FPSのUIが現実に見える俺が、いつの間にか殺し屋になるまで 作:鳥獣跋扈
ぎい、と。
古びた蝶番が、きしんだ声のような音を立てて、背後で扉が閉じた。
外は先ほどまでと変わらず穏やかだった。
陽光は柔らかく、空は青く、風は心地いい。ほんの少し草の青い匂いが混じっているのが、ここが町外れだと教えてくれる。
俺は一度だけ振り返り、背後の小屋へと視線を向けた。
変わった様子はない。
当然だ。変わるはずもない。
変わったのは、あの中に、もう何も言わない男が一人増えただけだ。
――男から聞き出した、いや、正確には違うか。
俺が勝手に、必要な情報だけ吸い出した。そう言った方がしっくりくるかもしれない。
マチルダとあの連中の関係。
組織に対する裏切り。
学園を狙う計画。
そして、彼女が知りたがっている兄の所在。
おそらく――俺が殺した男が、その兄であること。
そこまで考えて、頭の中に薄暗い靄のようなものがかかるのを感じた。
軽く頭を振る。
今はそれを考え込んでいる状況ではない、な。
出てきた情報は重い。だからこそ、ここで現場判断をするわけにもいかなかった。
ふう、と一つ息を吐き、ポケットから端末を取り出す。
液晶に表示された時刻は、学園を出てからそれほど経っていない。日本だとそろそろ夜か。
俺は小屋から少し離れ、道沿いの木陰へ移動した。
日陰で一息ついている人間くらいには見える位置。目立ちすぎず、かといって隠れているような不自然さもない。
端末の連絡先をスクロールする、とはいえ、登録されている人数なんてたかが知れているけれど。
見慣れた名前に指先を止めた。
軽く触れると呼び出し音が鳴り、確認してから耳に当てる。
ツーコール。
スリーコール目で、相手が出た。
『もしもし、恒一さん。お疲れ様です。どうしましたか?』
ついさっき、校門前で話したばかりだ。
アルフの声には、訝しさと、嫌な予感を覚えたような緊張が少しだけ混じっていた。
「ああ、悪い。ちょっと報告と相談だ」
短くそう前置きしてから、俺は尾行してきた男を捕まえたこと、その男からいくらか情報を取ったことを伝える。
アルフは口を挟まず、先を促してきた。
俺は整理するように、一つずつ言葉にした。
マチルダが裏切っている可能性が高いこと。
現地の別組織に情報を流しているらしいこと。
そして、その連中が学園を襲撃する計画を立てていること。
通話の向こうで、アルフが一度だけ息を呑んだ気配がした。
『……男は何者ですか?』
一通り、ざっくりした話を伝え終えたところで飛んできたのは、そんな質問。
恐らくその組織の人間だろう、と前置きをしながら答える。
「個人を特定できるようなものは持ってなかったな。通信端末は持っていたがロックがかかってる。生体認証はない。パス式だ」
そう答えながら、先ほど回収した端末を見た。
よくある液晶型の携帯端末。画面を点けると、簡素な入力画面が現れる。数字列。特に妙なところもない。
『分かりました。こちらから遺体の処理班を手配しますので、そちらに渡しておいてください。探ります』
淡々とした返答。
だが、平板な声の端に、わずかな苛立ちのようなものが滲んでいた。
回収した所持品一通りを一緒に渡すよう告げられたので、了解、と短く返す。
少しの間の後、アルフが続けた。
『それと、マチルダの件ですが』
声音がさっきより低い。
無理もない。こちらが怪しいと睨んでパーソナルを洗い直していたとはいえ、実際にその可能性が高いと分かれば、話は別だ。
『欧州組織とは別組織……それが学園を狙っていて、マチルダから情報を受け取っている、と……』
考え込むような間。
俺は余計なことを付け足さない。推測の上塗りはノイズになる。
やがて、アルフが口を開いた。
『分かりました。シャルロッテお姉さまにも情報は共有してください。それから、警護対象へはこの件は伏せておいてください』
当然の指示だな。
オクタヴィアにこんな話をしても、混乱するだけだ。
『学園については、現状、その男の証言だけでは断定できません。とはいえ、対策を取らずに済ませるわけにもいきません。申し訳ありませんが……』
そこで言葉が少し弱くなる。
こちらに負担を回す形になることを理解しているのだろう。
だが、そのくらいは織り込み済みだ。
「ああ、出来るだけこちらで対処するさ。シャルロッテさんもいるし、何とかなると思う」
最悪、護衛対象だけを守って逃がす形になるだろう。
