FPSのUIが現実に見える俺が、いつの間にか殺し屋になるまで 作:鳥獣跋扈
バー『サイレント・ショット』の地下は、普段とは違う静けさに包まれていた。
いつもなら柔らかな琥珀色の灯りを落としている照明は、今夜に限ってすべて消されている。
代わりに、天井から降ろされた真っ白なスクリーンが、壁の中心で静かに浮かび上がっていた。そこへ投射される監視映像の白い光だけが、室内にいる人間たちの輪郭を切り取り、頬や睫毛に明暗を刻んでいる。
映し出されているのは、広々としたホテルのホールらしき空間。
画面は四つに分かれ、それぞれ同時刻の別アングルを映していた。今は一時停止されているらしく、絵は動いていない。
画質は監視カメラとしてはかなり良い部類だった。黒服たちの緊張した表情も、逆に、まだ余裕を残している者の口元も見て取れる。大仕事の真っ最中ではあるが、まだ、戦場前の空気がそこにはあった。
正面の一人掛けソファに深く腰掛けているのは、雨宮しずくだ。
いかにも高級そうな革張りのソファに背を預け、片肘を肘掛けへ。脚をゆったりと組み、その姿は上映前の観客というより、舞台の幕が上がるのを待つ劇場の主に近い。
背後にはアルフが執事服姿で直立し、リモコンを手に控えている。
雨宮の左前方、横目でスクリーンを見る位置に座っているのはシャルロッテだった。
白く長い脚を組み、手の中では氷の入ったグラスが小さく音を鳴らしている。琥珀色の液体が揺れるたび、彼女の頬に映るスクリーンの光もまたゆらりと揺れた。落ち着いたふうを装ってはいるが、視線には隠しようのない熱があった。
少し離れた位置には、ワゴンが置かれている。
そこには多種多様な酒瓶と、軽く摘まめるアラカルトが整然と並べられていた。その傍らに立つのは老人である。
木石のような静けさを湛えながらも、その佇まいには妙に強い生命力があった。一本芯の通った背筋は少しも揺らがず、皺の刻まれた横顔だけがスクリーンへ向いている。その姿は、老いてなお折れぬ古木のようでもあった。
「さ、始めて頂戴」
雨宮が言う。
それに応じて、背後のアルフがリモコンを操作した。
スクリーンに動きが戻る。
映像が流れ始めたからといって、いきなり何かが起こるわけではない。
黒服たちはそれぞれの持ち場に立ち、視線を巡らし、時折耳元へ指を当てて無線報告をしているだけだ。
だが、その“何も起きていない”時間が、逆に緊張を煽る。嵐の前触れを知っている側から見ればなおさらだった。
「こちら、中層メインホールの映像となります。概ね内容を確認できるアングルを選定しております」
アルフが淡々と説明する。
「ええ、十分よ」
雨宮はそう言ってテーブルに置かれていたグラスを手に取る。蜂蜜色の液体がゆっくりと揺れた。
シャルロッテはそのやり取りを視界の端で捉えながら、どこか落ち着きなく組んだ脚の先を揺らしていた。
普段ならもっと余裕たっぷりに笑う彼女だが、今は違う。その表情には、少年が冒険活劇の始まりを待つ時のような、隠し切れない高揚が浮かんでいた。
「いやぁ、私もスコープ越しで全部は追えなかったからね。楽しみ」
くふ、と笑いながら、グラスの縁を唇で湿らせるように舐める。
「始まります」
アルフがそう告げた次の瞬間、非常階段付近を映していた画面が大きく切り替わった。
階段ドアを見下ろす監視映像。
そこへ、ぬるり、とでも表現するしかない動きで一人の男が入り込んでくる。
恒一だった。
その姿を捉えた見張りが、反射的に武器を構えようとする。
だが、その動作が完成するより先に、恒一の銃口が向いた。
発砲。
消音器に食われたマズルフラッシュが、短く小さな火を咲かせる。
男は何が起きたか理解する間もなく崩れ落ちた。
「速い」
シャルロッテが、思わずといった風に呟いた。
映像は止まらない。
消音器付きとはいえ、音は鳴る。
ホール内の黒服たちに緊張が走る。何人もの視線が非常口へ集中し、銃口が持ち上がる。
恒一は最寄りの柱の陰へ走り込み、その縁を遮蔽に使いながら一気に三連射した。
