FPSのUIが現実に見える俺が、いつの間にか殺し屋になるまで 作:鳥獣跋扈
先ほど入ってきた搬入口を背に、俺は白く無機質な通路を進んでいた。
少し行くと、通路は十字に割れていた。
角に置かれた観葉植物の陰へ身を滑り込ませ、呼吸を浅くしながら、そっと先を覗き込む。
正面は、たぶんロビー方面だ。奥の方がやけに明るい。
左は厨房へ通じているのか、ステンレス製のワゴンが数台、半端な位置に出されたままになっている。
右側は倉庫や従業員用の通路らしい。段ボールがいくつか積まれ、灯りも落とされていて、全体に薄暗い。
その右通路の先。さらに折れた曲がり角のところに、こちらへ背を向けた男が一人立っていた。
肩に無線を挟み、何かを話している様子だが、まだ言葉までは拾えない。
武器は腰の拳銃だけか。他には見当たらない。
少なくとも、背中から漂う雰囲気だけで言えば、まだこちらの侵入は露見していない。緊張感が薄い。油断している。
俺は視線を足元へ落とした。
床はよく磨かれているが、その上に安物の滑り止めマットが敷かれている。見栄えは悪いが、こちらにとっては都合がいい。靴音を吸わせるには十分だ。
ゆっくりと呼吸を浅くする。
肩から力を抜き、壁に張り付いていた体を、するりと剥がす。
中腰のまま、素早く男へ向かう。
予想通り、安物のマットは俺の足音を綺麗に飲み込んでいた。
残り数歩。
ちょうどその時、男の肩の無線から少し大きめのノイズが走った。
通信の先触れか、男の意識が一瞬だけそちらへ向く。
今だ。
中腰に溜めていた重心を一気に踏み込み、低空を滑るように飛び込む。
背後へ迫りながら、勢いのまま膝裏へ足刀を叩き込んだ。
がくん、と男の膝が折れる。
頭の位置がちょうどよく下がる。
そこへ迷いなく、右手の掌底を耳へ叩き込む。
乾いた音。空気の抜ける鈍い響き。反対の耳から息が漏れ、男の体がふらりと後ろへ傾ぐ。
その首が、ちょうど踏み下ろしやすい高さで浮いた。
立ち上がりざま、そのまま首筋へ足を落とす。
ごきり。
鈍い、湿ったような音。
その音もマットが少し吸い込んだ。
首を不自然に捻り、泡を吹き始めた男を、すぐ近くのリネン用カートへ投げ込む。もともと積まれていた使用済みのシーツを乱暴にかぶせ、ざっと隠した。丁寧にやる必要はない。見つかるまでの少しの時間が稼げれば十分だ。
その時、先ほど外の男から奪ったイヤホンから、ぶつ切りの会話が流れた。
『──二階東、異常なし』
『ロビー、現状維持』
『厨房搬入口の交代は?』
『十分後だ』
よし。タイミングがいい。
少なくとも、しばらくはこちらへ人が来ないらしい。
まあ、無線の応答が途切れたことで気づかれる可能性はある。だが、その時はその時だ。
イヤホンから意識を離し、通路の先を見る。
扉が一つ。『備品室』と書かれている。
静かに近づき、そっと耳をつける。
気配はある。だが声は聞こえない。……一人か。
ジャケットの内側から銃を抜き、薬室を確認する。
別で持っていた消音器を手早くねじ込み、軽く締めて固定した。
ドアノブに手を当て、ゆっくり回す。
鍵はかかっていない。
夜中にこっそり家を抜け出す子供みたいに、音が出ないよう慎重に。
ほんの少しだけ開いた扉の隙間から、室内を覗く。
中はそれほど広くなさそうだ。
棚に積まれたタオルと、アメニティの箱が見える。その下。安物のパイプ椅子に脚を広げて座り込んだ男が一人。
サブマシンガンをたすき掛けにしながら脇へ流し、何やら熱心にスマホを弄っている。
職務怠慢だぞ。
……こっちにとっては、都合がいいが。
他に気配がないのを確認し、さらに扉を開ける。
空気の流れが変わったのか、男がこちらへ目を上げた。だが、もう遅い。
短い発砲音が、消音器の中へ吸い込まれて消える。
弾は喉元へまっすぐ吸い込まれた。
男は何が起きたのか分からない顔のまま、椅子ごとひっくり返る。棚の箱がいくつか落ちたが、中身が軽いのか音は大して響かない。
床に叩きつけられた衝撃か、男のスマホが鳴った。
何かのゲームだったのだろう。可愛らしい女の子の声で、『ゲームオーバー』と場違いな音声が響く。
後ろ手にドアを閉め、室内を見回した。
少し暗い備品室の奥には、入ってきた扉とは別のドアがある。
視界の端に浮かぶマップを確認すると、この先には作業員用の部屋がいくつか続き、さらに奥に外階段があるらしい。
近くには従業員用のエレベーターもある。……が、今使うのはさすがによろしくない。箱の中に自分から閉じ込められに行く趣味はない。
血だまりに沈んだ男を、足で引きずるようにしてロッカーの陰へ押し込む。
担ぎ上げて自分に血が付くと面倒だ。多少雑だが、仕方ない。
備品室を出て、先ほど頭の中で確認した外階段の方へ向かう。
幸い、この辺りに人影はない。何事もなく、階段へ通じるドアの前まで進めた。
通路の途中には監視カメラがある。だが、今の俺の服装は警備の男たちと似たり寄ったりなモノ。堂々と歩いていけばそうそうバレるものでもない。
扉脇にはカードリーダー。
搬入口で使ったカードがそのまま通るか、半ば試すようにスライドさせる。
ピッ。
短い電子音。続いてロックが外れる音。
よし。
がちゃり、と小さくハンドルを回す。
