FPSのUIが現実に見える俺が、いつの間にか殺し屋になるまで 作:鳥獣跋扈
夏休みの時期と重なっているせいか、東京駅は朝からどこも人で溢れていた。
日本へ戻ってきたあと、さて新幹線の予約をどうしたものかと考えていたところ、横からアルフが口を挟んできた。
曰く、その辺りの手配も問題なくできるらしい。
なら任せようと日程だけ伝えておいたら、翌日には乗車券から指定席まで一式がきれいに揃っていた。
もちろんというかなんというか、お高い席の方で。
出発前、しばらく休暇を取ると軽く挨拶に寄った際には、雨宮が「気をつけて」と軽く笑っていた。
アルフはどこかへ出ているらしく姿が見えなかったが、まあ土産でも買ってくれば良いだろう。
ついでに、しばらく食べ納めになるかもしれないと、バーのナポリタンを腹いっぱい詰め込んできた。
……格段旨いというわけでもないんだが、妙に癖になる味なんだよなぁ。
そんなことを思い出しながら、ホームへ滑り込んできた新幹線へ乗り込む。
夏休みらしく家族連れが多い。
大きな旅行鞄を引く親子や、はしゃぎながら車内へ駆け込もうとして叱られている子供たちの間を抜け、ようやく自分の席まで辿り着いた。
窓際へ腰を下ろし、後ろの乗客へ一言断ってから背もたれを倒す。
「……ふぅ」
ようやく一息ついた。
足元には、小さめの旅行鞄が一つ。
入っているのは数日分の着替えと、最低限の日用品くらいだ。
当然、銃器の類は持ってきていない。
正直なところ、少し心許なく感じないでもない。
最近は拳銃なり何なりを手の届くところへ置いていることが多かったせいで、何も持っていない方が落ち着かなくなっている自分に少し呆れる。
とはいえ、今回はただの帰省だ。
墓参りへ行くのに銃を持ち歩くのも、それはそれでどうかと思う。
装備一式は《サイレント・ショット》地下の専用ロッカーへ置いてきた。
組織由来のものと言えば、肌身離さず身に着けている、左手のブレスレットくらいのものだ。
新幹線は定刻通りに東京を離れ、旅程も特に問題なく進んだ。
買っておいた駅弁を広げながら、しばらく車窓を眺める。
東京から岡山へ。
そこから特急へ乗り換えて山間部を抜け、さらに地方の普通列車へ乗り継いだ。
乗り換えるたび、周囲の景色からビルやらが少なくなっていく。
最後の鈍行列車に揺られる頃には、窓の向こうへ夏の日本海が広がっていた。
強い陽射しを跳ね返す海面が、遠くまで眩しく輝いている。
反対側には、濃い緑に覆われた田畑と山並み。
抜けるような青空には、真っ白な入道雲が大きく膨らんでいた。
昼をだいぶ回った頃、俺は小さな駅のホームへ降り立った。
冷房の効いた車内から一歩外へ出た途端、むっとするような熱気が全身へまとわりつく。
潮の匂いを含んだ風は吹いていたが、涼しいというほどではない。むしろ湿気を含んだ空気を運んでくるぶん、肌に張りつくような不快感の方が強かった。
同じ駅で降りた乗客は、俺を含めても数人ほど。寂れた駅だ。
人の声よりも、周囲から降り注ぐ蝉の大合唱の方がよほど大きい。そこへ、ぽーん、と間の抜けた駅のベルが混じって響いた。
旅行鞄を片手に、記憶にある頃より少しだけ綺麗になった駅舎を抜ける。
外へ出ると、低い家々の屋根越しに青い海が見えた。
遠くには小さな漁港と、沖へ伸びる防波堤。
振り返れば、駅の向こうから土地が緩やかにせり上がり、そのまま濃い緑に覆われた山へと続いている。
もっと懐かしさが込み上げるものかと思っていたが、特別な感慨はなかった。
――ああ、こんな町だったな。
そんな風に思うだけだった。
駅前から海とは反対側へ向かい、住宅地の中を歩いていく。
夏の日差しは容赦なく、照り返すアスファルトの上では陽炎が揺れていた。緩やかな坂とはいえ、この暑さの中で上り続けるのは少しばかり億劫だ。
最後にここへ来たのは、いつだっただろう。
学生の頃までは、たまに墓参りへ戻ってきていた気がする。けれど卒業してからは、仕事が忙しいだの、遠いだのと何かしら自分自身に理由をつけて、すっかり足が遠のいていた。
