FPSのUIが現実に見える俺が、いつの間にか殺し屋になるまで 作:鳥獣跋扈
シャルロッテに必要なことだけを告げると、俺はストックを畳んだ狙撃銃を肩に担ぎ直した。
伏せていた屋上の縁には、さっきまでの名残みたいに空薬莢がいくつか散っている。指先で素早く拾い集め、緑色の弾薬箱へと放り込むと、軽い金属音が乾いて響いた。
丸めて敷いていたジャケットを広げ、ぱさりと払って土と細かな砂を落とす。そのまま袖を通しながら、最後にもう一度だけ周囲へ視線を巡らせた。
これ以上、ここに残る理由はない。痕跡の排除も、これくらいで十分だろう。
足早に階下へ向かう。
視界の端で、ミニマップが淡く光っている。
――あの時だ。最後の狙撃を入れる少し前、一瞬だけマチルダのマーカーがマップの端をかすめた。
今はもう、範囲外へ出たのか映っていない。
だが、向かった方向だけは頭に残っている。街の外。学園から離れる方角だ。
廃アパートの下まで降りる頃には、学園の方の喧騒はさらに大きくなっていた。
怒号。サイレン。どよめき。どうやら警察が本格的に集まり始めたらしい。
こちらとしては都合がいい。
入る時と同じように門を飛び越え、車へ。
後部座席のドアを開けて弾薬箱を放り込むと、がしゃん、と金属同士がぶつかる音が鳴る。座席を倒し、担いでいた狙撃銃を手早く分解してその下へ滑り込ませた。
運転席に身体を沈め、エンジンを始動。
ルートを頭の中で組み立てる。
マチルダのマーカーの動き。あの速度は徒歩じゃない。車両移動だろう。だが、そこまで速度は出ていなかった。まだ追いつける。
焦らず車を空き地から出し、学園前の道を横切る。
野次馬。警官。サイレンを鳴らしながら集まってくる警察車両。先に到着していた警官が、怪我人を道路脇へ寄せ、叫びながら動いているのが見えた。
人混みの横をゆっくりと抜けながら、バックミラー越しに学園の方へ一度だけ視線を投げる。
それからアクセルを踏み込み、速度を上げた。
背後へ、喧騒が流れていく。
* * *
街中を走る。
主要道路は避ける。だが、狭すぎる道も選ばない。
さっき頭に叩き込んだ方角を頼りに、必要十分な速度で車を進める。
今、警官連中の意識は学園に釘付けだ。
常識外れでない程度なら、少しばかり飛ばしたところで問題はない。
しばらく走り、そろそろ街の外縁に差しかかるかという頃だった。
――いた。
ミニマップに、緑色のマーカー。
マチルダだ。
やはり、予想通り街の外へ向かっている。
こちらはまだ街の端。向こうは既に、街を抜けかけている。このまま追えば追いつける。
ジャケットの内側、愛銃の感触へ意識をやりながらハンドルを切る。
いくつかの路地を抜けると、家並みは途切れ途切れになり、景色はすっかり郊外へ変わっていった。
ぽつぽつと建つ農家。古びた納屋。放置されたような作業小屋。広がる畑。時おり低い林が視界を遮る。
少し先、真っ直ぐに伸びた道の向こうに黒い車両が見えた。
マーカーは、その車に張り付くように動いている。
厳ついシルエット。無骨で、いかにも荒事向きの車だ。追いつくようにアクセルを踏み増す。
――まだだ。
もう少し、人目が減ってから。
付かず離れずの距離を保ったまま追う。
幸い、向こうはそこまで速度を出していない。こちらの車に気づいていたとしても、追跡だとは思っていないらしい。
数分。
車間は着実に縮まる。
周囲には、遠くに家が見えるだけ。人影も、対向車も、ここしばらく見ていない。
……行くか。
右足でアクセルを深く踏み込む。
エンジンが唸りを上げ、回転数が跳ねる。タコメーターの針が一気に上がった。
前を行く車両が、こちらの急加速に気づいたのか、反射的に道の端へ寄る。
都合がいい。
そのまま一気に横へ並ぶ。
ちらり、と運転席を見る。
いた。
ハンドルを握る男は、巨漢という言葉がふさわしい体格をしていた。肩幅が広すぎて、車内が狭く見えるほどだ。首は太く、頬から額にかけていくつもの傷が走っている。そこいらのチンピラではない。目つきだけで分かる。
