FPSのUIが現実に見える俺が、いつの間にか殺し屋になるまで 作:鳥獣跋扈
《海浜都市開発》本社ビル、その最上階にある応接室で、
海浜都市開発――雲浜市内の不動産管理や再開発を手掛ける、ごくありふれた会社だ。
少なくとも、表向きは。
ただ、この応接室だけは、会社の顔とは少しばかり趣が違っていた。
床には厚手の絨毯が敷かれ、重厚な革張りのソファが向かい合っている。壁際の棚には海外の酒がずらりと並び、大きく取られた窓からは、朝日を浴びる雲浜の街並みと、その先に広がる海まで見渡せた。
夏の朝らしい強い陽射しが差し込み、窓際の床へ白く長い光を落としている。
そして、部屋の隅。
一人の女が床に静かに座っていた。いや、どちらかというと座らされている、が正しい。
二十代半ばほどだろう。
整った顔立ちに、淡い色のワンピース。髪も化粧もきちんと整えられている。
だが、その左のこめかみから頬へかけて、白く細長い一本の傷痕が彼女の表情に影を落としている。
さらに、片方の足首には細い金属製の輪が嵌められ、そこから伸びる鎖は、ソファ脇に設けられた金具へ繋がり、じゃらりと鳴った。
女は何も言わず、ただ俯き、朝の光から逃れるように身を縮めている。
御厨もまた、そこに一人の人間がいることなど、さして気に留めてはいなかった。
「十一人いて」
御厨はテーブルの上から写真を一枚摘み上げた。
「黒崎のガキ一人、押さえておけなかった?」
「……申し訳ありません」
向かいに立つ男が深く頭を下げる。
「謝罪が聞きたいわけじゃない」
御厨は興味を失ったように写真を放った。
乾いた音を立てて、紙片がテーブルの上を滑る。
続けて、別の一枚を手に取る。
そこに写っていた光景を見た瞬間、御厨の眉が僅かに寄った。
床には男たちが折り重なるように転がっている。
関節を砕かれた者。締め落とされた者。腕や脚をあり得ない方向へ折られ、血まみれのまま動かない者。
一見すれば、死体の山にしか見えない。
多少の荒事なら御厨も見慣れている。
だが――ここまで一方的なものは、そう何度も見たことがなかった。
「死者は?」
「ゼロです」
「一人も?」
「はい」
御厨は鼻からゆっくり息を吐いた。
ただのヤクザにできる芸当ではない。
「銃は?」
「使われていません。発砲痕も、銃創も確認されていません」
「薬物は。ガスか何か」
「検出されていません」
「……で」
御厨は写真から目を上げた。
「相手は何人だ」
「……分かりません」
写真を繰る指が止まる。
向かいの男の額には、じっとりと脂汗が浮かんでいた。
この部屋は朝から冷房が効いている。
汗をかくような室温ではない。
「何?」
声を落として聞き返す。
「現場で意識を取り戻した者から、可能な限り聞き取りました」
男は喉を鳴らした。
「ですが、誰も襲撃者の姿をまともに確認していません」
御厨はしばらく黙って、その顔を見つめた。
失態を誤魔化すための嘘には見えない。
そもそも、この男を近くへ置いているのは腕っぷしが理由ではない。
余計なことをせず、見たものを見たまま報告する。その実直さを買っているからだ。
なら、この報告もおそらく間違ってはいない。
――だからこそ、腹が立つ。
誰にやられたかも分からないまま。
全員まとめて地面へ転がされた。
そんな馬鹿な話を、簡単に飲み込めるはずもない。
御厨は手にしていた写真を、テーブルへ叩きつけた。
「ふざけてんのか!」
御厨が怒鳴りつけると、叩きつけた写真の乾いた音が応接室に鋭く響いた。
その余韻に混じって、部屋の隅から小さく金属の擦れる音がする。
鎖だ。
座らされていた女が、びくりと肩を揺らしていた。
