FPSのUIが現実に見える俺が、いつの間にか殺し屋になるまで   作:鳥獣跋扈

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第19話 少女

 波の音が、船体越しに低く響いていた。

 

 風は思っていたより冷たくて、外壁に張りついた身体からじわじわと体温を奪っていく。スーツの上着が時折ばたつき、そのたびに、自分がいま海の上にいるのだと嫌でも実感させられた。

 

 オーナーの部屋の外。

 壁に背を寄せるようにしながら、俺は中の様子を探る。

 

 灯りはついていない。

 窓の向こうにはレースのカーテンがうっすら見える。だが、それ以上は分からなかった。

 

 ……考えていても仕方ない。

 

 俺は静かに窓へ近寄った。

 ガラスへそっと指を添え、開くかどうかだけ試してみる。

 当然というか、残念というか。鍵はかかっていた。

 

「だろうな……」

 

 小さく呟く。

 

 気落ちするほどでもない。

 最初からそのくらいは織り込み済みだ。

 

 俺は胸元につけていたタイピンを外した。

 先端をぐい、と少し引っ張る。

 金属音もなく、タイピンは元の倍ほどの長さまで伸びた。さらに中央部分を開くと、まるでコンパスみたいに二股へ分かれる。

 

 片方を窓へ押しつけ、もう片方の先端を指先で捻る。

 すると、細い針が音もなく出てきた。

 

 俺はその針先をガラスへ当て、鍵の近くを円状になぞるように削り始める。

 

 ぎり、ぎり、と小さな摩擦音。

 一度目では、表面へ浅い傷がつく程度だ。だが二度、三度と同じ軌道をなぞると、手応えが変わってくる。

 

 そろそろか。

 

 くん、とわずかに力を込める。

 刳り抜かれたガラス片が、内側へ落ちた。

 

 ぼす、と鈍い音。

 床が毛足の長い絨毯であることは、窓越しに確認していた。派手な音は鳴らない。

 

 俺は慎重に、その穴から手を差し入れた。

 鍵を開ける。

 中腰のまま、ゆっくりと窓を開けて中へ侵入した。

 

 外からの風が、ふわりとカーテンを揺らす。

 月明かりが、部屋の輪郭だけを淡く照らしていた。

 

 大きい。

 

 主寝室なのだろう。

 部屋の中央には、キングサイズかクイーンサイズか、俺には判別のつかない大きなベッドが置かれていた。どちらにせよ、俺の人生とは縁のない大きさだ。

 

 その毛布の下で、もぞり、と何かが動く。

 

 俺は息を殺したまま、スーツの内側の銃へ手を添えた。

 

 中にいる誰かが上体を起こすと、毛布がするりと肩から落ちた。

 

 金糸みたいな髪が、月の光を受けてきらきらと揺れる。

 薄く透けるナイトドレスから覗く手足は、陶器みたいに白く、細かった。作り物じみている、と思う。そう見えるくらいに現実味がなかった。

 

 開いた窓から、また風が入る。

 髪がさらりと揺れる。

 

 少女が、ゆっくりとこちらを振り向いた。

 

 ごくり、と。

 自分の喉が鳴る音だけが、やけに近くで聞こえた気がした。

 

 まつげは一本一本が主張するみたいに長く、上向いている。

 薄い唇の隙間から覗く歯は、初雪みたいに白かった。

 

 だが、それよりも何よりも。

 

 目だ。

 

 暗闇の中でも、その瞳だけは色を失っていなかった。

 金とも、蒼ともつかない深い色。虹彩の中に、夜空の星を細かく砕いて閉じ込めたみたいな複雑さがある。

 

 その目が、まっすぐこちらを見ていた。

 

 一瞬。

 多分、本当に一瞬だ。

 

 俺は吸い込まれるみたいに、その少女と見つめ合っていた。

 

 彼女は、こちらを見ても何も言わない。

 悲鳴も上げない。怯えた顔もしない。表情から何も読み取れないのが、逆に異様だった。

 

「……夜分に申し訳ない」

 

 俺は軽く頭を振り、無理やり意識を切り替えた。

 できるだけ刺激しないように、英語で、ゆっくり語りかける。

 

「英語は分かるかい?」

 

