FPSのUIが現実に見える俺が、いつの間にか殺し屋になるまで 作:鳥獣跋扈
「すみません……せっかく来ていただいたのに」
玄関先まで見送りに出てくれた静香が、申し訳なさそうに頭を下げる。
ついさっきまで、水羊羹を挟んで穏やかに話していたときとはまるで違う。その顔には、隠しきれない焦りが浮かんでいた。
奥では杉原が携帯を耳に当て、どこかへ連絡を取りながら、時折低い声で指示を飛ばしている。
「この埋め合わせは、いずれ必ず」
「いえ。どうかお気遣いなく」
そう返しても、静香はどこか上の空だった。
まあ、当然だろう。
急に石を放り込まれたと思ったら、拉致に脅迫だ。
平静でいろという方が無理な話だろうさ。
「部外者の自分が言うことでもないでしょうけど……お気をつけて」
「……ありがとうございます」
最後に軽く頭を下げ、俺は黒崎組の門を出た。
数歩進んだところで、背後から重い引き戸の閉まる音が聞こえる。
足を止め、振り返る。
「……ふむ」
高い塀の向こうには、黒瓦の屋根が見えている。
そして、その下。
視界の隅に、さっきまではなかったものが浮かんでいた。
緑色のマーカー。
その傍らには、見覚えのある名前。
《黒崎静香》
「……なるほど」
さて、突然出てきたが、コレが現れたということは、だ。
――何かが始まった、と考えるべきだろう。
まあ、その何か、が分かりはしないのだが。
彼女が敵か味方か。
商店街で出会ったのは偶然か必然か。
とはいえ、まずは情報収集と連絡だな。
俺は黒崎組へ背を向けると、ホテルとは反対の方角へ歩き出した。
* * *
探していた店は、古い住宅地を抜けた先にあった。
平屋建ての小さな店。
軒先には日に焼けて色褪せた「たばこ」と書かれた看板がぶら下がり、ガラス窓の向こうには煙草や飴、乾電池といった細々とした商品が並んでいる。店先に置かれているのは、今ではほとんど見かけなくなったピンク色の公衆電話。
そして。
木壁の端に、小さく焼き付けられた烏の印。
……間違いなさそうだ。
小さなガラス戸の向こうでは、白髪の老婆が一人、丸椅子へ腰掛けて団扇を扇いでいた。
昔はこういう煙草屋も珍しくなかった気がするが、最近はめっきり見なくなったよなぁ。
そんなことを考えながら、店先へ近づく。
「すみません」
「はいよ」
団扇を動かしたまま、老婆が気のない返事をする。
「“しんせい”と、“わかば”を一箱ずつ」
ぴたり。
団扇が止まった。
老婆の顔は動かない。
ただ、その目だけがゆっくりとこちらを向く。
「……ずいぶん古い煙草が好きなんだねえ」
そう言いながら、ガラスケースの上に置いてあった老眼鏡を手に取り掛ける。
「最近は、なかなか見つからなくて」
「そりゃそうだろうね」
何でもない会話を続けながら、俺は左手をカウンターの上へ置いた。
その拍子に袖口をわずかにずらし、手首のブレスレットを見せる。
老婆は何も聞かなかった。
ほんの一度だけそこへ視線を落とすと、ゆっくりと丸椅子から立ち上がり、店の奥へ姿を消した。
俺はガラスケースへ肘をつき、そのまま人気のない夕暮れの通りを眺めて待つ。
段々と青が赤を押しのけて、夜が近づいてきた。
しばらくして、老婆が戻ってくる。
手にしていたのは、黒い革張りのケースが一つ。
それから、小さな金色のコインが一枚。
表面には、翼を大きく広げた烏が刻まれている。
老婆はコインをガラスケースの上へ置くと、人差し指でこちらへすっと滑らせた。
「ありがとうございます」
受け取ったコインを手に、公衆電話の受話器を上げ、投入口へ差し込む。
番号は押さない。
直後、受話器の向こうから呼び出し音が鳴り始める。
一度目のコールが終わるより早く、若い男の声が聞こえた。
『はい。ご用件をどうぞ』
受話器の向こうから、若い男の簡潔な声が返ってきた。
名乗る必要も、余計な前置きもない。
「雲浜市の黒崎組について」
『少々お待ちください』
すぐに、電話の向こうでキーボードを叩く音が続く。
『黒崎組。雲浜市を地盤とする小規模団体。組長、黒崎玄蔵。現在の構成員は推定八名。近年は活動規模を大幅に縮小しています』
「こっちとの関係は?」
『三十四年前に一度、黒崎組から正式依頼を受領しています。案件は完了済み。それ以降、直接の取引履歴はありません』
取引があったのは少々意外だったな。だがまあ、そういうこともあるだろう。
しかし、三十四年前とは、古いな。
