有り余った魔力と、少しの人見知りと、多めのファザコンで出来ている   作:成れの果て

1 / 1
物語を盛り上げるためのモブの人生、というテーマで書きました。
結果、あまりモブっぽくならなかった。

ハーマイオニーとセドリックはよく出てくるけど、
ハリーやロンはそんなに。
ドラコもちょろっとだけ。


とにかく、オリキャラ父子に力を入れました。


ルイ・クラークとホグワーツ一年目

生まれてから3年、知り合ってから3年

 パタパタ、と黄色い蝶が飛んでいる。それが一人の幼子のまるい目に留まって、その小さな足を裏庭に繋がっている林へと誘った。高く飛んでいる蝶に気を取られるあまり、その子どもは足元を疎かにした。

 

 あともう三歩で、小石にぶつかって転んでしまう。そんな時に、「ルイ」と落ち着いたゆるいテノールの声が、その小さな子どもを呼び止めた。ぴたり、とその子は足を止めて、裏庭から出かけていた足をそっと敷地内に戻す。子どもを呼び止めたのは上背のある、上品なスーツを着た男だった。彼の少し暗くて温かみのある茶色の髪の毛は優しく後に撫で付けられている。唯一、ベルトに木の枝を差していることだけが彼を紳士という言葉から遠ざけていた。

 蝶を追いかけていた時よりも急足で駆けてきたその子のまだ頼りない手を取って、男は家の中へと戻る。子どもを持ち上げてソファーに座らせて、それから男は杖を一振り、ココアを出した。

 温かいココアに浮かぶ小さなマシュマロに、子どもは瞳を輝かせる。ヘーゼルの眼が、自分の顔より少し小さいくらいのコップを目一杯覗き込んで、静電気で浮いたふわふわの栗毛がゆらゆらと左右に揺れた。

 

「熱いから気をつけてゆっくり飲むんだよ」

 

 こくこく、と全身で頷いた子どもは、頬を緩ませて楽しそうにココアに息を吹きかけている。口数が極端に少ないこの子は、別に言葉の意味を理解していないわけではなかった。たまにであれば相槌を打ってくれる上、特段会話を拒否しているわけでもないのだ。だが、その事実こそが男のここ最近の一番の悩みの種だった。

 喋りたがらないのは、私のやり方が間違っていたからではないか。やはり、男手一つで育てるものではないのか。両親がいてこその、家族だからだろうか。そうやって、彼はこの成長途中の子どもを見ながら、物思いに耽ってしまうのだ。

 

「おいしいかい?」

 

 そう聞くと、子どもは頷く。口の周りにココアをつけたその笑顔は、きっと本心からのものだった。出現させたナプキンで口の周りを拭いてやりながら、男はひとまず今晩のメニューを考えることにした。悩んでいたって、悔いていたって、何も変わってくれはしないから、と。それを、男は身に染みて知っていた。

 

「今日の夕ご飯はパンプキンスープとマッシュ、あとバンガーでいいかな?」

 

 バンガー、という言葉にわかりやすく嬉しそうにしたルイの頭を撫でて、男は時計を見た。夕食まではまだ時間に余裕があることを確認して、その足で書斎に向かう。仕事をしてくるよ、ココアを飲み終わったら書斎に来なさい。ルイにそれだけ伝えて、彼はスタスタと二階に上がってしまった。

 

 その背中を、ルイがジッと見つめていたのに気付かずに。男、アルバート・クラーク(愛称ノア)の姿が見えなくなった瞬間、ルイは素早くココアをテーブルに戻し、椅子から飛び降りた。もう一度登るにはこれまた一苦労だが、それよりも大事なことがルイにはあった。

 ぐ、と握り拳を作って、ルイは静かに頷く。父を驚かせるために頑張るんだ、と小さいながらにルイは決心を固めていた。父がいない時間とは、それすなわち秘密の特訓の時間なのだ。

 

 ポケットに詰めていた庭の石を取り出して、ルイは三つほどあるそれを三角形に床に並べた。数歩分距離を取って、ルイはそのふくふくと丸い手を石の方に向けた。彼の言う、"秘密の特訓"というのは石を浮かばせる特訓だった。

 生まれて間もないうちからよく魔力暴走を起こす子どもだったルイは、そのコントロールできない力をどこか疎ましく思っていた。暴れさせてしまった皿が危うく父に衝突しそうになった時など、ショックのあまり、ルイは階段下の物置に閉じこもって半日もの間出てこなかった。

 出てくる頃にはベソをかき続けていた瞼は真っ赤に腫れ上がっており、服の裾が涙でびしょびしょに濡れていた。よくある普通のことだよ、と諭してくれた父に抱きついてまたしばらく泣き、それからルイは決めたのだ。絶対にこの力をコントロールしてみせる、と。父が杖の一振りで使っている力は、自分の持っているものと同じものなはずなので、自分もコントロールできるはずだ、と彼は考えたのだ。

 

 だからルイは手を石にかざして踏ん張っている。できたらきっと父が、あのしなやかで大きな手で撫でて、褒めてくれると思っているから。しかし、いくら浮かべと念じても石はぴくりとも動かない。その現状に不満を感じて、ルイは頬を大きく膨らませて、地団駄を踏んでいた。この程度で根を上げてなるものか、と何度も挑戦するが、結果は同じ。成果は変わらない。

 本来、杖も詠唱もなしに魔法を行使することなど、成人した魔女魔法使いにも中々出来ない芸当なのだが、この子どもはそれを知らないのだ。だから、出来ないことに憤っている。怒っている時にこそ、魔力が暴走してしまうことをすっかり忘れて。そも、それを覚えていても感情のコントロールができるとは限らないのだが。

 

 ルイはすっかり石に夢中だ。小さな3歳にも満たない子ども特有の狭すぎる視野で、彼は目一杯体一杯ものを考えて実践していた。その後ろで浮かび上がった数々のものが今にも飛び回りそうなことも気が付かずに。魔力に当てられた物の中には、ノアが作ったココアもあった。ある程度冷めてきているとは言え、落とせば割れるし浴びたら火傷をするかもしれない。

 ああ、危ない。見ている大人がマグルだったら、きっとそう思っていた。

 

「アレスト・モメンタム!」ノアが、ルイの父がそう唱えた。ルイの背後の物に飛んで行った光線は、見事その動きを止めてみせた。

 

 静かすぎることと、長すぎることに違和感を覚えて、ノアが一階に降りてきていたのだ。その光景を目撃して最初にすることと言えば、もちろん魔法を使うことである。彼はマグルでも、ノーマジでも、スクイブでもなく、ホグワーツを卒業した歴とした魔法使いなのだから。

 そう、通常であれば杖を使い、呪文を唱えることがほとんどなのだ。特に初めて使う呪文であったり、精度が肝心な場面であったりするときは尚更である。

 

 ノアの声が聞こえた時点で、既に何かをやらかしてしまったことに気がついていたルイは、それはもうゆっくりと振り返った。浮かんでいるカップや新聞、花瓶がゆっくりと元の場所に戻っていくのを見てから、ルイはその奥に視線を移した。杖をしまっているノアは、並べられた石の様子や、三年間の経験則から事態を大体把握して、そっとルイに歩み寄る。

 

「魔法が使ってみたかったのかい?」

 

 優しくそう問いかけると、ルイは小さく頷いた。気まずそうに、その目は徐々に伏せられていく。はく、と動かされた口は特に音を発さなかった。弁明したいような、黙っていたいような、そんな気持ちだった。とにかく後ろめたくて、左足がちょっとだけ後に後ずさった。

 

「そうなんだね。ルイ、私はちゃんと、君がわざと危ないことをしようとしたわけじゃないことはわかっているよ。その上で、なんで魔法が使ってみたかったのか聞いてもいいかい?」

 

 しゃがんでルイと目を合わせながら、ノアは優しくそう聞いた。ルイの体の前でもじもじと動かされている小さな指から読み取るに、言うか否か迷っているようだった。

 

「…とと、にすごいねえっていわれたかった」

 

 もにょもにょとそう呟いたルイに、ノアは大きく目を見開いた。む、と口を突き出して不貞腐れている様子はまさに子どもそのものだ。その辿々しい声で紡がれた言葉は、ノアが長らく聞きたかった言葉だ。いや、正直なところ、喋ってくれたらなんでもよかった。ときたま「うん」と相槌を打つだけの声を伝えるために使ってくれただけで。

 

 ノアは、自分勝手なことは百も承知の上で、ずっと、もっと、ルイの声が聞きたかったのだ。親として安心したかったから、それと親として会話をしてみたかったからの二つの理由で。

 

「そうか。じゃあ、一緒に練習しよう。私と一緒の時だけだよ、二人だけの秘密だ。いいね?」

 

「ないしょ?」

 

「ああ、内緒だ。約束できるか?」

 

「うん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もう11歳になってしまった

「ルイ、準備はできたか?」

 

