FPSのUIが現実に見える俺が、いつの間にか殺し屋になるまで 作:鳥獣跋扈
「はぁ……」
何度目か分からないため息が、朝の静かなキッチンに溶けていった。
窓からは、爽やかな日差しが差し込んでいる。
開け放った窓から入ってくる空気はひんやりとしていて、新鮮な朝の匂いを室内に届けている。外では小鳥の鳴き声と異国の言葉での会話が遠く聞こえ、日本とは違う場所なのだと改めて感じた。
キッチンの小さなテーブルには、朝食が並んでいる。
近所のパン屋で買ってきたベーグル。
軽く温めたそれは、香ばしい匂いを漂わせている。
ベーコンとスクランブルエッグ。
ミルクのボトル。
簡単なものだ。
だが、一人暮らしが長かったおかげで、このくらいなら手慣れたものだった。自炊と呼ぶには少々おこがましいが、最低限腹を満たすだけなら何とかなる。
オレンジを切り分け、器へ盛りつける。
キッチンナイフをシンクへ置いてから、俺は後ろのテーブルへ振り返った。
外の天気とは真逆の空気をまとって、シャルロッテがぐでっとテーブルへ突っ伏していた。
いつもの快活さは完全に鳴りを潜めている。
ソレとは逆に、彼女が着ている制服は、新品の形を自慢げに艶めかせていた。
黒を基調にしたブレザータイプの制服。
パリッとした生地感。
すらりとした体つきと、整った顔立ち、それに金糸みたいな髪と相まって、かなり様になっている。黒のストッキングに、真新しい革靴をきちんと履きこなしていた。
昨日の夜、アルフから仕事の要件を聞いたあとで、セーフハウスへ届いた物資の中に含まれていたのがこれだった。
当人は終始眉根を寄せていたが、客観的に見ればまるで違和感はない。いや、むしろ似合いすぎているくらいだ。
だがまあ、本人にしか分からない葛藤みたいなものもあるのだろう。
「さ、朝ごはんができましたよ」
俺はできるだけ穏やかな声で言った。
「食べましょうか」
「ううう……」
シャルロッテは言葉にならない呻きを漏らしながら、よろよろと顔を上げる。
目の前の朝食を見て、また一度、深々とため息を吐いた。
そして次の瞬間には、ぐい、と背筋を伸ばす。
「……よし!」
と、気合を入れるように呟く。
「うだうだ言ってても仕方ないからね! ご飯を食べて、今日も一日頑張りましょう!」
吹っ切れた、というよりは、諦めた末に開き直ったという感じかもしれない。
だが、少なくともテーブルへ突っ伏したままよりはずっとマシだろう。
「それは何よりです」
俺がそう返すと、シャルロッテは「いただきます!」と手を合わせた。
俺も倣って手を合わせ、二人で朝食を始める。
しばらくは、ベーグルを齧る音と、皿へフォークが当たる音だけが静かに響いた。
「……ところで」
しばらくして、シャルロッテがもぐもぐと、ベーコンの端をベーグルへ乗せたものに口に含みながら言った。
お行儀が悪いですよ。
「今日の予定って、顔合わせ、でよかったかしら」
俺は口に含んでいたミルクを飲み込み、頷く。
「ええ」
テーブルの上へ視線を落としつつ、頭の中で予定をなぞる。
「授業が始まる前の短い時間ですが、こちらの構成員と、警備対象であるご令嬢との顔合わせを予定してます」
「んー……」
シャルロッテが、口の中のものを飲み込んでから、少しだけ中空を見た。
予定を頭の中で組み立て直しているのだろう。
「ご令嬢は寮住まいらしいので、学校敷地内のサロンで待ち合わせです」
俺は続ける。
「ここから十数分くらいですから、基本的には俺たちも、引き続きここを拠点に動く形になりますね」
「ん、ありがと」
シャルロッテは、ケチャップを多めにかけたスクランブルエッグを器用にフォークへ乗せながら答える。
この数日の間、一緒に食事をする機会が増えたおかげで分かったのだが、どうやら彼女は素材の味を楽しむよりも、分かりやすく濃い味つけの方が好きらしい。ミルクにも、当然のように蜂蜜を入れて飲んでいる。
「んで、私はそのまま学校へ」
フォークをぴこぴこと動かしながら、シャルロッテが続ける。
「恒一さんは、その構成員とボディガードの打ち合わせしてから警戒に当たる、と」
「そんな感じですね」
「大丈夫そう?」
そこでこちらをちらりと見上げながら、少しばかり不安そうな声で聞いてくる。
「ご令嬢と構成員、二面で警戒しないといけないし」
たしかに、その通りだ。
ご令嬢の警護へ気を取られて、構成員側への刺客に気づくのが遅れました、では話にならない。逆に、構成員ばかり見ていて、ご令嬢へ何かあってもまずい。
気を張っていかないとな、とは思う。