そいつがこちらを見て、驚いた表情を浮かべていた。
助手席のマチルダも俺の顔を見た瞬間、表情を強張らせている。
巨漢の男が何かを怒鳴り、マチルダが言い返す。車内で言い争っているらしい。
なら、今だ。
一度ハンドルを右へ振って間合いを作り、切り返すように勢いよく左へ。
そのまま、相手の車体へ思いきりぶつけた。
がつん、と鈍く重い衝突音。
金属が擦れ合い、悲鳴みたいな音を立てる。
向こうの方が車格は上だ。だが、完全に虚を突かれたらしい。車体が大きく揺れ、ふらつく。
……もう一丁。
もう一度、大きく反動をつけてから再びぶつける。
先ほどよりも重い衝撃音。ついに相手の車が道路を外れ、脇の草地へ逸れた。
そのまま止まるかと思いきや、まだ諦めていない。草を薙ぎ倒しながら、道なき方へと突っ込んでいく。
なら――。
運転席側の窓を開け、ジャケットの内側から銃を引き抜く。
左手だけでハンドルを押さえながら、上半身を窓の外へ乗り出した。風が顔を打ち、髪を後ろへ流す。腕に空気抵抗がのしかかる。
それでも、視界中央のクロスヘアはほとんどぶれない。
狙いはタイヤ。
一発。
二発。
乾いた音が連続し、右後輪が弾けた。
車体がぐらりと大きく傾き、慌ててブレーキを踏んだせいで更に蛇行する。土埃を激しく巻き上げながら、黒い車両は大きな藪へと突っ込み、ようやく止まった。
俺もすぐその場で車を止める。
真正面ではなく、少しハンドルを切って助手席側が前へ来るように。降りた時の遮蔽を考えての位置だ。
もうもうと立ち込める砂煙の向こう、視線は相手の車から外さない。
マーカーは……助手席で止まっている。
いや、動いたな。
俺は銃を構えたまま慎重に車外へ出た。
ボンネットの陰へ半身を隠し、中腰で相手の様子を伺う。
ちらりと覗く。
巨漢とマチルダ。二人とも車から出ている。
いや、正確には立ち位置が違う。巨漢が半歩後ろ、マチルダが一歩前。あれではマチルダが盾だ。二人とも銃は抜いているが、この位置からエンジンを抜くのは難しい。
ここから逃げるのは無理だと判断したのだろう。
巨漢の銃口はぴたりとこちらへ。
マチルダの方は、定まらない。こちらへ向けようとして、けれどどこかで迷っている。
「……なんだ、テメェは」
静かなのに、妙に通る声だった。
こちらは黙ったまま。答える理由がない。
「テメェのせいで計画はご破算だ」
現場に居たわけでもないくせに、確信めいた口調。マチルダからも何か聞いたのかもしれない。
顔は上気している。苛立ちか、焦りか、その両方か。
「見せ金に釣られたゴロツキどもを学園に突っ込ませて、政治家の親どもを強請るだけの簡単な仕事だったってのによ。とんだジョーカーが紛れてやがった」
聞かれてもいないことをよく喋る。
喋っていないと落ち着かないのかもしれない。銃口はぶれずこちらへ向いている。腕は悪くない。
「……なんで俺たちの居場所が分かった。こちとら見切りを付けてすぐ街を出たんだ。身内にも話しちゃいねぇ」
そこでちらりとマチルダを見る。
マチルダは顔面を蒼白にしたまま、フルフルと首を振った。もちろん、彼女に俺のことは何も伝えていない。
俺は相変わらず黙っていた。
「手の内は明かせねぇ、か。そりゃそうだろうな」
巨漢は一人で納得したように薄く笑う。
そのまま、急に思い出したように声色を変えた。
「そうだ、マチルダ。お前さんが欲しがってた情報だがよ」
唐突に話を振られ、マチルダがびくりと肩を震わせる。こちらと巨漢の間で視線を彷徨わせ、不審げに眉を寄せた。
「……急に何を」
マチルダのその問いを遮るように巨漢は続ける。銃口も視線も、依然としてこちらだ。
「俺が知ってるのは、エマーソンの方だ。最後に確認されたのは日本」
マチルダの腰が少し浮いた。
巨漢は、彼女ではなくこちらの反応を見ている。まぶたを開き、じっと。
「数か月前にな。コッチの組織に、いや、広域での照会だからウチだけじゃねぇんだろうが……写真照会が来たんだ」