「うん。大丈夫だよ、父さん」

 

 暖炉の前で、父さんは僕に最後の確認をした。それはどちらかと言えば持ち物の確認というよりも、心の準備の方の確認だった。元から独立して暮らしている魔法族が多い中でも、僕たちは”人がいない”とされる地域で暮らしているから。僕は人見知りだし、この立地に困ることはほとんどなかったけど、こうやって出かけるたびにそれ相応の心の準備をしなければならないのは少し面倒だった。もっと都心に住んでたら、人に慣れることもできたのかな。

 

 差し出されたフルーパウダーを摘んで、僕ははっきりとこう発音した。

 

「ダイアゴンアリー」

 

 ボッ、と緑の炎が僕の体を包み込んだ拍子に目をつぶる。次に目を開けたら、そこはきっとダイアゴン横丁だ。ロンドンに住む全ての魔法族御用達、フィフィ・フィズビーからアスフォデルの球根の粉末まで、必要なお金と行くべき店さえ知っていれば大抵の物は揃う便利な商店街。

 きっと失敗していない、大丈夫。と自分に言い聞かせながら、僕は最後にもう一度移動が終わっていることを確認してからそっと目を開いた。

 

 想定していたよりも眩しいその場所に、僕は一瞬顔を顰めた。明るさに目が慣れた頃に見えたのは、案外狭めな通路に、ぎっしりと並んだ店の数々だった。クィディッチ、フクロウ百貨店、J・ピピンの魔法薬店、フローリシュ・アンド・ブロッツ…。覚えているような、覚えていないような。小さい頃の記憶を掘り起こしながらそうやって頭の中で店名を読み上げていると、後から追いついた父が僕の肩に手を置いた。

 振り返った僕の顔についていた煤を拭いながら、父は僕に「先に行きたい店はあるか?」と問いかける。それに首を横に振って答えると、父はそうかと頷いた。

 

「じゃあ、まずは制服を繕ってもらおうか」

 

 そう言っていつものように僕を先導して歩き出した父の後ろにピッタリくっついて、僕は石畳の上を歩いていった。新しく買ったばかりの靴で踏む地面は、なんだか新鮮な心地がする。カツカツ、という音が僕の気分をじんわりと良くしてくれた。

 

「さあ、マダムに採寸してもらいなさい。私はその間、グリンゴッツ銀行に寄っているよ。いいね?」

 

 またもや、頷いて返事をする。よろしい、と言いながら僕の頭をポンと撫でて、父はそのままグリンゴッツ銀行の方へと歩いて行った。人混みに紛れてその姿が見えなくなったあたりで僕は自分が店員と話さなければならない事態になっていることに気がついた。うっかりしてた、どうしよう、と頭の中でぐるぐると思考が回る。ああっと、ええっと、とどうにか打開策を探そうとしている時に、誰かが僕の肩を叩いた。

 驚いて振り返ると、そこにはなんだか人の良さそうな年上のお兄さんが立っていた。彼は困ったように頬をかきながら、僕を見ている。

 

「ごめん、店に入ってもいいかな?僕もここに用があるんだ」

 

「あ、その、ごめんなさい」

 

 消え入るような声で、そう呟く。知らない人にいきなり話しかけられたのも、自分で言葉を返したのも、随分と久しぶりな気がする。

 

「ああ、いや、君を責めるつもりはないんだよ。店に入るのに緊張していたのかい?僕で良ければ一緒に入るけど」

 

 ニコリ、と温かい笑みを浮かべて、お兄さんは僕にそう提案してくれた。とてもとても申し訳ないし、それにこのお兄さんだって多分いい人だけど知らない人だし、と僕の心には遠慮する心がたくさんあったが、提案を断れるほどの神経の図太さを僕は持ち合わせていなかった。僕がオロオロと視線を右往左往させているうちに、このお兄さんは「迷惑じゃなければ、だけど」と付け加えた。

 完璧に塞がれてしまった逃げ道に、僕は人見知りなりの精一杯を振り絞って「ありがとう、お願いします」とだけ言った。

 小さくて丸い感じの気のいい女性(このお兄さんにはマダムと呼ばれていた)に促されて、僕は採寸台の上に立たされた。場所はさっきのお兄さんの隣。店員さんが気を利かせてくれた、らしい。

 

「君、ホグワーツの新入生だろう?来年度からの」

 

 こくり、と頷いてから、僕はそれが失礼になってしまうかもしれないことに気がついた。答えないって言うのは、やっぱり良くない。この機会に克服するべきなのかな。そうやってあくせく考え事をしている僕をよそに、お兄さんは特に気にした様子もなく話を続けた。

 

「僕は来年で3年生になるんだ。君の先輩に当たるよ。…あ、まだ自己紹介をしていなかったね。僕はセドリック・ディゴリー。ハッフルパフ寮所属だ」

 

「ああ、ハッフルパフはわかるかい?ホグワーツにある四つの寮のうちの一つで、穴熊寮とも呼ばれている」

 

 そうなんですね、と僕は心の中だけで相槌を打った。口に出す勇気は到底なかったのだ。僕はきっとマーリンの手にかかってもグリフィンドールには入れない。スリザリンもだ。レイブンクローもきっと無理。それならもちろん、ハッフルパフにだって…。

 

「君の名前を聞いてもいいかい?せっかくの機会だし、交流を続けられたら嬉しいんだけど…」

 

「ルイ・クラーク…。よ、ろしく」

 

「ルイ、いい名前だな。僕のことはセドリックって呼んでくれ」

 

 親交の証に差し出された手と握手を交わして、その時ようやく、僕はセドリックの目を見ることができた。彼の灰色の瞳は、月光を反射させた鏡みたいだった。つまり、綺麗だったのだ。

 

「セドリック、僕その、喋るの得意じゃないんだ。でも、あの、仲良くしたいと、思ってる」

 

「そう思ってくれてるだけで十分だよ、君の気持ちは伝わってる」

 

 思えば人と目を合わせて喋るのも案外いいものかもしれないと思わせてくれたのは他でもないセドリックだったな、と将来の僕はこの日のことを振り返ることになるのだが、僕はまだそれを知らない。

 

「ミスタークラーク、それにミスターディゴリー。採寸が終わりましたよ。丈を合わせておくから、後で受け取りにいらしてちょうだいね。代金は今いただいちゃってもいいかしら?」

 

「ああ、はい。それで構いませんよ。ルイもそれで大丈夫か?」

 

「えっと…、うん。それでお願いします」

 

 手持ちの財布の中身が足りることをきちんと確認してから、ルイは返事をした。父からもらって貯めていたお小遣いのほとんどがなくなっちゃうけど、多分あとで返してくれるし、大丈夫なはず。そんな算段をつけていると、店の入り口が開いて、用事を終わらせたらしい父が入ってきた。

 

「ルイ、一人で大丈夫だったか?」

 

「ひとりじゃなかったから、大丈夫。あの、セドリックが…」

 

「セドリック?」

 

 僕が知らない人の名前を出したことに驚いたらしく、父は珍しく眉を上げていた。そこに代金を払い終えたらしいセドリックがやってきて、色々事情を話してくれた。家だったらもっと喋れるのに、外に出ると父さん相手でも言葉が出てこなくなるのって、本当になんでなんだろう。

 

「君がディゴリー家の一人息子の…、噂は予々。とても優秀だと聞いているよ。息子を助けてくれてありがとう」

 

「いえ、お礼を言われるようなことは何も。僕はただ、後輩と親睦を深めただけですから。そうだろ?ルイ」

 

「あ、うん。えっと、でもありがとう」

 

「ははっ、ああ、どういたしまして」

 

 ニコリ、とセドリックは笑った。彼の笑顔はいつも同じ形をしている。温かくて、それで、僕の背中を押してくれるような、そんな形だ。

 支払いを済ませたあと、僕たちは手を振って別れた。別れ際の「また学校で」というセドリックの一言が、僕のホグワーツ入学が本当に起こることなんだって実感を、僕の中に生み出した。

 

「次は、どの店に行くとしようか」父が僕にそう聞いた。

 

「オリバンダーの店がいい」

 

 僕がそうやって行きたい場所を言ったのは、もしかしたら人生で初めてのことだったかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

First wand, your wand

 隣で細い栗毛が風に吹かれてふわふわと揺れている。小さい頃よりも、色は少し暗くなったかもしれない。

 

「僕のは、どんな杖かな」ルイが小さく呟いた。

 

 常であれば私の後ろにピッタリ立って逸れないように歩くルイは、今、私の隣に立っていた。店に辿り着き、入り口の前に立っていると、ルイが私の服の裾を掴んだ。

 

「ちゃんと杖を見つけられるかな」

 