 少女は一拍置いて、かすかに口を開いた。

 

「……すこし、なら」

 

 たどたどしい。

 だが、通じる。対話はできる。

 

 俺は胸の奥でひとつ安堵し、静かに息を吐いた。

 

 そのまま後ろ手で窓を閉める。

 改めて、部屋の中を見回した。

 

 ベッド。

 壁掛けの大きなテレビ。

 簡単な食事くらいならできそうなテーブルと椅子。

 奥には扉が一つ。

 

 見取り図を思い出す。

 あの先には通路があり、トイレや風呂、簡易キッチンなんかの水回り。さらに、デッキへ通じるドアのそばに、それなりの広さのウォークインクローゼットがあるはずだ。

 

 俺はもう一度、少女へ向き直る。

 

 相変わらず、彼女はただこちらを見ている。

 恐怖も、怒りも、助けを求める色もない。あるのは、何も期待していないような、妙に静かな目だけだった。

 

「俺は」

 

 できるだけ柔らかい声を選ぶ。

 

「依頼を受けて、君を保護しに来た」

 

 まずはそれだけを伝える。

 

 少女は、ほんの少しだけ目を伏せた。

 それだけだった。

 

「急に現れた男の言うことを信じられないのも、無理はない。だけど――」

 

 そこまで言ったところで、少女が遮るように口を開いた。

 

「だいじょうぶ」

 

 小さな声。

 

「どこへでも、つれていって、ください」

 

 単語をつなげるみたいな話し方。

 それでも、意思だけははっきりしていた。

 

 俺は怪訝そうな顔をしたのだろう。

 少女は、少し間を置いてさらに続けた。

 

「なにを、されても。どこに、いこうと……かわらない、から」

 

 諦めたような声だった。

 

 その一言に、胸の奥へ苦いものが湧き上がる。

 だが、今そこへ感情を突っ込んでも意味はない。まずはここから連れ出さなければ。

 

「そっちへ行ってもいいかい?」

 

 そう尋ねると、少女はこくりと頷いた。

 

 俺は静かに近づく。

 近寄るほど、彼女の繊細さが際立って見えた。細い。

 線が細いという言葉が、これほどしっくりくる人間を初めて見た気がする。少し力を入れたら折れてしまいそうな脆さがある。

 

「立てるか?」

 

 促すと、彼女はするりとベッドから下りた。

 

 俺の腹から胸くらいまでの背丈。

 このまま連れ出すには、今のナイトドレス姿ではまずい。さすがに目立ちすぎるし、何より動きづらいだろう。

 

 ひとまず、クローゼットを確認する必要があった。

 部屋の中にそれらしい収納は見当たらない。見取り図どおりなら、入口脇のクローゼットに服があるはずだ。

 

 俺は少女を背後に残しつつ、寝室の扉へ近づいた。

 ノブに手をかける。

 

 鍵などはなく、捻るだけだ。

 カチャリ、と小さい音を立てて開いた扉から、向こう側を覗き込む。

 暗闇が広がり、気配も感じない。そのままゆっくりと扉を開き、先に進む。

 念のため、既に腰から銃は取り出している。

 

 一瞬、銃を取り出した時に少女がびくりとしたが、すぐに無表情に戻る。

 ……もしかしたら何度か見たことがあるのかもしれない。嫌なもんだ。

 

 

 少女を寝室へ残したまま、俺は手早く他の部屋を確認する。

 シャワールーム。

 簡易キッチン。

 クローゼット。

 問題なし。人の気配もない。

 

 よし。

 

 俺は手招きして少女を呼ぶ。

 

 素足がタイルの上をぺたぺたと鳴らしながら、彼女が小走りで寄ってきた。

 寝室から外はタイル床だ。少し寒そうにも見える。

 

「靴はあるかい?」

 

 問いかけると、少女はこくりと頷いてクローゼットを指差した。

 

「よし。じゃあ、動きやすい服に着替えられるかな。スカートは避けて、長袖に。靴も、できればスニーカーみたいなやつだと助かる」

 

 そこまで伝えると、少女はまた頷き、クローゼットへ入っていく。

 

 扉は全部閉めず、少しだけ開けておく。

 もちろん、視線は向けない。

 

 中から、ハンガーを探るカチャカチャという音。

 しばらくして、衣擦れの音が続く。

 

 着替え終わったのか、音が止まる。

 だが、少女が出てこない。

 

 ……?

