FPSのUIが現実に見える俺が、いつの間にか殺し屋になるまで   作:鳥獣跋扈

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閑話 不憫な調査員たち

 その部屋は、狭かった。

 

 もっとも、ただ狭いだけの部屋ではない。

 壁際にはサーバーラックと書類棚が並び、低く唸るような機械音が絶えず空気を震わせている。部屋の中央には、向かい合うように事務机が二つ。机の上には大小のモニターが計四枚、マウス、キーボード、外付け記憶媒体、紙資料の束、飲みかけのコーヒーが入ったマグカップ、それに潰れた空の紙コップが一つ。

 

 物自体は多い。だが、雑然としているかといえばそうでもない。

 むしろ逆だった。どれもがきちんと置き場所を決められ、必要な時に必要なものへ即座に手が届くよう計算されたように並んでいる。

 

 室内で一番大きな光源は、モニターの発する青白い光だ。

 天井の蛍光灯は、この部屋の人間の好みなのか弱められている。薄暗い室内の中で、そこにいる二人の輪郭がぼんやりと浮かび上がっていた。

 

「……またですかぁ?」

 

 痩せた、小柄な男が肩を落として言った。

 細い銀縁眼鏡の奥で、疲れた目がメール本文をなぞるように滑る。年齢は三十前後だろうか。顔立ちは悪くないのだが、目の下の隈とこけた頬のせいで、どうにも幽鬼じみた雰囲気が抜けない。

 

「また、よ」

 

 対面の席から返ってきたのは、呆れたような女の声だった。

 

「上からの再調査命令。二階堂恒一について、改めて徹底的に洗い直せ、だそうよ」

 

 女は鼻で笑いながら、椅子の背に体重を預ける。ぎし、と金属パーツが鳴った。

 短く切った髪を無造作に耳へ掛け、勝気そうな目つきのままモニターを睨んでいる。口の端は常に少し不機嫌そうに尖っていて、いかにも気が強い。年は男と同じくらいか、少し上か。

 

「ホント、困りますよねぇ……」

 

 男――真壁は、机の端に積まれた紙束の一番上から、ひとまとめに留められた資料を引き抜いた。

 そのまま眼鏡の位置を指で直し、ページをめくる。

 

「既知のプロフィール、再確認しますね」

 

「……お願い」

 

 女――黄瀬は、頬杖をつきながら顎をしゃくった。

 返事を聞いてか聞かずか、真壁は気にした様子もなく紙面へ目を落とす。

 

「二階堂恒一。幼少期に何らかの事故で両親を亡くし、その後は山陰地方に住む祖父母宅へ引き取られる。中学では、ほぼ初日から何らかの理由で登校拒否。三年間の動向は不明確。高校は通信制へ進学し、卒業資格を取得。その後、地方国立大学へ進学。大学時代は授業出席の記録もあり、成績もおおむね平凡。卒業後は定職に就かず、日雇い、派遣、短期就労を転々。そして現在に至る、と」

 

 そこまで読み上げたところで、真壁はふっと紙から目を離した。

 

「……多少、特色のある経歴ではありますけど、それでも一般人の域は出ませんよねぇ」

 

 ちらり、と視線を黄瀬へ向ける。

 黄瀬はその視線を正面から受け止めたまま、自分の机上から同じ資料を引き寄せた。今しがた読み上げられた文面と差異がないことを確認し、深く息を吐く。

 

「ほんと、どこにでもあるような不幸話が、ちょっと乗っかってるだけの男……のはずなんだけどねぇ」

 

 そう言いながら、彼女は手元のキーボードを叩いた。

 

 モニターに、ひとつの映像が表示される。

 今ごろ幹部たちもどこかで確認しているであろう、件のホテル・グラン・ヴァルゾンでの監視映像だ。

 

 真壁も同じように、自分の前のモニターで同じファイルを再生する。

 しばらくの間、部屋にはサーバーの唸りとパソコンの小さな駆動音以外、何も響かなかった。

 

 映像が最後まで流れ終わった頃、二人はほとんど同時に椅子の背へ体を預けた。

 まるで、止めていた息を一度に吐き出すみたいに。

 

「構えやリロードは、米国式が近いかしらね」

 

 先に口を開いたのは黄瀬だった。

 

「ただ、クリアリングの所作は英国の諜報員系も混じってる感じ。特殊部隊出身か、あるいはそういう連中に仕込まれたか」

 

「一応、顔写真から一通りの組織、団体、部隊には照会を掛けましたけど、ヒットはゼロですねぇ」

 