 不安そうな声だった。強張った表情からも縋り付くような仕草からもルイが心配に駆られているのは簡単にわかったが、私はまさかこうやって口にしてくれるなど思ってもみなかった。こんなことはここ数年で何回あったことだろう。先程のセドリックくんとの出会いが、少しだけこの子を前向きにしてくれたのかもしれない。

 この子のまだ幼さの残る顔を見ているだけで、じんわりとした何かが胸の中をいっぱいに満たしていく。

 

「ここは魔法界随一の杖作りの店だよ。ルイにピッタリなものを見繕ってくれる、心配することはない」

 

 こくり、とルイは頷いた。その頭を撫でつけると、息子はくすぐったそうに目を細める。ドアを開けてオリバンダーへの入店を促すと、ルイは少しだけ躊躇って、それからゆっくり中へと足を踏み入れた。

 

「ギャリック、ギャリック。息子を連れてきた」

 

 杖の不調を診てもらって以来続いている手紙でのやり取りで予め日時を伝えていたとは言え、ギャリック・オリバンダーという職人気質の人は入り口でいまかいまかと来店を待ち侘びるような人ではなかった。奥で作業に取り掛かっていたらしい彼が、梯子をガタガタ揺れしながらカウンターの方へと戻ってくる。

 

「ああ、ノア。アルバート!随分と久しぶりの再会だ、手紙の通り息災だったらしい」

 

「ギャリック、あなたこそまだまだ健在のようで何よりだよ」

 

 ぐ、っと硬い握手を交わして再会を喜んでいると、ギャリックの視線が思い出したように私の横のルイに向かった。

 

「君が、ミスタールイだね。ミスタールイ・クラーク…。アルバート・クラークの息子」

 

「は、はい」

 

 上擦った声で、息子は答えた。伸びてくる巻き尺がその杖腕を計りとっている間にも、ギャリックは慎重にじっくりと私の息子を見定めている。

 

「ユニコーン…。ユニコーンの芯がいい。あなたのお父上と同じだ」

 

「ああ、そう、これだ。繊細な君に、繊細な杖。きっといい組み合わせになるだろう。さあ、握って」

 

 少し強引に、職人の顔をしたギャリックがルイに杖を持たせた。材質はクリ、11インチ、しならない、芯はユニコーンの毛。これが記念すべき一本目の杖になるのだろうか、と私も固唾を飲んで見守った。

 ギャリックに振ることを促されても、ルイの視線は杖と私の間を行ったり来たりしている。伺うような顔にゆっくり頷きを返すと、息子は覚悟を決めて杖を振った。

 飛び出たのは赤い閃光。その先にあった紙の束を散り散りにしてしまった。さあ、と顔を青ざめさせた息子の肩に手を置いてから軽く杖を振って店を元に戻した。

 

「この店のものは全て壊されたことはある、1000はくだらない回数をね」

 

 そう言って気に病まないよう息子に言い聞かせている間にも、ギャリックは杖に夢中だ。

 

「ほう、どうやら、強すぎる。ふむ、ではどうだろう。イングリッシュオーク…、いいや違う。ナナカマド 、ニレ……」

 

 息子の手から杖をひったくったギャリックは、そのままぶつぶつと呟きながら棚の箱を引っ張り出しては「違う」と言って元に戻し、そのまま店の奥の方へ消えていってしまった。

 店主に放置されてしまった私とルイは顔を見合わせた。私が「いつものことなんだ」とルイに言うと、ルイは安心したような困ったような、そんな笑顔を浮かべた。

 

「わかった。間違いない。これだ。この杖だ」

 

 随分と古い箱を手に戻ってきたギャリックは、慎重にその箱を開けると、カウンターの上に置いた。取り出された杖は素人目から見てしまえば先程のものとなんら変わりない。しかし、これを言ってしまえば五時間は拘束されて、杖の素晴らしさを言って聞かされるだろう。ギャリックは杖を愛し、そのために生涯を捧げてきた人なのだ。

 

「私が手がけてきた杖の中でも変わり者でな、アメリカで手に入れた芯を使っている。ロンドンではちと、珍しい」

 

「ハシバミ、11.5インチ、非常にしなやかで振りやすい。そして芯は、サンダーバードの尾羽根。さあ、手にとって。振ってみるんだ。全てを解放するような気持ちで思い切りよく振るんだよ」

 

 一つ目のクリの杖と違い、特に躊躇うことなく杖を振り下ろしたルイはその後鳴り響いた雷鳴に驚いて杖を手放した。店の天井が雷雲で覆われ、ゴロゴロと鳴っている。ルイは私の背中の後ろに隠れて手放してしまった杖が床を転がっていくのを見ていた。

 

「おお、素晴らしい。これだ、この杖だよ。慣れるには時間が必要かもしれないが、ああ。この杖に間違いない」

 

 杖を拾い上げて箱に戻したギャリックは随分と誇らしげだ。箱をルイに押し付けてその杖の特徴を語り始めたギャリックを支払いの話で静止して、私は穏やかな気持ちで店を出た。ルイは本当に大丈夫なのか、と問いかけてくるような目で私を見ているが、ギャリックの見る目に間違いはないのだ。

 

「大丈夫。きっと慣れる。その杖を使いこなせるようになる頃には、ルイも立派な魔法使いになっているよ」

 

「うん…」

 

 その日はそのまま納得のいかない顔で杖の箱を抱えた息子を連れ回って、学用品を揃えた。暖炉で飛んで帰る頃には、ルイはすっかり沈んでいた。もしも話が頭から離れないんだなということは想像に容易かった。

 

「ルイ。おいで、魔法の練習をしよう。自分だけの杖に早く慣れるためにもね」

 

「ねえ、父さん。もし僕が魔法をうまく使えなくて、ホグワーツでもどの寮にもふさわしくないって言われたらどうしよう」

 

「その時は、この家に戻っておいで。ある程度であれば、私がルイに魔法を教えることもできる。魔法を使うのが嫌だと言うなら、そうだね、一緒にマグルのところで暮らそうか。大丈夫、ホグワーツに行けなくとも、魔法が使えなくとも、君は私の息子だよ」

 

 頬を両手で包み込んで、「いいね?」と言い聞かせるように言うと、ルイはゆっくり瞬いて目尻を緩ませた。その瞳を濁らせていた不安は、一通りなくなってくれたらしいことに安堵して、私は胸を撫で下ろす。繊細なこの子は、よくこうやって沢山の悩みを抱え込んでしまう。教えてくれるようになっただけ大きな進歩ではあるが、それでもいつか抱え込みすぎてしまわないか心配せずにはいられないのが親心というものだろう。

 

「わかった、父さん。僕、がんばるね」

 

 そう答えた我が子に、私は果たして本当に理解しているのだろうかと思わずにはいられない。私にはちゃんと伝わっているよう、願うことしかできない。この子の心は、この子だけのものなのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

荒波に揉まれた日

 その日は父さんと手を繋いで家を出た。もう11歳で、そんな年じゃないのは知っていたけど、少しだけ、最後のちょっとだけだから、と握っていてもらったんだ。煉瓦の壁を通り抜ける時も、忘れ物の確認をする時も、ずっと。

 もうそろそろ発車時刻だよ、と父が切り出した時、僕はうまく手を話せなかった。

 

 なんて言えばいいかわからないけど、なんだか汽車が大きく見えて、その綺麗な赤が凶暴で獰猛な色に見えて、これから学舎を共にする生徒たちの表情が全然読み取れなくなったんだ。それに気がついてくれたのか、父さんのきまぐれだったのかわからないけど、父さんは僕の顔をその大きな手で包んで、大丈夫と力強く言ってくれた。初めて杖を手にしたあの日と同じように。

 

「いってらっしゃい。ウィンターホリデーにまた会おう」

 

 僕をぎゅっと抱きしめて、最後にくしゃくしゃと頭を撫でてから父さんはそう言った。今日、僕は初めて父さんのいないところで寝ることになる。同じ家にいたんだ、ずっと。だから、だから寂しくて。

 僕は体当たりするみたいに父さんに抱きついて、最後に「いってきます」ってゆっくりゆっくり言って、汽車に乗った。最後に押してもらった背中に、父さんの温かい手のひらが残っている。ドアについている窓から身を乗り出して、僕は見えなくなるまで父さんに手を振り続けた。3年生にもなれば、「じゃあまたウィンターホリデーに」なんて簡素なお別れをして、一人で家を出て、一人で汽車に乗れるようになるんだけど、それはまだ遠い未来の話だった。まだ11歳の僕にとって、13歳の僕なんてものは、全く想像のつかない未知の存在なんだ。

 

 そうして父さんの姿が見えなくなってお別れの時間も終わり、僕は自分の荷物を引きずってコンパートメント探しの旅に出た。歩けど、歩けど、どこもいっぱい。あの時の絶望感を、僕はきっと忘れることができないだろう。さっそく学校生活の危機が訪れたような、そんなどんよりぐらぐらした気持ちを抱えながら僕は列車内を歩いた。とても甘えた子どもだった僕は、もう早速父さんに泣きつきたい気持ちでいっぱいだった。親離れができていないとこの後学校で笑われることになるけど、それはごもっともだった。

