FPSのUIが現実に見える俺が、いつの間にか殺し屋になるまで 作:鳥獣跋扈
ぽたり、ぽたり、と。
どこかで落ちる血の音だけが、異様に澄んで聞こえていた。
そこは、豪奢な屋敷だった。
乾いた大地。
どこまでも高く抜けた青空。
燦燦と容赦なく照りつける太陽が、白亜の壁を目に痛いほど照らしている。
人目を避けるためか、あるいは人目を必要としない立場ゆえか。周囲に民家らしいものは一切なく、荒野のただ中へ、ぽつんとその屋敷だけが建っていた。だが、ぽつんと、という表現は正確ではないかもしれない。そこにあるのはただの邸宅ではなく、小さな要塞のような圧を持っていたからだ。
高い外壁。
重厚な門扉。
等間隔に設置された監視カメラ。
敷地内を巡回する私兵たちの手には、当然のようにアサルトライフルが握られている。
もし初めてこの場所を訪れた者がいれば、誰もが一目で理解しただろう。
ここは、法や善意ではなく、金と暴力で守られた場所だと。
だが、その守りは――すでに沈黙していた。
巡回していた男たちは、まるで自分が死んだことにまだ気づいていないかのように、静かに血だまりへ沈んでいる。監視カメラは何も映さないまま、ただ風に揺れる草と、白い壁と、抜けるような青空だけを警備室へ送り続けていた。
もし警備室にいる誰かが、もう少しだけ注意深ければ。
普段ならフレームの端を横切るはずの巡回警備の影が、一つずつ消えていっていることに気づいたかもしれない。
だが、気づいたところで意味があったかは分からない。
敷地内の人間たちは、己の傍へ死がゆっくりと近づいてきていることにも気づかず、いつも通りの時間を過ごしていた。
ある者は真面目な顔で警備に立ち。
ある者は休憩時間なのか、日陰でカード遊びに興じ。
またある者は、今日の取り分か、明日の儲けか、何かしら腹の中で勘定しながらほくそ笑んでいた。
普段、この屋敷に関係者以外の人間がいることは珍しくない。
連れてこられた女。
金を巻き上げられるだけの商人。
借金の工面を願い出てきた男。
泣きながら許しを請う者も、媚びへつらう者も、ここでは日常の一部だ。
だが、今日は違った。
今日は、主と、その部下たちしかいなかった。
それは、彼にとってすこぶる都合がよかった。
何も気にしなくていいからだ。
巻き込んで困る一般人もいない。
逃げ惑うだけの哀れな客に気を取られる必要もない。
ただ、目の前の“対象”だけを順番に消していけばいい。
一人でいる人間は、いい的だった。
周囲の視線、監視カメラの角度、次の巡回のタイミング。
それだけを確認してから、“処理”する。
倒れた後は、人目につきにくい動線の外へ寄せておく。何、ほんの少しの時間稼ぎで十分だ。
二人でいる連中にも問題はない。
一人の頭を抜き、もう一人が状況を理解する前に背後へ回ってテイクダウン。喉へナイフを一閃。血が噴く前に地面へ寝かせれば、声も広がらない。
三人以上いても、別に大差はない。
彼は耳元の通信機へ手を当て、低い声を流した。
「……一番右を頼む。後はこちらで」
一拍置いて、耳の向こうから弾むような声が返ってくる。
いつもより少し楽しげな声音。
最近、聞き慣れてきた、少年とも少女ともつかない声だった。
彼はその返答を聞きながら、足音ひとつ立てずに距離を詰める。
一足で飛び込める位置。
照準は一番左。
カウントゼロ。
右端にいた男――煙草を咥えたまま雑談に興じていた男の頭が、突然血煙を弾けさせた。
それとほぼ同時に、彼の手元でも、ぱしゅん、と乾いた破裂音。
銃口が向いていた左端の男の額にも、風穴が開く。
左右の男が同時に崩れたことで、中央の男がようやく異変に気づく。
何かしようとした。
叫ぶのか、銃を上げるのか、判断のつかない半端な動き。
だが、その動作が最後まで完結することはなかった。
首元に、熱が走る。
何が起きたのか理解する前に、男の世界はそこで途切れていた。
耳元で、くすりと笑うような声が弾む。
『ビューティフル』
彼はそれに答えず、ただ視線をマップへ走らせた。
「……これで外はすべてだ。後は室内」
短く言う。
「そろそろバレるはずだから、討ち漏らしを鴨撃ち頼む」
用件だけを告げると、彼はジリジリと照りつける太陽をうっとうしく感じながら、被っているマスクの位置をグローブ越しに直した。
視界の隅には、建物内部の簡易マップ。
扉、階段、廊下、部屋。
そこへ、いまいる人間たちの位置が薄く浮かび上がっている。
彼は脳内で、最短で、最も効率よく、最も騒ぎが広がりにくい移動経路をなぞった。
* * *
どやどやと、何も考えずに廊下を走る男たち。
怒号を響かせながら、外の様子を見に出たきり戻らない連中へ悪態をつく。
