FPSのUIが現実に見える俺が、いつの間にか殺し屋になるまで   作:鳥獣跋扈

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第14話 女主人と執事と

 女が一人、ソファに深く腰を沈めていた。

 

 脚を組み、背もたれへ体重を預ける姿は、くつろいでいるというより、その部屋そのものが自分のために誂えられていると知っている人間のそれだった。薄暗い室内に落ちる灯りは柔らかく、妖艶ともとれる輪郭がはっきりと見える。

 雨宮しずくは、箱から取り出した紙巻き煙草を唇に挟むと、古びたライターを手の中で転がした。

 

 金属の擦れる微かな音。

 しゅぼ、と鈍い着火音。

 オイルの焼ける、少し甘い匂い。

 

 慣れた仕草だった。

 火を灯すために浅く吸い込み、そのまま細く長く煙を吐き出す。紫煙はゆるく天井へ昇り、シャンデリアの灯りを薄く曇らせた。

 

 部屋の正面の扉が、ガチャリと静かに開く。

 

 執事服に身を包んだ小柄な男が入ってきた。

 金髪が肩口で柔らかく揺れる。見た目だけなら、育ちの良い年若い令息か、少女と見間違える人間もいるだろう。だが、その歩き方には一切の迷いがない。足音はほとんどせず、視線は揺らがない。

 

 アルフレート・ヘンシェルは、煙草を燻らせる主人の傍まで進むと、一礼した。

 

「お見送りして参りました」

 

 短く、それだけ告げる。

 それから壁際の棚から灰皿を取り出し、テーブルへ音もなく置いた。雨宮が軽く灰を落とす。細かな灰が白く崩れ、黒い皿の上へ静かに積もった。

 

「……で、どう思ったかしら」

 

 雨宮が尋ねる。

 

 主語はない。

 だが、話題の相手が誰なのかは、互いに分かりきっている。

 

 事前にこちらで調べられ、共有されていた簡素な経歴をアルフは頭の中でなぞる。

 

 二階堂恒一。

 幼い頃に両親を亡くし、その後は遠方に住む祖父母の家へ引き取られた。

 

 中学では何らかの理由により登校拒否。

 高校は通信制へ進学。そこから持ち直したのか、それとも別の何かか、大学は地方の国立を卒業している。

 

 卒業後は目立った就職歴はない。

 どこかの会社へ腰を落ち着けるでもなく、日雇い、派遣、短期の仕事を点々としながら、その日その日をやり過ごすように生きてきた。

 

 悪く言えば、根無し草。

 よく言えば、どこにも縛られていない人間。

 

 経歴だけを見れば、特筆すべきものは何一つない。

 壊れかけた少年時代と、どうにか体裁だけは整えた学歴と、そのあとに続く、ひどく曖昧で輪郭の薄い生活。

 

 どこにでもいる、少しばかり躓いた男。

 書類の上では、確かにそう見える。

 

 アルフは反芻した経歴と、先ほど対峙した所感を合わせて答える。

 

「どうにも、掴みにくい方だという印象です」

 

 執事らしく整った口調でそう言ってから、わずかに言い淀む。

 

「ただ……」

 

 そこで止まる。

 

 雨宮は、煙草を指先で持ち替えながら、視線だけで先を促した。

 その表情は面白がっているようにも見えるし、真剣に続きを待っているようにも見える。つまり、いつも通りだった。

 

「得体の知れない人物であることは、確かかと」

 

 アルフは淡々と続けた。

 

「お嬢様のご意向に背くつもりはございませんが、些か……」

 

「些か、何かしら?」

 

 雨宮がソファへさらに深く身を預ける。

 煙を天井へ吐き出しながら問うその声音は、叱責ではなく、むしろ楽しんでいる響きを含んでいた。

 

「些か、危険かと」

 

 アルフは真顔のまま答えた。

 

「戦闘能力は、現時点ではまだ不確かです。しかし観察力――あるいは、感知能力と表現すべきかもしれませんが――それについては、確かなものがあるように思えます」

 

 そこで、彼の視線がワゴンへ流れる。

 上には空になったカップと、手のつけられていないコーヒーカップが一つ。

 

「探りを入れるためとはいえ、微量の下剤です」

 

 アルフは目を伏せたまま言う。

 

「ほぼ無味無臭。とはいえ、完全に香りが立たないわけではありません。コーヒーの強い香りの中から、それを嗅ぎ分けるとなると……」

 

 一拍。

 

「どこかの専門機関に所属していた可能性も考慮すべきかと。こちらも、お嬢様の身を守るために全力を尽くします。しかし万が一、ということもございます。どうか、あまりお戯れはなさいませんよう」

 

 苦言を呈するように頭を下げる。

 だが雨宮は、にやりとした笑みを崩さなかった。

 

「ごめんなさいね」

 

 口ではそう言う。

 けれど、反省の色は薄い。

 

「でも、彼はこの程度で怒るようなタイプじゃないわ。勘だけどね」

 

 雨宮は煙草をもう一度咥え、ゆっくり吸った。

 細く吐いた煙が、彼女の唇の輪郭をぼかす。

 

「いざ本気で殺しにかかれば話は別でしょうけど、避けられる害意には無頓着なタイプ……かしら」

 

 そこで軽く笑い、言葉を継ぐ。

 

「それに、腕の方も確かよ。ほら」

 

 ジャケットの内側から数枚の写真を取り出し、テーブルの上へ広げた。

 