 トボトボ歩いていると、ふいに後ろから肩を叩かれる。なんだか見覚えのある出来事だ。

 

「やあ、ルイ。また会えたね。僕のことは覚えているかい?」

 

 それもそのはず、そこにいたのは在校生で唯一顔見知りのセドリック・ディゴリーだったのだから。

 

「せ、セドリック!セドリックだ!」

 

 僕は思わず声を上げて喜んでしまった。知らない人ばかりの中で、かろうじてでも知っている人が現れたのだ。人見知りがすぎる僕にとって、それはこれ以上ない安心感をもたらしてくれる出来事だった。その後もセドリックは僕の荷物の量からコンパートメントを探していたことを察して、場所を空けてくれたり、といたれりつくせりで。僕の中でセドリックは早、”最も優しい同年代の人”に認定されていた。

 凄まじい速度で僕の心を掌握したこの好青年は、僕のことを後輩としてかなりかわいがってくれていた。だから、これは当たり前の結果だったと言って差し支えないかもしれない。

 その時の僕は、セドリックが口に入れてくれたチョコレートを食べながら、ようやく安寧を手に入れられたと張っていた気をすっかり緩めていた。セドリックにあれこれ世話を焼かれていることにも気がついていなかったし、セドリックが仲のいい後輩ができたとはしゃいでいることにも気がついていなかった。

 

 列車到着の時刻が近づくと、セドリックは僕に着替えた方がいいと声をかけてくれた。急いでぶかぶかのローブに着替えて、僕が元々着ていた服をトランクに全て詰め込み終わる頃にはもうホグズミード駅が窓から見えていた。

 

「ほら、ルイ。一年生が呼ばれてるよ。あそこの大きな人が見えるだろう?森番のハグリッドだ、彼についていけばあとは大丈夫だから」

 

「わ、わかった。ありがとう、セドリック。今度お礼を、その、しに行くね」

 

「そんなことしなくていいよ。代わりにこれからも僕と仲良くしてくれ」

 

「も、もちろん。ありがとう」

 

 僕の肩にポン、と手を置いてから、セドリックは2年生以降が使うという馬車乗り場の方へと向かっていった。僕の方はこの当時怖くてたまらなかった大きなハグリッドの訛った声に耳を澄ませて、どうにかボート乗り場へと歩みを進める。

 僕の周りの、僕より少しばかり大きな同級生たちは、みんな目を輝かせて遠く遠くに見えているホグワーツ城を眺めていた。僕は前にいる人の足を踏んでしまわないよう気をつけるのに精一杯で、顔をあげることすらできなかったけど。でも、一瞬ちらっと視界に入ったお城は、確かにすごく立派で、みんなが呆気に取られる気持ちも少しはわかる気がした。

 そうしてようやく辿り着いた乗り場でなぜか僕だけが溢れてしまって、なぜか僕だけがハグリッドと同じ船に乗ることになる。一人で乗ると危ないからこっちに乗れ、というハグリッドの優しい気遣いがこの時ばかりは痛かった。だって大きくて怖いのだ。びっくりしてしまう。

 

 波の影響でそこそこ揺れるボートの中で落ちませんようにと祈りながら椅子のへりを掴んでいると、ハグリッドがこれからの儀式がどれだけ神聖で、それでいてダンブルドア校長がどれだけすごいのかを語り始めた。相槌を打って話を聞いているうちに、船着場っぽい大きな建物に近づいていく。

 船が足場にぶつかって、グオンと揺れると、ハグリッドは満足げに頷いた。

 

「さあ、お前さんたち。着いたぞ。落ちねえようにな」

 

「は、はい。ありがとうござい、ございます」

 

 ハグリッドに遅れないようにと促されて、僕は船からそーっと降りた。わらわらと同じく船から降りてきた他の新入生はみんな楽しくお喋りに乗じていて、僕はああ出遅れたんだなと一人で思うことしかできなかった。

 一人静かにみんなの話を聞き流しているうちに人波に押されて、押し出されて、僕は気付けば一年生たちの塊の前の方に位置していた。白っぽい金髪の人が何やらメガネの人に話しかけてたけど、僕にはそれがうまく聞き取れなかった。でも、少なからず騒ぎにはなっていたらしい。ホグワーツの壮大さに呆気に取られて少し静かになっていた同級生たちも、それを機にまたざわざわと話し始めた。僕たちの前に先生、年配の魔女が立っていることにも気が付かずに。

 

「静かに。一年生の皆さんにはこれから厳正なる組分けの儀式を受けていただきます。皆さん列を乱さず、静かに___」

 

「トレバース!」

 

 先生の話を遮って、気の弱そうな男の子が飛び出した。その手にはガマガエルが捕まえられている。今時カエル?と囁く声が後ろから聞こえてきたけど、その子には聞こえてないみたい。トレバースが見つかってよかった、と隣の女の子に話しかけている。

 

「…静かに、着いてくるように」

 

 とんがり帽子を被った緑色の先生は一年生全員を振り返りながらそう言って、スタスタと歩き始めた。その歩幅はあまり広くなくて、いつも通りの速度で歩いてもそのまま着いていけるくらいのものだった。ローブが長いとやっぱり歩きづらいんだろう。

 大広間のドアが一人でに開いて、上級生たちが一斉に僕たちの方を向く。今年入学するのはとコソコソ噂している人とか、うちの寮に一番多く入ってくれと願っている人とか、沢山の人がそれぞれ少しずつ違うことを考えながら僕たちを見ている。その視線のいくつかはなんだか居心地が悪い。僕が見られ慣れていないからだと思うけど。

 周りの同級生がわあ、と声を上げたのを聞いて、僕は何事かと顔を上げた。古い丸椅子に、古い帽子が乗せられている。その帽子は、歌うように喋った。多分、四寮の紹介をしてくれているのだと思う。帽子が喋った!すごいよ!とはしゃいでいる隣の子の声にかき消されてほとんど聞き取れなかったけど。

 

 歌い終わった古びた帽子に上級生が拍手を送る。それに便乗するように、僕たち新一年生も何人かが拍手を送った。どこがいい?と話し合ってい始めた隣の子たちの声をどうにか避けながら、僕は緑のローブの先生がなんと言っているのかを聞き取ろうと頑張っていた。組分けが始まる、らしいことだけはわかった。

 

 グリフィンドール、ハッフルパフ、レイブンクロー、スリザリン。その四つの寮のどこにも入れることができない、なんてことを言われてしまったらどうしよう。静かさを取り戻した大広間で、なんだか僕一人だけが不安に駆られているような気がした。期待に溢れた同級生たちの目は、僕には少し眩しく見える。

 

「名前を読み上げますので、呼ばれたらここに座ってください」

 

 緑の魔女が、厳正な雰囲気を保ったままそう言った。その手には、とても長い羊皮紙があって、多分そこに僕たちの名前がリスト化されているんだと思う。

 

 最初に呼ばれたのは、アボット・ハンナ。多分、ラストネームの後にファーストネームの順番だ。呼ばれてすぐに飛び出て椅子に座った彼女は、組分け帽子を被って間もないうちにハッフルパフへと組み分けられた。次いでボーンズ・スーザン。彼女もハッフルパフだった。

 きっと緊張するんだろうなぁ、となんだか他人事のように思っていた時に、僕は気がついてしまう。ボーンズはBで、クラークはCだから…。

 

「クラーク・ルイ!」

 

 次は僕の番だ。

 

 緑の魔女が、確かに僕を呼ぶ。びくり、と自分の肩が大袈裟に跳ねたのを感じた。早く行かないと、と逸る気持ちをよそに、目の前には二人の生徒によって僕の体は阻まれている。ごめん、その、ちょっと、とどうにか声を絞り出して、その二人組の間を通り抜ける。

 

 急足で駆け寄って椅子に腰掛け、どうにか落ち着ける位置を探していると頭の上の重さが増した。

 

「君は……」

 

 頭の上で、帽子が動く感覚がする。口がついているから、喋るとその振動が直に伝わってくるみたい。首があっちこっちに引っ張られている感覚がすごく嫌で、僕はこの組分けが早く終わることを心の底から願っていた。

 

 すると、頭の中に声が響く。

 

〈ふうむ、とても慎重だが、狡猾ではない。勇気がないわけではないが、それで溢れているわけでもない。学ぶ意欲は、そこそこある〉

 

 褒め言葉ではないような気がするコメントが、つらつら僕の中に並び立てられた。あれもそこそこ、これもそこそこ、と帽子は僕の頭の中で言い続けている。そこそこしかないって大丈夫かな、やっていけるかな。そんな不安を心の中で渦巻かせているとその声は僕に問いかけた。

 