道沿いの景色も、記憶とは少し変わっている。
よく行った魚屋は古びた看板だけを残して店を閉め、その隣には真新しいコインランドリーが建っていたり、空き家が増えているような気もする。
坂を上りきったところで、俺はふと足を止めた。
祖父母の家があった場所だ。
もちろん、もうあの家はない。
祖父母が亡くなったあとはしばらく住み続けていたが、この町を離れると決めたときに手放した。
こんな辺鄙な場所では売るのにも苦労するかと思っていたが、幸いなことに買い手はすぐ見つかった。
今、そこに建っているのは新しい二階建ての家だった。
玄関脇には小さな自転車が置かれ、軒先の風鈴が風を受けて涼しげな音を鳴らしている。庭では膨らませた子供用のプールが陽射しを反射し、窓辺には小さなTシャツが何枚か揺れていた。
俺が寝起きしていた部屋も。
祖父が新聞を広げていた縁側も。
もう、どこにもない。
その代わり、今は知らない誰かがそこに居る。
家の中からは、はしゃぐ子供の甲高い声と母親らしき女性の叱る声が微かに聞こえてきていた。
しばらく眺めてから、俺はまた歩き出す。
いつまでも他人の家の前で突っ立っていては、どう見ても不審者だ。
ただでさえ、よそ者の少ない町である。
せっかく休暇で帰ってきたというのに、昔住んでいた家を眺めていて通報された、なんてことになったら目も当てられない。
それからしばらく坂道を上っていくと、ようやく目的の場所へ辿り着いた。
墓地があるのは町の外れ、山側へ少し入ったところに建つ古い寺だ。
途中の店で花と線香を買い、墓地の入口にある手押し式のポンプでバケツへ水を汲む。買ってきた花をそこへ差し、そのまま墓石の間を歩いていった。
もう少し探すことになるかと思っていたが、場所は案外すぐに分かった。
周囲の墓にも、まだ新しい花が供えられている。
盆を過ぎて少し経った頃合いだからか、他に人影はない。蝉の声と、風に揺れる木々の音だけが辺りに響いていた。
寺の方で多少は管理してくれているらしく、思っていたほど荒れてはいなかった。
とはいえ、墓石を囲う隅の方では雑草が元気に自己主張しているし、石の表面にも薄く土埃が積もっている。
俺はまず周囲の草を抜き、それから柄杓で墓石へ水を掛けた。
乾いて白っぽくなっていた石が、みるみる濃い色へ変わっていく。水滴が表面を伝い、そのまま足元へぽたぽたと落ちた。
線香立ての中の土はすっかり固まっていたので、一度中身を捨て、近くの柔らかい土を少し入れ直す。
花を買った店でもらった古新聞と、線香を包んでいた紙をまとめてくしゃくしゃにする。
風を避けられそうな墓石の脇へ身を屈め、懐からライターを取り出した。
紙へ火を移す。
ぱちぱちと小さな音を立てながら炎が広がったところで、束ねていた線香を近づける。
両手で扇のように広げ、端から端まで均等に火が移るように。
別に、誰かから教わったわけでもない。
ただ――祖父が、いつもこうしていた。
それを横で見ているうちに、いつの間にか覚えたんだったと思う。
十分に火が回ったところで、線香をぱっと振る。
赤い炎が消え、代わりに白い煙がふわりと立ち上った。
懐かしい香の匂いが、湿った夏の空気に混じる。
燃え残った新聞紙には、バケツに残っていた水をしっかり掛けておく。
それから線香の半分以上を線香入れへ収め、残りを立てた。
海から山へ吹き上げてくる風が、細い煙をゆっくりと揺らしている。
俺は墓石の前に腰を落ち着けると、両手を合わせた。
そして、静かに目を閉じた。
祖父も祖母も、決して口数の多い人ではなかった。
俺が荒れていた頃も、余計なことはほとんど言わなかった。ただ毎日、当たり前のように飯を用意して、帰れば家に入れてくれた。
当時の俺だって、ありがたいとは思っていたはずだ。
ただ、それを口にするのがどうにも下手だった。
結局、まともに伝えられないまま――二人とも死んだ。
「……久しぶり」
