FPSのUIが現実に見える俺が、いつの間にか殺し屋になるまで 作:鳥獣跋扈
マチルダに付いて、敷地内を歩く。
授業が始まっているからだろう、さっきまでちらほら見えていた生徒たちの姿はもうない。
代わりに目につくのは、学校の“裏方”を支えている人間たちだった。
箒を肩に担いだ作業員。
枝切りばさみや熊手を持った、ツナギ姿の男たち。
校舎の壁際や庭の植え込みのあたりでは、実務的な格好をした人間が朝の光の中で黙々と働いている。
さらに、その合間を縫うように警備の人間の姿もちらほら見えた。
スーツ姿の者もいれば、分かりやすい警備服の者もいる。いずれも、ただ立っているようで周囲をよく見ている。さすがに警備にはしっかり金をかけているらしい。
「校内のスタッフさん方は、外部からの委託なんですか?」
歩きながら、俺は気になっていたことを口にした。
こういう場所で一番厄介なのは、堂々と中にいる人間だ。
警備員や清掃員、整備員、配達員。
創作の中でも、侵入者がそういう身分へ変装して紛れ込むのは定番だ。現実でも、それなりには有効だろう。
「ああ」
マチルダは振り返りもせずに答える。
「だが、身元ははっきりしている。馴染みの地元企業からの派遣だそうだ。妙な人間が入り込む可能性は低いだろうな」
こちらを振り返らない。
だが、質問にはきっちり答える。
顔合わせの時に感じた不信感は、完全には消えていないのだろう。けれど、仕事は仕事として切り分けるタイプらしい。背筋の伸びた歩き方と、無駄のない口調がそれを物語っている。
真面目な人間なのだと思う。
「着いたぞ」
以降は無駄話もなく、俺は黙々と彼女の後をついていった。
改めて思う。
やはり敷地が広い。
さっきのサロンから、多少ゆっくり歩いたとはいえ数分。
校内で何か起きた時、この距離は無視できない。
見晴らしが良く、整然としているから近く感じるが、実際には走って移動しようとすればそれなりの時間を食うはずだ。
不測の事態になった時、距離はそのまま対応の遅れへ直結する。
頭の中でなんとなく動線をなぞりながら、俺は目の前の建物を見上げた。
校舎とはまるで違う。
近代的な、二階建ての建物だった。
コンクリートで固められた直線的な外観。
古城みたいな本校舎やサロンに比べると、明らかに異質だ。悪い意味ではないが、実務だけを考えて作られた建物、という感じがする。
入口は自動ドア。
ガラス越しに、ロビーのような空間が見えた。カウンターの中には職員らしき人影もある。
マチルダはそのまま迷わず中へ入っていく。
俺も続いた。
室内は、きれいに整ってはいる。だが装飾らしい装飾はない。
機能優先。
実務優先。
そういう印象だ。
マチルダはカウンターへ向かうと、タッチパネルを操作しながら、職員と二、三言葉を交わした。
しばらくして何かを受け取り、こちらへ戻ってくる。
「敷地内で使うIDカードだ」
片手で渡されたそれを受け取る。
そこそこ厚みのあるプラスチックカードだった。
白を基調とした無機質なデザインで、表には特に何も書かれていない。裏面にはバーコード。見た目は入館証みたいだ。
ふむ、と軽く眺めてから、俺はジャケットの内ポケットへしまった。
「校内の人間で、生徒以外は基本的にそれを持っている」
マチルダが続ける。
「警備の人間に聞かれたら出せば照会されるから、失くすなよ」
なるほど。
了解、という意味で軽く頷いた。
「基本的に、生徒の関係者はここで待機することになっている。もちろん、校内に残る場合は、だがな」
彼女はロビーを見回しながら言う。
「邸宅に帰る連中の方が多いから、必然的に残る人間は少ない」
たしかに、今ロビーにいるのは職員以外見当たらない。
奥へ進めばまた違うのだろうか。
「さっきのサロンほどではないが、多少の娯楽施設はある。パソコン端末と簡易的な書棚、あと軽食用の自販機くらいだがな」
そう言いながら、マチルダはカウンターの職員へ軽く挨拶をして、奥へ進んでいく。
俺も会釈だけ返してその後に続いた。
ロビーの奥には二階へ続く階段があった。
それを上がると、中央が談話スペースのようになった空間が広がる。
大きめのテーブル。
それを囲むように配置されたソファ。
壁際には観葉植物。
さらに、自販機が二台。
一つはカップ式の飲み物。もう一つはパンやスナック類を扱うものらしい。
奥の壁には、仕切り付きの机に並んだ数台のパソコン。
そのうち一台を誰かが使っているのが見えた。生徒の関係者だろうか。
反対側には、図書館にありそうな書棚がいくつか並んでいる。
