FPSのUIが現実に見える俺が、いつの間にか殺し屋になるまで 作:鳥獣跋扈
ホテル・グラン・ヴァルゾンは、夜の街の中心に、まるで昔からそこに君臨していた王のような顔で建っていた。
上品に、静かに、そして嫌味なく。
古い石造りの外壁は、暖かな色味のライトアップを受けて柔らかく照らされている。周囲を囲む近代的なビル群と比べれば、高さそのものは見劣りするのかもしれない。だが、積み重ねてきた歴史と、金では買えない格のようなものが、その建物を実際以上に大きく、高く見せていた。
正面へ続く広い車寄せには、黒塗りの高級車が何台も並んでいる。
回転扉の向こう、ロビーには灯りが満ちていて、磨き上げられた床や柱が、それをやわらかく反射していた。遠目に見れば、ただの高級ホテルだ。金を持った人間が、身なりの良い従業員に迎えられ、静かに夜を過ごすための場所。
だが、よく見れば違う。
スタッフの立ち方。
周囲へ投げる視線の鋭さ。
周囲に向けるソレは到底客人に向けるものではない。まるで”ナニカ”を待ち構えるような。
ホテルスタッフとしての緊張とは別種のそれをはらんでいる。
何より、先ほどから誰も客が入っていない。
立ち入るのは黒服の強面だけ。周囲もどことなく怪しげな雰囲気を感じ取ったのか、一般人は寄りつけていない。
俺は、一本通りを挟んだ位置に車を停めたまま、フロントガラス越しにその様子を眺めていた。
エンジンは切っている。外の冷気が、ガラス越しにじわじわと車内へ侵食してきて、さっきまでこもっていた温度を奪っていくのが分かった。
助手席には、もう誰もいない。
シャルロッテとは少し前に別れた。
彼女は長いケースを肩に担ぎ、少し先にある古いオフィスビルの方へと消えていった。別れ際、口元だけで笑いながら「いつかと同じね」と言っていた。
確かに、あのカルテル処理の時と一緒だ。高所から狙う彼女と、切り込む俺。違うのは、今夜の目指す先に雨宮たちが居るということだけだ。
だが、やることそのものはそう変わらない。
ハンドルに置いていた手を持ち上げ、運転席に背を預ける。
ひとつ、深く息を吸う。肺に入ってくる空気は少しだけ冷えていた。
視線を滑らせ、ホテルの側面へ向ける。
搬入口へ続く細い通路。
サービス車両が出入りするための半地下へ向かうスロープ。裏口の辺りにも照明はあるが、正面のように絢爛ではない。むしろ、最低限だけ明るくして、ぽつんと目立たせないようだ。
そこに二人、壁へ寄りかかるように立ちながら煙草をふかしている男たちが見えた。
『こっちはポイントに着いたわ。正面はおおよそカバーできそう』
耳元に、シャルロッテの声が届く。
声の奥で、少し強めの風がうねる音が聞こえた。だが、通信機の性能が良いお陰か、ノイズに声質が負けることはない。相変わらず、どこか余裕のある声音だ。
「了解、こちらも出ます」
袖口の通信ボタンを押して短く返し、ジャケットの裾を整える。
そのままドアを開けると、夜の空気が頬を撫でた。
通りには、まだそれなりに人影があった。
レストランへ入っていく家族連れ。腕を組んで歩くカップル。足早に駅の方へ向かう中年の男。楽しげに笑いながら肩を寄せ合う若者たち。
誰も彼も、己の周りだけ、他の事を気にも留めていない。
その流れに紛れるように、時には逆らうように。
目立たぬように、けれど隠れすぎないように。そこにいるのが自然であるように、ホテルへと距離を詰めていく。速すぎず、遅すぎず。何気ない歩幅で、外周へとそっと身を寄せた。
ライトアップ用の大きなスポットライトのせいで、ホテルの壁際にはかえって濃い影が落ちている。
搬入口を照らす明かり以外は最低限。コンテナやケース類が所々に置かれ、視線を切るにはちょうどいい。
近づくにつれ、男たちの様子がはっきりしてくる。
やはり、煙草を吸っている。