「雲浜周辺で、今動いてる人や案件は?」
『当組織の構成員は確認できません。関連組織を含め、現在進行中の登録案件もありません』
「分かりました。あと、一番へ繋いでください」
『承知しました』
数秒の沈黙。
回線が切り替わる。
『あら』
聞き慣れた声に変わった。
『どうしたのかしら。中継を使って掛けてくるなんて珍しいわね』
「仕事用の端末を置いてきてしまったので。すみません」
『あら、そうなのね。まあ、休暇中だもの。仕方ないわ』
雨宮が小さく笑う。
『それで?』
「ちょっと、帰省先で色々ありまして」
ほんの僅かに、間が空いた。
『続けて』
俺は今日あったことを、簡単に説明した。
黒崎組というヤクザの家へ招かれたこと。
そこで脅迫めいた石が投げ込まれ、関係者が捕らえられたらしいこと。
雨宮は途中で口を挟むことなく、最後まで黙って聞いていた。
『それで、どうしたいのかしら?』
「そうですね……少し、見てこようかと」
最終的に“どこまでやるか”はまだ決めていないが、マーカーの件がある。
電話の向こうで、雨宮が少し考えるように黙る。
『……そうね。いいわ。今のところ、こちらの仕事と競合している様子もないし』
特に問題はないらしい。
『あとで報告だけ頂戴。仕事じゃないから、簡単なので構わないわ』
「分かりました」
『それじゃあ、休暇を楽しんで』
「ありがとうございます」
そこで通話を切った。
受話器を戻し、店の方へ振り返る。
老婆が、先ほど持っていた包みを差し出していた。
黒い革布で巻かれた、両掌に収まるくらいの大きさ。
「返すのは、どこでもいいよ」
「助かります」
眼鏡をはずした老婆に答え、包みを受け取る。
空にはすでに夜の色が広がり始め、薄暗くなった街の上で、いくつか星が瞬いていた。
私用の携帯を取り出し、地図を開く。
旧日栄水産は――。
「……この辺りか」
ここからなら、それほど遠くない。
俺は携帯をしまい、黒い革包みを上着の内側へ収めた。
さて、行きますか。
* * *
黒崎邸を出た車は、暗くなってきた街を海沿いへ向かって走っていた。
運転席の杉原は、バックミラーへちらりと目をやる。
後部座席では、静香が膝の上で両手をきつく握り締めていた。
「お嬢。本当に来るんですか? やっぱり家で待っていただいた方が……」
前方へ視線を戻したまま、杉原はもう一度だけ念を押す。
「ウチの者が攫われたんです。組長代理として、家で待ってなんていられません」
「ですが――」
「邪魔はしません。それに、家で待っていても、そちらが襲われない保証なんてないでしょう」
バックミラー越しに見える静香の目は、完全に据わっていた。
たしかに、言うことは一理ある。
それに、こうなったら梃子でも動かない。
長い付き合いの杉原には、それが嫌というほど分かっている。
気づかれないよう小さく息を吐き、ハンドルを握り直した。
車に乗っているのは、たった四人。
杉原と静香。
助手席に若い組員が一人、後部座席にももう一人。
本来なら、こんな時は組の人間を総出で向かわせるところだ。
だが今の黒崎組に、そんな頭数は残っていない。
相手は十か二十か。見当もつかない。
それを調べるだけの時間も、人もなかった。
まともにぶつかれば、どうなるかなど考えるまでもない。
それでも。
いざとなれば、自分の命と引き換えにしてでも静香だけは逃がす。
杉原はそう決めていたし、同乗している若い二人も同じだろう。助手席の若いのにちらりと視線を向ければ、こくりと頷いた。
頼もしくもあり、申し訳なさも感じる。
――逃がすことができるかどうかは、良くて五分五分。
家に籠もっていようが、ここへ向かおうが、大した違いはない。
後から潰されるか、先に打って出るか。
ただ、それだけだ。
黒崎組には、もう後がない。
残っていた組員のうち二人は、数日前に事故へ巻き込まれ、今も入院している。
そして今日、さらに一人――真司が攫われた。
あの事故だって、本当に偶然だったのか。
目撃者のいないひき逃げ。
警察の動きも、妙に鈍かった。
こちらがヤクザだから相手にされていない――というだけなら、まだ話は単純だったのだが。
そして、何より。
頼みの綱である組長は病床に伏している。
とてもではないが、今の状態で組を指揮できるような身体ではない。
これ以上、余計な心労を掛けたくはなかった。
だが、それももう難しいかもしれない。
