元社畜悪役貴族のホワイト経営 ~将来俺を殺すはずの主人公少女を福利厚生で懐かせて成り上がります 作:chickden
屋敷の練兵場、早春の朝。
まだ冷気が残る中、俺は一人の女性を呼び出していた。
フィエルダ。二十四歳前後。短く切りそろえた赤髪に、鍛え抜かれた褐色の肢体。元S級冒険者という輝かしい過去を持ちながら、今は俺の屋敷の衛兵隊長に甘んじている。
以前のラムラが、不治の病『魔力枯渇症』で最前線を退いた彼女に目をつけ、高給で無理やり雇い入れたという経緯があった。
枯渇症で金が必要な彼女はプライドを売る形でウチで働くことになったのだ。憎まれているのは想像に難くない。
(……現に今も、俺を見る目が完全に『汚物』を見る目だもんな。さすがは原作では将来、俺を裏切って告発するはずだった『爆弾』って感じ。こわっ)
金だけで忠誠は買えない。
そんな彼女の態度が気に食わなくて、
俺への不満は爆発寸前といったところだろう。
だが、俺も負けてはいられない。いずれ俺の敵になるかもしれない二人、アルメイリとフィエルダを組ませるのは極めてリスキーだが、アルメイリを最強の盾に育て上げるには、この女剣士の実力が必要なのだ。
「……で、雇い主さま直々のご指名ってのは、あのガキの守役かい?」
フィエルダは不機嫌そうに鼻を鳴らし、木剣を肩に担いだ。
彼女が放つ刺々しいオーラを、俺は敢えての悪辣な笑顔でスルーする。これぞ相手の敵意を物理的にシャットアウトする社畜スキル『厚顔無恥』だ。
「守役ではない、師範だ。このアルメイリを『最強の私兵』に育て上げろ。……フィエルダ、お前の指導料はこれまでの三倍出す。さらに完全週休二日、残業なしのフレックス制を確約する」
「は? 三倍? 休み? ……どういう風の吹き回しだおまえ」
俺の突拍子もない提案に、フィエルダがジロリと睨んでくる。
――信じられるか、そんなこと。彼女の目がそう訴えていた。
無理もない。だが、俺は本気だ。
どうすればこの危険な裏切り者を御せるか?
答えは簡単だ。不満がゼロの『最高待遇』で囲い込み、告発する材料すら与えない圧倒的なホワイト環境で、俺の
「それだけ重要な案件ということだ。ただし、成果は厳しく評価させてもらうぞ」
「はん、アタシにゃ金が必要だ、どうせ逆らえやしない。仕事だってんなら受けるがね、アタシは教えるには向いちゃいない。あんまり期待しなさんな」
不満げに地面を蹴るフィエルダ。
だが、俺はゲームの知識で知っている。彼女が本来、誰よりも面倒見が良く、そして才能に対して真摯な女であることを。
そういう意味で、やはり彼女はアルメイリの師匠に適任なのだ。
彼女を怪我から守りつつ面倒を見れるのは、フィエルダ以外に存在しない。
「アルメイリとか言ったか? さっそく始めるぞ!」
彼女はアルメイリの名を名を呼ぶと、稽古を始めたのだった。
(ふふ。始めてしまえばこちらのものだ。すぐにわかる、この俺の社畜時代に培った人心コントロールが如何に優れているかが)
フィエルダは、前世で俺の部下だった社員に似ている。
そいつも会社に不満を持つ、口の悪いベテランだった。
だが、彼が思いのほか面倒見が良いことに気づいた俺は、彼を新人の教育係に当てたのだ。
その結果、彼は生まれ変わった。
部下想いで面倒見のいい、優良な社員へ。
(要は適材適所なんだ。フィエルダのような社員は、正当な評価と『才能の育成』という『やりがい』を与えれば、最強の戦力に化けるはず。……頼むぞ狂犬、俺の命はお前の教育手腕にかかっている!)
