あべこべ逆転異世界で孤児院の頼れるお兄ちゃんになるため奮闘する 作:あに
「いやー、中々手強かったね。
お兄ちゃん、もう少しで頭丸かじりにされてたよ」
「……馬鹿なんですか。
なんで、あんなのと素手で戦うんです」
目の前にあるのは、地に伏せた魔獣の身体。
生きてるのか、死んでるのかは分からない。
床に流れる黒い血は、彼の手に付いているものと同じだ。
「あはは、最初は魔法で逃げようと思ったんだけど、リリィちゃんが暴れちゃったら危なかったから」
それは、そうかもしれない。
少なくとも、あのときの私は平静を失っていた。
……彼の手が、頭に乗るまでは。
手に付いた血を拭った後、レイトは私の隣に座る。
「よしよし、怖かったね。
もう大丈夫だからね」
レイトの手がまた、頭に乗る。
撫でるのを拒む気はもうない。
……駄目だ。頭がふわふわしてくる。
跳ねる心臓は先ほどからずっと鳴り止まない。
というか、見れない。
彼の顔が。
違う、ちがう。
そんなんじゃない。
「わ、私に恩を売りたかっただけでしょう。
感謝はしますが、貴方を認めたわけではありません」
否定の言葉を吐くたび、心臓の鼓動は大きくなる。
彼に背を向けたまま、じっと床に向かってうずくまって、無理やりでも、自分落ち着かせようと、息を吐く。
でも。
「――違うよ」
後ろから、ぎゅっと抱きしめられた体温が、伝わったとき。
身体は勝手に、彼の方を振り向いてしまった。
「な、なんです、レイト。
ちかい、ですよ」
彼の顔が接触しそうなほどに、近い。
右目の黒い眼帯が、私の視界を半分覆う。
ちかい、まって、うそ。
そのまま、ゆっくりと、目を閉じたとき。
レイトが言葉を放った。
「僕はお兄ちゃんだからね」
……は?
なにを言っているのだ、この男は。
「え、ちょっと、なんで、顔離すんですか」
「ん、可愛い顔が無事で良かったねと思って」
彼はそう言うと、また私の顔を見て、言い放つ。
「あれどうしたの? リリィちゃん。
顔が赤いけど」
「あ、赤くなんかしてないですっ!」
言っては見たけど、駄目だ。
はにかむ彼の顔を見なくてもわかる。
身体中の熱は、さっきからずっと、止まらない。
「や、やはり、貴方のようないい加減な人はライデル家には相応しくありません」
「兄としては?」
「それも駄目ですっ!」
「えー」
放たれた声は、まるで子どものように甘えた、あどけない声。
それを聞いてますます、身体が熱くなるのを感じた。
「じゃあ、僕はリリィちゃんの何なのかな?」
悪戯っぽく私の頭を撫でるレイト。
何回もやられた行為なのに、私の身体は、一向に慣れる様子がない。
……レイトが、なんなのか?
馬鹿みたいな考えが、一瞬、頭によぎる。
ちがう、ちがう。
そういうんじゃないのだ。
レイトは、私を守ってくれて、外に出してくれて……いっぱい、撫でてくれて。
でも私が望むのは、兄とか、そういうんじゃない。
「……貴方はただのレイトです」
だから、私は答える。
「そっか。じゃあ、仕方ないか」
レイトは私の答えを聞いて、一瞬残念そうな顔をしたけど、すぐに笑みを浮かべなおす。
ちがう、私が言いたいのはそういうことではない。
本当のことを伝えるには、勇気が必要だ。
それはたぶん、私にとって、一番足りないもの。
でも、ここで言わなかったら、一生後悔するに違いない。
「――ですがっ!」
だから、私は彼に伝える。
どんなに、小さな声だったとしても。
「……か、家族としては、認めてあげます」
その声が彼に聞こえていたのかは、よく分からない。
働き始めて、十日が経った。
その間、色々なことがあった。
「ずるいのずるいのずるいのずるいの。
リリィと二人で出かけるなんて酷いの、仲間外れなの、抗議するの」
「ご、ごめんねぇ、アリスちゃん」
リリィちゃんと一緒に出かけたことをもの凄い勢いでアリスちゃんに咎められたり。
「はい、お姉様の言うとおり。
レイトは酷い男です」
「お、お兄ちゃんは酷い人なんかじゃないもんっ!」
「自分で言っといてなんです、お姉様」
「う、言うようになったの、リリィも」
アリスちゃんとリリィちゃんの関係がちょっとだけ、変わったり。
「レジーさんはどう思いますか?