「何サボってやがる!」
「早く戻ってこい!」
「報告だ! 報告を寄越せ!」
彼らはまだ、何も分かっていない。
だが、次の瞬間には、クローゼットの陰から伸びてきた手が、その口を永遠に閉ざすことになる。
一人。
また一人。
広い屋敷の中から、人の気配が少しずつ減っていく。
丁寧に。
丁寧に。
まるでRPGで取り逃した宝箱がないか確認するみたいに、しらみ潰しに。
時折、屋敷のどこかで聞こえる銃声と怒号。
それも徐々に少なくなり、散発的になっていく。
大きな屋敷の中へ、静けさがじわじわと広がり始める。
そして、気がつけば、残ったのはほんの数人になっていた。
それでも、その男たちは自分たちが最後だとは知らない。
いや、薄々気づいていても、それを信じられなかったのかもしれない。
* * *
屋敷の主は、自室で震えていた。
広大な敷地を持つ、誰もが成功者と呼ぶであろう男。
本来なら昼過ぎのこの時間、ゆったりとバルコニーへ出て、日差しを浴びながらサングリアでも傾けているはずだった。
だが、いまの彼は違う。
昼間だというのにガウン姿。
寝起きのまま引きずり出されたような格好で、顔は青ざめ、太い指にはけばけばしい宝石がいくつもぎらついている。その指が、いまは寒気でも抑えるみたいに自分の身体を掴んでいた。
「お、おい……!」
男は焦点の合っていない目で、机の陰へ身を縮めながら喚く。
「早く! 早く襲撃者を仕留めるんだ……!」
口角には泡。
声は上ずり、言葉は命令というより悲鳴に近い。
だが、部下たちはもはや主人の声など耳に入っていなかった。
彼らにとって、手の中の銃だけが唯一の現実だった。
いつもなら軽々と扱えるはずのそれが、今日は妙に重い。
鉄の冷たさが、まるで死体みたいに思える。
部屋を隔てる重厚な両開きの扉へ、何本もの銃口が向けられる。
汗が額から頬を伝い、顎を落ちてカーペットへ染みていく。
部屋の中に響くのは、荒く不規則な主人の息遣いと、壁時計の針が進む音だけ。
男たちは全神経を耳に集中させていた。
針が床に落ちる音すら聞き漏らすまいとするほどの緊張。
人差し指はすでに痺れていて、感覚がなくなりかけている。
それでも、トリガーから離す気にはなれなかった。
緊張が極限まで張りつめた、その時。
誰かがふう、と小さく息を吐いた。
次の瞬間。
チャリン、と。
ドアの向こうで、金属が触れ合う小さな音が鳴った。
普段なら、絶対に聞き逃すような音だ。
だが、人生で最も研ぎ澄まされた集中力を発揮していた彼らは、その微かな音を聞き逃さなかった。
一人か。
全員同時か。
もはや判別もつかないほどほぼ同時に、火線が迸る。
ドアへ一斉に弾丸が叩き込まれ、重厚な木材へ次々と穴が開く。吹き飛んだ木片が、さらに弾を受けて粉々に砕けていく。優に百を超える鉛の塊が、怒涛の勢いで一枚の扉へ集中した。
もしそこに人間がいたなら、原形を留めることはなかっただろう。
もしも、の話だが。
リロードの音。
空になったマガジンが床に落ちる音。
その途中で。
男たちの背後のバルコニーには、静かに立つ“彼”がいた。
誰も気づかない。
振り向く暇すらない。
速射だった。
一人に一発ずつ。
正確に、頭だけを撃ち抜く。
男たちは、その場に崩れ落ちた。
「ひい……!」
最後に残った男が、全身の穴という穴から液体を漏らしながら、逆光の中に立つ彼を見上げる。
「ひいい!!」
命乞いの言葉を紡ぐ余裕すらなかった。
額に穴が一つ開く。
ぐりん、と瞳がひっくり返り、そのまま仲間たちの作った血の海へ沈んだ。
“彼”は、視界の端へ目を走らせる。
浮かび上がるログ。
そこへ記録される名前。
それを確認して、自身の仕事が終わったことを認識する。
ふう、と短く息を吐く。
血と火薬の匂いが充満した室内を後にし、彼はバルコニーへ出た。
張りついていた息苦しいマスクをばさりと外す。乱れた髪を払うように顔を振り、手櫛で軽く撫でつける。
それから耳へ手を当て、通信を飛ばした。
「……こちら、終わりました。外はどうですか」
すぐに返ってきたのは、弾むような明るい声だった。
『お疲れ様! こっちは数人だけだったからね! 楽なもんだったよ!』
向こう側で、がちゃりと長物を扱う音が混じる。
その声はさらに続けた。
『いやぁ、それにしても流石だね! これでこっちのお仕事も無事終了だから、日本に戻ろうか! 恒一さん!』
バルコニー越しに吹き込む熱風の中で、彼――恒一は短く答えた。
「……了解」
というわけで第二部開始です。
ちょっと更新タイミングは毎日とはいきませんが、お付き合いのほどどうぞよろしくお願いします。