〈どこに行っても、そこそこ上手くやっていけるだろう。大成したいのであれば、グリフィンドールに飛び込んでみるのもいい。君に、希望はあるかな?〉

 

 そんなこと聞かれてもわからないよ、と一瞬思ったけど、その後すぐに僕はセドリックの話を思い出した。

 

____ハッフルパフはわかるかい?ホグワーツにある四つの寮のうちの一つで、穴熊寮とも呼ばれている。

 

 そう言った時の、彼の誇らしそうな表情が鮮明に脳裏に浮かんだ。それで気付けば、僕は心の中でこう念じていた。ハッフルパフがいい、と。

 

「よかろう。では、ハッフルパフ!!!!」

 

 帽子が大々的に叫び、三連続だ!と先輩の誰かが声を上げた。ドッときた開放感に目を回しながら、ゆっくりと黄色いテーブルに向かっていると、見知った瞳と目が合った。いつも通りの笑顔で手招いてくれる方へと足を進め、僕は彼の隣に座った。

 

「組分けお疲れ様、ルイ。ようこそ、ハッフルパフへ」

 

 黒いとんがり帽子を被ったセドリックがそう言って僕に手を差し出した。握手を交わした瞬間に、自分が実は緊張で手汗をかいていたことに気がついて、慌てて手を取り下げたりなど色々あったけど、とりあえず僕はハッフルパフに身を落ち着けることができた。

 

 そうやって僕が心を落ち着けている間にも続々と流れるように読み上げられていくのは、これから同じ学年で共に励んでいく仲間。仲間とは呼んでも、父さんがそう言っていただけで僕にはまだ全く実感が湧いていない。授業を受けているうちに仲良くなれたらいいけど、と僕は思っていた。同年代との関わりが薄すぎて、上手く行く自信は微塵もなかったけど、それでも仲良くなってみたかった。

 セドリックみたいな人とともだちになれるのであれば、僕にも話しかけてみようという勇気が少しだけ生まれるんだ。まあ、生まれるのはほんの少しだけで、それで僕が変われるとか、そういうわけではないんだけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

羽とマッチと箒と握手

 ホグワーツ初日の夜が終わって、僕たちハッフルパフの新入生は冷めやぬ興奮を抱えたまま最初の授業に挑んだ。しかし、ここで抱えていた興奮の大部分であった”派手な魔法を練習する”という大多数の期待は、手酷く裏切られた。基礎を積み上げるだけの授業が幕を開けたのだ。最初が呪文学で、その次は変身術。その次の日は闇の魔術に対する防衛術、それから薬草学。

 しばらくそんな感じのカリキュラムで日々を過ごしていれば、あっという間に一週間が過ぎ去っていた。今日の午後には、初めての飛行訓練の日だ。午前には二回目の呪文学と変身術もある。

 お昼ご飯は食べ過ぎないように、とスプラウト先生が何人かの生徒に釘を刺しているのを横目で見ながら、僕は黙々とご飯を食べた。喋る相手はいない。セドリックのことは寮でも大広間でも見かけなかったし、残念ながら僕はまだ他の友だちを作れていない。

 

 周りの人たちがそれぞれ羽を片手にどんどん席を埋めていくのを眺めていると、空席はもう一つしか残っていなかった。先生のすぐそば、一番前の少し眩しい席だった。窓から入ってくる太陽の光がビカビカと光って鬱陶しいけど、カーテンを閉めて欲しいとお願いする必要に駆られるほどじゃなかった。教科書も読めないし、羽もほとんど発光しているけど、きっと多分どうにかなる、と僕は自分を説得した。

 

 教科書なら昨日読んだし、浮遊の呪文なら父さんと練習したことがあったから。

 

 沢山積み上がった本の上に立ったフリットウィック先生が、「えー、おほん」と咳払いをしてみんなの注目を集めた。羽を手に持ったままのものや、本から顔を上げないもの、ヒソヒソと会話を続ける人など、反応は様々だったけど、あらかた静かになったらあたりで、先生は構わず話し始めることにしたみたいだった。

 

「魔法使いの最も基本的な技術である浮遊の術、すなわち物を浮かせて飛ばすこと。今日は、皆さんにそれを練習してもらおうと思います。皆さん、羽は持って来ましたか?」

 

 先生に聞かれた途端、周りのみんなは黙り込む。だけど、机の上の様子から察するに、多分忘れ物をした人はいないんだと思う。先生は一人満足そうにうんうん、と頷いて、また続きを話し始めた。

 

「では、早速始めましょう。杖の動きは復習してきましたか?前回言ったように、ビューン、ヒョイですよ。さあ、手首の動きを」

 

 びゅーん、ひょい。何人かはそう口にしたし、何人かはしなかった。その杖の動きは、父さんの杖を貸してもらってこの呪文を練習した日のことを思い出させる。まだ、僕が3歳くらいだった頃のこと。父さんが秘密の特訓だ、と言って僕に魔法を使わせてくれたんだ。なんでそうなったのかは覚えてないけど、でもとても特別な記憶。

 あの日以降、父さんは毎週一回は呪文の練習に付き合ってくれた。覚えた沢山の初歩的な魔法を、僕は頭の中に並べ立てた。きっといっぱいあるだろう。一週間に一個は覚えられなかったけど、1ヶ月で一つや二つは覚えられたはずだから。

 

「では、やってみましょうか。ああ、それと、発音には気をつけて。ウィンガーディアム・レヴィオーサ、ですからね」

 

 優しい笑顔を浮かべて、フリットウィック先生は言う。待ってましたと言わんばかりに「ウィンガーディアム・レヴィオーサ」と唱える声が教室の中で無数にこだました。光を乱反射して、うまく形が捉えられない自分の羽に薄目を向けて、僕も唱える。

 

「ウィンガーディアム・レヴィオーサ」

 

 しかし不思議なことに、羽は浮かない。もう習得したはずの呪文が使えないことに焦りを覚えて、僕は思わずありったけの魔力を杖に込めてしまった。ウィンガーデイアム・レヴィオーサ。少し語気を強めてそう繰り返す。

 しかし、羽は動かない。なぜだ?と首を傾げていると、「ミスタークラーク」という先生の声が僕を止めた。

 

「本を浮かせているのはあなたですね?一度呪文を止めなさい。力みすぎて沢山のものを浮かばせてしまったんですね」

 

 そう言われて、周りに目を向ける。僕の周りに座っていた人の持ち物が余すことなく浮かんでいた。みんなの訝しげな視線が体に突き刺さる。慌てて杖先を下に向けると、それらの物は元の場所に戻った。

 ごめんなさい、とみんなにも、先生にも聞こえるように謝った。しかし、同級生は別としても、フリットウィック先生の表情には一切の怒りが含まれていない。

 それになんだか肩透かしを食らったような気持ちでいると、先生は笑顔でこう続けた。

 

「それでも、まだ日も浅い中成功させられたのは素晴らしい。ハッフルパフに5点」

 

 その言葉に、「これで加点?」と誰かが呟いたのが聞こえた。多分、レイブンクローの生徒だ。点数に跳ねた僕の心を、その一言が嗜めた。潜められた話し声や、教科書を僕から遠ざけた同級生を見て、僕の気分はどんどん萎んでいく。なんだか沢山の人に見られている気がして、僕は視線を俯かせた。

 授業が終わるまで、ずっとそうしていた。

 

 

 

 

 

 

 一時間ごとに時間を知らせてくれるベルが鳴ったのを聞いて素早く荷物をまとめると、僕は早足で次の教室に向かった。変身術と呪文学の教科書を抱え込んで、大きいローブを少しだけ引きずりながら。

 

「___ク、ミスター!ルイ・クラーク!」

 

 人目も憚らずにスタスタと歩いていた僕を、後ろから女の子の声が呼び止めた。

 

「ミスター・クラーク。良かった、ようやく足を止めてくれたわ。私、聞きたいことがあったの。今いいかしら?」

 

「き、聞きたいこと?僕に?」

 

「ええ、そうよ。私はハーマイオニー・グレンジャー。グリフィンドールの、あなたと同じ一年生。さっきの呪文学のことで聞きたいことがあるの」

 

「浮遊呪文のこと?それなら僕よりも、羽をきちんと浮かせられていた人に聞いた方が…」

 

「あら、私も羽を浮かせることくらいならできるわ。見ていなかったの?先生に点もいただいたのよ。ただ、複数の物を同時に浮かせることができなくて。それのコツを教えてくださらない?得意なんでしょう?あんなに沢山の本を浮かせていたんだから」

 

 早口で、ミスグレンジャーは捲し立てた。とても勉強に熱心なのか、その教科書は何度も読み込まれたようにくたびれている。まだ新品同様の僕の教科書とはずいぶん佇まいが異なる。

 

「…本に、書いてないの?」

 

 恐る恐る、そう聞いた。利発そうで、弁が立ちそうなミスグレンジャーに、僕が何かを教えられる気がしなかったから。

 