御厨はその反応へ視線をやり、少しだけ機嫌を直したように口元を緩める。
「あれだけ人間がいて、誰にやられたかも分からない? 俺は怪談でも聞かされてるのか?」
「……最初に、見張り役が消えたそうです」
向かいに立つ男が、慎重に言葉を続ける。
「それからも、一人ずつ……気づいた時には、もう近くの者が倒れていたと」
まるで本当に怪談でも語っているようだった。
本人にそのつもりはないのだろう。
だが、わずかに震える声と強張った表情を見る限り、あながち間違いでもないのかもしれない。
やがて報告役の男は口を閉ざした。
御厨はしばらくその顔を眺めてから、苛立ちを押し込めるように鼻から息を吐き、再び革張りの椅子へ深く腰を下ろした。
「で、他には?」
「全員分のスマートフォンと、財布がなくなっています」
「あん?」
御厨は眉をひそめた。
「まさか、物盗りだったなんて馬鹿なことを言うつもりじゃねぇよな」
これだけのことをしておいて、金目当て。
さすがにそんな間抜けな話はないだろう。
そもそも、わざわざ強面の男を十人以上まとめて半死半生にしてまで、財布の中身を抜いていく人間がどこにいる。
「はい。恐らくですが、金が目的ではありません」
報告役の男が慎重に続ける。
「身分証や免許証、カード類。それからスマートフォンの中身を確認するためかと」
その言葉で、御厨の表情がわずかに変わった。
「……なるほど」
指先でテーブルを軽く叩く。
「こっちを調べてるってことか」
「可能性はあります」
「俺たちに盾突くような連中は、あらかた片付けただろう?」
御厨は苛立たしげに男を見る。
「それに、そんな奴がなんで黒崎を助ける」
「それは……」
答えが続かない。
「分からない、か」
「……申し訳ありません」
御厨は、ふん、と鼻を鳴らした。
そのとき。
かすかに、陶器の擦れる音がした。
御厨がそちらへ目を向ける。
窓際に置かれた、一人掛けのソファ。
そこには先ほどから、一人の男が座っていた。
年は五十を少し超えた頃だろう。
白髪の混じった髪を後ろへ撫でつけ、黒いスーツを隙なく着込んでいる。
見た目だけなら、どこかの企業役員で通りそうな男だった。
ただし。
スーツの下に隠しきれない鍛え上げられた身体と、そこに座っているだけで漂う武人めいた圧だけは、どう取り繕っても普通の会社員には見えなかった。
梁は、こちらの騒ぎなど最初から存在していないかのように、黙々と中国茶を口にしていた。
「梁さん」
「何だ」
「……どう見ます?」
御厨が問いかける。
梁はすぐには答えず、カップを静かに置いた。
それからテーブルへ手を伸ばし、散らばっていた写真を何枚か拾い上げる。
一枚。
また一枚。
表情をほとんど動かさないまま目を通し――やがて、結論を出した。
「一人、だろうな」
御厨の眉が寄る。
「一人?」
「ああ」
「誰にも気づかれずに、この人数を?」
「変わらんよ」
梁は写真から目を上げることもなく言った。
「恐らく、この程度の練度の人間なら、何人集まろうと大差はない」
あまりにも平然とした口調だった。
報告役の男が、思わずテーブルの写真へ視線を落とす。
「……どうして、一人だと?」
「壊し方が同じだ」
「壊し方?」
梁は写真を次々と指先で示した。
「手首を取る位置。関節を折る方向。喉を打つ角度。膝の潰し方」
淡々と挙げていく。
「癖がない。迷いもない。まるで機械のように、正確で、冷静だ」
写真を一枚、テーブルへ戻す。
「ここまでの使い手は、本国でも見たことがない」
誰のものとも分からない喉が、ごくりと鳴った。
「それに――」
梁が別の一枚を手に取る。
「この程度の相手なら、殺す方がよほど簡単だ」
