FPSのUIが現実に見える俺が、いつの間にか殺し屋になるまで 作:鳥獣跋扈
本校舎へ向かって、ゆっくりと歩いていく。
少し先を歩く職員の男は、こちらを気遣うように速度を緩めながらも、どこか落ち着かない気配を隠しきれていなかった。背中や肩がわずかに強張っている。
まあ、無理もないか。
普段なら見かけないような類の連中が立っているのだ。
いかにも、と大仰にしているわけではないが、それでも視界の端に入ってくる警備の男たち。
私から見ても、練度は悪くない。
歩き方、視線の配り方、立ち位置。普通の警備としては上々。少なくとも、何かあった時に腰を抜かすような連中ではなさそうだ。
――とはいえ。
この広さ、この人数、この構造。
学園の中にいる全員を十全に守る、となると、話は変わってくる。
たぶん、彼らの役目は“入ってきた脅威を排除する”ことじゃない。
“入ってこようとする相手に、面倒だと思わせること”――そのための見せ札。抑止力としての警備だ。
そういう意味では、間違ってはいない。
けれど、やる気のある相手を完全に止められる布陣かと聞かれれば、答えは微妙だった。
そんなことをつらつら考えているうちに、校舎の入口へと辿り着く。
職員の男は振り返り、こちらへ軽く頭を下げると、そのまままた駐車場の方へ戻っていった。次の生徒でも迎えに行くのだろう。職務とはいえ、ご苦労なことだ。
校舎前には、寮からやってきた生徒たちと正門から入ってきた生徒たちが、それなりの数、行き交っていた。
ごった返す、というほどではない。けれど、昨日よりも明らかに集団になっているのが分かる。心理的に、人は不安な時ほど一人でいたがらない。分かりやすいものだ。
耳を澄ませば、端々で拾える声も様々だった。
怖い、心配。
面倒くさい。
でもちょっと特別。
そんな感情がごちゃ混ぜになって、ざわめきとして広がっている。
特に男子生徒は顕著だ。
不安がないわけじゃないのだろうけれど、それ以上に“何か起こりそう”という空気を妙に面白がっている節がある。若いわね、と内心で肩を竦める。
廊下の端で「もし襲ってきたら返り討ちにしてやるよ」なんて息巻いている大柄な男子の横を、私は微笑ましいものを見るような気持ちで通り過ぎた。可愛いものだ。ほんとうに。
私の教室は二階の奥。
三階建ての校舎ではあるけれど、三階は音楽室や理科室、そういう特殊教室が並んでいて、普段生徒が居るのは二階までだ。
教室へ向かう間にも、私は昨日の復習をするように視線を走らせていた。
侵入経路となりうるところ。
身を隠せる場所。
階段の位置と高さ。
窓の構造。
非常時に群衆が詰まりそうな箇所。
新しく立っている警備の人間は、そういう要所を押さえようとしている。している、のだけれど。
やっぱり足りない。
要点は理解している。でも、全部は埋められていない。校舎の構造に対して、人の数が圧倒的に足りないのだ。
仕方ないか、と思いながら、私は学生の流れに逆らわず、そのまま二階へ上がった。
途中で人の波もそれぞれの教室へと散っていき、気がつくと私ひとりになっていた。
廊下の先、自分の教室の扉に手をかけて、ガラリ、と開ける。
中にいた、扉付近の男子が数人、こちらを見た。
目が合う。
私は、にこりと笑ってみせる。
外向けの、きちんと淑やかな笑顔だ。
それだけで、彼らは見事なくらい顔を赤くした。慌てて視線を逸らし、あからさまに落ち着かなくなる。
……うん、青いわねぇ。
内心で苦笑しながら、自分の席へ向かう途中、少しだけ身を乗り出して「おはようございます」とお淑やかに声をかけてやる。
「お、おはよう……」
返ってきた声は上擦っていて、目はまるで落ち着く場所を知らないみたいに泳いでいた。
まあ、そうなるわよねぇ。分かるわよ。
私はそのまま、窓側いちばん後ろの席へと辿り着く。