そう言いながら左手を内ポケットへ差し込む。
一枚の写真を取り出した。
「“コイツ”は誰だっていう照会だ。ま、上からは返答するなってお達しが来てたけどな」
ひらり、とその写真をマチルダの足元へ投げる。
ぱさり、と乾いた音。
俺も、巨漢も、視線はそこへ落とさない。
落としたのは、マチルダだけだった。
何か予感があったのだろう。
彼女は今の状況すら忘れたように、震えながらしゃがみ込む。ゆっくりと、裏返しになった写真を拾い上げた。
ごくり、と喉が鳴る。
意を決したように写真を返す。
そこに映っているのが誰か、俺にはほぼ分かっていた。
「……兄さん……! エマーソン兄さん……!」
写真を握り潰さんばかりに握り締め、眼を見開いて見つめるマチルダ。
少しの間、風の音と、彼女が嗚咽を噛み殺す声だけがその場に残った。
「……誰だ! 誰が兄さんを殺った!?」
がばりと立ち上がり、巨漢へ詰め寄る。
その手の銃口も巨漢へ向く。
だが、巨漢は意に介さない。むしろ口の端を少しだけ上げて、楽しむように言葉を続けた。
「さあな。やったヤツまでは知らねぇよ。だが、一番線があるとすりゃ、その照会を掛けた組織だろうさ」
そう言って、こちらに聞かせるように問いを投げる。
「なあ、そうだろう?」
俺はゆっくりと車の陰から体を起こした。
銃は向けたまま。
問いには答えない。
ただ、マチルダを見る。
「まさか……まさか」
マチルダの腕がだらりと落ちる。
こちらを見る目は、怯えと怒りと絶望がぐちゃぐちゃに混じっていた。
巨漢も、俺が本当にエマーソンを殺したと知っているわけじゃない。
ただ、照会をかけた組織の一員である俺を前に、マチルダを揺さぶっているだけだ。
それでも十分だった。
「そうさ、マチルダ。そこの兄ちゃんと、あんたが所属してる組織が下手人だよ。何の因果かね」
止めを刺すような言葉。
その瞬間、マチルダのマーカーが緑から赤へ変わった。
「お前が!」
堰を切ったようにマチルダがこちらへ銃を向ける。
同時に、巨漢も待っていたように銃口を持ち上げた。
二つの殺意が、一度にこちらへ向く。
視界から色が消えた。
射線が見える。
マチルダのものはぶれている。慌てているせいで定まっていない。
巨漢の方は違う。寸分違わず、こちらの頭部へ。
頭の内側で、がんがんと金属を打つような音。
世界が妙に静かになる。
先に引き金を引くのはマチルダ。
巨漢は狙いをつけた分だけ、ほんのわずかに遅い。
なら――。
頭に向けられている分、動かすべき距離は少ない。
何故だか、そんな風に考えていた。
筋繊維がぶちぶちと千切れるような錯覚。
無理矢理、体を動かす。
世界が、ひどく遅い。
普段の動作とは比べものにならないくらいゆっくりと、頭部を巨漢の射線からずらす。
同時に右腕を上げる。クロスヘアは巨漢の額へ。
マチルダが引き金を引く。
弾道は俺を外れ、車体へ逸れていく。
巨漢の銃口が火を吹く。
左耳を掠めるかどうかの位置を、弾丸が空気ごと裂きながら迫ってくる。
間に合え。
全身を捻り込みながら、人差し指を絞る。
びし、と左耳の先に熱が走った。
銃口が火を噴く。
次の瞬間、世界に色が戻り、音が戻った。
脳の内側が締め付けられるように痛む。
どさり、と重いものが倒れる音。
視線を上げると、額のど真ん中に穴を穿たれた巨漢が、仰向けに倒れていた。
マチルダは何が起きたのか理解できない顔で俺と巨漢を見比べ、それからゆっくりと銃を下ろした。
つう、と鼻先へ流れてきた血を袖で拭う。
銃口を、今度は真っ直ぐマチルダへ向けた。
マチルダは、何かを諦めたような、それでいて今にも泣き出しそうな顔をしていた。
握りしめていた写真をゆっくりと開き、そこに写る男を見つめる。
「……兄さんは、エマーソン兄さんは優しかったんだ」
誰に聞かせるでもない独白。
風の中へ溶けるような声。
「私は出来が悪くて、要領も悪い。銃の腕前が良いわけでも、話が上手いわけでもなかった」