杉原は奥歯を噛みながら、市街地を抜けていく。
やがて車は、海沿いの倉庫地区へ入った。
古い工場と資材置き場が並び、錆びたフェンスの向こうには寂し気な海が覗いていた。
その向こうには、夕闇に沈みかけた海が寂しげに広がっている。
――どうか。
せめて、お嬢だけでも無事に帰せますように。
柄にもなく、そんな祈りじみたことを考えてしまう。
だが、神に祈っても意味はないことはよく知っている。
頭を軽く振り、アクセルを緩める。目的地が近い。
「着きます」
杉原が低く告げると、狭い車内の空気が一段張りつめた。
フロントガラスの向こう。
夕闇の中に、錆びついた看板が斜めに傾いている。
――旧日栄水産。
とうに使われなくなった水産加工場は、窓ガラスの大半が割れ、駐車場には膝丈ほどの雑草が好き放題に伸びていた。
建物のさらに奥には、かつて製氷設備に使われていたのだろう大きな塔が、黒い影となって空へ突き出している。
杉原は速度を落としたまま敷地へ入り、そのまま駐車場の中で車を大きく切り返した。
車体を、出口の方へ向けて停める。
何かあったとき、すぐに逃げられるようにだ。
「降りるぞ」
杉原の声に合わせ、若い二人が順に車外へ出る。
ドアは閉めない。
鍵も、そのままだ。
盗まれて困るものなど積んでいない。それより、いざというとき一秒でも早く乗り込める方がいい。
杉原が周囲を確認している間に、静香まで車から降りてきた。
「お嬢」
「後ろにいます。警戒もしますから」
「……絶対に、俺より前には出ないでください」
「はい」
納得したわけではないが、ここまで来て押し問答をしている余裕もない。
杉原は腹に差していた古びた拳銃を抜く。
長年油を差し続けてきた金属特有の匂いが、わずかに鼻についた。
若い二人は、それぞれ匕首を手にする。
静香だけは、何も持っていない。
四人は固まるようにして、正面入口へ近づいていった。
搬入口らしい大きな扉は固く閉ざされている。
その横にある、従業員用と思しき小さな扉へ、足音を殺しながら近づく。
杉原は耳を澄ませた。
何か一つでも、物音を拾うために。
どくん、どくん、と。
自分の心臓の音ばかりが、妙に大きく聞こえる。
だが――それ以外が、静かすぎた。
妙だ。
人の気配がない。
脅迫して呼び出したのなら、誰かが外で待っていてもおかしくない。怒鳴り声の一つくらい聞こえてもいい。
それがどうだ。見張りの一人も居なければ、物音ひとつしやしない。
杉原の背筋を、妙な感覚が這い上がった。
先頭を歩いていた彼は片手を上げ、後ろの三人を止めた。
「……おかしいな」
杉原は低く呟きながら、扉にはめ込まれた割れたガラス越しに中を覗き込んだ。
そして、そのまま動きを止める。
「……なんだ、これ」
「杉原さん?」
背後から静香の声が飛んできたが、すぐには返事ができなかった。
見間違いかと思ったが、目を凝らしても状況は変わらない。
杉原はゆっくりとドアノブへ手を掛けた。
鍵は、かかっていない。
錆びついた扉は最初こそ軋んで抵抗したものの、少し力を込めると拍子抜けするほど簡単に開いた。
最初に見えたのは、男の脚だった。
床に投げ出されている。
その少し先にも、一人。
さらに奥にも。
「……」
薄暗い加工場の中を照らしているのは、高い天井から吊るされた裸電球だけだった。
頼りない明かりの下、いくつもの人影が床や壁際に倒れている。
「死んで……」
「いや」
静香が口元を押さえて後ずさるのを遮り、杉原は慎重に近くの男へ寄った。
首筋へ指を当てる。
「……生きてます」
脈はある。
だが、その有様は目を背けたくなるほど酷かった。
ある男は両腕を背中側へ回され、肩が外されている。
顎は不自然に歪んで、ブラブラと口を開いて揺れたまま床へ転がされていた。
その隣。
壁際では別の男が座り込むように気を失い、口元から赤い泡を垂らしている。
よく見ると、喉が潰されているようだ。
少し離れた場所には、鉄パイプを握ったまま倒れている男。
いや。握っている、というより鉄パイプごと両腕をねじ込まれたように折られている。裂けた肉の隙間から、白い骨が覗いていた。
さらに奥にも。
人。
人。
また人。
死んではいない。ただそれだけだ。
骨は折られ、関節は潰され、顔は腫れ上がり、床には血や吐瀉物らしきものまで広がっている。
鉄臭い血の匂い。
そこへ糞尿の臭いまで混ざり合い、加工場の空気そのものがひどく淀んでいた。