「読んだわよ。でもさっぱり。感覚論しか書かれていないの。気持ちを文字で教えられたって困るわ。ね、だから教えてくれないかしら」

 

 ふさふさの茶髪と、ギラギラした茶色の目が目の前まで迫り来る。教科書で顔を隠して、僕はどうにかその視線を避けた。

 

「父さんの受け売りでいいなら、教えてあげれる、けど」

 

「それでも構わないわ。教えてちょうだい」

 

「えっと、その、ふ、『浮遊呪文に必要なのは抜群の集中ではなくて、若干の集中だよ』って、父さんは…」

 

「若干…?若干、若干の集中ね。わかったわ、寮に戻ったら試してみる。ありがとう、ルイ。じゃあね」

 

 満足げに頷いてから、ミスグレンジャーは早足で去っていった。

 

 唖然とそれを見つめてしばらく。僕はハッと気がついて、ポケットの中に大事にしまってある借り物の時計を確認した。もう授業開始まで4分も残されていない。

 貸してくれてありがとう、父さん。と内心で父さんに時計の礼をしながら、僕は廊下を全力で走り抜けた。教室に着く頃にはすっかり息が切れていたけど、時間はギリギリ1分前。間に合いはしたけど、この時間になってようやく来るなんて、と目をつけられそうだ。

 

 急いで入り口近くの空いている席に着席した瞬間、マクゴナガル先生が立ち上がって、教室の中央まで歩いた。

 

「皆さん、授業を始めますよ」

 

 メガネを外しながら、マクゴナガル先生はそう告げる。寮同士の交流も兼ねて、大体二寮ほどごちゃ混ぜになっているその教室で、生徒たちは全員黙って静かに席に座っていた。先ほどとの授業とは打って変わって、お喋りの一つも行われていなかった。

 

「本日は、初めての実技を行いますので、再度忠告を。変身術はこの分野を専門としている魔法使いでさえ、失敗することがある非常に難易度の高い学問です。正確な発音に、正確な杖の振り方、そして正しい理論の理解が、”大変”重要視されます」

 

 魔法で僕たちに一つずつマッチ棒を配りながら、マクゴナガル先生は淡々と説明した。

 

「私の授業で杖を振り回すような真似をする生徒がいた場合、即刻退場してもらい、二度とこの教室に出入りできないように手配させていただきます。いいですね?冷静に、着実に、変身術を学んでください」

 

 変身術への入門という本の最初の数ページを復習も兼ねて一斉に読んだ後、先生はマッチ棒を針に変えるよう指示を出した。念じて、想像して、杖を振る。マッチに火をつけてしまったり、色を銀色に変えるところまではできたり、と結果はやっぱりそれぞれだ。

 

 全員が同じように同じことができる、なんてことはないらしい。ホグワーツに来てから初めて知ったことだった。比べる機会なんてなかったから。

 縫い物用の針をじっくり細部に至るまで頭の中に思い描いて、僕はマッチ棒に変身術をかけた。シュルシュル、とそれは形を変えて、きちんと僕が想定していたものになった。サイズ以外は。

 

「ミスタークラーク、その調子ですよ。サイズも思い浮かべてからもう一度取り組んでみなさい」

 

 通りすがりのマクゴナガル先生が、そんなコメントを残してくれる。一言ずつ、言って回っているらしい。そのかいあってか、最初は苦戦していた生徒も徐々にコツを掴み始めていた。周囲をキョロキョロと見回して、僕は自分も頑張らなきゃ、とまたマッチ棒に向かった。

 最終的に、僕はマッチ棒を完璧な針にすることができた。多分、かなり最後の方だったと思う。課題を終わらせた生徒たちは追加で教科書に目を通すように命じられてふてくされていた。どうせ終わらなかった人は持ち帰って寮で読まないといけないんだし、ずるいとか不公平だとかそういう感じではないような気がした。とてもそれを言い出す気にはなれなかったけど。共感を得られる相手すら、僕にはいないのだ。

 

 やがて授業終了のチャイムがなって、生徒たちがみんなお昼ご飯へと駆けていくのを見送ってから、僕はマクゴナガル先生の執務机の前まで行った。

 

「何かありましたか、ミスタークラーク」

 

「あの、練習用にマッチ棒を持って帰ってもいいですか?」

 

「熱心なのは良いことです。持っていきなさい」

 

「ありがとうございます」

 

 頭を下げてマッチ箱を受け取り、僕は忘れ物がないのを確認してから教室を去った。

 

 一度寮に戻って荷物を片付けてから昼ご飯を食べると決めて、僕は地下に向かう。樽をコン、コン、コンコンコンと慣れないリズムで叩けば扉は開かれる。酢をかけられなくてよかった、と思いながら自分の寮に立ち入った。

 秘密基地みたいな形をしているこの寮の色合いは、温かいもので統一されていた。木の肌の温もりを感じながら丸い扉の一つを潜ってしばらく廊下を進むと自室に出る。四つのあるベッドのうち、奥側の左寄りのが僕のだ。残念ながら、右隣の子とも、左隣の子ともまともな会話をすることはできていない。左の子はすごく物静かだったし、右の子はそのまた右の子と話すのに忙しかったからだ。寝る前におやすみ、と挨拶をしてくれた左の子に同じ言葉を返したりしたけど、あれは多分会話にカウントされない。

 そんなことを考えながら、僕は教科書を一人一つ与えられている棚に整頓しながら戻した。時間割順に並べたのは、我ながらいいアイディアだった気がする。とても便利だ。綺麗な棚の中身に満足して、僕は自室を後にした。もう急いで大広間に向かわないと、最低限の昼ご飯すら食べられないかもしれないような時間になっていた。

 

 僕はなんだか、少しゆっくりしたところがあるのかもしれない。本日2度目の駆け足に、そう結論づけた。

 

 

 

 

 

 

 結局、昼食はきちんと胃に納めることができた。かき込んだ直後に運動するのは良くないから、そこまで沢山は食べないでおいたけど、多分絶望的にお腹が減ることはないと思う。腹持ちのいいものを選んだし、きっと大丈夫。

 先生の到着をグラウンドで待ちながら、僕は自分で食事を決める生活というのはすごく大変なものなんだなと考えていた。父さんはいつも栄養に気をつけつつ美味しいものを用意してくれたけど、ここではそうはいかない。こうやってすぐに父さんを頼ろうとしてしまう悪癖を、僕は治さないといけないんだ。

 

 いつまでも子どもではいられないから。

 

「___箒の左側に立って!列は乱さずに!私の言うことを聞かないものは、皆一律に大きく減点する!」

 

 凛としたマダムフーチの声が突如響き渡り、僕たちハッフルパフ生とレイブンクロー生の規律を正した。彼女は巡回するように列を成した僕たちの間を練り歩いて、全員にひと睨み効かせている。その鋭い眼光に僕は思わず肩を揺らした。この手汗のせいでうまく箒が掴めなかったらどうしよう、と思う。父さんのおかげで箒に乗ることには慣れているけど、こんなにたくさんの人と一緒に、それも同時に飛ぶだなんて僕にはおよそ想像もつかないことだった。

 

「箒に右手を翳して、『上がれ』と命じなさい」

 

 そう言われてすぐに、僕の隣の子は力強く上がれと叫んだ。そのまた隣も、僕の向かいの子も同じく。「上がれ」僕もそう命じてみる。箒は浮いて、僕の手の中に収まった。成功している人はまだ僕しかいない。マダムフーチは力みすぎだとか、気持ちを込めすぎだとかそういう感じのアドバイスを全体にしている。

 右手に箒を掴んだまま、僕はぼーっと空を見上げた。天気は晴れ、風も強くない。飛ぶには最適な日だと思う。船で渡ってきたあの湖の上を飛んだらきっと気持ちいだろうなとか、僕はそういうことを考えていた。

 

 少し気が抜けていたんだろう。

 

「ミスタークラーク!」鋭い声が僕を呼ぶのが聞こえた。

 

 その直後、ドコッとなんだか鈍い音がして、僕の視界は暗転する。

 

 

 

 

 

 

 次に目を開けた時、僕の視界には白い壁が映し出された。いや、壁じゃない。天井だ。僕は、なんで天井を眺めているんだろう。

 

「起きた…。マダムポンフリー、クラークが起きました!」

 

 横で誰かが声を張り上げているのを、ぼんやりとした頭で聞いて、僕はとりあえず状況を確認しようと頭を動かした。右に顔を向けた瞬間、ツキリ、という鈍痛が僕の体を襲う。痛みを堪えていると、ぼんやりとした白い人影が目に入った。

 

「ああ、目覚めましたね、ミスタークラーク。名前はわかりますか?どうしてここにいるのかは?」

 