気づけば、そんな言葉が口から零れていた。
何か話そうと決めていたわけではない。
ただ、久しぶりに向き合った家族へ、少しくらい今の自分のことを伝えておきたくなったのかもしれない。
「なんとなく、やれることが見つかったよ」
世間一般からすれば、とても胸を張れるような仕事ではないだろう。
それでも。
「……この先どうなるかは分からないけど、この“仕事”は、俺には合ってるみたいだ」
倉庫で働いていた頃には感じられなかったものがある。
誰かに言われたからでも、生活のためだけでもない。
気づけば今の仕事は、自分の日常の中に妙に自然な形で収まっていた。
少なくとも、今の俺はそれを嫌っていない。
しばらく黙って手を合わせてから、ゆっくりと目を開ける。
「……また来るよ」
最後にそれだけ告げ、俺は立ち上がった。
墓前を軽く整えてからバケツを手に取り、そのまま寺を後にした。
* * *
陽が傾ききる前に、俺は再び普通列車へ乗り込んだ。
今夜の宿は、隣の雲浜市に取ってある。
さすがに祖父母の町では泊まれそうな場所もほとんどなかったので、少しだけ足を延ばすことにしたのだ。
雲浜までは、ここから四十分ほど。
この辺りでは比較的大きな街で、学生の頃にも何度か遊びに出た記憶がある。
列車が西へ進むにつれ、車窓の景色も少しずつ変わっていった。
海と田畑ばかりだった風景に、倉庫や工場が混じり始める。やがてマンションや大型店の看板も見えるようになり、雲浜駅へ着く頃にはすっかり地方都市らしい街並みに変わっていた。
ホームには、部活帰りらしい学生たちの姿も多い。
夏休み中とはいえ練習はあるのだろう。大きな鞄やケースを抱え、何人かで騒がしく話しながら列車へ乗り込んでいく。
俺はその流れを避けるように駅を出た。
駅前は記憶にある頃より整備されていて、ホテルや飲食店も増えている。
とはいえ、東京と比べればそれほどでもない。
予約していたホテルは、駅から歩いてすぐの場所にあった。
ひとまず荷物だけ預け、夕食の時間というにはまだ早かったので、久しぶりに街を歩いてみることにする。
駅前の大通りを離れ、向かったのは昔からある商店街だ。
アーケードへ足を踏み入れると、乾物屋や時計店の間に改装されたカフェや古着屋が混ざり、古今の入り混じりを感じる。
ただ、人通りは少ない。
夕飯前の時間だというのに、行き交う人影はぽつりぽつりとある程度だ。
まあ、今なら駅前の商業施設にでも人が集まるのだろう。
特に当てもなく歩いていると、アーケードの端で一人の女性が立ち止まっているのが目に入った。
二十歳前後だろうか。
腰近くまで伸びた黒髪を後ろでゆるくまとめ、白い半袖のブラウスに、淡い色のロングスカート。
夏らしい涼しげな格好だった。
問題は、その足元にある荷物だ。
大きな紙袋が二つ。
発泡スチロールの箱が一つ。
さらに、細長い段ボール箱。
……どう考えても、一人で持つ量じゃない。
女性はまず紙袋を両腕へ引っ掛け、その上から発泡スチロール箱を抱えようとする。
その拍子に、立てていた段ボールが傾いた。
「あっ」
慌ててそちらを押さえるが、今度は紙袋の一つがずるりと傾いた。
中から長ネギが一本、するりと飛び出す。
周囲を見ても、人影はほとんどない。
俺は特に深く考えることもなく近づき、声を掛けた。
「持ちましょうか」
「え?」
女性が顔を上げる。
黒い瞳が、少し驚いたようにこちらを見た。
近くで見ると、やはり若い。
整った顔立ちをしているが、今は額に汗が浮かび、困ったように眉尻が下がっている。
「大丈夫ですか? かなりの荷物みたいですけど」
「あ、いえ。大丈夫です。すぐそこなので」
反射的に断られたが、まあ、それが普通だろう。
知らない男からいきなり声を掛けられて、はいお願いします、と荷物を預ける方が不用心だ。
「なら、これだけ立てておきますね」
俺は倒れかけていた段ボールを持ち上げ、近くの店先へ寄せるように立て掛けた。
「ありがとうございます」
女性は小さく頭を下げる。