手前には中くらいの棚もあって、雑誌や新聞がまとめられていた。
そして、中央スペースを囲むように部屋がいくつかある。
扉は電子ロック式らしい。ランプが赤や緑で点いている。おそらく、使用状況を示しているのだろう。
「何か飲むか?」
マチルダが立ち止まり、こちらへ振り返る。
「軽食もあるが。IDをかざせば、ここにあるものは飲食し放題だ」
彼女は自分のIDを取り出してひらりと見せた。
福利厚生みたいなものだろう。上流階級の子女が通う学園だ。こういうところの出費なんて、大した問題ではないのかもしれない。
「では、コーヒーを」
俺が言うと、マチルダは「分かった」と短く答え、自販機の前に立った。
IDをかざしてからボタンを押す。
機械音のあと、湯気の立つ紙カップが出てくる。
それをこちらへ渡し、自分の分も同じように買う。ちらりと見ると、彼女は紅茶のようだった。
「内々の話だ。部屋を使う」
そう言って、電子ロックのランプが緑になっている部屋へ向かう。
IDをかざすと、ぴ、と電子音が鳴った。
「大体はこのカードで入る。電子記録でログ管理しているからな」
ガチャリ、と開いた扉の向こうへ入る彼女に続く。
中はこぢんまりとしていたが、悪くない部屋だった。
しっかりしたローテーブル。
向かい合うように置かれた二台のソファ。
俺とマチルダは、それぞれ向かい合う形で腰を下ろし、カップをテーブルへ置いた。
俺は何気ない顔のまま、ちらりと校舎の方角へ意識を向ける。
視界の端。
青と黄色のマーカーは、今も隣り合ったまま動いていない。
うむ。
向こうは今のところ問題なさそうだ。
* * *
案外、悪くはない。
私は、少し上がりそうになった口角を意識して抑えた。
だらしなく笑ってしまうのは下品だ。ここでは、あくまで品よく。上品な微笑みを崩さない。
この年になって学校生活――なんて、最初は辟易した。
だが、実際に制服へ身を包み、こうして若い生徒たちの間に交じっていると、不思議な高揚があった。自分の人生にはなかった“青春”というやつの端っこに、爪先だけ触れているような、妙なくすぐったさ。
周囲の人間も、当然ながら上流階級に属する連中だ。
内面に何を抱えていようと、表に出すのは礼儀と興味の範囲に留めている。無遠慮な突っかかりなどない。こちらへ向けられる視線も、せいぜい“珍しい転入生ね”程度のものだった。
警護対象であるオクタヴィア・ペンブルックに案内され、まずは職員室へ。
そこで担任と紹介された老齢の男性教諭――いかにも紳士然とした人物に挨拶をして、そのまま三人で教室へ向かった。
道中、オクタヴィアとは少しだけ言葉を交わした。
印象は、最初とさほど変わらない。
一線は引いている。
けれど、こちらへ興味を抱いている。
そういう子だ。
若いうちは、危険な香りのする人間に惹かれるものなのかもしれない。
いずれ彼女も、自分たちみたいな人間を“金で使う側”に回る可能性が高いのだと思うと、少し複雑ではある。
だが、今の彼女はただの少女だ。
人畜無害で、少し気弱で、それでも芯のどこかに意志がある。
何かあった時は、身を挺して守る。
それが今回の仕事だ。
それに――
最近は、“うち”へ入った新人に、いいところを持っていかれっぱなしだ。
そろそろ少しくらいは、先輩の面目というものを見せなければならない。
脳裏に、あの男の顔が浮かぶ。
二階堂恒一。
急に私の任務へ追加投入されてきた、新しい“数字持ち”だ。
最初に話を聞いた時、私はあからさまにしかめっ面をしたのを覚えている。
そりゃそうだ。
アルフからある程度の情報と実績は聞いていた。
だが、どう贔屓目に見ても怪しさ満点だった。
お嬢様は、よくよく妙なことをする。
でも今回のは、その中でも極めつけだった。
なんだ、“街中でばったり見つけてスカウトした”って。
どういうことよ、それ。
経歴を漁っても、特に何も出てこない。
そのくせ、どこかの諜報機関か特殊部隊にでもいたかのような戦闘結果だけが並ぶ。
だが、直接対峙してみて分かった。
彼の異常性は、そこじゃない。
一般人の感性を持ったまま、淡々と殺しを遂行する、その精神性だ。
強者特有のオーラもない。
精神異常者みたいな危うさもない。
擬態している胡散臭さすらない。
何もない。
ただの一般人にしか見えない男。
最初に会った時には、本当にそう思った。
どこの冴えない男を連れてきたんだ、と。
任務の邪魔になるだろうと思ったから、基本的には待機させていた。
だが、彼は仕事へ口を挟んできた。
いや。
“口出し”というのも少し違うか。
