FPSのUIが現実に見える俺が、いつの間にか殺し屋になるまで   作:鳥獣跋扈

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第25話 “悪魔”

「クソが!」

 

 吐き捨てるような罵声が、死臭のこもったフロアに鈍く響いた。

 

 男――地元警察の制服を着込んだ小太りの警官は、唇の端に噛みかけの煙草を引っ掛けたまま、苛立たしげに顔をしかめる。火はとうに消えている。それでも捨てる気にもなれず、くちゃりと噛み潰しながら、流れ落ちる汗を拭うために取り出したハンカチで鼻と口元を覆った。

 

 エアコンが動いているだけ、まだマシだった。

 

 屋敷の外は、地面から焼け返してくる熱で空気が煮えるように歪んでいた。陽射しに晒された“モノ”は、すでにまともな死体の体を保っていない。少なくとも、この室内には、外に転がっていた連中みたいに鳥に目玉を突かれている死体はない。それだけで、ここはまだ幾分か恵まれていると言えた。

 

 もっとも、その“幾分かマシ”という評価も、地獄と地獄を比べただけの話だが。

 

 男は、重たい腹を揺らしながら屋敷の奥へと歩いていく。

 

 玄関付近は、まだ良かった。

 少なくとも、足の踏み場があったからだ。

 

 だが中へ進むにつれて、それが叶わなくなってくる。

 床は赤黒く染まり、どこを見ても血だまりばかり。むしろ血を踏まずに歩ける場所を探す方が難しいくらいだった。

 

 最初のうちこそ、部下たちは「現場保存だ!」「踏むな!」「写真を先にしろ!」などと、もっともらしいことを言いながら慎重そうに立ち回っていた。だが、もうそんな芝居を続ける気力も尽きたのだろう。今では誰も気にせず、ぐちゃり、ぐちゃりと血の上へ靴を突っ込んでいる。

 

 どうせ、まともに捜査するつもりなどない。

 

 男自身、そう思っていた。

 この場で嘆くべきことがあるとすれば、無残に転がる死体ではない。これまで大いに世話になっていた収入源が、まとめて消え失せたことだけだ。

 

 屋敷へ入るまでにも、道中には死体がいくつも転がっていた。

 

 脳天を撃ち抜かれた者。

 喉を裂かれた者。

 胴を何発も抜かれ、血を撒き散らして倒れた者。

 

 死体の傷み具合から見て、そこまで日数は経っていない。

 だが、この土地の熱は、人間が思うよりずっと早く肉を腐らせる。すでに蝿が群がり、いくつかの死体はコンドルに突かれて顔の造作が分からなくなっていた。外だけ確認しても、数十人は死んでいる。逃げた形跡のある者も見えたが、どいつもこいつも、結局は敷地の外へ出られた様子がない。

 

 屋敷の周囲には、地元警察の車両が数台と、後からしゃしゃり出てきた連邦警察の連中が集まっている。

 どうやら、やっとこさ事の重大さに気が付いて重い腰が上がったらしい。こちらとしては噴飯ものだがな。

 

 最近、巷を騒がせている“悪魔”だの“ゴースト”だの――妙な名前を付けられたヤツの仕業だと、署内ではもっぱらの噂だった。

 

 男は鼻の奥へこびりつく腐臭と血の匂いにうんざりしながら、薄く笑う。

 笑うしかない、という方が正しいかもしれない。

 

 最初のうち、警察もカルテルも、やたらと色めき立っていた。

 自分たちの縄張りを荒らした連中をとっ捕まえて、派手に報復してやると。

 

 もちろん、そんなものは正義感でも何でもない。

 舐められたら終わりの稼業だからだ。

 そして、カルテルとずぶずぶに繋がって甘い汁を啜っていた警察のケツを、真正面から蹴り上げられた格好になったからでもある。

 

 ここ数か月、街のあちこちで大小さまざまな組織が襲われる事件が続いていた。

 