思い出を一つずつ掘り起こすように。
絞り出すように。
「よくリドリー兄さんに叱られてた。そんな私を、エマーソン兄さんはいつも慰めてくれてた」
涙が頬を伝い、ぽたり、ぽたりと地面へ落ちる。
「……ねぇ。エマーソン兄さんを殺したのは、貴方なの?」
写真からゆっくりと視線を上げ、こちらを見る。
そこにあるのは、憎悪でも怒りでもない。ただ純粋な問いだけのように見えた。
「……ええ。俺が、殺しました」
なぜそう答えたのか、自分でもよく分からない。
手向けなのか、罪悪感なのか。
ただ、最期に彼女へ告げるべきだと思った。
「……そう」
納得したように、マチルダは小さく呟く。
そして、ゆっくりと銃口をこちらへ向けた。
先ほどまでとは違う。
真っ直ぐで、迷いのない銃口だった。
視線と銃口が、重なる。
「……リドリー兄さんに、ヨロシクね」
銃声が響く。
硝煙が上がっているのは、俺の銃だけだった。
どさり、と軽い音を立ててマチルダが倒れる。
その顔は、不思議とどこか満足げに見えた。
最期の言葉が、妙に重く胸へ沈む。
まるで彼女は、自分の死よりも、その先を見ていたみたいだった。
まるで、また俺が彼女の兄と相対することが決まっていると、知っているような言い方だった。
ゆっくりと、引き金にかかっていた指を剥がすように離す。
大きく息を吐いた。
頭痛は薄れた。
ただ、左耳の先だけがちくりと痛む。
――ぴりりりり。
静寂を破るように電子音が鳴った。
音の出所は、巨漢のジャケット。
俺は銃をしまいながら巨漢へ近づく。
少しだけ頭を振る。何かが抜けるわけでもないが、気を引き締めるには十分だった。
ジャケットを探る。
内ポケットの端末。画面には非通知の着信。
通話を取り、耳へ当てる。
『俺だ。そっちは無事に抜けたか』
聞いたことのない声だった。
しゃがれている。酒焼けみたいに掠れているのに、妙な威圧感がある。
俺が黙ったままでいると、相手は少しの間を置いた。
『……そうか。アイツは、弟は死んだか……』
寂しげに。
だが、どこかで予感していたような声音だった。
『なら、話は早い。アンタ、“数字持ち”だろ』
思ってもいなかったところを突いてくる。
それでも、こちらから答えることはない。
『いいさ。そのまま聞きな。今、あんたの端末に画像を一枚送った。見な』
なぜこいつが俺の端末を知っている。そんな疑問が浮かんだ瞬間、胸ポケットの端末が震えた。
右耳に電話を当てたまま、左手で自分の端末を取り出す。
メールが一通。
差出人は、不明。
中を開く。添付画像は一枚だけ。
立派な会議室。
逆光で細部は潰れているが、椅子に座る女と、その背後に控える二つの人影。
手前側からは、いくつもの銃口がその三人へ向けられていた。
座っているのは雨宮。
背後はアルフと、見覚えのない老人。
『見たな。写真の場所はホテル・グラン・ヴァルゾンだ』
こちらの反応を待たず、相手は続ける。
『乗り込んで来いよ。もちろん、丸腰でなくて結構。こっちも正面切って潰したっていう建前が必要なんだ』
人質を取っておいて、どの口が。
『悪く思うなよ』
それだけ言って、通話は切れた。
手に持った電話を、倒れた巨漢の胸へ無造作に放り投げる。
それからもう一度、自分の端末に映る写真へ視線を落とした。
雨宮がいる。
アルフがいる。
見知らぬ老人がいる。
銃口を向けられている。
当然、窮地のはずだ。
……いや、違う。
俺は思わず笑った。
写真の中のアルフは、いつも通りのメイド服姿で静かに控えている。
老人の方は、まるで禅でも組んでいるみたいに凪いだ気配で立っていた。
そして雨宮は。
写真のレンズ越しに、まるでこちらへ向けて。
笑いかけるように。嗤いかけるように。
『さあ、待っているよ』
そんな雨宮の声が、頭の奥で聞こえた気がした。
ふ、と息を吐く。
そして、嗤う。
先ほどまでの胸に落ちる重みを忘れるように。
「了解」
遠くにいるはずの雨宮たちが、嗤った気がした。