扉の外に気配がないことは確認済みだが、それでも音は立てたくない。
外へ出ると、無機質なコンクリート打ちっぱなしの階段が出迎えてくれた。
小さなライトが申し訳程度に闇を照らしているが、それで余計に闇が濃くなっている気さえする。
ホテルのちょうど裏手。
すぐそばを少し大きめの川が流れているらしく、水音が絶えず聞こえてくる。人通りは無い。車の音も遠い。
上をちらりと見上げる。
階段と階段の隙間。等間隔に灯りが置かれていて、その間を時折影が揺れる。見張りだろう。
耳元のイヤホンから、敵の無線がまた流れてきた。
『三階西、交代まだか』
『今向かってる』
『上は待機。分かってるな』
『了解』
ふむ。上、ねぇ。
見上げた階段は、最上階までは繋がっていない。
どこかで中へ戻る必要がある。
袖口を口元へ寄せ、通信を送る。
「シャルロッテさん」
『……聞こえるわ』
風の音が少し強くなっている。だが、声はクリアだ。問題ない。
『正面から見る限り、特に異常は無し。まだバレてないわね』
このホテルは、低層がロビーや吹き抜けのガラス張り、中層が宿泊者向け、上層が会議室や施設関連になっていたはずだ。
その構造を思い返しながら、俺は上を見た。
『……最上階、アタリは付けたわ。正面からだとお嬢たちの姿は見えないけど、人の密集具合からして、多分間違いない』
「了解です。こちらもそろそろ“五月蠅くなりそう”です」
『あら、待ちくたびれたわよ』
通信の向こうで、彼女が笑った気がした。
早く引き金を引きたくて、うずうずしているのだろう。
「楽しみにしていてください」
そう言って通信を切る。
少し喋りすぎた。だが、これで十分だ。
もう一度、階段を見上げる。
影の位置は変わらない。
夜気で冷えた体に、ゆっくりと力を籠める。
血が巡っていく感覚。筋肉の奥に熱が戻る。
力んだまま、ゆっくり呼気を吐く。
よし。
足音に注意しながら、影のすぐ下まで駆け足で上がる。
外階段の踊り場まで来ると、真上から人の気配と紫煙の匂いが落ちてきた。
このまま階段を上って折り返すのは、少しまずい。
ポケットからコインを一枚取り出し、手の中で弄びながらタイミングを計る。
ちょうど、上の男が一本吸い終わったらしい。
煙草をもう一本取り出すような音。ライターを弾く金属音。
今だ。
階段の隙間から、折り返し付近を狙ってコインを投げ込む。
投げた直後、手すりへ足を乗せ、そのまま真上の踊り場の床へ手を掛ける。
ちりん。
甲高い音が小さく響く。
同時に、ドア前にいた男がそちらへ意識を向ける気配がした。ちょうどこちらへ背を向ける形になる。
ふん、と両腕に力を込め、一気に体を持ち上げる。
手すりへかけた脚の踏み込みと合わせて、不自然なくらいの跳躍。上階の手すりに手を掛け、さらに引き上げて足を踊り場へ乗せる。
下は相当の高さだ。落ちれば、ただでは済まない。
視線の先には、ちょうど階段を一歩降りようとしている男。
足元には煙草の吸い殻がいくつか転がっている。
ダメだぞ、ちゃんと捨てないと。
ふわりと手すりを越え、音もなく着地する。
時間はない。手短に済ませる。
男の背後へ回り、左手で口を塞ぎながら銃を抜く。
背中へ銃口を押し付け、そのまま発砲。
音は、ほとんどしない。
消音器と、肉に押し付けた銃口がほとんど吸い込んだ。
ぐらり、と生気の抜けた体が傾ぐ。
そのまま支え、階段から転げ落ちないよう壁へ寄せる。胸元から流れた血が、踊り場をじわりと汚した。
一瞥だけくれて、扉の前に立つ。
外階段はここが一番上だ。これより先は屋内から上がるしかない。
扉に付いた細い覗き窓から、端の方をそっと覗く。
見えたのは、いかにも高級ホテルといった煌びやかな内装だった。
毛足の長そうな立派な赤絨毯。
磨き上げられたランプ。
高そうな絵画。
太い柱が何本も立ち並び、観葉植物がところどころへ置かれている。天井は二階分はありそうな高さで、そこに吊られたシャンデリアが、まるで舞台照明みたいに空間全体を照らしていた。
客室は見当たらない。
どちらかといえば、セレモニーホールみたいなものだろうか。上流階級の人間が静かに集まるための場所、そんな印象だ。
常ならば、だが。
今、その光景はすっかり別物になっていた。
黒服。イヤホン。サブマシンガン。
明らかにカタギではない男たちが、空間のあちこちを埋めている。うようよ、という言葉が似合うくらいには多い。
空間を完全に埋め尽くしているわけではないが、それでも十分すぎる数だ。
俺はしばらく視線を向けたまま、念のためさらに数拍待つ。
取りこぼしがないか。死角がないか。妙な動きをしている奴はいないか。
視界の中に、びっしりと赤いマーカーが埋まった。
ベルトに挿した予備マガジンの数を頭の中で確認する。
視界の端に浮かぶ残弾数と照らし合わせる。
ズレはない。
足りるな。
ドア横のスリットへ、下で使ったカードを通す。
ピピッ、と短い音。赤いランプ。
……使えない、か。
横で事切れている男のジャケットを探る。
拳銃。スマホ。カードキー。
あった。
低層で使ったカードをポケットへしまい、新しく手に入れた方を再度スリットへ通す。
短い電子音。
ランプが青へ変わる。
かちゃり、とロックが外れた。
ぺろり、と上唇を嘗める。