FPSのUIが現実に見える俺が、いつの間にか殺し屋になるまで 作:鳥獣跋扈
「……ああ、あの件か。まったく、今思い出してもぞっとするぜ」
男は、差し出された写真を一瞥すると、椅子の背へ重たい体を預けた。
腹回りに蓄えた厚みが弾み、座りを直すたびに安物の椅子が小さく軋む。
今日は、いつもの制服ではない。勤務外だからだ。
色褪せたシャツに、汗染みの浮いたジャケット。首元は窮屈そうに開けられ、胸元には金色の鎖が覗いている。落ち着かない様子で指を組み替えるたび、手首の高級時計が蛍光灯の光を反射した。
取調室には窓がなかった。
灰色の壁。金属製の机。椅子が三脚。天井には監視カメラが一つ。
男の正面には、スーツ姿の男女が座っている。
片方は四十代ほどの白人男性。短く整えた髪と、感情の読めない薄い目。もう一人はアジア系の女で、手元の端末へ無言で記録を続けていた。
二人とも所属を明確にはしなかった。
ただ、提示された身分証には、男でも知っている米国政府機関の印が入っていた。
「写真の現場へ入ったのは、事件発生からどれくらいですか」
白人の男が尋ねる。
「正確なところは知らねえよ。通報が入って、こっちに話が回ってきた頃には、もうその有様だ」
「最初の通報者は?」
「さあな。近隣住民か、荷物を届けに来た業者か。そんなところだ」
「記録には、匿名の通報とあります」
「なら、そうなんだろ」
男は面倒そうに鼻を鳴らした。
机に並べられた写真には、あの日の屋敷が写っている。
玄関先に折り重なった死体。血で染まった廊下。弾痕の残る壁。砕けた家具。屋外では、強烈な日差しの下で黒く変色した人間の体に、鳥が群がっていた。
写真から臭いが蘇るはずもない。
それでも男は、鼻の奥にあの腐臭が戻ってきたような気がして、顔をしかめた。
「現場には何人いましたか」
「死体が?」
「襲撃者です」
「知るかよ。見た奴は全員死んでる」
「あなたの報告書には、襲撃者は少人数である可能性が高いと記載されています」
「報告書?」
男は片眉を上げた。
「あんなもんを真面目に読むヤツが居たとはね」
「質問に答えてください」
男は、目の前の捜査官をしばらく見つめた。
冗談を許すような空気ではなさそうだ。
「……一人だ」
やがて、吐き捨てるように答えた。
記録を取っていた女の指が、一瞬だけ止まる。
「一人?」
「ああ。外に援護がいた可能性はある。遠くからライフルで撃った奴がな。だが、屋敷へ入ったのは一人だ」
「根拠は?」
「現場を見れば分かるさ」
鼻で笑いながら、机の写真を指で弾いた。
「死体の向き、撃たれた角度、移動経路。全部、ひと続きなんだよ。何人も入って好き勝手に撃った現場じゃねえ。あれは一人が順番に片付けていった跡だ」
「あなたは鑑識の専門家ではありませんね」
「長いこと警官をやってりゃ、これくらい分かるようになるさ」
「カルテルとの協力関係も、その経験に含まれますか」
室内の空気がわずかに変わった。
口元から笑みが消える。
「……何の話だ」
「現場となった屋敷の所有者から、あなたの口座へ定期的な送金が確認されています」
「寄付だよ。地域警察へのな」
「個人口座への?」
「この国じゃ、よくあることさ」
「私の国では、許されざることです」
男は舌打ちした。
呼び出された時点で、ただの事情聴取ではないことくらい分かっていた。相手は事件の真相だけでなく、現地警察とカルテルの癒着まで洗っているらしい。
余計なことを話せば、自分の立場が危うくなる。
だが、黙り続けても見逃してくれるわけではなかった。
「こっちの事情を説教するために呼んだのか?」
「私たちが知りたいのは襲撃者です」
ぎし、と椅子が音を立てる。
「現地では、“悪魔”あるいは“ゴースト”と呼ばれている可能性のある人間です」
「……」
「あなたも、その名称を報告に使用しています」
「他に呼び方がなかった」
「噂を信じているのですか」
笑おうとしたが、喉から出たのは乾いた息だけだった。
「最初は、笑ってたさ」
椅子の背へ沈み込み、天井を仰ぐ。