 抗争か。

 上の連中による掃除か。

 それとも、国外の組織が何か仕掛けてきたか。

 

 どれも、あり得なくはない話だった。

 この街では、死人が出る理由なんていくらでもある。だから男も、最初のうちは「まあ、よくあることだ」としか思っていなかった。

 

 自分の懐が痛まなければそれでいい。

 面倒なことに巻き込まれないように、軽く祈る。

 現場から上がってきた報告に目を通し、書類だけ整えて、おざなりな捜査をして終わり。

 

 いつも通り。

 そう、いつも通りだった。

 

 だが、様子が変わったのは、ここ一か月だ。

 

 普通、その手の事件で被害者側の組織が全滅――文字通り一人残らず死ぬ、などということは、まずない。

 

 連中だって火器で武装している。

 逃げ足の速い奴もいる。

 何より、似たような襲撃が続けば、どこかで警戒もする。

 

 だから、少なくとも数人は生き延びる。

 逃げおおせた連中が情報を流し、襲撃者の数や武器や癖が徐々に見えてくる。

 そういうものだ。

 

 だが、それが無くなった。

 

 誰も逃げられない。

 誰一人、まともな証言を残さない。残せない。

 監視カメラは壊され、記録は消え、ただその場にいた連中だけが、きれいさっぱり消される。

 

 まるで、悪魔が魂ごと持って行ったみたいに。

 まるで、ゴーストが通りすがりに命だけを攫っていったみたいに。

 

 似たような事件が起きるたび、誰かが言うようになった。

 

 ――また悪魔が出た。

 ――またゴーストだ。

 

 男は、そういう噂を鼻で笑っていた。

 

 運がいいのか悪いのか、自分の管轄で起きたことはなかったからだ。

 だが今日、初めてこの手の現場へ足を踏み入れて、ようやく理解した。

 

 目撃者なし。

 監視カメラは、入念に潰されていた。

 残留物も、空薬莢がいくつかと、壁や床へ食い込んだ弾頭くらいのもの。

 

 男は足元に転がっていた薬莢を一つ拾い上げる。

 

 9ミリ弾。

 

 以前、別の現場で上がっていた報告と同じだ。

 さらに、ライフル弾もいくつか見つかっているという。少なくとも二人。署の若い連中は「組織だった襲撃だ」と騒いでいたが、男はそうは思わなかった。

 

 現場を見れば分かる。

 

 ――“これ”をやったのは、一人だ。

 

 集団でこんな屋敷の中を制圧したにしては、現場が綺麗すぎる。

 動きに無駄がない。

 死体の位置も、血の流れ方も、撃った角度も、どれも一つの思考で貫かれている。

 外に一人、中に一人。せいぜい、そんなところだ。

 

 だが、それで説明がつくかと言われれば、まるでつかない。

 できるかどうかは、別問題だ。

 

 男は、薬莢を指先で弄びながら、ぬるりと汗ばむ手のひらを意識する。

 

 人間じゃない。

 

 もしこれが一人の仕業だというなら、そんなものは人間のやることじゃない。

 集団でも難しいことを、一人で、しかも痕跡をほとんど残さず、これだけキレイにやってのける存在。

 

 まさしく、悪魔だ。

 あるいは、ゴーストだ。

 

 男はもう一度、死臭の満ちた廊下の奥を見やった。

 

 血の染みた壁。

 半開きの扉。

 その向こうに転がる死体。

 

 そして、この静けさ。

 

 まるで、ついさっきまで銃声と悲鳴に満ちていたような景色だが、今はただ、物言わぬ物体と悪臭しかない。

 

 男は口の端の煙草を噛み潰し、べっと床へ吐き捨てる。

 

「……クソが」

 

 今度の悪態は、先ほどよりもずっと小さかった。

 

 怒りというより、理解したくないものを理解してしまったような声だった。

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