FPSのUIが現実に見える俺が、いつの間にか殺し屋になるまで 作:鳥獣跋扈
門をくぐり、石畳を十歩ほど進んだところで、玄関の引き戸が勢いよく開いた。
「お嬢!」
姿を見せたのは、五十前後の男だった。
短く刈り込んだ髪に、日に焼けた顔。半袖の開襟シャツから覗く腕には古い傷がいくつか走っている。
男は俺の前を歩く女性を見つけるなり、目に見えて肩の力を抜いた。
「よかった。今ちょうど、迎えに行こうとしてたところですよ」
「迎えに?」
「さっき戻ってきたら、お嬢が買い出しに出たって聞きましてね。電話もしたんですが、出ないもんだから、何かあったのかと」
「あら?」
彼女は不思議そうに首を傾げると、ロングスカートのポケットを探り、続いて小さな鞄の中へ手を入れた。
何度か探したあと、ようやく思い当たったらしい。
「……ごめんなさい。携帯、忘れて出ちゃったみたいです」
「勘弁してくださいよ。今は特に、一人で出歩かないでくれって言ったでしょう」
「八重さんに頼まれちゃって。それに、商店街までですし、すぐ戻るつもりだったんです」
「ともかく、次からは誰か若いのを連れてってくださいよ」
「分かりました」
言葉遣いこそ丁寧だが、どこか遠慮というものがない。気心が知れた仲なのだろうか。男が本気で彼女を心配していることも、彼女の方もそれを煩わしく思っているわけではないことも、短いやり取りだけで何となく伝わってきた。
そこでようやく、男がこちらの存在に気づく。
視線が俺へ向いた。
「……そちらの方は?」
「商店街で困っていたところを、荷物を運ぶのを手伝っていただいたんです」
「ああ、それは……」
男の目から警戒が完全に消えたわけではないが、それでも、すぐに一歩下がると両膝へ手をつき、深々と頭を下げた。
「うちのお嬢が世話になりました。ひとまず、荷物をこちらへ」
そう言って頭を上げた男が、玄関先を手で示す。
ううむ。
今どき滅多に見ないというか、昔どこかの映画で見たような、妙に古風な礼の仕方だった。
薄々そんな気はしていたが――やはりここ、ヤの付く自営業の方々のお宅だなぁ。
そんなことを考えつつ、促されるまま石畳を上がっていく。
近くで見ると、玄関もずいぶん立派だった。
黒光りする太い柱に、幅の広い木製の引き戸。軒は深く張り出し、その下には磨かれた御影石の三和土が広がっている。戸の脇には季節の花を活けた大きな壺が置かれ、上がり框の先には艶のある板張りの廊下が奥まで真っ直ぐ伸びていた。
旅館と言われても納得しそうな玄関だが、どことなく、威圧感のようなモノも感じる。
俺は抱えていた発泡スチロール箱と段ボールを、邪魔にならないよう三和土の端へ置いた。
「こちらでいいですか?」
「ええ、助かります」
前の二人が玄関へ上がり、持っていた紙袋を足元へ下ろす。
「本当に、助かりました」
そう言って、女性が改めて頭を下げる。
肩にかかっていたさらりとした黒髪が、動きに合わせて前へ流れ落ちた。
「いえいえ。お困りのようでしたので。むしろ、差し出がましいことをしてしまっていたら、こちらこそ申し訳ない」
俺が曖昧に笑って返すと、今度は男の方が姿勢を正した。
「自分からも、改めてお礼を。杉原と申します」
そこで初めて、男――杉原が名乗る。
となれば、こちらも名乗らないわけにはいかない。
「二階堂です。二階堂恒一」
「あ」
すぐ前で、小さな声がした。
見ると、女性がこちらを見たまま、少しだけ目を丸くしている。
「そういえば、私ったら……お名前も伺わずに」
気づいていなかったらしい。先ほどの携帯の件といい、少しばかり抜けているところがあるのだろうか。
「失礼いたしました」
そう前置きして、両手を前で重ねるようにしながら丁寧に頭を下げた。
「黒崎静香です。改めまして、先ほどはありがとうございました」
「いえ」
黒崎。