「悪魔だの幽霊だの、臆病者の作り話だと思ってた。誰かがカルテルを潰して回ってる。敵対組織か、軍か、外国の連中か……そういう話だと思ってたんだ」
「今は違う?」
「俺は、あの現場を見たんだ」
短く答える。
「あれを見て、普通の殺し屋だと思える奴は、頭がおかしい」
「具体的に」
「誰も、逃げちゃいないんだよ」
男は身を起こした。
「屋敷には裏口もあった。地下通路も、車庫から抜ける道もな。連中は襲撃に備えて、逃げ道をいくつも用意してた。なのに、一人も敷地の外へ出られてねえ」
「包囲されていた可能性は?」
「ねぇな。包囲してたなら痕跡が残る。車の跡、靴跡、撃ち合いの跡。だが、そんなものはほとんどなかった」
「監視記録は?」
「全部死んでたさ。壊されたか、消されたかだ」
「それでは、一人という判断には矛盾があります」
「だから怖いんだろうが」
男が机を叩いた。写真が小さく跳ねる。
「分からねえんだよ。どうやったのか。ただ、奴らが全員死んでただけだ」
取調室に沈黙が落ちる。
男の荒い呼吸と、空調の低い音だけがやたらと耳につく。
やがて、アジア系の女が初めて口を開いた。
「あなたは現場で薬莢を拾っていますね」
男の顔が固まる。
「記録に残っていない薬莢です」
「知らねえな」
「九ミリ弾。あなたの制服のポケットから、微量の火薬残渣と真鍮の成分が検出されている」
「何週間前の話だと思ってる」
「拾った薬莢は、どこにありますか」
男は口を閉ざした。
あの日、無意識に拾い上げた一発。
署へ持ち帰った後も、なぜか証拠袋へ入れる気にはなれなかった。机の引き出しへ放り込み、数日後には怖くなって川へ捨てた。
ゴーストの置き土産を、手元へ残しているような気がしたからだ。
「捨てたよ」
しばらくして、男は答えた。
「なぜです?」
「気味が悪かった」
「証拠を隠滅したのでは?」
「違う」
「では、何が怖かった?」
男は答えなかった。
正面の二人は急かさない。
ただ黙って、男が話し始めるのを待っている。
それが余計に苛立たしかった。
「……あいつが、俺の所にも来るんじゃねぇかと思ったんだ」
「根拠は?」
「もう知ってるんだろ? 屋敷の連中は、警察と繋がってた。俺だけじゃねえ。連邦の奴らも、税関もだ」
「続けて」
「なのに、襲撃の前には何も漏れなかった。計画の噂も、動きもない。あいつは、俺たちの網を全部避けて入ってきた」
男は乾いた唇を舐めた。
「それどころか、俺たちが現場へ来る時間まで知ってたんじゃねえかってな。だから、必要なものだけ持って、跡を消して消えた」
「あなたを殺さなかった理由は?」
男の目が揺れた。
その質問は、考えないようにしていた。
あの屋敷で自分が死ななかったのは、襲撃時にいなかったからだ。
それだけのはずだった。
だが本当にそうなのか。
ゴーストがカルテルと警察の繋がりを把握していたなら。
自分の名前も、顔も、金の流れも知っていたなら。
殺せなかったのではない。
殺さなかった。
その可能性が、数週間ずっと胸の奥へ引っ掛かっている。
「知らねえよ」
男は低く答えた。
「知らねえし、知りたくもねえ」
白人の捜査官が写真をまとめ始める。
「本日の事情聴取は以上です。ただし、国外へ出ることは控えてください。また連絡します」
「俺は容疑者か?」
「今のところは、重要な証人です」
「今のところ、ね」
男は鼻で笑い、重い体を持ち上げた。
扉へ向かいかけて、足を止める。
背を向けたまま、二人の捜査官へ尋ねた。
「お前ら、あいつを追ってるのか?」
返事はない。
それだけで十分だった。
男は肩越しに振り返る。
怯えを隠すために笑ったつもりだったが、上手くいっていたかは分からない。
「なら、一つだけ忠告してやる」
ゆっくりと、念を押す様に伝える。
「あれは、俺たちなんかとは違う。来たことにも気づけない。気づいた時には、周りが全部死んでる」
扉を開く。
白い廊下の光が、薄暗い取調室へ差し込んだ。
「……気を付けな。“ゴースト”に寝首をかかれないようにな」