写真の中には、明らかに致命傷を避けながら徹底的に叩き潰された男が写っている。
「それを一人も殺さずに済ませている。力ではなく、技量でそうしている」
梁はそこで初めて、わずかに目を細めた。
「大したものだ」
御厨は数秒、何も言わなかった。
やがて口元に乾いた笑みを浮かべる。
「……一人、ねぇ」
写真を戻すと、再び何事もなかったように中国茶へ口をつけた。
御厨は報告役の男へ顔を向けた。
「周辺の監視映像は?」
「現在、照合中です」
旧日栄水産の中には、そもそも監視カメラなどという上等なものは置かれていない。
元々は、適当に攫ってきた相手を痛めつけ、脅しを掛けるために使っていた場所だ。わざわざ記録を残す必要もなかった。
「《円卓》から回してもらったハッキングシステムは使えてるんだろうな」
「はい。問題なく。監視パッケージにも掛けていますが、今のところ該当する人物は出ていません」
「高い金を払ってるんだ。役に立ってもらわないと困る」
御厨は苛立たしげに指先でテーブルを叩いた。
《円卓》。
御厨自身、その正体を詳しく知っているわけではない。
ただ、自分たちの親組織――梁が所属する、中国でも最大規模の組織が、欧州で取引している相手だということ。
そこから必要な機材や情報が流れてくることもあれば、逆にこちらから情報を渡すこともある。
御厨にとっては、それだけ知っていれば十分だった。
「御厨」
梁が、飲み終えた茶器を静かに置いた。
「何です?」
「お前たちが考えているより、面倒な相手を起こした可能性がある」
御厨は数秒、梁の顔を見た。
それから鼻で笑う。
「黒崎に、そんな札が残ってるとは思えませんけどね」
そのとき。
応接室の扉が、控えめにノックされた。
「御厨さん。近くの監視カメラの映像が見つかりました」
「入れ」
一人の男がノートパソコンを抱えて入ってくる。
画面に映っていたのは、旧日栄水産へ続く海沿いの道路だった。
襲撃が起きたと思われる時間から、映像を遡っていく。
配送車。
軽自動車。
自転車に乗った学生。
犬を連れて歩く老人。
どこにでもある、田舎の海沿いの道。
取り立てて目を引くものはない。
御厨も、半ば興味を失いかけていた。
そして。
「止めろ」
梁の声が鋭く飛んだ。
映像が止まる。
「……何です?」
御厨が画面へ目を凝らす。
端の方に、一人の男が映り込んでいた。
若い黒髪。
服装もごく普通で、特に目立つところはない。
顔も、距離と角度のせいで判然としなかった。
「こいつは?」
「不明です。ただ、このまま進めば旧日栄水産の方角ですね」
ノートパソコンを持ってきた男が画面を確認する。
「この先のカメラには映っていません。途中でどこかへ曲がったんでしょう」
呑気な口調だった。
だが、梁だけは画面から目を離さない。
ただ道を歩いているだけの黒髪の男を、じっと見つめている。
「コイツだ」
「……はい?」
御厨が思わず聞き返す。
急いでいるようには見えない。
周囲を警戒している様子もない。
何かを隠しているようにも見えない。
ただ、夕暮れの道を歩いているだけだ。
それなのに、梁は僅かに目を細めた。
「カメラ越しでも分かる」
「何がです?」
「間違いない。コイツだ」
断言だった。
御厨はもう一度画面を見る。
だが、やはり自分には、どこにでもいそうな若い男にしか見えない。
梁はそこでようやく映像から視線を外した。
「コイツを調べてみるんだな」
それだけ言うと、部屋の隅に控えていた男へ中国茶のお替わりを頼み、それきり口を閉ざした。
残された御厨たちは、思わず互いの顔を見合わせる。
応接室には再び、静かな空調の音だけが戻ってきた。
その片隅で、細い鎖が一度だけ、かすかに鳴った。