提案、だったのだろう。
何もしないのも据わりが悪い。だから何か手伝わせてくれ。そういう、妙に遠慮のある言い方だった。
それが、カチンと来た。
何も知らない風な顔で。
こっちは綿密に計画を立て、段取りを組んで、現地の協力者へまで手を回している。
今この瞬間に来たような男へ、簡単に振れる仕事なんてあるものか。
苛立っていたのだと思う。
理由は正確には思い出せない。
けれど気づけば私は、「じゃあ次の仕事を任せる」と、勢いで口にしていた。
言った瞬間、しまった、と思った。
少しでも彼が及び腰になれば、こっちも「やっぱりナシ」と訂正するつもりだった。
だが、彼は乗り気だった。
あまりにもあっさりと、分かりました、と返事をした。
そこで私も、半ば投げやりになった。
どうせ失敗する。
最悪死ぬ。
その時は、アルフとお嬢には悪いけど、見込み違いだったと報告すればいい。
そう思っていた。
だが、そうはならなかった。
ならなかったのだ。
抑えていた口角が、ぐに、と上がるのが分かる。
ふふ。
思い出すと、今でも鳥肌が立つ。
あの夜。
カルテルお抱えの武装集団の拠点を見下ろせる、廃ビルの屋上。
私はサーマル付きの双眼鏡で、出入りする連中を見ていた。
その隣に、彼もいた。
見ているだけ。
特に何かするでもなく。
その時点で、私は思っていた。
ああ、やっぱり使えないな、と。見ているだけで何が分かるというのか。
取れている情報は共有していた。
だが内部の人数も配置も、あくまで暫定。潜入経路も、確定のルートなんてない。
どこを取っても不安要素しかない。
なのに、しばらく見ていたあとだった。
「じゃあ、行ってきます」
彼はそれだけ言って、さっさと下へ降りて行ってしまった。
ぽかん、とした。
本当に、ぽかんと。
近所のコンビニへでも行くみたいな口ぶりだった。
緊張も覚悟もなく、ただただあっさりと。
一瞬――いや、数瞬だったかもしれない。
私は思わず警戒も忘れて呆けていた。
慌てて意識を戻し、拠点へ双眼鏡を向ける。
暗闇の中、警備の人間のシルエットがかろうじて動いているのが見える。
サーマル付きとはいえ、何でもはっきり見えるわけじゃない。
もぞもぞと人影が動いているのが辛うじて分かる程度だ。
じきにドンパチやかましくなるだろう。
そう思っていた。
数分。
待てど暮らせど、何も起こらない。
騒ぎになっている風でもない。
だが、どこか少し慌ただしいような雰囲気だけはある。距離があるから、はっきりとは分からない。ただの喧噪かもしれない。
さらに十数分。
もしかして、逃げた?
そんなことを考え始めた頃だ。
「終わりましたよ」
背後から声をかけられた。
人生で一番驚いた瞬間じゃないかと思う。
飛び上がらなかった自分を褒めてやりたいくらいだ。
勢いよく振り返る。
そこには、行く前とほとんど変わらない顔で立っている男がいた。
いや、よく見ると違う。
服のところどころが、血で濡れていた。
まさか。
「……早いね。どうだった?」
努めて冷静に聞いたつもりだった。
けれど、多分あの時の私の目はぎらぎらしていたのだと思う。よく猫科だと言われるこのコバルトブルーの瞳が、月光を受けて獣みたいに光っているのを、自分でも感じていた。
「人数は多かったですが、夜でしたからね」
彼は、本当に何でもないことみたいに言う。
「それなりの武装もありましたけど。大丈夫です」
どういう意味だ。
どういう意味で“大丈夫”なんだ。
脳が一瞬、理解を拒んだ。
それをねじ伏せるように、私は続けて聞いた。
「そう。良かった。内部は全員?」
答えはもう分かっていた。
いや、分かっていたというより、そうでなければ今ここに彼が立っていること自体が説明できなかった。
「ええ、ちゃんと仕留めましたよ」
まるで、遊びの結果報告でもするみたいに。
淡々と。
何の気負いもなく。
ああ、そうか。
だから、お嬢とアルフはこいつを寄越したのか。
彼は人じゃない。
人ではない“ナニカ”だ。
「お疲れ様。“恒一さん”」
私は、にこりと笑った。嗤った。
口角が、ぐに、と持ち上がる。
「……だ、大丈夫ですか?」
はっと我に返る。
いつの間にか、オクタヴィアが少し身を乗り出してこちらを覗き込んでいた。
心配そうな顔で。
ダメだ。
警護対象を放って、ぼんやりするなんて。
「ごめんなさい」
私はすぐに顔を整え、上品な声を作る。
「ちょっと、ぼーっとしちゃって」
そう言うと、オクタヴィアはほっとしたように表情を緩め、視線を前へ戻した。
その様子を見ながら、私はまた、上品に微笑む。
嗤う。