FPSのUIが現実に見える俺が、いつの間にか殺し屋になるまで 作:鳥獣跋扈
車を走らせながら、ちらりとバックミラーへ視線を投げる。
だが、映るのはただの道。草臥れたガードレールと、視界の端に流れる畑。そこに、ついさっきまで自分がいた場所の名残は何もない。
マチルダと巨漢の亡骸は、じきに“処理”されるのだろう。
いつぞやの男がそうであったように、誰にも知られぬまま、ただ一件の出来事として片づけられていく。
ひとつ、息を吸う。
肺の奥まで空気を溜め、ゆっくり吐く。
もう、後ろは振り返らない。
シャルロッテから送られてきた合流場所は、学園から少し離れた川沿いの細い通りだった。
近くには古い石橋と、車を数台だけ停められそうな小さなスペース。散歩ついでの老人や犬を連れた地元の人間が歩いていそうな、のんびりした場所だ。今の時間なら、人通りもさらに少ない。
マチルダを追って街から出るときはサイレンの音などがひっきりなしだったが、今はもう大分落ち着いた空気が戻っていた。
ゆっくりと車を進めながら周囲を見回す。
やがて、橋の袂に立つ見覚えのある金髪が、風に揺れているのが目に入った。
シャルロッテだ。
欄干に軽く寄りかかるように立ち、風に流される金糸を片手で押さえている。
学園での制服姿はもうない。
グレーのぴったりしたジーンズに、体の線に沿ったシャツ。その上からレザージャケットを羽織っている。動きやすさと見栄えを両立したような格好で、如何にも彼女らしい。
颯爽とした雰囲気を纏った美人が、こちらに気がついてニコリと笑った。
俺はその横へ車を滑らせ、助手席のロックを外す。
シャルロッテが乗り込んでくる。
ドアが開いた瞬間、川風と一緒に、少しだけ甘い香りが入り込んだ。
「お疲れ様です」
「ええ。そっちもね」
短いやり取り。
彼女がシートベルトを締める音を聞きながら、俺は再び車を発進させる。
川沿いの細い道を、景色でも眺めるみたいにゆっくりと走らせながら、口を開いた。
「オクタヴィアさんは?」
問いかけると、シャルロッテは窓の外に視線を置いたまま答える。
「警察に保護されて、そのまま実家に向かったわ。向こうは、もう大丈夫そうね」
「それは良かった」
シャルロッテがシートに深く背を預け、横目でこちらを見る。
「で?」
短い問い。
だが、その一言に含まれている意味は多い。
「……マチルダは、こちらで処理しました。彼女は――」
「いいわ」
遮るように、彼女が言った。
思わず言葉が止まる。
数秒、石畳をタイヤが噛む音だけが車内に響く。
シャルロッテは、窓に頭を預けるようにしながら、ぼんやりと外へ目を向けたまま続ける。
「もう、彼女はいない。裏切りの清算をした。それで十分よ」
……シャルロッテも、こんな風に知人を手に掛けたことがあるのだろうか。
あっさりと、切り捨てるように言葉を切ったのは、彼女なりの配慮なのかもしれない。
俺は小さく頷くだけに留め、ジャケットの内側から端末を取り出した。
「こちらを」
画面には、先ほど送られてきた画像が表示されている。
立派な会議室。どかりと椅子に腰かけた雨宮。その背後に控えるアルフと、見知らぬ老人。手前には銃を構えた男たち。
シャルロッテは端末を受け取ると、肘掛けに片腕を置いたまま画像を見た。
真剣に見ているはずなのに、その口元は少しずつ吊り上がっていく。
「……まったく、これだからお嬢は」
呆れ半分、楽しさ半分。そんな声音でぼそりと零し、端末を返してくる。
俺は受け取りながら尋ねた。
「やはり?」
「ええ。アルフもいるし、ジジイもいる。これ、“わざと”捕まったわね」
「……そのご老人、どなたですか?」
画像の中でも妙に落ち着いていた。
銃を向けられているはずなのに、少しも狼狽えていない。あれだけで只者ではないと分かるが、俺には心当たりがない。
シャルロッテは、少しだけ遠くを見るような顔になる。