「頑張ります」
結局、そんな返ししかできなかった。
シャルロッテは一瞬だけこちらを見て、それから「そう」とだけ返す。
口元には薄く笑みが浮かんでいたので、少しばかり呆れられたのかもしれない。
まあ、仕方ない。
ここで変に大口を叩くよりはいいだろうさ。
俺はうんうんと一人で頷きながら、改めて自分に気合を入れた。
最後に二人でカットオレンジをつまみ、食器を片づける。
それから身支度を整えて家を出た。
玄関へ向かっていると、先を歩いていたシャルロッテが、ふと思い出したように振り返った。
「ああ、そうそう」
にやり、といたずらっぽく笑う。
「貴方も、その執事服、似合ってるわよ」
……いやぁ。
気にしないようにしてたんだけどなぁ。
ははは、と乾いた笑いだけ返して、白手袋を嵌め直しながら言葉を濁した。
* * *
学校へは、セーフハウスから歩いて行ける距離ではある。
だが、流石に歩いて向かうのは外聞が悪い。
俺たちは昨日から使っている車へ乗り込み、学校へ向かって車を走らせた。
一応、対外的にはシャルロッテ付きの執事、という体で通す予定になっている。
なので昨日とは違い、彼女は助手席ではなく後部座席へお淑やかに座っていた。
ちなみに、最近はジェンダーレスを意識してか、女子生徒のパンツスタイルもかなり広まっているらしい。実際に、道行く学生にもパンツスタイルの女子生徒を見かけた。
だがシャルロッテは、普通にスカートだ。
やや丈は長い。
その理由は、昨夜の時点で俺も知ることになった。
着替え終わったあと、スカートだと動きにくくないですか、と俺が何気なく尋ねたところ、シャルロッテはにやりと笑い、そのままスカートをたくし上げたのだ。
思わず目を逸らした。
そりゃそうだ。
だが、本人は気にした様子もなく「ここに仕込みがあるからね」と言った。
太ももへ巻きつけられたベルト。そこには小ぶりなナイフと細い針が収められていた。
なるほど。
たしかに、物を隠すならスカートの方が都合はいい。
……だが、わざわざ見せなくても良くないか?
こちらの反応を見て、シャルロッテは楽しそうに笑っていた。
完全にわざとだ。
セクハラですからね、それ。
そんな昨夜のことを思い出していたら、いつの間にか車は正門前まで着いていた。
目の前には、いかにも“歴史のある名門校”ですと言わんばかりの、大仰で立派な門扉が構えている。
当然、平日の朝。
登校時間には少し早いせいか、門は開いているものの学生の数はまだ少ない。ぽつぽつと数人が歩いている程度だ。
全寮制ではないと聞いていたが、かなりの割合が寮生活をしているらしい。
そのせいもあるのだろう。
俺は車を正門脇の管理室前へ寄せて停める。
すると、数人の男がきびきびとした動きで対応をしてくる。
視線が鋭い。
一人がこちらへ向かってくる間、一人は室内に残り、何かあればすぐ警報でも鳴らせるようにか見張っている。
「おはようございます。ご用件は」
運転席の窓を開けると、男の一人がこちらへ寄り、中腰で言った。
もう一人は車の前へ回り込んでいる。
丁寧ではある。
だが、油断は一切ない。
その立ち位置と視線の配り方だけでも、かなり徹底している印象を受けた。
「本日付けで転入させていただきます」
俺は助手席へ置いてあった封筒を、できるだけゆっくりした動作で取る。
「書類はこちらに」
「ありがとうございます。確認させていただきます」
男はにこりと笑って封筒を受け取り、中を確認する。
複数の書類をめくったあと、後部座席のシャルロッテへ視線を向けた。書類の顔写真と見比べているのだろう。
バックミラーでちらりと見ると、シャルロッテは実にお淑やかな笑みを浮かべていた。
普段を知っている身としては、同一人物に見えない。
俺自身のIDも求められたので、こちらも胸元へ手を入れてからケースを取り出し、そのまま渡す。
もちろん中身は偽装されたものだが、今さら組織の手腕を疑う気にもならない。
「お手数をおかけしました。確認できました、ありがとうございます」
警備の男は書類を返しながら、軽く帽子へ手をやった。
俺は小さく礼を返し、そのまま車を敷地内へ滑らせる。
門を越えた先に広がっていたのは、青々とした芝生を抱く庭。
その向こうには、荘厳なお城みたいな校舎がそびえていた。
事前の情報で写真は見ていた。
だが、実物はそれ以上だ。
相当な敷地面積。
石造りの建物。
古い意匠を残しながら、手入れの行き届いた景観。
まるで、中世の絵画の中へそのまま入り込んだような光景が、俺たちを迎えていた。