リリィちゃんの今の姿を見て」
「正直、ライデルの次期当主としては、前までの方が良かったと思います」
「……そうですか」
「ですが、使用人たちからは今の方が親しみやすいという声もあります。
……なので、駄目ではないのでしょうね」
レジーさんが少し、柔らかい顔をするようになったり。
どれも側から見たら些細な変化かもしれないけど、当事者の僕は分かる。
うむ、非常に良い変化である。
「という感じでした。
リリィちゃんとのお出かけについて報告は以上です」
「はい。ありがとうございます。
ふふっ、やはり貴方に任せて正解でしたね」
そんなわけで、僕は今グレースさん呼び出され、お話をしていた。
主題はリリィちゃんとのお出かけについての報告だ。
頼まれてたことだしね。
「リリィちゃんは最近よくアリスちゃんと一緒に外に遊びに行ってます。
前まで外を怖がってたのが嘘みたいですね」
「そうですか、あの子が……」
グレースさんは随分と感慨深い顔をしながら、上の方を向いている。
彼女もきっと思うことがあるのだろう。
そして、そのまま静寂が流れた後。
不意に、グレースさんが声を放つ。
「……貴方には話しておきましょうか。
なんであの子が外の世界を嫌がるのかを」
「え?」
「――リリィは私が拾った子です。
血の繋がりはありません」
そこから聞かされた話は、僕にとっても驚くべきものだった。
昔、街に捨てられたリリィちゃんを彼女が拾った話。
亡くなった旦那さんの声でアリスちゃんの妹として育てることを決めた話。
ずっと、彼女のことを思って、外には出さず、お屋敷で暮らしてきた話。
それらは、孤児院を経営している僕からすると、思わず目を濡らしてしまう話だった。
「あの子自身も知らないことです。
くれぐれも他言無用でお願いしますね?」
「……はい。
でも、なんで僕にそんなことを?」
「ふふっ、私は貴方を信頼してますから。
こんな些細なことであの子を見下したりはしないでしょう」
「えぇ、それはもちろん。
お兄ちゃんなので」
そう言った声を聞いたグレースさんは安心したのか、深いお辞儀を僕へと見せた。
「あの、グレースさん。
一つお話しをしてもいいですか?」
「はい、なんですか」
話を終えた後、部屋に戻ろうとするグレースさんを引き止める。
……リリィちゃんのこともそうだが、今日は伝えることがあってここに来たのだ。いつまでも感傷に浸ってるわけにはいかない。
「明日なんですけど。
一度、孤児院に帰ってもいいですか?」
そう、なによりも大事な約束である。
既にここに来て十日も経つ。
いくらアリアさんとエリスちゃんがいるとはいえ、一度戻らないと心配だ。
「――はて、なんの話でしょう?」
「……ん?」
だけど、僕はそこで知る。
「ふふっ、私は飼い猫を逃したりなんかしませんよ」
――グレースさんは良い人だ。
リリィちゃんの話も、彼女に対する想いも間違いなく、本当のものだ。
……でもライデル家は、街の人からも恐れられる大貴族であって。
「ほら、ここを見てください。
ちっちゃな文字ですが、書いていますよね?」
当主としての彼女は、相応の悪どさを秘めていることを。
――ライデル家の一員として、当主グレースの庇護下に入ることに同意し、了承なしの外出を禁じる。
契約書には確かにそう書いていた。
隅の隅、片目がない僕にとっては、ほとんど見えないような小さな文字で。
「この前のリリィの件は私が仕向けたものなのでいいでしょう。
ですが、それ以外は別です」
グレースさんが僕に近づく。
彼女の表情はいつもと同じで、考えていることは、つかめない。
そのまま、僕の肩にポンと手が置かれる。
「それでは、今日もよろしくお願いしますね。
――お兄ちゃん」
妖艶な笑みを浮かべながらそんなことを口にした彼女に対して、僕はしばらく、呆然と立ち尽くすことしかできなかった。
「……うぅ、どうしよう。
こんなことになるなんて」
グレースさんが去った応接室で僕は一人、考える。
孤児院に、帰れないことを。
これは僕が悪かった。
契約書はちゃんと確認すべきだったのだ。
あの文を読まなかったにしても、孤児院に帰ることの確約とか、そういうのはできたはずだ。
……無理やり脱出しようか。
魔法を使ったら、出来ないことはない気がする。
でも、やったら確実にクビだ。
まだお金も貯まってない。
このまま帰っても、いつか孤児院はパンクしてしまうだろう。
そう思って、僕が頭を抱えたとき。
「――力を貸しましょうか?