「ああ、後で紹介するわ。……まあ、食えない爺さんよ」
苦い笑み。
懐かしむようでもあり、うんざりしているようでもある。どうにも一筋縄ではいかなそうだ。
「さ、そんなことより場所よ」
彼女はすぐに表情を戻し、膝の上で指を軽く組み合わせる。
「ホテル・グラン・ヴァルゾンですって?」
「ええ。ご存じですか」
聞くと、シャルロッテはふっと鼻で笑った。
「表向きは、富裕層向けの高級ホテル。会食、商談、要人の滞在先。どこにでもある立派なホテルよ」
「では、裏は?」
「密談、裏取引、売買、脅迫、そういう手合いの御用達。スタッフもほとんどこっち側の人間」
なるほど。
そういう場所なら、おあつらえ向き、という奴だ。
「このままホテルまで?」
「……少し寄り道しましょう」
そう言ったシャルロッテの口元に、にやりとした笑みが浮かぶ。
「なに、向こうが“準備万端”でお出迎えしてくれるなら、こっちも少しくらいドレスアップしないとね」
その言い方に、思わず笑みがこぼれる。
俺は行き先を切り替え、ハンドルを握り直した。
* * *
あれから数時間。
ホテルのある中心街から少し外れた、やや古びた石造りの建物が並ぶ一角。
空にはまだ青みが残っているが、端の方には既に赤みが差し始めていて、日と夜の境目がゆっくり街を染め替えていく時間だった。
学園のある街からここまで離れると、さっきまでの騒ぎが嘘みたいだ。
もちろん、ニュースや噂で情報はもう流れているのかもしれない。だが、少なくともこの通りを歩く人間たちには、どこか遠い場所の出来事なのだろう。
路地の端に車を停め、エンジンを切る。
横を見ると、クラシカルな意匠の小さなバーが一軒。
黒地に金文字で店名だけが控えめに記された看板。主張しすぎないそれが、逆に妙にお洒落に見える。扉の脇には古めかしいランプが一つ。小さな灯りを落とし、店先だけを静かに彩っていた。
窓はない。
中の様子はうかがえない。だが、そのおかげでどこか神秘めいた雰囲気を感じることができる。
「……ここですか?」
思わず小さく尋ねると、シャルロッテは当然のように頷いた。
「そ。車はここで大丈夫だから、行きましょ」
そう言って先に助手席から降りる。
俺もそれに倣って外へ出ると、空気が少し冷たく感じた。肺に入ってくる味も、少し都会風だ。なにが、と言われると言葉にしづらいが。
車をロックして振り返ると、シャルロッテはもう扉の前に立ち、ノブへ手をかけていた。
慌てて後を追う。
ちりん。
控えめなベルの音が一つ鳴る。
店内は薄暗かった。
まだ日が完全に落ちていないせいか、客はいない。静かなものだ。
磨き上げられた木のカウンターが柔らかな灯りを受けて艶を返す。背後の棚に並ぶ酒瓶は、ランプの光でぬらりと鈍く光っていた。低く流れるジャズが空気をゆっくりかき混ぜ、染みついた酒と僅かな煙草の香りが鼻腔をくすぐる。
カウンターの端では、白いシャツに黒いベストを着た老人が、グラスを丁寧に拭いていた。
背筋は不自然なくらい真っ直ぐだ。手の動きにも無駄がない。顔立ちは穏やかだが、たっぷりと蓄えた髭のせいで表情が読みづらい。
俺たちが近づくと、老人はグラスから視線を上げた。
手は止まらない。だが、こちら、いや、正確にはシャルロッテを見る目が少しだけ細くなる。
「いらっしゃいませ」
低い声。想像した通りで艶のある声だ。
シャルロッテが一歩前に出て、カウンターへ肘を軽く預ける。
「パープル・レインを二つ。8番でお願い。……奥、空いてるかしら?」
白く細い指を二本立てる。
その拍子に、ブレスレットがかすかに鳴った。
老人が、そこで初めて手を止めた。
拭いていたグラスと布を静かにカウンターへ置き、俺たちをじっと見る。
「今夜は長くなりそうですか」
「ええ。少し派手になりそうね」
「……それは結構」
老人は淡々と返すと、カウンターの端のランプへ手を置いた。