門に掲げられていた《黒崎組》と同じ名字。
まあ、さっきまでのやり取りを見る限り、予想通りこの家――というより、この組の娘さんなんだろう。
「杉原さん」
「はい」
「二階堂さんに、お茶をお出ししたいの。客間までご案内していただけるかしら」
「分かりました」
杉原はすぐに頷くと、俺へ向き直った。
「お客人、どうぞ。こちらへ」
杉原の後に続き、長い廊下を歩いていく。
静香は、買ってきた荷物を奥へ運ぶと言って、途中で別れていった。
屋敷の中は、外から受けた印象通り、静かだった。
磨かれた板張りの廊下には古い額がいくつか掛けられ、障子越しに見える中庭には池と松を配した立派な日本庭園が広がっている。
ただ、完璧に手入れされているというわけでもないらしい。
庭石の隙間には雑草が伸び、池の縁にもところどころ落ち葉が溜まっていた。
まあ、この手の屋敷にしては、少し生活感があるというか。
そんなことを考えながら歩いていると、視界の端にいくつかのハイライトが浮かんだ。
――壁に掛けられた額の裏。
――廊下脇、台の上に置かれた壺の中。
――梁と天井の隙間。
匕首。
小型のシリンダー式拳銃。
それから、古めかしい槍。
……ふむ。
まあ、やはりというか、なんというか。それなりの備えはしてあるらしい。
「しかし、二階堂さんは胆がありますな」
不意に、前を歩いていた杉原が振り返りもせずに言った。
「何がです?」
「……うちのことですよ」
そこで少しだけ、声に笑いが混じる。
「大抵の人は、“ウチみたいな”家だと分かった時点で、上がって茶を飲もうとはなかなか思いませんからな」
肩が僅かに揺れた。笑っているようだ。
面白がっているようでもあり、どこか嬉しそうでもある。
「最初は、お嬢をナンパしてきた不届きモンかと思いましたが……いやはや。お若いのに、ずいぶん肝が据わってらっしゃる」
「はあ」
なるほど。ナンパ。
確かに、あれほどの美人なら、そういう男が寄ってきても不思議ではない。
地元の人間ならこの家のことを知っていて避けるのかもしれないが、俺みたいな余所者なら十二分にありうるだろう。
「さて、こちらです」
そんな話をしているうちに、客間へ着いたらしい。
杉原が障子を開ける。
中は、落ち着いた雰囲気の和室だった。
八畳ほどの部屋で、畳は新しくはないものの綺麗に掃除され、床の間には季節の花が小さな青磁の花瓶へ活けられている
中央には艶のある大きな座卓。向かい合うように、厚手の座布団が二枚置かれている。
壁際には低い箪笥と古い柱時計。開け放たれた障子の向こうには幅の広い縁側があり、その先に、夕方の光を受けた庭が広がっていた。
派手さはないが、それが逆にこういう部屋では正しいのだろう。
軒先では風鈴が、ときどき涼しい音を鳴らしていた。
「では、自分はこれで。失礼いたします」
杉原はそう言って丁寧に頭を下げると、障子を静かに閉めて出ていった。
* * *
「お待たせしました」
ほどなくして、静香が丸盆を手に戻ってきた。
盆の上に載っているのは、切子のグラスに注がれた麦茶だ。薄い琥珀色の中では大ぶりの氷が二つ重なり合い、机へ置かれる頃にはグラスの表面へ細かな水滴がびっしりと浮かんでいた。
その隣には、小さなガラス皿に盛られた水羊羹が一切れ。
「ありがとうございます」
静香は俺の前へ麦茶と菓子を置くと、そのまま向かいの座布団へ腰を下ろした。
「いただきものなんです。夏になると、こういうものが多くて。どうぞ」
「では、遠慮なく」
まずは麦茶を一口。
香ばしい麦の匂いと冷たさが喉を通り、火照っていた身体の奥までゆっくり落ちていく。後には、ほんのりとした甘みだけが残った。
続けて、水羊羹も一口。
……旨い。
ひんやりとした口当たりと控えめな甘さ。
夏と言えばこれ、という感じだ。
こんな上等そうな水羊羹を子供の頃に食べていたわけではない。それでも、不思議と昔を思い出すような味だ。