転校生だから自然と端になったのだろうけれど、こちらとしても都合が良かった。
対象の、すぐ近くだからだ。
「おはようございます」
前の席から、控えめな声。
オクタヴィアがこちらを振り返っていた。
「おはよう」
私はさっき男子に向けたものとは少しだけ違う笑みで、彼女に返す。
昨日一日で、彼女の私に対する緊張は多少ほぐれたらしい。最初に会った時に比べれば、明らかに距離感が近くなっている。
対象と近づきすぎるのも本来はあまり良くない。けれど、遠すぎて心を閉ざされるよりはずっとましだ。
椅子を引いて腰掛ける。
するとオクタヴィアも、自分の椅子を少し横にして、こちらに向いたまま話題を振ってきた。
「凄いね、シャルロッテさんって」
呆れたような、それでいて憧れの滲む声だった。
「凄いって、何が?」
「だって……あんなふうに男子と自然に挨拶できるなんて。昨日来たばかりなのに、もうクラスのみんなと仲良くなってる」
最後の方は、少しだけ声が小さくなる。
“私なんて”という言葉を飲み込んだのが、なんとなく分かった。
なるほど。羨ましいのか。
「ありがと。でも、別に友人ってわけじゃないからね。転校生だから興味があるだけよ。しばらくしたら、飽きるわ」
さらりと返しながら、心の中では別のことを呟く。
その頃には、私はもうここにいないんだろうけど。
自分の容姿が武器になることくらい、よく知っている。
“仕事”で利用することもある。学生たちが興味を持たないわけがない。
でも、向こうが興味を持つことと、こちらが同じだけの興味を返すことは別問題だ。
「……そう、かもね。だけど、憧れるな」
オクタヴィアは視線を足元へ落とし、指先をもじもじと弄っていた。
「まあ、慣れよ慣れ。貴女だって、悪く見られてるわけじゃないでしょう」
「え?」
そう言いながら、私はそれとなく教室を見回す。
当然、私へ向けられる視線の方が今は多い。けれど、その中にはオクタヴィアを見ているものもある。
負の感情ではない。淡い好意、あるいは気遣い。親しみ。
ただ、彼女自身がそれを受け取るのが苦手なだけだ。
そこまで説明するのも野暮な気がしたので、私は曖昧な笑みだけ返しておいた。
「あ、シャルロッテさん! おはよー!」
教室の扉がまた開き、女子の集団が華やかな声と一緒に入ってくる。
昨日も軽く話していた子たちだ。いわゆるカースト上位の女子グループ。派手で、華やかで、よく喋る。
正直、長時間一緒にいると少し疲れるタイプではある。でも、噂話や人間関係に明るいのはこういう子たちだ。多少の付き合いはしておいて損がない。
「ええ、おはようございます」
私は外向けの柔らかい声で返す。
淑女として紹介されている都合もあるし、皮を被ること自体は苦でもない。
前の席のオクタヴィアも、小さく「おはようございます」と挨拶していた。
たぶん聞こえていたと思うけど、向こうがその声を拾えたかは少し怪しい。
「ねえねえ、聞いた? なんか近くで事件があったんだって!」
近くの席に腰掛けた彼女たちは、待ってましたと言わんばかりに話題を振ってくる。
当然、学園からの通達で“事件があった”こと自体は全員知っている。けれど、詳細までは伏せられているせいで、想像と噂が好き放題広がっているのだ。
警備が増えてうざい。
従者が外に出された。
家に居た方が良いと言われた。
大事みたいで嫌。
そんな話がぽんぽん飛び交う。
犯人が身内だなんて知っているのは、ここでは私だけだ。
同意したり、曖昧に相槌を打ったりしながら、内心では苦笑するしかない。
オクタヴィアも輪の中にいる。
話の中心ではないけれど、外されてもいない。所々で相槌を打ち、時折小さく意見も言う。
なるほど。
内気なだけで、社交性がないわけではない。
昨日から感じていたことだけれど、彼女はやはり頭がいい。
単に学業成績がいい、という意味ではない。
回転が速くて、柔軟で、視野も広い。