まるで予めそこに立っていることを知っていたかのような、迷いのない弾道。慌てた顔をした男たちが、何が起きたのかも分からぬまま沈んでいく。
「照準から発砲までの速度が異常です」
アルフが言った。
「まるで機械ですね」
一人一射。
撃ち終えた相手に目もくれず、恒一は次の柱へ向かう。
当たったかどうかを確認している様子さえない。だが、その無視は雑さではなく確信に見えた。全体を俯瞰し、必要な箇所だけに反応しているような動きだった。
出会い頭の位置に敵が現れても、驚く素振りすらない。
まるでそこにいることが最初から分かっていたかのように、体が先に動き、銃口が先に向く。
すれ違いざまに発砲。
振り返りもせず、また先へ。
敵の弾を掻い潜るように、今度は低く滑り込む。
スライディングの姿勢からの発砲は、さすがに立射ほどではない。脚と胴に一発ずつ。
だがそれで十分だった。崩れた男たちに寄りながら、恒一は躊躇なく頭へ追撃を入れる。
弾切れ。スライドが後退したまま止まる。
それでも慌てない。まるで残弾をきっちり数えていたかのように、寸分の迷いもなくリロードを挟む。動作は洗練され、速さの中に粗さがない。
「……少なくとも、野良ではないわね」
雨宮が、グラスを揺らしながら低く言った。
先ほどまでの楽しげな色は残っているが、今はそこへ真剣さがはっきりと混じっている。
「どこかできちんと仕込まれている。じゃなきゃ、ここまで綺麗な戦い方にはならないはず」
映像の中の恒一は、なおも走る。
激しく動いているはずなのに、息が乱れる様子も、整える仕草もない。
ただ冷たい瞳だけが、次に落とす相手を選んでいた。
場面はさらに進む。
壁に掛かった絵画へ視線をやる。
そのまま走り抜けざま、片手で額を壁から剥がし取る。
かなりの大きさがあるそれを、フリスビーかなにかのように投げ放った。
絵画は凄まじい勢いで飛び、柱の陰から挟み込もうとしていた黒服に直撃する。人間の体が、まるで軽い障害物みたいに弾かれた。
崩れたところをそのまま斉射。やはり無駄弾はない。
「あのサイズの額を、あの威力で投げ込むには相当の筋力が必要ね」
シャルロッテが嬉しそうに呟く。
グラスの中身を一気に呷り、空になったそれをテーブルへ置く。
「アルフほどではないでしょうけど、少なくとも見た目通りの細腕ではないわ。それに、あり得ないのはこの次よ」
映像の中で、手榴弾が投げ込まれる。
俯瞰映像だからこそ、その軌道がよく見えた。
投げた男が上手かったのか、運が良かったのか。いずれにせよ、落着点はほぼ確実に恒一の足元だった。
普通なら、避けるか、飛び込むか、あるいは間に合わずに吹き飛ぶか。
そういう展開になるはずだった。
だが、そうはならない。
その瞬間、初めて恒一の口元が、にやりと歪んだ。
嘲笑うように。あるいは、この程度かと失望したように。
銃口が、飛んでくる手榴弾へ向く。
発砲。
空中で火花が散る。
跳ね返された手榴弾は、放物線を逆に描いて投げた側へ戻る。
次の瞬間、爆発。
白い閃光と破片が、柱の陰にいた黒服たちをまとめて呑み込んだ。
「……ありえませんな」
老人が、初めてはっきりと口を開いた。
その声は低く、驚きよりも、もっと厄介な何かに触れた時の慎重さを含んでいた。
「やろうと思えば、できる人間はいるでしょう。ですが、確実ではない。度胸だけで済む芸当でもない」
そこで一度、言葉を切る。
「よほどの狂人か、あるいは……」
「あるいは?」
雨宮が、面白そうに聞き返す。
老人は一瞬だけ黙り、それから小さく首を振った。
「……いえ。失礼いたしました。ともあれ、射撃精度と度胸については、申し分ありませんな」
雨宮は、その答えをそれ以上追及しなかった。
代わりに、視線をスクリーンへ戻す。
ちょうど、シャルロッテの援護狙撃が入る場面だった。
「ここ、おかしいんだよね」
シャルロッテが身を乗り出す。
「位置とタイミングからして、私が撃たなきゃ確実に一発貰ってたはずなの。でも見てよ。私が引き金を引くより前に、もう反応してる」
