FPSのUIが現実に見える俺が、いつの間にか殺し屋になるまで 作:鳥獣跋扈
薄暗い室内に、ゆるやかな灯りが満ちていた。
天井から下がるシャンデリアは、決して眩くはない。
だが、ひとつひとつの灯が蜜のように柔らかく、部屋全体を包み込むように照らしている。壁に掛かったランプの火もまた穏やかで、広い空間に影を落としながら、どこか上質な気配を醸していた。
その中心に、女が一人。
革張りの艶やかなソファに腰掛け、すらりとした脚を組んでいる。
少しばかり胸元の開いたパンツスーツを隙なく着こなしたその女は、切れ長の目元に冷ややかな美しさを宿していた。雨宮しずく。薄暗い灯りの中でなお、その美貌が陰ることはない。
彼女は、手元の紙資料をぺらぺらと捲っていた。
テーブルの上には、報告書、簡易地図、数枚の写真、通信端末、付箋を貼られた書類の束が雑然と広がっている。だが、それは散らかっているというより、考える者にとって都合のいい混沌、といった方が正しかった。
その静寂を、背後の扉が開く音が破る。
がちゃり、と控えめな金属音。
現れたのは、メイド服に身を包んだ小柄な人物だった。
フリルのついたエプロン、整えられた襟元、きちんと結ばれたリボン。遠目にはよく躾けられた若い女給に見える。だが、見る目を持つ者が見れば気づくだろう。その立ち姿の芯と、足運びの静かさの質に。彼――アルフレート・ヘンシェルは、いつものように何食わぬ顔でワゴンを押しながら室内に入ってきた。
からり、と車輪が小さく鳴る。
アルフは雨宮の脇に控えると、まず一礼した。
そのままワゴンを止め、テーブルに広がっていた資料へと手を伸ばす。案件ごとに紙を分け、地図を端へ寄せ、写真を揃え、通信端末を邪魔にならない位置へとずらしていく。動きに迷いはなく、長年そうしてきたと言わんばかりの自然さだった。
雨宮は、されるがままだった。
まるで空気が勝手に整っていくかのように、それを当然のものとして受け入れている。手にしていた書類だけは離さず、なおも目を走らせる。
ひとしきりテーブルの上が片付いたところで、アルフはワゴンからカップとポットを取り上げた。
高い位置から静かに注がれた紅茶が、細い琥珀色の線を描く。
ぽとりとも跳ねず、すべてが正確にカップへ落ちていく。ふわり、と花のような香りが広がり、張りつめていた空気へやわらかな膜を一枚かぶせた。
そこで初めて、雨宮はアルフの存在を意識したように視線を上げた。
いや、もちろん最初から気づいていたのだろう。ただ、それをわざわざ示す必要がなかっただけだ。
彼女は持っていた紙をぱさりとテーブルに放り、差し出されたカップを取る。
一度、鼻先へ寄せて香りを楽しみ、それからひと口。さらにもうひと口だけ飲み下して、静かにカップを戻した。
「ご報告いたします」
アルフが、淡々と口を開く。
その声には感情の起伏が少ない。だが、機械的ではない。情報を聞き取るに最適な抑揚を残し、理解しやすいように音を作っている。
雨宮は煙草の箱を取り出し、自ら一本を抜き取る。
ライターで火を灯し、浅く吸ってから細く煙を吐く。
「今朝早く――向こうはまだ夜でしたが、火急とのことで報告が届きました」
その第一報を受けたのはアルフ自身だ。
雨宮にはすでに要点だけ伝えてある。だが、今は改めて内容を整理し、今後の打ち筋を共有する時間でもあった。
「まず、欧州方面で残していた構成員の元へ襲撃者が現れました。数は六。対応は恒一さんが行ったとのことです」
ぺらり、と紙を一枚捲る。
「……流石ですね。前回に続き、任務の遂行能力については、もはや疑う余地がありません」