レイト」
小さな身体が僕の背中をポンと叩いた。
「リリィちゃん!」
「話は聞きました。
まったく、あの人は相変わらずですね。
……それに、私が知らないと思っていたんでしょうか」
そこにいたのは複雑そうな表情をしたリリィちゃん。
ぱっと僕に飛びかかった彼女は、耳元で小さく言葉を溢す。
「ま、それはいいです。
この前の恩です。手を貸しましょう、レイト」
「え?」
「……明日はお姉様のお注射の日です。
毎年大暴れになるので騎士総動員で行うことになるでしょう」
「ついでに私も魔法やら何やらで大暴れするので、レイトはそうしてる間にここを抜け出してください」
そこで彼女に聞かされた話は僕にとって、非常にありがたい話だった。
……若干、バイオレンスな気もするけど。
「で、でもいいの? そんなことしたら、リリィちゃん怒られちゃうよ」
「べつにいいです。
子どもはちょっとお転婆なくらいが可愛いので」
……僕の言葉で反論されては敵わないな。
流石リリィちゃんである。
そう思うと同時、彼女が言葉を放つ。
「――あの契約は、母様が当主の限り続きます」
「……ん、そうなの?」
「はい、この意味がわかりますね?」
ほう、ふむふむ、つまりはそうか。
「……ごめん、お兄ちゃんぜんぜんわかんないよ」
「あぁ、もう、勘が悪い人ですね」
白旗を上げた僕に対して、リリィちゃんが呆れたように呟く。
「――私はお母様ほど、性悪ではありませんから。
……家に帰るくらい、許してあげます」
「え?」
「だからっ! 私が当主になって、貴方を家に返してあげるって言ってんですっ! ここまで言えば分かりますか!」
耳元がキーンとなりながらも、僕は彼女の言葉を聞き逃さなかった。
リリィちゃんが、当主、それで、僕を帰してくれる……
え、ほんとに?
「やばい、惚れちゃったよ、お兄ちゃん」
「は?」
「うぅ、頼れる妹を持って、お兄ちゃんは幸せだよ」
「ちょ、ちょっと、なに抱きついてきてんですか。ひゃ、あ、ち、近いです」
昂りを抑えられなかった僕は彼女の身体を滅茶苦茶に抱きしめて、ぎゅーっと、身体をくっつける。
「ほ、ほっぺた、むにむにしないでぇ」
そのまま、リリィちゃんに惚れた僕は、彼女の可愛い姿を堪能しながら、作戦会議を始まるのだった。
「……リリィちゃんには感謝だな」
次の日、僕はお屋敷を出ていた。
昼頃。
寝室でメイドと寝ていたグレースさんに魔法で水をぶっかけたリリィちゃん。それを皮切りに彼女の爆発が始まった。
ついでに注射から逃げてきたアリスちゃんも加勢したため、お屋敷は現在大混乱である。
……これ、僕のせいってバレたらやばくないかな?
「ま、後のことは帰ってから考えよう」
それより、今は孤児院である。
もう既に見えているそれを目指して僕は歩く。
だけど、そのとき。
孤児院の外にいた、ある人影を見て、僕は立ち止まる。
「ニーナ?」
「――お兄、ちゃん?」
そこにいたのは、ニーナ。
いつも元気な姿の彼女は、なぜか孤児院の隣、森の方を見ながら、俯いていた。
僕に気づいて、彼女が走ってくる。
「お兄ちゃんの、ばかっ!
どこ、いってたの」
そのまま、ポカポカと身体を叩かれ、僕は慌てて彼女を抱きしめる。
「ごめん、ごめんね。
寂しかったよね」
「う、うぅ、おにい、ちゃん。
わたし、ずっとしんぱいしてたのに」
僕らは互いに、瞼を真っ赤にさせながら、泣いていた。
たった十日会ってないだけなのに、こんなに、泣いちゃうとは、僕も弱いものだ。
でも、もう大丈夫。
「お兄ちゃんは帰ってきたからね。
今夜はみんなで一緒に寝ようか」
そう言って、彼女の頭に手を伸ばしたとき。
「そ、それより、も」
言葉が放たれる。
「エリスお姉ちゃんが、いなくなっちゃった」
「……え?」
Q お母様ルートはありますか?
A ないです(無慈悲)