それから改めて荷物を持ち上げた。
発泡スチロール箱を胸へ抱え、紙袋を肘へ掛け、段ボールを脇へ挟む。
――びりっ。
嫌な音がした。
「あ」
紙袋の底が裂け、缶詰が一つ転がる。ちょうど立ち去ろうとしていた俺の靴先へ、こつんと当たった。
拾い上げてみると蟹の絵が描かれた缶詰だった。
俺はそれを手に、女性を見る。
女性は床へ散らばった荷物を見てから、次に俺を見る。
さらにもう一度、荷物を見る。
そして。
「……すみません」
恥ずかしそうに、小さい声で。
「……お言葉に甘えても、よろしいでしょうか?」
「もちろん」
結局、発泡スチロール箱と細長い段ボールは、俺が持つことになった。
持ち上げてみると、どちらも見た目よりずっと重い。
特に発泡スチロール箱の方は、中に魚でも入っているのか、歩くたびに氷が擦れ合うような音と磯の匂い。
……これを一人で全部持ち帰ろうとしていたのは、さすがに無理があったんじゃないだろうか。
「買い出しですか?」
「はい。家の者に頼まれていたんですけど……あれもこれもと買い足していたら、いつの間にかこんなことに」
「なるほど」
それなら、この荷物の量にも納得はいく。
「本当にすぐそこなんです。歩いて五分くらいなので」
女性は申し訳なさそうにそう言いながらも、どこかほっとした表情で歩き出した。
俺も荷物を抱え直し、その隣へ並ぶ。
アーケードを抜けた途端、遮るもののなくなった夕方の日差しが容赦なく降り注いできた。
少し傾いているとはいえ、夏の陽射しはまだ十分に強い。
「暑いですね」
「そうですねぇ」
そんな、どうということもない言葉を交わす。
初対面の相手なのだから、これくらいでいい。
少し歩いたところで、隣の女性がちらりとこちらへ視線を向けた。
「そういえば、旅行でいらしたんですか?」
「いえ。墓参りで帰省してきまして。実家があったのは山向こうの方なんですが、あっちは泊まれる場所もほとんどないでしょう? なので、宿だけこちらに取ったんです」
「あ……そうだったんですね」
何か事情を察したのか、それ以上は踏み込まず、女性は小さく頭を下げた。
「本当にありがとうございます。こんなに暑いのに」
「いえ。どうせ暇でしたから」
「お仕事のお休みでいらしたんですか?」
「……まあ、そんなところですね」
仕事の話になると、どうにも少し据わりが悪い。
何をしているのかと聞かれて、素直に答えられる職業でもない。自然と歯切れが悪くなったせいか、女性も何かを感じ取ったらしく、それ以上は尋ねてこなかった。
角を二つほど曲がる。
商店街から離れるにつれてさらに人通りは減り、周囲は静かな住宅地へと変わっていった。
板塀や生垣の向こうからは相変わらず蝉の声が降り注いでいる。庭先で打ち水をしている老人もいて、濡れたアスファルトからは少しだけ土の匂いが登っていた。
「ここです」
女性が足を止める。
俺もつられて顔を上げた。
「……ここ?」
「はい」
目の前にあったのは、普通の住宅と呼ぶには少々立派すぎる日本家屋だった。
通りから中を窺えないほど高い塀に、重厚な木造の門。
その向こうには黒瓦の大きな屋根が覗き、手入れの行き届いた松の枝が塀越しに伸びている。
一瞬、老舗の旅館か何かだろうかと思った。
だが、門の脇に掛けられていた立派な木札を見て、その考えは止まる。
表札――というより、看板だろうか。
そこには、太い墨文字でこう書かれていた。
――黒崎組。
「…………」
俺は一度、その文字を見直した。
「助かりました。大したお構いもできませんが、よろしければ中で冷たいお茶でも飲んでいってください」
こちらの反応には気づいていないのか、女性は何でもないことのように門をくぐっていく。
蝉時雨の向こうに、広い石畳の玄関先が見えた。
俺は腕の中の発泡スチロール箱を持ち直す。
……まあ。
ここまで運んでおいて、門前に置いて帰るのも妙だろう。
そう自分に言い聞かせながら、女性のあとについて《黒崎組》の敷地へ足を踏み入れた。