少しマイナス思考寄りではあるけれど、それは慎重とも言い換えられる。扱いを間違えなければ、十分長所になる性質だ。
懸念があるとすれば、こういうタイプは時に自分の身を顧みず、急に突拍子もない方向へ走ることがある、ということ。
思考が深い人間ほど、袋小路に入り込んだ時の跳躍も大きい。
まあ、それは皆が皆そうというわけじゃないのだろうけれど。
そんなことを考えているうちに、始業ベルが鳴った。
私は思考を切り替え、机の上へと視線を戻した。
* * *
「ううん、疲れたー」
わざと少し力を抜いた声でそう零す。
午前の授業が終わったばかり。いくら私でも、“普通の女子生徒”のふりをずっと続けていると、それなりに気を使う。
前の席のオクタヴィアには聞こえるように言ったので、案の定、彼女は振り返ってへにゃりと笑った。
「お疲れ様です」
そう言いながら、とんとんと教材を揃えている。
ちょうどランチの時間だった。
今日は警備上の都合で、生徒たちは学園の外へ出られない。
普段なら校外へ軽く食事に出る子もいるらしいけれど、今日は全員学園内で済ませることが義務付けられていた。
サロン、軽食コーナー、食堂。
学生たちは少し窮屈そうにしつつも、出来るだけ“いつも通り”を装おうとしている。意識してか、せずにか。
私はオクタヴィアと連れ立って教室を出た。
授業の合間に話していて、今日は二人でサロンでランチを取ることになっている。
本校舎を出て、サロンへ向かう。
最初に彼女たちと顔を合わせた、あの豪奢な建物だ。
途中で、見知った男子生徒が近づいてきた。
自然に見える範囲で、警戒だけを一段上げる。念のため。
「やあ、シャルロッテさん。学園にはなじめそうかな?」
ふむ。
所謂、プレイボーイというやつなのだろう。オクタヴィアにもそつなく挨拶を投げ、きらりと白い歯を見せている。
背も高いし体格もいい。確か自己紹介では、ラグビーの学園代表選手だったか。
ちらりと周囲を見れば、女子たちの熱い視線が数本飛んでいる。人気者らしい。
「ええ。皆さん良くしてくださるので」
少しだけ見上げるようにして、外向けの声で答える。
「それは良かった。でも、こんなタイミングで転校してくるなんて、少し不安じゃないかい?」
言いながら、彼は廊下の端に立つ警備に視線を向けた。
気障だけれど、気障なりに空気は読めるらしい。
「そう、ですね。不安はありますけど……学園もこうして対応してくださっていますし」
私も当たり障りのない答えを返す。
実際、今のところ学園側の対応は悪くない。穴はあるけど、文句を言うほどではない。
「そうか。だったらいいんだけど。何かあったら、僕を頼ってくれて構わないからね」
そう言って、また白い歯を見せる。
絵に描いたような優等生ヒーロー。多分、年頃の女の子は嵌ってしまうんだろうか。
彼はそのまま片手を上げて去っていった。友人たちのところへ戻るのだろう。
「……悪い人ではないんですが、ちょっと気障というか、自意識が強いといいますか」
オクタヴィアが困ったように零す。
どうやらそれなりに有名人らしい。
「まあ、打算もあるんでしょうけど、善意でしょうしね。放っておいていいでしょ」
そう返すと、オクタヴィアは小さく頷いた。
* * *
サロンへ着くと、それなりに人が多かった。いつもより賑わっている、とはオクタヴィアの談。
とはいえ、雑然とはしていない。騒々しくないのは、やはりこの学園に集まる人種、上流階級のせいなのだろう。
ざわめきはある。でも、声を張り上げる者はいない。銀食器の触れ合う音や、給仕の靴音が、穏やかな音として溶けている。
スタッフたちもいつもより多いらしく、忙しなく動き回っていた。
それでも表情は崩さず、慣れた所作で皿を運び、飲み物を注ぎ、空いた席を整えている。こういうところはさすがね。