軽く捻る。かちり、と小さな音。
次の瞬間、背後の棚の一部が、ずず、と僅かな音を立てて開いた。
「こちらへ」
シャルロッテが頷く。
俺はその後に続いて、細く開いた扉の向こうへ体を滑り込ませる。背後のバーへ一度だけ目をやると、若い男のバーテンダーが奥から顔を出してくるのが見えた。
扉の奥は短い階段になっていた。
地下へ降りるごとに、空気が冷え込んでいく。乾いた石の音。油に金属、それに木の匂い。
壁に掛けられたランプが揺れ、石壁へ長い影を落としていた。
階段を下り切った先は、ワインセラーを改造したような空間だった。
壁際には酒樽や木箱が並び、古い石造りの天井には小ぶりな灯りがいくつも埋め込まれている。その一角だけが異質だった。黒い鉄棚がずらりと並び、その前に設えられたカウンター。
棚に収まっているのは酒瓶ではない。ケース、弾薬箱、分解された銃器のパーツ、通信機器、ナイフ。整然と並んだそれらが、静かに鈍い光を返している。
「ご用命を」
先を歩いていた老人がカウンターの中に回り込み、くるりとこちらへ向き直って言う。
シャルロッテは迷いなく答えた。
「長物を一つ。重いのを。あと、9ミリをケースで。室内向けの小物もいくつか」
「畏まりました。今お使いの物は……」
「TRG-42」
「なるほど」
老人は頷くと、棚の最上段近くに収まっていた一回り大きなケースを降ろしてきた。
無骨な留め金を外し、カウンターへ置き、そっと蓋を開けてこちらに見えるようにくるりと回す。
中に収まっていたのは、彼女の愛銃よりも明らかに骨太な一挺だった。
黒く、直線的で、見るからに重い。精密さよりも、相手をねじ伏せるための一本、という印象が強い。
「良いわね」
シャルロッテがそれを持ち上げる。
肩へ当て、重心を確かめ、頬を軽く乗せる。ブレはなく、ぴたりと銃先が止まる。
「これ、頂くわ」
ごとり、とケースに戻しながら告げる。老人は静かに頷き、次に棚から小箱をいくつか取り出してくる。弾薬ケース、小型のフラッシュバン、拘束用の樹脂バンド、手に収まるサイズのナイフ。必要なものが、必要なだけ、見本市みたいに並べられていく。
「こちらで、いかがでしょうか」
カウンターの端まで埋まるほどの装備。
それを見たシャルロッテが、こちらに視線を寄こす。俺は頷いた。
俺と彼女は、それぞれ必要な物を自分の方へ寄せ、手早く仕分けていく。
俺はマガジン、9ミリ弾、薄型の防弾プレート、拘束具、ナイフ。ホテルの中で動くことを考えると、重すぎる装備は不要だ。
シャルロッテの方は、新しい長物に合わせた弾を選り分けていた。指先で一発ずつ持ち上げ、見て、置く。どう違うのか俺には見た目では分からないが、彼女は真剣な眼差しで光に当て、置いていた。
老人が、その様子を見てぼそりと呟く。
「ホテル・グラン・ヴァルゾン、ですか」
「……あら、耳が早いのね」
「少し、裏がざわついておりましたから」
そう言いながら、カウンターの下から黒い包みをひとつ取り出し、こちらへ差し出してくる。
受け取ると、中にはイヤーピース型の通信機が二つ、予備電池、それに小さな補助機器が収まっていた。
「今日は高所では風が強いでしょう。少しでも音が通る方がよろしいかと」
「あら、気が利くわね」
「お得意様ですから」
老人が、そこで初めてほんの少しだけ笑う。
シャルロッテが肩を揺らした。
「ご武運を」
恭しく礼をする老人へ向かって、シャルロッテはひらりと片手を上げた。
俺も装備を確認し、通信機をポケットへしまう。
階段を上がって、バーの店内へ戻る。
先ほどと変わらず客の姿はない。若いバーテンダーが黙々とグラスを磨いているだけだ。
ちりん、と再びベルが鳴る。
外へ出ると、空はすっかり夜へ傾いていた。
「さて、舞台へ向かいましょうか」
「ええ」
短く答え、俺はバーの扉を静かに閉めた。