それから一週間。
俺は執務の合間を縫って、練兵場の様子を伺いに行った。
カン、カカカンッ! と、小気味良い木剣のぶつかり合う音が響いている。
そこには、一週間前よりも洗練された動きを見せるアルメイリがいた。
小さな身体を
「そこだ、腰が浮いてる! 呼吸を止めるな、リズムを刻め!」
「……っ、はい……です!」
フィエルダの鋭い叱咤に、アルメイリは食らいつく。
俺は舌を巻いた。
初めてS級の凄さを知った気がする。こんな剣技は見たことがない。剣速も速いが、素人目にも圧が凄そうだ。よくついていけてるよ、アルメイリの奴。
しばらくして休憩の合図が出ると、アルメイリは額の汗を拭いながら、こちらに気づいてトテトテと駆け寄ってきた。
「……ラムラ、さま。……ご挨拶に、きました……です」
ぺこりと深辞儀。まだどこか俺を恐れ、信用しきっていない様子はあるが、その頬は健康的な朱に染まり、目には確かな生気が宿っている。
「うむ。どうだ、稼働状況……いや、練習の調子は」
「……お肉、たくさん、食べてるから。……動ける、です。先生の教え方、わからなくて、怖いけど……でも、楽しい……です。……ありがとうございます、です」
感謝の言葉を口にしながら、アルメイリは気恥ずかしそうに視線を泳がせた。
まるで小動物のようだ。一見、可愛らしくも見えるが、俺はその内に秘められた暴力的な才能を知っているからな。騙されないぞ、くわばらくわばら。
「ふん。礼など不要だ。お前が俺を守る価値のある『盾』になれば、それでいい」
「……ぎょうむ……めいれい、です……ので。がんばる、です」
アルメイリはぎゅっと木剣を握りしめ、自分に言い聞かせるように呟いた。
そんな俺たちの様子を見て、フィエルダが肩をすくめながら歩み寄ってくる。
「……驚いたぞ、コニスン伯。この子は、化け物……いや、努力の天才だ。一を教えれば十を勝手に汲み取って、休憩時間すら自主練に充てようとする。正直、アタシの方が根を上げそうだぞ」
「そこまでか」
ひええ、この才能が俺の命を狙っていたらと思うと!
内心の怯えをおくびにも出さぬよう気を付けながら、俺はアルメイリを見た。
「先生の、教え方が……うまい、です」
「よく言う。さっき『教え方がわからなくて怖い』と言ってたじゃないか」
「……あう」
気まずそうにショゲるアルメイリを見て、フィエルダは鼻を鳴らした。
笑いはしないが、その口元がわずかに緩んでいる。
「まあ、才能だけじゃないのは偉い。天賦で身体を動かすだけでなく、反復して肉体に刻み込むのは大事なんだ」
俺はフィエルダの表情を窺った。
こちらに向ける視線にはまだ警戒が残っていたが、アルメイリを見る横顔はわずかに違う色をしていた。職人が原石を前にしたときの、静かな目――打ち込むべき仕事を見つけた者のそれだった。
(社畜流マネジメント術。……まあ、うまくいったな)
狙ってやったと言えば、そうだ。だが実際に目の前で師弟の絆が生まれるのを見るのは、なんというか……思ったより、悪くない。
俺は少し間を置いてから、静かに練兵場を後にした。
そしてさらに、一ヶ月が経過したころ。
フィエルダが、もはや不機嫌さの欠片もなく、興奮を隠しきれない様子で俺の執務室に飛び込んできた。
「おい、ラムラ! あの子は一体何者なんだ! アルメイリのやつ、もうアタシの現役時代の動きを一部トレースし始めてるぞ!」
もともと雇い主へ遠慮はなかったが、それでも俺を呼び捨てにすることはなかったはず。それが今、ハシャいでそんなことも気に留めなくなっていた。
だが、この熱量こそが俺の狙い通りの結果だ。
どうやら思い通りに事が進んだらしい。
「どこで見つけてきたんだ、あれは才能の宝玉だ!」
「……勘だ。俺はビジネスにおいても、逸材を見抜く『審美眼』には自信がある」
本当はゲーム知識だけど。まあこれは言えないので誤魔化す。
するとフィエルダは感心した顔をした。
「勘か……。ラムラ、アンタ案外底が知れない奴だな。もしかしたら、アンタ自身も実戦にゃ向いてるかもしれないぞ? 他人の才がわかる奴ってのは、自分の中に『基準』があるもんだからな」
「俺にか? まさか。俺はせいぜい書類を捌くくらいしか能がない」
ご冗談を。それは買い被りが過ぎる。
俺が鼻で笑うと、フィエルダの目が獰猛な肉食獣のように細まった。
「ははっ、試してみるかい?」
――次の瞬間。
彼女の拳が、音もなく俺の鼻先へと突き出された。
挨拶代わりの不意打ち。並の衛兵なら、何が起きたか分からぬまま倒れ伏すスピード。
――シュンッ!