 一枚は、シューティングレンジのターゲット。

 もう一枚は、複数の角度から撮影された死体の写真。

 

 アルフは「失礼します」と断ってから、それらを手に取る。

 

 まず見たのは、死体の方だった。

 フラッシュの不自然な光が死体の輪郭を白く浮かび上がらせている。だが写真は複数角度から撮られており、損傷の位置もよく分かる。出血箇所から見るに、胴体に二発、頭部に一発。見事な射撃ではある。だが、特筆するほどかと言われれば、これだけならまだ断定は難しい。

 

「昨日の件の“イレギュラー”よ」

 

 雨宮が言う。

 

「目的まではまだ分からなかったけど、ヨーロッパ系のエージェントね。照会したらヒットしたわ。ただ、詳しいプロフィールまではまだ閲覧できず。多分、そのうち経歴が抹消されるから、これ以上は難しいかもね」

 

 そこで少し勿体ぶるように間を置いた。

 

「ただね、現場の発砲状況から見ると、面白いことが分かるのよ」

 

 アルフが視線を上げる。

 雨宮は、煙草を灰皿へ置いた。

 

「イレギュラーの発砲は二発。現場にいた他の死体二体に、それぞれ一発ずつ。ヘッドで決めてるから、そこは腕通りね」

 

 指先でテーブルを軽く叩く。

 

「でも、それ以外に発砲はない。つまり、“彼”はイレギュラーから一発も許さず、先制で決めてるの」

 

 アルフの眉間へ、うっすら皺が寄る。

 雨宮は続けた。

 

「現場状況から見て、イレギュラーは工場二階の足場。光源なし。彼は階下のどこか。位置的不利は圧倒的だった。なのに、まるで相手がどこにいるか最初から分かってるみたいに、滑らかに仕留めてる」

 

 アルフは息を吐きながら、静かに首を振った。

 

「少なくとも、ただのラッキーじゃないことは間違いなさそうですね」

 

「でしょう?」

 

 雨宮は楽しげに笑う。

 それから、もう一枚の写真――ターゲットの方を指先で示した。

 

「そっちの方が、大概よ」

 

 アルフはそちらへ目を移す。

 

 人型のターゲット。

 胸部と頭部に穴が開いている。ぱっと見、それだけだ。少し穴が大きいようにも見えるが、射撃場の結果写真としては、そこまで不自然には映らない。

 

 アルフが首を傾げると、雨宮は喉の奥で笑いを噛み殺すような音を立てた。

 

「それ、時計屋からさっき届いたばかりなんだけどね。“店売りの試し撃ち”の結果なのよ」

 

 その一言で、アルフの顔つきが変わる。

 

 店売り。

 つまり、まだ個人の癖に合わせた調整もされていない状態。いくら整備がきちんとしている店でも、使い手の握りや癖にぴたりと合わせてあるわけではない。

 

 それで、この精度。

 

 元々慣れていた銃種だった可能性はある。

 だが、そうだとしても――。

 

「ちなみに、何発撃ったと思う?」

 

 雨宮が問う。

 

 アルフは一瞬、意味を測りかねたように黙った。

 写真を見る限り、二発か、せいぜいもう少し。そういう話ではないのか。

 

 雨宮は、その沈黙を面白がるように笑った。

 

「一ケース。五十発、撃ち切って、それらしいわよ」

 

 今度こそ、アルフの目が見開かれた。

 

 尋常ではない。

 異常だ。

 

 むしろ機械だと言われた方が納得がいく。五十発を、ただの“試し撃ち”で、ピンホールショット。反動への適応、照準の収束、切り替えの速度。何より、それを当然のようにやってのける感覚。

 

「時計屋の方もびっくりしたみたいでね」

 

 雨宮は肩をすくめる。

 

「もし何か仕事があったら、こっちに回すかも、ですって。現金なもんよねぇ」

 

 からからと笑う。

 

 アルフは、その笑いを聞きながら、じわりと背に汗が伝うのを意識していた。

 

 直接相対した時、彼から異常性は感じられなかった。

 それが一番気味が悪い。

 

 この世界、とんでもないレベルの人間は実在する。

 アルフ自身も、この世界に身を置いて数年。少なからず、そういう人間たちを見てきた。幸い、明確な敵対関係になったことはない。だが、それでも彼らには共通した何かがあった。

 

 圧。

 あるいは、気配。

 うまく言葉にできない、存在感の濃さ。

 

 近くにいるだけで分かる。

 関わってはいけない相手だと、本能のどこかが警鐘を鳴らす。

 

 だが、あの男――二階堂恒一からは、それが何ひとつ感じられなかった。

 

 ただの、普通の男。

 そこらにいる一般人。

 少し愛想がなくて、少し口数が少なくて、少し暗いだけの、どこにでもいそうな男。

 

 それが、もし擬態だとしたら。

 

 ぞくり、と汗が急激に冷える。

 

 主人は面白がっている。

 雨宮しずくは、こういう得体の知れないものへ手を伸ばすことを楽しむ女だ。危険を危険として理解した上で、なお笑う。

 

 けれど、アルフの胸の内には、小さな棘みたいな不安が残ったままだった。

 

 あの男は、本当に“普通”なのか。

 それとも、普通にしか見えない何か、なのか。

 

 煙草の火が静かに短くなる。

 部屋の中には、ランプの灯りと、女主人の笑い声と、拭いきれない不安だけが残っていた。

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