 

「どうかした?」

 

 背中越しに声をかける。

 

「着替えで困ったことでも?」

 

 すると、背後で気配がして、少女が出てきた。

 

 振り向く。

 

 ブランド物らしいロゴの入ったパーカー。

 ジーンズ。

 さっきまでのナイトドレス姿とはまるで印象が違う。なのに、服に着られている感じもなく、そのアンバランスさが逆に妙な魅力になっていた。

 

 ぱっと見、問題はない。

 そう思った瞬間、少女が小さく言った。

 

「……あの、くつが。スニーカーが、なくて」

 

 そう囁く少女の声に視線を落とすと、可愛らしい白いソックスは履いているものの、靴は履いていなかった。

 

「ああ、ごめん」

 

 俺は軽く首を振る。

 

「スニーカーじゃなくても、動きやすい靴なら何でもいい」

 

 そう伝えると、少女はまた頷いてクローゼットへ戻った。

 すぐに戻ってきた時には、足元は革のブーツになっていた。靴底もそれほど厚くないし、ヒールでもない。移動には十分だろう。

 

 よし。

 こっちは大丈夫だ。

 

 時計を見る。

 二十一時十八分。

 

 時間にもまだ余裕はある。

 

 さて、外の様子を――

 

 そう思った、その瞬間だった。

 

 小さい。

 だが、確実に聞こえた。

 

 銃声だ。

 

 

* * *

 

 

 連発だった。

 

 タタタタン、と軽く、短い。

 発射のテンポからすると、多分サブマシンガン系。

 

 だが、思っていたより音が小さい。

 サプレッサーか。

 

 そのすぐあとに、どさり、という音が二つ続いた。

 

 ……こいつは。

 

 俺はすぐに少女へ向き直り、口元へ指を当てて見せた。

 声を出すな、の合図。

 

 状況をどこまで理解しているのか分からない。

 だが少女は、焦った様子もなくこくりと頷く。

 

 俺はクローゼットを指差し、そこへ隠れるよう手で示した。

 

 少女は静かに後ずさりし、そのままクローゼットの奥へ入っていく。

 その動きを見届けた時、視界の端に、ちょうどいいものが映った。

 

 にやりと笑いながら、数歩先にあるソレを手にして扉の前に戻る。

 

 今いるオーナールームは、デッキ最後方の突き当たり。

 通路はそれなりに広く、大人が数人横へ並んでも問題ないくらいある。

 

 デッキ前方は分からないが、後方のオーナールーム付近の部屋は、宿泊客をいれていないと記憶している。

 

 さっき倒れた音は二つ。

 恐らく船の警備だろう。

 

 耳を澄ます。

 

 足音。

 慎重だ。ゆっくりと、けれど確実にこちらへ近づいてくる。

 

 二人。

 

 だが、二人だけと思わない方がいい。

 相手は恐らく、例の刺客だ。最終目標の場所へ二人だけ、なんてことはないはずだ。

 

 俺は扉の脇の壁へ、身体をぴたりと押しつけながらしゃがみ込む。

 ちらりとクローゼットへ視線をやると、少女の輪郭が薄く見えている。そこにいる、と分かる。

 

 よし。

 

 意識を戻す。

 足音はもうすぐそこだ。

 

 ぺろり、と唇を舐める。

 

 扉の前で、気配が止まる。

 ごそごそと音がしたあと、ピッという電子音。続いて、ロックが外れる音。

 

 数秒の沈黙。

 

 中の気配を探っているのだろう。

 やがて、ゆっくりとノブが回る。

 

 物音を立てないよう、慎重に。

 きっと、まだ少女が寝ていると思っているのだろう。起こさないように。あるいは、騒がせないように。

 

 だが、その慎重さは、こっちにとっては都合がよかった。

 入手対象が“眼”だから、乱暴に突っ込んでこられるのが一番面倒だったのだ。相手がスマートにやるつもりなら、こっちにもやりようがある。

 

 ノブが最後まで回り、扉が押される。

 

 身体ごと飛び込んでくる気はないらしい。途中で手が離れ、引っ込む。

 そのあと、衣擦れの音。ハンドサインでもしているのだろう。

 