けれど、その最悪は今のところそれほど心配していない。なんだかんだで、近くにシャルロッテさんがいる。
問題はどこまで被害を抑えられるか、だ。
『マチルダの裏、できれば取っていただけると助かります。……難しければ、現場判断で“処理”していただいて問題ありません』
影のある言葉だった。
短い付き合いでも、アルフが身内に近い人間の裏切りを軽く受け止めるタイプでないことは分かる。
「……わかった」
短く答える。
俺自身の問題でもある。勝手だとは思っているが、仕方ない。意識の、意地の問題みたいなものだ。
『あと、マチルダの監視がその男だけとも限りません。それに、その男の連絡が途切れたことで、向こうに何か動きがある可能性もあります。くれぐれもご注意くださいね』
心配を隠しきれていない声に、神妙に頷く。
「了解」
『それでは、諸々手配しますので少々お待ちください』
そう言って通信は切れた。
物言わなくなった端末を少しだけ見つめてから、ポケットへと戻す。
マチルダの尾行は、もう難しいだろう。
距離が離れすぎたせいか、緑のマーカーはもう視界にもミニマップにも映っていない。
……先に、小屋の中を少し片付けるか。
そう考えながら、俺は再びゆっくりと先ほどの小屋へ向かって歩き出した。
* * *
あの後、先日と同じ連中が来た。
作業自体は簡単なものだった。
現状の簡易報告と、男から回収した物の受け渡し。それで終了だ。
待ち時間の方が長かったくらいだが、こういうのは仕方がない。
向こうも向こうで、急な案件だろうしな。
そうしているうちに、思ったより時間を食ってしまった。
既に昼前。
ランチにはまだ少し早いが、街の店はそろそろ賑わい始める時間帯だ。
シャルロッテへの連絡はまだしていない。
今頃はまだ授業中のはずだ。昼休憩に入ったタイミングを見てからの方がいい。
俺は学園の近くまで戻ってきていた。
中には入れない。
だが、近くにいるに越したことはない。何か起きた時、すぐに駆け付けられる。
ついでに、周辺の動線も改めて確認しておくことにした。
正規の出入口。
監視に使えそうな建物。
高所。
近くのスタンドで買ったコーヒーを片手に、散歩でもしているような顔で歩き回る。
幸い――と言っていいのか――監視されているような視線は感じなかった。周囲にいるのは、のんびりとした地元の人間ばかりだ。
カップの中身が空になり、ある程度周辺環境を確認し終えた頃だった。
ミニマップの端に、緑色のマーカーが映る。
……戻ったか。
ちょうどいい。
俺は踵を返し、そのマーカーの方へ向かった。
角を曲がってきたマチルダを見つける。
こちらも向こうを見つけたところで、できるだけ自然に声をかけた。
「ああ、お疲れ様です。何か不審なことはありましたか?」
「あ、ああ。いや、大丈夫だ。特にこれといった情報はなかったな。そっちはどうだ」
少し驚いたようだったが、すぐに取り繕う。
警戒はしているが、露骨ではない様子。
溜まり場に行く、と言っていたし、実際そういう場所を回っていたのだろうか。
そこは今は深く踏み込まない。
「こちらも特に」
軽く返してから、思いついたように続ける。
「そうだ、せっかくですからランチでもご一緒にいかがですか?」
一瞬、悩むような間。
それから、承諾の返事があった。
視線の奥に、探るようなものを感じる。
まあ、お互い様だ。
俺たちは並んで少し歩いた。
交差点の角、街のビストロらしい店が表に看板を出しているのが見える。
「この店はたまに利用するんだが、煮込みが旨くてな。ここで良いか?」
マチルダがそう言うので、俺は快く頷いた。
二人でそのまま店内へ入る。
中はこじんまりとしているが、落ち着いた雰囲気だった。
古い造りだが、手入れは行き届いている。木のテーブルも椅子もよく磨かれていて、長く使われてきた味があった。
カウンター席がいくつか。テーブル席が数卓。
奥のキッチンでは、初老の男が黙々とフライパンを振っている。火の音と油の香りが心地いい。
客は数人。
カウンターの奥では常連らしい婦人が二人、女の店員と何やら楽しそうに話していた。
ドアベルの音に気づいたのか、その女がこちらを向く。
やや小太りだが愛嬌のある顔立ちで、客受けの良さそうな人だ。キッチンの男と夫婦なんだろうか、などと考えているうちに、もう目の前まで来ていた。
「いらっしゃい。テーブルで良いかい? 煙草は?」