肩を壁へ預け、片足を軽く曲げている。耳にはインカム。スーツのネクタイは緩められ、上着の裾は少し乱れていた。二人で軽く雑談でもしているのか、時折笑いながら肩を揺らしている。
腰の膨らみは、拳銃か。
煙草を持つ手はだらしなく見えても、少なくとも視線の方は仕事をしているようだ。搬入口へ続くスロープ、その奥の暗がり、出入り口の角。一定のリズムでそちらへ目をやっていた。
こちらのいる方向へは、今のところ意識を向けていない。
俺は中腰になり、靴音を殺しながら、近くの搬送用コンテナの陰へ身を滑らせた。
今来た道を一瞬だけ振り返り、視界の端に浮かぶマーカーを確認する。正面玄関側に立っていた連中がこちらへ向かってくる様子はない。
視線を戻し、搬入口を見る。
コンテナ越しのマーカー位置は変わらず、奴らの視界範囲も見えている。
周囲に他の敵影は無し。
カメラは二台。ひとつは搬入口の真上、もうひとつはスロープの向こう側。死角は、男たちの立っている位置から少しこちら側へ寄った一帯。
さて、見つかるのが早いかどうか。
袖口へ口元を寄せる。
「……対象は二名。片方をお願いします」
『了解。奥をやる。そっちが出るタイミングに合わせる』
囁くような音量だったが、きちんと届いたらしい。
高所に潜んでいるであろうシャルロッテの声が、短く、確実に返ってくる。
よし。
ペロリと唇を一嘗めする。
コンテナの端から顔をほんの少しだけ出す。
男の一人の煙草の先が赤く光る。吐かれた煙が夜気へ溶け、ゆらりと上へ昇る。
そいつが少しだけ顔を上げ、意識を緩めた、その瞬間だった。
体が動く。
コンテナの陰から一気に飛び出す。
距離は大股で五歩。
三歩目で、空気を鋭く裂く音が後方から追い抜いていった。
次の瞬間、奥に立っていた男が、赤い花を咲かせて後方へ吹き飛ぶ。
手前の男がそれを認識するかしないか、こちらに背を向ける。残り一歩。
飛びかかるように左手で口元を押さえ、右腕を首へ回す。体重を預けるようにして後ろへ引きながら、灯りの届かない影の中へ引きずり込む。
男は声にならない呻きだけを漏らした。咥えていた煙草がぽとりと地面へ落ちる。
もがく腕が、こちらの袖を掴む。
だが遅い。
さらに体重を乗せ、首へ締め込む圧を強める。ぎり、と布と喉が擦れる音。喉の奥で潰れる空気。靴底が床を擦る短い抵抗。
やがて、その体から力が抜けた。
視界の端に、キルログが流れる。
そのまま静かに地面へ寝かせる。
赤く灯っていた煙草の火を靴先で踏み消し、上着の内側をまさぐる。
カードキー。
無線。
予備マガジン。
スマホ。
腰の拳銃は抜いて、スライドとフレームを手早く分け、近くの茂みに投げておく。
カードキーはそのまま手の中へ。
無線は空いている方の耳へ押し込む。今はノイズしか拾わないが、そのうち役に立つ。
奥へ吹き飛んだ男は、視界の端で確認するだけに留めた。
今さら丁寧に隠す時間はもったいない。幸い、吹き飛んだ先はさらに暗く落ちこんでいる。誰かが探しに行かない限り、すぐには見つからないだろう。
「……こちら問題なし。このまま侵入します」
『OK。やっちゃって』
何処か楽しそうな声色。
おそらく、向こうはスコープ越しにこちらを見ている。
俺はニヤリと笑い、姿の見えない彼女に向かって軽く手を上げた。
搬入口へ近づく。
ドアの脇にはカードスロット。先ほど奪ったキーをスライドさせると、一拍置いて青いランプが灯り、静かな解錠音が鳴った。
そのまま身を滑り込ませる。
中は、白い壁に囲まれた無機質な通路だった。
荷物が通るためか、幅はそれなりに広い。蛍光灯の光は均一で、だが少しだけ暗い。壁際にはランドリーカート、ケース入りの飲料、折り畳まれた台車が整然と並べられている。乱雑さはない。
壁際へ身を寄せながら、最上階――敵と、雨宮たちが待つ場所までのルートを頭の中でなぞる。
暗い通路の先は、いまだ爛々と輝いている。
だが、その輝きがこの先も保たれるかどうかは、もう分からない。
さて。
始めるか。