映像の中で、恒一が後方の気配へ振り返る。
その直後、遠方から飛んできた狙撃が敵を撃ち抜く。
「後ろに目でも付いてるのかな?」
ふざけた口調だった。
だが、その瞳は真剣だった。
答えのない問いは、誰にも拾われないまま映像が先へ進む。
ホールの敵は、徐々に減っていく。
最後は破れかぶれになった男たちが押し込もうと走り込み、消火器が破裂し、白煙が広がる。
画面そのものが煙で曇り、数秒、恒一の姿は見えなくなった。
だが、煙が晴れる頃にはもう終わっていた。
恒一は何事もなかったかのように煙から抜けており、その後ろには折り重なるように倒れ伏す黒服たち。
「まるで蛇ですな」
老人がぽつりと呟く。
シャルロッテが小さく笑う。
「言い得て妙ね。熱源でも見えてるのかしら」
そして映像はいよいよ最終局面へ移る。
遮蔽へ隠れた恒一の視線が、ふと天井を向く。
狙いは巨大なシャンデリア。
豪奢なガラス装飾と灯りが視線を遮る、普通なら狙いづらい、否、狙いもしない位置。
だが恒一は迷わない。支えとなっている鎖へ向けて発砲する。
細い隙間を縫うように走った弾丸が、鎖の一部を断ち切る。
自重に耐えかねたシャンデリアが傾き、そのまま落下した。
轟音。
きらきらと散る破片。
砕けた光の中に、敵の断末魔が紛れる。
そこで映像が止まった。
「以上です」
アルフがそう告げるのと同時に、室内の照明がゆっくりと戻る。
白いスクリーンから解放された四人の表情が、柔らかい光の中で改めて浮かび上がった。
しばし、誰も言葉を発さない。
グラスの中で、溶けかけた氷がからんと鳴る。
それだけが、映像の余韻に触れるみたいに静かに響いた。
「この間、およそ五分。敵総勢二十六名が全滅です」
沈黙を破るように、アルフが戦果を告げる。
「五分、か」
雨宮が、深く息を吐くように笑った。
「凄いね。やっぱり」
シャルロッテの頬は、さっきよりもはっきりと上気していた。酒のせいだけではないのだろう。
「ねえ、私に少し預けてよ」
身を乗り出しながら、雨宮へ言う。
「もっといろんなところで一緒に仕事したい。ああいうの、見せられたら癖になるわ」
その声音には熱があった。
賞賛だけではない。期待。執着。戦場の中でこそ強くなる類の感情。
雨宮は苦笑交じりにグラスを揺らし、それからテーブルへ戻した。氷が溶けすぎたらしく、眉を少しだけ寄せる。
「……考えておくわ。それに今回の件も、かなりイレギュラーだったしね。二人とも、しばらくはゆっくりしてもらうつもり」
「とはいえ」
アルフが静かに口を挟む。
「まだ裏取りは完全ではありません。注意深く観察する必要はあるかと」
それを聞いて、シャルロッテが唇を尖らせる。
「ちぇ」
「ですな」
老人も深く頷いた。
「組織が洗ってなお、何も出てこない。先ほどの腕前を踏まえると、相応に抱え込んでいる可能性が高い」
「そうねえ」
雨宮はそれでも、どこか楽しそうに笑う。
「まあ、仕事はできるし。それにほら、人が好さそうじゃない? 彼って」
その言葉に賛同したのはシャルロッテだけだった。
アルフと老人は、少しばかり困ったように眉尻を下げる。
ちょうどその時だった。
背後の扉が、控えめにノックされる。
アルフが映像を切る。
スクリーンがするすると天井へ巻き上げられ、部屋は普段通りの様相へ戻っていく。
その足でアルフが扉へ向かい、丁寧にそれを開いた。
「……こちらに向かえと、言われたんですが」
そこに立っていたのは、どこか所在なさげに立つ恒一だった。
雨宮が優雅に立ち上がる。
「あら、ごめんなさいね。わざわざ来てもらって。さ、歓迎会はこっちよ。他のメンバーも数人だけど、後で来るから紹介するわね」
そう言いながら恒一の方へ歩み寄る。
アルフは一歩下がって女主人の道を空け、シャルロッテはソファに座ったまま、楽しげに手を振る。老人は静かに腰を折り、丁寧に一礼した。
恒一はそんな彼ら彼女らを見渡して、曖昧な笑顔を返す。
ついさっきまで、自分の戦いぶりが肴にされていたとも知らずに。