 そして、銃口がゆっくりと部屋の中へ差し込まれてきた。

 やっぱり、サブマシンガンだな。

 

 クリアリングを意識している動き。

 対角を見ようとする角度。

 足音からして、もう一人はすぐ後ろ。

 

 一人目の肘が見えたところで、俺はしゃがんだ姿勢から勢いよく跳ね上がるように飛び出した。

 

 手に持っていたのは、さっきキッチンから取ってきた包丁だ。

 その刃を、顎下から突き上げるようにして突き刺す。

 

 手に、気持ちの悪い感触が伝わった。

 

 柔らかいのに、奥で何かに止まる。

 昔、馬鹿でかいポークステーキへナイフを突き立てた時のことを、一瞬だけ思い出す。

 吐き気がこみ上げかけるが、意識を無理やり目の前へ戻す。

 

 ぬるい液体が手へ伝う。

 ぐぼ、と、空気の抜けるような声。

 

 視界の右上にキルログが流れたのを、横目で確認する。

 そのまま視線を、背後の二人目へ向ける。

 

 急な出来事に一瞬止まっていた男が、ようやく銃口をこちらへ上げようとしていた。

 その瞬間、俺は死んだ男の身体を盾にしつつ、片手の愛銃で発砲する。

 

 距離は、ほとんどない。

 ならヘッドだ。

 

 連続二発。

 

 視界の残弾数が減るのと同時に、またキルログが流れる。

 二人目の男が後ろへ倒れていく、その先に、床へ転がった船の警備の身体と、さらにこちらへ走り込んでくる二人の男が見えた。

 

 想定どおり、まだいる。

 走りながらこちらへ照準を合わせている。

 

 俺は即座に、刺し殺した男の死体をそのまま通路側へ突き出し、扉の脇へ身体を引いた。

 

 一拍も待たずに、ダララララッ、と高回転の二重奏。

 扉の奥の壁へ、無数の穴が穿たれる。石膏が散り、木片が飛ぶ。

 

 ダメダメ。

 こういう位置不利の時に、同時に撃っちゃ。

 

 遮蔽に隠れてる相手へ、勢いで撃ち込んでもただの無駄弾だ。

 それに――。

 

 数秒。

 高回転の銃声が途切れる。

 

 今だ。

 

 意識は既にクロスヘアへ集中している。 

 さっきの一瞬で見えた通路の位置から、敵の位置の予測は出来てる。

 

 扉から飛び出すなんてことはせず、壁からのリーン撃ち、要は頭出しだ。

 

 腕と頭だけ出して、そのまままずは片一方に向けて連続三発。

 距離は十メートルくらいだから、胸から頭にかけてのラインをなぞるように。

 

 キルログが流れたことを視界の端で確認してすぐさま隣の男にも同じく三連射。

 リロードしようとマガジンを落とした間抜けなタイミングで、そのまま倒れ伏す。

 

 撃ち終わると同時に、俺は素早く遮蔽へ戻る。基本だな。

 そこで改めてキルログが流れたことを確認する。

 

 耳を澄ます。

 遠くの方で少しばかり騒がしい音がある。だが、この近くに新しい足音はない。

 

 そこでようやく、息を吐いた。

 

 ずるり、と背中が壁に沿って滑る。

 どすり、と床へ尻をつく。

 

 下を見る。

 

 銃を握る手が、まるで他人のものみたいに固まっていた。

 ぎゅっと力を込めて、指をほぐす。片手ずつ銃から離し、ぐっぱ、ぐっぱと開閉する。

 

 よし。

 まだ大丈夫だ。

 

 そこで、やっとクローゼットの方を見る。

 

 少女が、こちらを見ていた。

 心配そうな顔。

 さっきまで何も映していなかったその顔に、初めてはっきりした感情が浮かんでいる。

 

 俺は少しだけ驚いた。

 それから、うまくできているか分からないまま、できるだけ柔らかく笑ってみせる。

 

 少女はその顔を見て、少し――ほんの少しだけ、安心したように口元を緩めた。

 その小さな笑みが、さっきまで部屋に満ちていた火薬と血の匂いの中で、妙に眩しく見えた。

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