私たちはカウンターに並ぶいくつかのランチディッシュから適当に選び、席を探した。
幸い、窓辺に近い場所が空いていたので、そこへ腰を下ろす。
周囲のテーブルともそこそこ距離がある。席は埋まっているのに、不思議と圧迫感はない。隣の会話が、意識しなければ拾えない程度の間隔。
心地いい設計だ。
最初のうちは、たわいのない話をしながら食事を進めた。
サラダ、スープにメインの肉料理、温かいパン。私はついでにクリームソーダまで頼んでいる。こういう場ではあえて甘いものを頼みたくなるのよね。
皿の上が少し寂しくなってきた頃だった。
オクタヴィアが、おずおずと口を開いた。
「……シャルロッテさんは、普段からこういったお仕事をされているんですか」
ちらりと周囲を見る。
耳をそばだてている者はいない。少なくとも、この場では問題ないと判断する。
「ええ。あらゆる上流階級の淑女向けのボディガードをしてるわ。こんななりでも、それなりには荒事にも対処できるしね」
表向きの仕事を伝える。
別に嘘ではない。むしろ真実だ。全部じゃないだけで。
「……やっぱり、シャルロッテさんが警備につくような人って、凄い人が多いのかしら」
質問の意図を計りかねて、私は言葉を返さずに先を促す。
オクタヴィアは少し迷うように視線を落とした。
「私なんて、ただ両親がそういう人たちってだけだもの。私自身には、何の価値もない」
その声音は、卑屈というより、諦めに近かった。
「お父様は国政の中でも強硬派で、街の人たちから嫌われることもある。だけど、私はそんなお父様を嫌いにはなれない」
その言葉は少し意外だった。
彼女の気質からすれば、もっと真っ向から反発しそうなものだと思っていたから。
「私がお父様の立場なら、多分、流されて八方美人にしかなれないもの。あちらにもこちらにもいい顔をして、結局、全部悪い方へ転がるだけ」
カトラリーを置く音が、小さく響く。
「何もできない、ただの中途半端な小娘。それが私」
吐き出すように言って、彼女は俯いた。
……出会って二日目の相手に言うような話ではない。
でも、だからこそなのかもしれない。
家族には言えない。
友人にも言いづらい。
マチルダのような“きちんとした護衛”には、なおさら弱みを見せづらい。
そこへ来て私は、少しラフで、でも一定以上は踏み込まない、都合のいい相手に見えたのだろう。
なるほど、扱いやすいわけだ。
思わず、ふふ、と笑みがこぼれた。
「……甘いわね」
つい、そんな言葉が口をついて出た。
「そう、ですよね」
オクタヴィアはちらりとこちらを見た後、ますます気落ちしたように俯く。
ああもう、可愛いわね。
「だけど、嫌いじゃないわよ」
私はストローでクリームソーダを吸い上げる。
冷たくて甘い緑色が舌の上で弾け、バニラアイスのまろやかさが後から追いかけてきた。うん、美味しい。
「面倒なことを、面倒がらずに考えられるんなら大したもんよ」
そう言ってもう一口。
アイスが少し溶けて、甘みが増していた。
「それに、甘い人間が居てもいいじゃない。皆が皆厳しかったら、息苦しいでしょ」
軽くウインクを飛ばしてみせる。
一瞬、オクタヴィアはぽかんとした顔をした。
それから、くすり、と笑う。
ほっとしたような。
少しだけ肩の力が抜けたような。
そんな、不思議にやわらかい笑みだった。
……うん。
この子、やっぱり嫌いじゃないわ。
その時だった。
ポケットの中で、端末がぶるぶると震えた。
私は手を入れ、画面を確認する。
表示された名前を見て、少しだけ目を細める。
「……あら、ちょっとごめんなさいね」
オクタヴィアにそう断り、私はサロンの窓際にある扉から外へ出た。
陽光は柔らかく差し込み、爽やかな風が頬を撫でる。
さっきまでの人と食事の匂いが背後へ遠ざかり、外の空気が一気に肺へと入る。
コールの重なる端末を耳へ当て、応答する。
「もしもし、どうしたのかしら、恒一さん」