懐かしい。
「お口に合えばいいんですが」
静香も自分の麦茶へ口をつけながら、こちらの様子を窺ってくる。
「美味しいです。やっぱり夏は麦茶ですね。水羊羹も、なんだか懐かしい味がします」
そう答えると、彼女は少しだけ安心したように笑った。
「よかった。私も、ここのお菓子好きなんですよ」
それからは、ここへ来る途中で交わした話の続きになった。
両親を早くに亡くし、祖父母に引き取られて育ったこと。
その祖父母もすでに亡くなっていて、今は東京で暮らしていること。
静香は必要以上に同情するでもなく、ただ一度、「そうだったんですね」とだけ言って、静かに麦茶へ口をつけた。
「お休みは、いつ頃までなんですか?」
「特には決めてないんですけどね。まあ、あと数日はこの辺りでぶらぶらしようかと」
今回の目的だった墓参りは、もう済ませた。あとは特に予定もない。
雲浜の周辺で適当に飯でも食って、温泉にでも浸かれれば十分だろう。
せっかくの休暇だ。
羽を伸ばしてゆっくりとさせてもらおう。
そんな話をしていると、彼女は水羊羹へ視線を落として、少し考えるような間を置いた。
「じゃあ、雲浜にいる間は、特に予定を決めてないんです?」
「ええ」
「でしたら、明日。もしお暇でしたら――」
彼女がそう言って、手にしていたグラスを置く。
その瞬間だった。
視界の端に、見慣れた投擲ラインが浮かんだ。
――飛来物。
軌道の先にいるのは、静香。
考えるより先に、身体が動いた。
「え――」
座布団を蹴るように立ち上がり、座卓越しに左手を伸ばす。
次の瞬間。
パシッと軽い音と共に、掌へ鈍い衝撃が走った。
「……っと」
握った手を開く。
そこに収まっていたのは、拳より一回り小さな石だった。
表面には、赤い布が巻き付けられている。
もし俺が取っていなければ――あの石は、まともに彼女の顔へ当たっていた。
大怪我、とまでは行かないだろうが、出血は免れなかっただろう。
「……え?」
静香が、俺の手の中にある石と、ぽっかり穴の開いた障子を交互に見た。
俺も改めて石へ目を落とす。
赤い布が巻きつけられている以外は、どこにでもありそうな普通の石だ。
そのとき。
「お嬢! 大変です!」
廊下の向こうから、慌ただしい足音と声が近づいてきた。
ほどなくして、携帯を手にした杉原が勢いよく部屋へ入ってくる。
何かを伝えようと口を開きかけ――破れた障子と、俺の手にある石を見たところで動きを止めた。
「……お嬢、いったい何が?」
訝しげな声だった。
彼女もようやく驚きから立ち直ってきたらしい。ひとつ呼吸を整えてから答える。
「それが……私にも、何が何だか。たぶん、その石を外から投げ込まれたんだと思うんだけど……」
そこまで言って、今度は杉原の様子に気づく。
「杉原さんこそ、そんなに慌ててどうしたの?」
「……」
杉原は一度こちらを見て、何かを言いかけた。
だが、途中で思い直したように口を閉じる。
「……その石と、関係あるかもしれません」
そう言って、手にしていた携帯を静香へ向けた。
画面を覗き込んだ瞬間。
彼女の顔から、みるみる血の気が引いていく。
「真司さんが……!?」
「ええ。それに、その後を」
杉原に促され、静香が指で画面を下へ送る。
そして。こちらを見る。
正確には――俺の手の中にある石へ。
「申し訳ありません。その赤い布、外していただいてもよろしいですか?」
「これですか?」
「はい」
言われるまま、石へきつく巻き付けられていた布をするすると解いていく。
広げると、そこには墨で乱暴な文字が書かれていた。
――土地を売れ。
――今夜は一人で済ませる。次は娘だ。
――旧日栄水産で待つ。
「……」
静香の表情が強張る。
さっきの会話に、この布に書かれた文言。
なるほど。
詳しい事情はまだ分からないが――。
どうやら厄介ごとらしいぞ。