 真壁がカタカタとキーボードを叩きながら答える。

 

「表に出てる分だけじゃ、やっぱり限界がありますけど」

 

「まあ、ここまで綺麗にブラックボックス化してれば、表の照会で出てくる方がおかしいか」

 

 黄瀬は画面上の静止した映像――柱の陰から銃口をのぞかせている恒一の姿を見つめながら、鼻を鳴らした。

 

「学歴、住民票、保険証、就労記録、住所変更手続きまで、全部ちゃんとしてる。偽装した痕跡すら見えない。何なのよ、コイツ」

 

「データ上は白でしたからねぇ」

 

 真壁は、お手上げだとでも言いたげに両手を少し浮かせてから、天井を見上げる。

 

「関係者に対する聞き取りも、小学校時代の友人はいたものの、小学校卒業以後は交流なし。中学時代は、そもそも友人と呼べるものが存在しない。高校時代に数人、付き合いのある人間はいたようですが、すべてオンライン上だけの関係で、声も顔も知らない。大学時代は複数の証言が取れましたけど――」

 

 資料を追いながら、真壁は少しだけ口元を歪める。

 

「“たまに見かけるやつ”とか、“話したことはあるけど詳しくは知らない”とか。深い関係にあった人間が、全然いないんですよねぇ」

 

 黄瀬は腕を組んだ。

 

「大学卒業後も似たようなものね」

 

「ええ。夜勤、不定期、短期、派遣。職歴は点々としていますけど、どれも勤務期間が短いか、勤務時間が特殊かで、やっぱり深い交友関係はありません」

 

 真壁はそこで一度区切り、ぼそりと付け足した。

 

「まるで、幽霊みたいな人ですねぇ」

 

 その一言に、黄瀬の眉間に皺が寄る。

 

「ふん、そうはいっても只の人。何かしら痕跡は残るはずよ」

 

 少しばかり語気が強くなったのは、彼女なりに苛立っている証拠だった。

 腕を組んだまま椅子の背へ体を預け、天井を睨むようにして考え込む。

 

 そのうち、いい案が思いついたとばかりに呟いた。

 

「……いっそ、本人に聞いてみるとか?」

 

 零れたその言葉に、真壁は椅子から半ば飛び上がる勢いで反応する。

 

「やめてくださいよぉ!?」

 

 ぶんぶんと両手を振る。

 

「あの人、上のお気に入りみたいなんですから! 余計なことして睨まれたら、たまったもんじゃないですよ!」

 

 黄瀬は真壁の慌てぶりを横目に見て、ふん、と鼻で笑った。

 

「ま、聞いたところで素直に答えてくれるとも思えないけど」

 

 そのままモニターへ視線を戻した、その時だった。

 新規メールの通知音が短く鳴る。

 

 また上から面倒な追加調査の依頼か、と思いながら黄瀬がメールを開く。

 差出人を見た瞬間、彼女の片眉がぴくりと動いた。

 

「……あん?」

 

 件名は、簡素だった。

 

 『二階堂恒一について』

 

 差出人の名前を見て、彼女は思わず目を細める。

 

「シャルロッテさん?」

 

 同じものが真壁にも届いていたらしい。

 向こうのモニターでも、同じように視線を流している。

 

 黄瀬は無言で本文を開いた。

 書かれていたのは、たった一文。

 

 ──今後の恒一さんの任務については、こちらにも情報を回すこと♪

 

 一拍。

 黄瀬は濁った目でその文面を見返した。

 

 余計な前置きも、理屈もない。ただ一行。

 にもかかわらず、拒否権の存在しない命令文だった。

 

 もう一度見る。結果は変わらない。

 

 真壁と視線が合う。

 お互い、何も言わない。言わなくても意味は通じる。

 

 黄瀬は無言のままメールを専用フォルダへ移動した。

 フォルダ名は『最重要』。

 

 上に逆らうと、ろくなことがない。

 それは組織内でも遣り手として知られる二人の調査員にとって、ほとんど常識に近い共通認識だった。

 

 視線を上げると、また真壁と目が合う。

 今度は隠しもせず、二人同時にため息が漏れた。

 

「……今日は、呑みに行きましょうか」

 

 黄瀬が天井を見上げながら言う。

 

「……良いですねぇ」

 

 真壁も、力なく同意した。

 

 そのささやかな逃避願望だけが、薄暗い部屋の壁に吸われて、静かに消えていった。

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