FPSのUIが現実に見える俺が、いつの間にか殺し屋になるまで 作:鳥獣跋扈
海岸沿いの広い道路を走る車内で、御厨蓮司は手元のタブレットを睨みつけたまま、運転席へ声を飛ばした。
「事務所には戻らない」
「……よろしいんですか?」
「よろしいわけあるか! ボケが!」
苛立ちのまま前席を蹴り上げると、靴底が助手席の背もたれを強かに打った。
そこに座っていた部下は一瞬だけ眉間へ皺を寄せたものの、振り返りもしない。こういうことには慣れているのだろう。何事もなかったように前を向いたままだ。
「……しかし、事務所に残っているのは女が一人だけです。こちらも手勢は少ないとはいえ、戻って一気に叩けば――」
運転席の男が恐る恐る意見を口にする。
だが、その言葉を最後まで聞く前に、
「……無理だな」
御厨の隣から、低い声が割って入った。
梁偉峰だった。
腕を組み、目を閉じたまま革張りのシートへ深く身を預けている。事務所が襲われたと知ったあとも、御厨たちのように苛立つでも焦るでもなく、最初から変わらない落ち着きを保っていた。
ただ一度だけ。
御厨のタブレットを使い、遠隔で事務所内の監視映像を確認した際――侵入者の中にいた白髪の老人を見た瞬間だけ、梁は僅かに目を見開いた。
「今回の相手が、ようやく分かった」
そこで梁はゆっくりと目を開く。
「“数字持ち”だ」
車内に、数秒の沈黙が落ちた。
御厨にも、前の二人にも、その言葉に心当たりはない。
「……何です、その“数字持ち”ってのは」
御厨は胡散臭いものでも見るように梁へ顔を向け、そのまま乱暴に背もたれへ身体を預けた。高級な革シートは、多少荒っぽく扱われた程度では軋み一つ上げない。
前席の二人も顔こそ正面へ向けたままだったが、意識はこちらへ向いているのが分かる。
三人分の視線を受けた梁は、少しばかり面倒そうに息を吐いた。
「昔、日本に厄介な殺し屋の組織があった」
淡々とした声で、ぽつりぽつりと話し始める。
「いや――今もあるのだろうな」
梁の目が、御厨の持つタブレットへ向いた。
停止した監視映像の中では、一人の老人がいつもの穏やかな笑みを浮かべたまま、監視カメラに向かって視線を送っていた。
タブレットの中で、停止していた映像が再び動き始めた。
最初に映ったのは、一階ロビーだった。
男が一人、女が一人、そして老人が一人。三人とも緊張した様子はなく、まるで普通の来客でも装うような軽い足取りで自動ドアをくぐってくる。
先頭の若い男が受付へ向かうと、そこに座っていた部下は相手の顔を見た瞬間に表情を変え、カウンターの下へ手を伸ばした。
気づいたのだ。
旧日栄水産の件で調べさせていた男だと、とっさに認識したらしい。
受付を任せていたのは、それなりに腕の立つ男だった。特に早撃ちには自信があり、多少のことでは怯まない胆力もある。判断も早い。
無事に片が付いていれば、あとで褒めてやってもよかったくらいだ。
だが、そうはならなかった。
若い男は、拳銃が出てくることをまるで最初から知っていたかのように、驚きもせず動いた。
銃口が持ち上がりきるより早く受付の腕を打ち落とし、その拍子に拳銃を床へ落とす。続けて繰り出された右手が、何をしたのか一瞬分からないほど自然に顎先を掠めると、それだけで男の身体から力が抜けた。
そのまま、がくりとカウンターの内側へ崩れ落ちる。
あまりにも手際が良すぎて、暴力を振るっているようにすら見えなかった。
若い男自身も、特別なことをしたという顔をしていない。まるで日常の中で、ごく当たり前の動作を一つ済ませただけのような顔だった。
その直後、ロビーの異常に気づいた者たちが奥の扉から飛び出してくる。
警棒に拳銃。
それなりに訓練も積ませていたし、武器を持ったまま来たことは素晴らしい。
御厨から見ても、対応そのものは悪くない。
それでも、意味がなかった。
最初に動いたのは老人だった。
速いというより、動きに無駄がない。
まるで地面を滑るように間合いを詰めたかと思えば、次の瞬間には先頭の男へ触れている。何をされたのか映像を見ても判然としないまま、その男の身体だけが車にでも撥ねられたような勢いで壁へ叩きつけられた。
続く一人はさらに異様だった。
腕を取られたと思った時には身体がくるりと回り、どういう理屈なのか天地が逆転した状態で宙へ浮く。そのまま老人の蹴りが頭部へ入ると、男は何の抵抗もできず床へ落ちた。
漫画じみている。
そんな感想しか出てこない。
拳銃を持っていた男も同じだった。
照準を合わせるより先に懐へ入られ、腹部へ短い一撃を受けただけで、その場に崩れ落ちている。
そして、女。
見た目だけなら、この三人の中で一番場違いだった。