 目を凝らすと、その顔は徐々に形を明らかにする。マダムポンフリー…、ホグワーツの癒者だ。ということは、ここは病棟か。頭の痛みにもある程度は納得がいった。僕は何かしらの事故に巻き込まれて怪我をした、らしい。

 

「名前はわかります、ルイ・クラーク…。えっと、僕がここにいるのは飛行術中の事故のせいですか?」

 

「ええ、ここにいるエリオット・ハートリーの箒が暴走してあなたの頭に直撃したんです」

 

「本当に悪い、クラーク。俺、箒なんて初めて触るもので、それでつい力みすぎたんだ。本当に悪いと思ってる」

 

 頭を下げて謝った明るい茶髪がふわふわと揺れている。ホグワーツのトランクみたいな色の髪の毛のこの子、エリオット・ハートリーは、初日以降おやすみとだけ言葉を交わしている僕の同室だ。ここ数日見た限りではすごく物静かな子に見えたけど、どうやら別にそういうわけではないらしい。

 

「いや、こんなのは全部言い訳だ。一週間クラークの言うことを聞く、なんでも言ってくれ」

 

 バッ、と再度深く頭を下げてエリオットは謝った。罪悪感を感じてるんだろうか、ここでは多分この程度の怪我なんてよくあることなのに。平謝りされ続けるほどの騒ぎじゃない、と言っても、この人は納得しそうになかった。そういう、意思の強さのようなものを、僕は彼からやんわり感じとっていた。

 どうにかエリオットが自分を許してあげるための理由を作れないものか、と僕が考えていると、やれやれと言った様子のマダムポンフリーと目があった。

 

「でもマダム、後遺症が残るようなことはないんですよね」助けを求めるように、僕はそう聞いた。

 

「ええ、癒者の名にかけて」

 

 大袈裟な声色で、マダムは僕の質問に答えた。彼女とて、もう起きて歩き回れるようになった生徒には早く退出してもらいたいんだろう。

 

「ほら、だそうだよエリオット。だから、大丈夫。あまり気に病まないで。最初はみんなそうだから。僕も、初めて箒に触った時は自分の顔にぶつけたものだし」

 

 にこ、と慣れないなりに精一杯の笑顔を作ってそう言うと、エリオットは戸惑った顔をした。自分が何か変なことをしてしまったのか、不安になるような顔だ。

 

「クラークあんた、お人好しすぎないか?俺に借りを作ったんだ、もう少し利用してもいいと思うんだが」

 

「…え?借り?利用?」

 

「そうするものだろう、普通。借りができたら返すのと同じことだ」

 

「え、でも今回のはただの事故だよ。君が悪意を持ってやったんだったら、また話は変わってくるけど…」

 

「わざとではない…、が、それでもあんたは俺に何かしらの措置をとった方がいい。そんなに人がいいと舐められるぞ」

 

 11歳とは思えない大人びた顔で、エリオットはそう言った。何かしらの罰を受けないと気が済まない、って顔をしている。これが、ハッフルパフの誠実さなのかな。今のうちに貸し借りなしにしておきたいとか、そう言う理由があるのかもしれないけど。

 

 そこまで考えて、僕は一つ名案を思いついた。

 

「じゃ、じゃあ今後授業が一緒の時は隣に座って。移動教室も一緒に行こう。あと、僕のことはファーストネームで呼んで。これくらいでどう?」

 

「……なんだそれ、友達のおさそいかよ。罰でもなんでもないじゃないか」

 

「えっと…、うん。そう言うことになるかな。きっかけはこんな形だったけど、同室だし、仲良くしたいとは思ってたんだ。だから、その、罰の代わりに友だちに」

 

「ほお、友達に強請をかけるのか、ルイ」

 

「ゆ、ゆすりなんて、そんなつもりじゃ…。ただ、何かいい落とし所がないかな、って」

 

 変な意味に取られた、と焦っている僕を、エリオットがなんだか得意げな、してやったりという顔で見つめていた。

 

 ん…?

 

「え、あ、エリオット、僕の名前…」

 

「なんだ、ルイ。今更提案を取り下げるのか?」

 

「う、ううん。ううん、取り下げないよ。これからよろしくね」

 

「ああ、こちらこそ」

 

 手を差し出してたエリオットに応えるように手を出して、僕たちは握手を交わした。初めての飛行の授業で箒に乗れずじまいだったことを含めても今日はいい一日だった。

 

 一緒に自寮に戻りながらおしゃべりをしたあの時間が、生涯消えない記憶になるような予感が僕の胸の中を満たした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

努力家な君を追いかけて

 入学から2ヶ月、いや、3ヶ月ほどが過ぎた。その間にエリオットとは、多分親睦を深められたし、ハーマイオニーとも何回か勉強会的な交流会をする機会が会った。それに加え、二回目とそれ以降の飛行訓練では僕としてはまずまずの結果を残せたし、持ち帰らせてもらったマッチは全部針に変身させることができた。セドリックに戻すための呪文も教えてもらえたし、マクゴナガル先生も熱心なことですね、と僕に1点くれた。入学してから6つ目の点だった。

 

 そう、とにかくこの3ヶ月ほどの学校生活は飛び抜けて順調だったんだ。最初の背中が丸まるような不安も、全て吹き飛んでいった気がした。

 

 忍び寄る寒さの気配を感じるような冷たい石畳の上を、僕は朝から今にもスキップをしそうな気分で歩く。今日の夜にハロウィンの宴が控えているのもあって、浮かれているのかもしれない。でも、じんわり温まるような胸の中のワクワクを、僕は冷静な心で止めようとは思わなかった。「ハロウィンでそんなになるのか…。わかりやすいな、お前」と隣でエリオットが言っているのも、普段と打って変わって少しも気にならなかった。

 

 それに、なんと言っても朝一番に呪文学があるんだ。それも、グリフィンドールと合同で。つまり、ハーマイオニーがいるってことだ!久しぶりに授業が一緒になってとても嬉しかった。エリオットは「普段は肩を落としているのに、単純なやつめ」って言っていたけど、11歳なんてそんなものだと僕は思う。少なくとも、エリオットは大人びているよ。

 

「ほら、グレンジャーはあそこだ。早く行って来な」

 

「あれ、エリオットは?」

 

「俺はグリフィンドールと座るのはごめんだ。賑やかなのは苦手だからね。俺のことは気にするな、部屋でいくらでも喋れるわけだしな」

 

「うーん、えっと、うん。わかった。ありがとう、エリオット!」

 

 最前列の端の方に座っていたハーマイオニーの隣にお邪魔して、僕たちは久しぶりの会話に花を咲かせた。最も、その内容のほとんどは呪文に関することだったけど。

 

「あなた、フィニート・インカーターテムを覚えたの?すごいじゃない、それは2年生の範囲よ。私でもまだなのに」

 

「え、そうなの?変身術を練習するうちに自然とそうなって…。もし良かったら今度…」

 

 教えるよ、と言う僕の言葉は先生の「ではみなさん授業を始めますよ!」と言う声に打ち止められた。また後でね、と僕とハーマイオニーは目配せをして、先生の話を聞くためにピシリと姿勢を正した。後ろの人たちのヒソヒソとした声が僕の集中を少しだけ邪魔したけど、先生がはっきりと大きな声で喋ってくれることもあって、聞き取れないようなことはなかった。

 

「さ、今日練習する呪文は、レパロ。習った通り、壊れたものを直す呪文です。皆さん、言われた通り何か壊れたものは持って来ましたね?」

 

 ハーマイオニーが折れた羽ペンを持ち上げて、先生の質問への返事をする。先生はいつもと変わらない笑顔でうんうん、と頷き、それからまた話を続けた。彼女がいる授業では、これが大体いつもの流れとなりつつあった。

 

「さて、杖の動きを予習してきた人は…。はい、ミスグレンジャー」

 

「楕円を描くように杖を振ります。その際、円が完全に閉じる程度に振るのが望ましいです」

 

「素晴らしい、グリフィンドールに1点。ではみなさん、今のは聞いていましたね。早速試してみましょう。発音は、レパロですよ」

 

 フリットウィック先生がにこやかにそう続けると、皆同じような顔持ちでレパロと唱え出した。呪文学ではお馴染みの光景だ。右隣に座っているのハーマイオニーは当然一発でその呪文を成功させている。それにもしっかり加点をもらった彼女を「すごいね」と僕が小声で褒めると、彼女は「当然よ」と鼻高そうに笑った。こんな自信家なところがとても素敵な人が、僕の友人なのだ。僕は、その喜びを噛みしめずにはいられなかった。こんなにも良い友人ができるんだよ、と過去の自分に教えてあげたい気持ちだった。

 

 そうやって浮かれた僕の杖を握る手には、必要以上の力が込められいていた。

 

「レパロ」

 

 そう言いながら杖を振ると、持って来ていた壊れた木の栞はちゃんと綺麗に元に戻った。半分折れていたところから、繋ぎ目ひとつ見えない程度には直ったんだから、成功と読んでいいはず。そう思ってハーマイオニーを見ると、彼女は呆れたような、嬉しそうな、そんな複雑な顔をしていた。