俺の身体は、脳が恐怖を感じるよりも速く、反射的に『回避』の体勢を取っていた。
首を最小限の動作で横に逸らし、流れるように重心を低くして、彼女の懐をすり抜ける。
それは、前世のブラック企業で培われた悲しきサバイバル技術。
『激昂した上司が投げつけてくる分厚いカタログ』や、『視界の端から飛んでくるコーヒーの入ったマグカップ』を、無意識に、かつ最小限の労力で避けてきた社畜の回避本能だった。
理不尽な体罰を回避し続けてきた魂の記憶が、S級冒険者の初手を無力化したのである。
とはいえ。
(ひぃぃっ!? なんで部下がいきなり上司を殴ってくるんだ! コンプラ違反どころか完全な傷害事件だろ!)
内心では飛び出そうだった心臓を押さえつけ、顔の筋肉を引きつらせてながらも俺は『余裕の悪役スマイル』を作った。
「……何の真似だ、フィエルダ。俺の顔に傷でもつけたら、減給だけでは済まんぞ」
「今のを避けるかい。アンタ、やっぱりイケるクチなんだな」
フィエルダは驚愕に目を見開いた後、愉快そうに笑い声を上げた。
おいおい、避けれなかったら大惨事だぞ。
「確信したよ。アンタには、攻撃を予測して先回りする圧倒的な『才』がある。……真面目に稽古をつければ、相当な使い手になれるはずだぜ?」
「そうか。だが残念だ、俺は忙しいのでな。俺の時間は金よりも貴重だ。俺が強くなるために使う時間は、そのまま我がコニスン家の経済的損失に繋がる」
本当はただ、これ以上怖い思いをしたくないだけなのだが、もっともらしい『多忙』を理由に丁重に、かつ断固として拒否する。
「そうかい? もったいないねぇ」
そこへ今日の練習ノルマを終えたアルメイリが、執務室までフィエルダを呼びに来た。
「終わりました、です。……フィエルダ先生」
「よーし! じゃあ次は模擬戦だ。だんだん実戦に近づけていくぞ!」
「よろしく……おねがいします、です」
今や師弟の絆は、誰が見ても疑いようのないものになっていた。
執務室を出ようとしたフィエルダが、ふと足を止め、真面目な顔で俺を振り返った。
「あ、勘違いすんなよ。アンタの人間性は今でも反吐が出るほど嫌いだが、その『逸材を見抜く目』と、この『最高の職場環境』だけは認めてやる」
そういうとニヤリ、笑い。
「……だから気が向いたらいつでも声を掛けな、上司さんよ。最近、ちょっと街中が不穏なんだ。魔物が増えている。自分の身くらいは守れた方が、何かと便利だと思うぜ」
――不穏。
フィエルダが残したその言葉が、俺の脳内の経営リスクアラートをかすかに鳴らした、その直後だった。
二人と入れ替わりに、バタン! と勢いよく扉が開く。
飛び込んできたのは、顔を蒼白にしたプリミアだ。
「ラムラさま! 緊急報告です!」
あ、その顔は絶対に『致命的なトラブル』を持ってきた部下の顔だ。聞きたくない、だが聞かないと俺が死ぬ。
「落ち着けプリミア。悪い報告ほど、結論から短く言え」
「はっ、はい! ラムラさまが支援を開始したあの孤児院が、魔物に襲われているとのことです!」
俺の
どうやら、のんびりと屋敷の経営を楽しんでいる時間は、もう終わったらしい。