華奢な身体つきに整った顔立ち。ドレスでも着せれば、どこかの令嬢と言われても通りそうな雰囲気だ。
その女が、襲い掛かってきた男の腕を取る。
次の瞬間、大の男がそのまま宙を舞った。
子供が玩具でも振り回すような雑さで身体を振り回し、そのまま壁へ叩きつける。別の映像では、近くにあった事務机ごと蹴り飛ばし、相手ごと潰していた。
金属製の備品がひしゃげても、本人は顔色一つ変えない。
御厨は無意識に眉を寄せていた。
この映像だけを誰かに見せたところで、まともには信じないだろう。
作り物だ。編集だ。
そう言われた方が、まだ納得できる。
だが、監視映像の中では、その荒唐無稽な光景が何度も繰り返されていた。
若い男は、まるで最初から敵の配置を知っているように動線を選び、物陰や死角へ回った人間を順番に潰していく。
老人はほとんど足を止めず、流れるような徒手空拳だけで正面から来る者を次々と沈める。
女は細かいことなど気にしていないらしく、腕力に任せて人も備品もまとめて吹き飛ばしていた。
誰一人止められない。
事務所が制圧されるまで、ほとんど時間は掛からなかった。
三人は、まるで何の障害もない建物を歩いているかのように階を上がり、そのまま最上階へ到達する。
そこに詰めていた連中も結果は同じだった。
御厨が時間と金を掛けて集めた兵隊は、総勢五十人前後。
その全員が、たった三人を相手に、ほとんど何もできないまま使い物にならなくなっていた。
「……何なんだ、こいつら」
思わず、御厨の口から声が漏れた。
改めて映像を見ても、おかしい。いや、おかしいという言葉だけでは足りない。
どうして、こんな連中がいる。
そして、なぜよりにもよって自分たちの事務所を襲ってくる。
旧日栄水産の一件以降、黒崎組へ不用意に接触することは禁じていたし、あの黒髪の若い男について調べる時も、相手に悟られないよう細心の注意を払わせていた。
そのせいで、ろくな情報が集まらなかったのは事実だ。
だが、それはもういい。
いや、良くはないが、今は後回しだ。
優先すべきは自分の身の安全と、この三人をどうするか。
「で、“数字持ち”ってのは何なんです?」
御厨は、先ほどから訳知り顔で話している梁へ目を向けた。
相変わらず、この男は泰然としている。
事務所が襲われ、五十人近い手勢が潰されたというのに、焦りらしい焦りがない。
ただ。
気のせいでなければ、ほんの僅かに口角が上がっているようにも見えた。
「……“数字持ち”」
梁は低く繰り返した。
「正式な名称は知らん。ただ、裏の世界の一部では昔から知られている連中だ」
感情を交えず、知っている事実だけを並べるような口調だった。
「曰く、死神。曰く、日本の切り札。曰く――触れてはいけない存在」
出てくる言葉は、どれもろくでもない。
要するに、手を出してはいけない。
まして向こうから手を出される状況になった時点で、かなりまずい部類の相手だということだろう。
「最も古い記録では、日本の戦国時代まで遡るとも聞く。もっとも、その辺りは眉唾物だろうがな」
そこで梁は一度言葉を切り、ゆっくりと目を開いた。
「ただし、その力は本物だ」
先ほどまでと同じような声色なのに、その一言は妙に重く聞こえた。
「私の師は、三十四年前、日本で死んでいる」
「……まさか」
御厨が思わず呟く。
梁は小さく頷き、タブレットに映った老人へ視線を向けた。
「当時、師父は中国南部では相当名の通った武人だった。強く、大きく、私にとっては超えるべき壁でもあった」
梁ほどの男が、そこまで言う師。
「だが、兄弟子を含めて七人。日本へ渡った者は、誰一人戻らなかった」
御厨は言葉を失った。
梁がどれほどの人間を師と仰いでいたのか、詳しいところまでは知らない。
ただ、この男が武術に関して他人を持ち上げるところなど、これまで一度も見たことがなかった。
「殺される前、師父は長い間“数字持ち”について調べていたらしい。恐らく、当時の案件で鉢合わせると分かっていたのだろう」
梁の視線は、タブレットから動かない。
「資料と呼べるものは、ほとんど残っていなかった。だが、その中に一人だけ、名があった」
そこまで言って。
梁が笑った。
御厨がこれまで一度も見たことのない笑みだった。
穏やかでもなければ、皮肉でもない。
獲物を前にした獣のような、剥き出しの笑み。
「柳」
タブレットの中では、白髪の老人が何でもない顔で廊下を歩いている。
「――“武神・柳”」
梁はその姿を睨むように見つめながら、静かに口角を吊り上げた。
「やっとだ」
その声には、これまで抑え込まれていた何かが滲んでいた。
「やっと、相まみえることが出来そうだ」