雨宮は組んだ足をゆるく入れ替え、ソファの背へ深く身を預けた。
煙草を左手に挟んだまま、軽く手を振って先を促す。
「また、シャルロッテお姉さまより事前に連絡のあった件――捕らえた敵性対象から引き出した情報と照合しても、件の欧州組織の手の者であることはほぼ確定かと」
白い煙が、シャンデリアの灯りの下でゆるゆるとほどけていく。
雨宮は半眼のままそれを見送ってから、初めて言葉を挟んだ。
「あなたの方では、その構成員について何か知っているのかしら」
アルフは一礼して答える。
「いえ。比較的新しく登録された人間のようで、詳しくは。現段階では仕事上の表向きの経歴しか拾えておりません。精査したうえで、本日中には向こうへ送る予定です」
ふうん、と雨宮は短く鼻を鳴らした。
テーブルの上から一枚、別の書類を拾い上げる。そこにはマチルダの写真と、簡単な経歴だけが記されている。だが、それはあくまで“仕事”の経歴だけだ。ここに書けない内容なんて幾らでもある。
「それと」
アルフが続ける。
「装備についても、本日の便で現地到着予定です。これで向こうも多少は動きやすくなるかと」
「それは良いわね」
雨宮が短く返し、そこから口元にわずかな笑みを浮かべた。
「それにしても――シャルロッテとも、うまくやってるみたいじゃない」
そのまま、少しばかり肩を上げ、くすりと笑う。
「ふふ。あの子、執着が強いから」
その声音には、どこか身内の癖を面白がる響きがあった。
「……私は少し、心配ではありますが」
アルフが、直立したまま静かに眉を下げる。
「あら」
雨宮は細い煙を吐きながら、面白そうに目を細めた。
「それはどっちが? シャルロッテ? それとも……」
アルフは珍しく、答えなかった。
ただ、ほんのわずかに礼を深くする。
その様子を見て、雨宮の笑みがさらに深くなる。
喉の奥で、小さく満足そうに鳴らした。
場の空気がいったん緩み、報告の一区切りがついたその時だった。
こほん、とアルフが小さく咳払いをひとつ。
ワゴンの下段から、一通の封書を取り上げる。
厚みのある上質な紙。余計な装飾はないが、丁寧に折られ、表には美しく流れるような筆致で宛名が記されていた。口は深い色合いの封蝋で閉じられている。
「こちらが、届いておりました」
そう言って、雨宮の前へ差し出す。
雨宮は笑みを浮かべたまま、煙草を持ち替えてそれを受け取った。
左手で軽く重みを測り、裏返し、封蝋の意匠を見た瞬間――その笑みの質が変わる。
柔らかな笑みではない。
何かを見つけた獣のような、企みを孕んだ細い笑み。目が、すうっと細くなる。
彼女は煙草を灰皿へと置くと、椅子の脇に下がっていた小ぶりなナイフを取り上げた。
ぴ、と迷いなく蝋の封を切る。中から取り出したのは、厚手のカード一枚。
視線がその上を流れる。
最初から最後まで一通り読んだあと、雨宮の口元がにやりと持ち上がった。
「良いじゃない」
その一言とともに、彼女はカードをアルフへ差し出す。
アルフは受け取り、内容を確認し、見る見るうちに眉間へ皺を寄せた。
読み終えた紙を、静かに雨宮へ返す。
「どう考えても、罠かと」
「あら」
雨宮は、カードを指先で弾くようにしてテーブルへ落とした。
ぱさり、と音を立てて滑ったそれには、上質な書体で一言――“招待状”と記されている。
「それを食い破ってこそ、でしょ?」
得意げにそう言って、彼女はソファにふんぞり返るわけでもなく、ただ優雅なまま、しかし確かに上機嫌そうにアルフを見上げた。
アルフはやれやれ、とでも言いたげに目を伏せる。
そして、静かに腰を折った。
「ご随意に」
その恭しい返答を受けて、雨宮は嬉しそうに――いや、愉しそうに嗤った。