなかったけど。
……でも、お話のチャンスはくれるようだ。
「えっと、十日に一回ほどでいいので、孤児院の方に帰らせて貰えませんか?」
正直、お給料の次に大事なことである。
みんなをあまり不安にさせたくない。
黙って、出てきちゃったし。
「ほう、それはそれは。
……ふむ」
だけど、僕の言葉を聞いたグレースさんは露骨に顔をしかめだす。
見たところ、あまり良い反応には見えない。
「――残念ながら、私は一度飼った子猫は逃がさない主義です」
そのとき、彼女が僕の左手の甲を軽く撫でた。
「な、なんです?」
指に、まるで這うような感触が伝わる。
何か硬くて、冷たいものが薬指へとするりと滑り込むような、そんな感触。
目を向ける。
すると、何かが、僕の指にはまっていることに気づいた。
そう、それは。
「指輪?」
……え、なんの指輪?
これ。
僕は困惑しながら、グレースさんに問いかける。
「私からの送り物です。
金貨100枚は下らない代物ですよ」
へー、そんなにするんだ、この指輪。
金貨100枚か。
――え、今なんていった?
「これ一つで家が三軒は立ちますね。
ふふっ、よく似合っていますよ」
「――う、受け取れませんっ!?
むり、むりですっ! こんな凄いものっ」
な、なんてものを渡してきているのだっ。
僕は慌てて、指輪を外そうと、引っ張る。
が、引っ張っても、引っ張っても。
指輪は外れる気配がない。
気配からするにおそらく、特別な魔力のようなもので、固定されているのだ。
「これは私からの個人的なプレゼントです。
……飼い猫には首輪をつけないと、困ってしまいますから」
彼女が僕の手を撫でる。
指輪を愛おしげに見つめるその視線は完全に駄目な人のソレだ。
「ふふっ、お望みならなんだって差し上げましょう。私は少し、尽くしすぎるところがありますからね」
「け、結構ですっ!」
指輪を取ることを諦めた僕は、これ以上のことが起きないように、彼女を止める。
なんか、ポッケから金ピカな宝石とか取り出してたしっ!
「あら、残念。
お金に困っていると聞いていたのですが」
「お、お金は自分で稼ぐものですので」
困っているからといって、こんな高価なものを受け取るわけにはいかない。
あんまり世話になりすぎるのも、良くないのだ。
一応、僕は教会の人という立場もあるし。
――そう思ったときだった。
「聞いてますよ。
最近は教会も随分血生臭いことになっているのでしょう?」
「え?」
それは多分、偶然だろうけど。
グレースさんがそういったことを口にした。
「どうにも人手不足だそうで。
魔獣の異常発生と戦争の影響も相まって、本部はてんてこ舞いだそうですね」
……そんな話、アリアさんからは聞いていない。
いや、そもそも。
教会の情報とかそういうのはあまり、聞こうともしなかった。
神さまのこととかは、好きじゃなかったから。
「私の知り合いの教皇も随分と優秀なシスターが田舎へ逃げたと嘆いてました。
まぁ、これは何年も前のことですが」
でも、そういえば。
最近のアリアさんはかなり忙しそうにしていた気がする。
執務室に篭ってばかりだし、寝室に入ってもすぐに寝てしまっていた。
……もしかして、僕に言わずに何かしていたのだろうか。
「少し、話が長くなりましたね。
それでは、契約も完了したことですし。
お食事にしましょう」
得もしれぬ不安感に襲われながらも、僕はグレースさんの言葉に頷く。
帰ったら、ちゃんと話をしよう。
そう心に誓いながら、僕はグレースさんの後ろを歩いていった。
そして現在。
「お兄ちゃんっ! アリスといっぱい遊ぶのっ! とっても遊びたいのっ!」
「はい、お姉様と遊びましょうっ! お兄様!」
「よしよし、そうだね。
でも、今日はお勉強の日だから、終わったらにしようか」
僕は可愛い妹二人の頭を右手で撫でながら、孤児院から持ってきていた教科書を取り出す。
――さあ、お仕事開始である。