「……いったい、何が」
若い組員の一人が青ざめた顔で呟く。
今にも吐きそうだった。
杉原にも、その答えはまるで分からない。
「真司さん!」
静香の叫びで、思考が途切れた。
加工場の中央付近。
一脚の椅子に、人が縛り付けられている。
頭から黒い布袋を被せられ、両腕は背中側へ回されていた。
「真司さん!」
「お嬢、待って――!」
止めるより早く、静香が駆け出す。
杉原たちも慌てて後を追った。
周囲の惨状をなるべく見ないようにしながら椅子まで辿り着き、すぐに拘束を解いていく。
最後に頭巾を外した。
「っ、は……っ……」
現れたのは、頬を大きく腫らした若い男の顔だった。
男は何度も荒い息を吐きながら、眩しそうに目を細めた。
「……お嬢?」
頭巾を外された真司が、腫れた瞼をどうにか開く。
「真司さん、大丈夫ですか?」
「なんで……ここに」
「助けに来たんです。何があったんですか?」
「何って……」
真司はまだ状況を飲み込めていない様子で、ゆっくりと周囲へ目を向けた。
そこで初めて、自分を囲んでいたはずの男たちが、ことごとく床へ倒れていることに気づいたらしい。
目が大きく見開かれる。
「……は?」
「真司」
杉原はその肩へ手を置いた。
「誰にやられた」
「知らないっすよ!」
「知らない?」
「俺、ずっと頭巾被せられてたんです。殴られて、蹴られて……」
そこまで言って、真司は一度言葉を切る。
乾いた唇を舐め、喉を鳴らした。
「そのうち、急に声が聞こえなくなって」
「急に?」
「いや……分かんないっす。急にっていうか、段々静かになっていったんです」
声が震えている。
歯まで、かすかに鳴っていた。
「最初は連中も普通に喋ってて……でも、そのうち何かに気づいたみたいに騒ぎ始めて。それも、すぐ聞こえなくなって」
「……」
「最後に、すぐ近くで誰かが倒れる音がして……それっきりです」
杉原は真司の背後へ回り、手首を縛っていた縄を解きながら問いかける。
「何か声は聞いたか。誰か喋ってなかったのか?」
「分かりません。マジで、何が何だか……」
ようやく自由になった両手で、真司が赤く擦れた手首をさする。
杉原は、それ以上何も言えなかった。
改めて工場の中を見回す。
十人を優に超える男たちが、何の抵抗も出来ずに倒れ伏している。
しかも、全員、生かしたまま。
冷たい汗が背中をつたう。
「……こんなこと、誰がやったってんだ」
杉原の呟きに答える者は、誰もいなかった。
* * *
港の外れまで歩く頃には、辺りはすっかり夜の色に染まっていた。
防波堤の向こうには漁火がぽつぽつと浮かび、一定の間隔で波が消波ブロックへ打ち付ける音が聞こえてくる。
俺は人気のない岸壁の端へ腰を下ろし、さっき回収してきた何台かのスマートフォンと財布を並べた。
まずは財布から。
中身は現金とレシートが雑に突っ込まれているだけで、免許証や保険証といった身元の分かるものは入っていない。
ただ、何人かの財布からは見慣れない紙幣が出てきた。
中国元だ。
「……ふむ」
次にスマートフォンを確認する。
何台か見たうち、すぐに使えそうな情報が残っていたのは二台。
そのうち一台には、直前まで使っていたらしいグループでのやり取りが、そのまま残されていた。
中国語と日本語が入り混じったチャット履歴。
黒崎組のことやら、今日の拉致の事なんかがつらつらと書いてある。
更に、土地のことや、金の事。
そして、その中で何度も目につく単語があった。
「……龍宮、ねぇ」
特にピンとは来ない。
店の名前なのか、組織なのか、それとも単なる符丁なのか。
やり取りに添付されていた地図を開く。
表示されたのは、海岸沿い。
市街地から少し離れた温泉地区の端だった。
地図上には、営業しているのかどうかも怪しい古びた大型ホテルが一つ表示されている。
その瞬間だった。
「……ん?」
視界の端で、淡い光が瞬いた。
ミニマップ上に、新しい表示が浮かぶ。
小さな菱形のマーカー。
位置は――今見ている地図の場所と、ほとんど同じ。
俺はゆっくりとスマートフォンから顔を上げた。
すると、遠く。
夜の海岸線の向こうに、マーカーが夜空に不自然に浮いて見える。
「……」
俺はスマートフォンと、宙に浮かぶマーカーを交互に見た。
あそこに、何かあるのか。
「龍宮、か」
ぽつりと漏らした声は、寄せては返す波音に紛れ、そのまま夜の闇へ消えていった。