先に入っていたマチルダへ問いかけながら、ちらりとこちらにも視線が来る。
たぶん煙草の有無をまとめて確認しているのだろうと察し、俺は小さく「大丈夫です」と返した。
「ああ、テーブルで良い」
マチルダがこちらへ少し視線を向けながら答える。
そうかい、と女は軽く頷き、俺たちはテーブル席へと案内された。
席に着く。
マチルダが「まずは水を」と頼むと、女はキッチンへと下がっていく。
「さて、適当に選んでくれ。ここは私が持つ」
そう言ってマチルダがメニューを開いた。
では遠慮なく、と俺ももう一冊のメニューを眺める。
水が運ばれてきたところで注文を済ませる。
俺はサンドイッチのセット。マチルダはビーフシチュー。食後はそれぞれコーヒーと紅茶。
グラスに水が注がれ、冷たいそれを一口含むと、少しだけ気が落ち着く。
視線を感じて顔を上げる。
向かいに座るマチルダが、何かを切り出そうとしているようだった。目が合うと、いったん逸らし、それでもまた戻してくる。
「あー、その、何だ。昨日の礼をまだきちんと言っていなかったな。助かった」
一瞬、何のことかと思ったが、アパートの件だろう。
「いえいえ、何事もなくて良かったですよ」
謙遜するほどのことでもない。
軽く返すと、マチルダは少しだけ口元を緩めた。
「にしても、だ。……この業界は長いのか?」
周囲を気にしたのか、少しだけ声を落としてくる。
カウンターの奥を見ると、女と常連たちは変わらず雑談に夢中だ。こちらの話には意識を向けていない。
「いえいえ、自分なんてまだまだ。マチルダさんこそ、慣れてる様子ですけど長いんですか?」
こちらも、やや曖昧に返す。
はぐらかされたと思ったか、それとも最初から期待していなかったか。いまいち読み取れないが、マチルダは特に気にした風もなく続けた。
「ああ、それなりにな」
「こういう仕事だと、地元を離れると家族にも連絡取りづらくなりますよねぇ。まあ自分はもう家族いないので、その点気楽なんですが。マチルダさんのご家族とか、ご心配してませんか?」
笑い混じりに、なるべく角の立たないように話題を振る。
探るなら、外堀からだ。
「ああ、もちろん、言いづらいこともあるでしょうから、全然、お気になさらず」
わざと引くように添えると、マチルダは一瞬だけこちらを見た。
「……いや、構わないさ。両親はだいぶ昔に亡くなっていてね。だけど、兄が二人いる」
「お兄さん、ですか」
こちらもグラスを口に運ぶ。
レモンが少し絞ってあるらしく、水に軽い酸味があった。
「ああ。兄たちも同じ業界だったんだがね。……少し前から、連絡が取れないんだ」
両手でグラスを包み込むように持つ。
指先が少し白くなっていた。冷たさだけじゃないだろう。
「勿論、こんな仕事をしているんだ。何かある、なんてことは当然、織り込み済みさ。だけど……」
そこで言葉を切り、マチルダは俯く。
「だけど、もしかしたら、と思ってね。色々と伝手で探してはいるんだが、まだ何も分からないんだ。……せめて、生きているか、死んでいるかだけでも分かれば、良いんだが」
悔しさと、寂しさと、それでも完全には諦めていない気持ち。
そんなものが声に滲んでいた。
「……すみません、言いづらいことを……」
「ああ、構わない。そうだ、一応聞いておこう。兄はエマーソンとリドリーというんだ。どこかで聞いたことは無いか?」
そう言いながら、マチルダは自分の端末を取り出した。
仕事用ではない、私物のそれだろう。少し古い型だが、丁寧に使われているのが分かる。
画面に表示された写真を、こちらへ向けてくる。
湖畔らしい場所だった。
柔らかい日差しの中、マチルダを真ん中にして、左右から肩を組む二人の男。
どちらも大柄で、短い金髪。背丈も、顔立ちも、驚くほど似ている。
「だいぶ昔に、三人で揃って撮ったんだ。向かって右がエマーソン、左がリドリーだ」
「双子、ですか?」
「ああ、そうだ。兄たちは双子でな。妹の私も、たまに間違えるくらい似ているんだよ」
そう言ってマチルダはほんの少しだけ笑った。
自慢の兄なのだろう。そういう笑い方だった。
写真の中の男。
向かって右。
エマーソン。
その顔を見た瞬間、胸の奥に少しの重みを感じる。
以前の廃倉庫。
薄暗い鉄骨。
銃声。
倒れ込んだ大柄な外国人。
視界の端に流れたキルログ。
エマーソン・ベイル。
間違えるはずがなかった。
あの時、俺が殺した男。
やはりその男が、今目の前にいるマチルダの兄だった。