 

「ちょっとちょっと、ルイったら、力みすぎよ。机まで直してどうするの」

 

 そう言った彼女の声に糾弾の色は見えない。

 

「ま、またやっちゃった」

 

「あなた、いつもそうよね。ほら、これ貸してあげるからもう一度試してみたら?今度は力まずに」

 

「うん、わかったよ。ありがとう、ハーマイオニー」

 

 そんな会話を交わした僕たちは互いに笑顔だったし、フリットウィック先生だって、僕たちをにこやかに見守ってくれていた。

 

 だと言うのに。宴の前に本を借りるために図書室に向かう僕と、寮に戻るハーマイオニーとで、バイバイと手を振って別れた直後。ハーマイオニーが向かっていった方向から、「聞いてたか?『ちょっとちょっと力みすぎよ!』だってさ。放っておいてやれば良いのに。クラークのやつがかわいそうだぜ、あんな奴に絡まれてさ!」と騒ぎ立てる声がした。明らかに、ハーマイオニーのことを指した言葉だった。それも、バカにしたような声で。

 途端、ハーマイオニーは走り出して、その赤毛の男の子に体当たりをかました。聞こえてたんだよ、と赤毛の子を咎めているのは、さっきまで笑ってその話を聞いていたメガネの男の子だった。僕が知っている限り、その赤毛の男の子も、メガネの男の子も、僕同様呪文学がそこまで得意でない様子だった。だから、そつなくこなすハーマイオニーを、少しだけ嫌に思ってしまうんだと思う。

 

 でも、でも。でも!それは、そんな言葉を言っていい理由にはならない。

 

 僕はその二人の間を縫うようにして通り抜けて、友人の背を追いかけた。新しい本なんて、予習なんて、どうでも良かった。変身術とか魔法薬学とか、呪文学とか、そんなものは何一つ頭に浮かばなかった。僕に見えているのは、傷つけられたハーマイオニーの背中だけだ。

 何度呼び止めてハーマイオニーはその足を止めてくれなかった。彼女はいつも大事そうに抱えている本を片手にぶら下げて、なりふり構わず走っている。

 

 人気のない廊下に出たところで、彼女はようやく立ち止まってくれた。

 

「ハーマイオニー」

 

 息も絶え絶えにそう呼ぶと、彼女はゆっくりと僕を振り返った。その頬は、涙で濡れている。近くのいい感じの石に腰掛けて隣を叩くと、彼女は少し間を空けて僕の隣に座った。その視線は俯いていて、目からは未だ大粒の涙がこぼれ落ちていた。

 

「…なんでついて来たのよ、ルイ」少しだけ声を裏返しながら、彼女は僕にそう聞いた。

 

「泣いてる友だちを放っておく方がおかしいよ。」

 

 心からの言葉だったけど、今この場で言うのはなんだか違ったかもしれない、とも思う。誰かを慰めるなんて初めてする経験で、なんて言えばいいのかなんて、僕にはわからなかった。

 

「ハロウィンパーティーはもう始まるわ。それに、本を探さなくちゃいけないんでしょう」

 

「そんなの、どうだっていいよ」

 

「嘘、楽しみにしてたじゃない。朝からご機嫌だったわ」

 

「泣いてる友だちに比べたら、どんなことも些細なことになるの。本当に嘘じゃない」

 

 何度も何度も会話を交わした経験のおかげで、僕の口からはスルスルと言葉が出てくる。ここ数ヶ月で本心を口にするのがだいぶ上手くなったように思う。

 

「それに、僕はあの荒唐無稽な話を否定しなくちゃならない。君のことをうっとおしいだなんて、僕はそんなの毛の先ほども考えたことなかったんだよ」

 

「荒唐無稽って、難しい言葉を知ってるのね」

 

「と、父さんに教えてもらったんだよ。……じゃなくて、ちゃんと僕の話聞いてる?今の大事なところだったよ?」

 

「聞いてるわよ」くすくすとハーマイオニーが不満げに顔を顰めた僕を見て、少しだけ笑った。

 

 良かった、僕の言葉が届いてる。そう思わせてくれるような顔だった。なんだかすっかり調子を取り戻しているみたいに見えるけれど、でもやっぱり、心無い言葉が生む傷は深い。その笑顔には、まだ少しだけ曇りが残っていた。

 

「とにかく、僕はハーマイオニーを偉そうとか口うるさいとか、微塵も思ってないからね。僕は君のことを、とても努力家で、本が大好きな人だと思ってるから」

 

「ふふ、うん。知ってるわ」

 

「本当だと良いけど」彼女のその言葉と同時くらいだろうか、僕は遠くから地響きを聞いた。

 

 本当よ、と彼女が続けようとした言葉は僕によって制される。右手のひらを彼女に向けて、僕はもう片方の手の人差し指を自分の口に当てた。らしくない僕に目を丸くしながらも、彼女は静かに従ってくれた。

 どすん、どすんどすん。と地響きは確実に僕たちに近づいて来ている。何かがうおお、と低い声で唸った。不味いことになった、と直感的に思って、僕はハーマイオニーの手をとって最初に見えた扉の中へと駆け込んだ。

 

「る、ルイ、ここ女子トイレよ」

 

 僕に手を引かれたハーマイオニーが、小さな声で僕に抗議している。「緊急事態だから、ごめん」と小声で謝れば、彼女が「緊急事態」と僕の言葉を繰り返した。その声はひどく動揺している。

 普段であれば、僕だって慌て散らかす。逆に敵がびっくりするほどに目を回して、汗をかいて、支離滅裂なことを思って、ダンマリを決め込むかもしれない。でも、この時の僕はなぜかそうしなかった、できなかった。握っているハーマイオニーの手が震えていることに、気がついたからかもしれない。

 

「ルイ、ルイったら、あれ、トロールの声よね。足音の大きさから考えてもそうとしか…。どうしましょう、一年生二人で太刀打ちできる相手じゃないわ。ルイ、ルイ、どうしたらいい」

 

「ハーマイオニー、杖を抜いて。そこの個室に隠れるよ、多分こっちにくる」

 

 僕は左手で、ハーマイオニーは右手で杖を握った。僕の杖腕は右だけど、今は仕方ない。彼女を背に庇いながら、僕たちは二人分の体を個室の中に押し込んだ。トロールの足音が聞こえて来たのは突き当たり右から、トロくて鈍いあいつらのことだから、突き当たりに当たったら多分そのまままっすぐこっちにくる。トイレの前を素通りするか、中に入ってくるかは半分賭けだ。この近くに他の教室はない。ただ逃げててもきっと捕まった。だから、ここにいるのが最善なはず。

 

 半ば自分に言い聞かせるようのいそう思って、僕は震える自分の手を押さえつけた。あの大きな足音はどんどん近づいて来ている。ギィイ、とドアの開く音がした。ふっ、ふっ、と短く息を吐いて僕はどうにか悲鳴を押し殺していた。

 

「ハーマイオニー!そこにいるの!」

 

「バカ、ロン!あいつが僕たちに気がついたじゃないか!」

 

「あ、ごめんハリー!」

 

 遠くで、多分入り口でだと思う。男の子二人分の声が聞こえた。今朝、ハーマイオニーを笑っていた子たちの声だ。のそ、のそ、とトロールが動く音がする。あー!!!と叫んだのは、ハリーとロンという子だろう。一体どうなってるのか全くわからないけど、とにかく、棍棒を振り上げる音がして、そして、僕たちが潜む個室の天井からもそのゴツい木の棒が見えた。

 

「ハリー!!」

 

 まずい、と何度目かもわからない言葉を頭の中で繰り返して、僕は個室の扉を勢いよくあけた。一人でも多い方がきっとマシ。その一心だった。

 

「リクタスセンプラ!」

 

 視界に飛び込んだ緑の巨体に杖を向けて、僕はそう叫ぶ。へ、へへ、へ…とトロールはゆっくり動きを止めて、ゆっくり笑い出した。次、次の呪文を。そう焦る頭の中を必死で落ち着けて、僕は右手で杖を握り直した。棍棒は振り上げられたままだ。いつの間にか捕まって宙吊りになっているメガネの子を、いつでも狙える。

 

「イモビラス!」

 

「ウィンガーディアム・レヴィオーサ!」

 

 僕と、ほとんど同時だったと思う。ピタリと動きを止めたトロールの棍棒が、中に浮いている。あんなに大きくて重そうなものを浮かせるなんて、と僕が驚いた瞬間、その棍棒は落下を始めた。そして、トロールの髪がザンバラに生えている頭にそのまま直撃する。ゴ、と鈍い音がして、僕のイモビラスの効力が切れた。トロールはドン、と凄まじい音を立てながら倒れた。その腕は、また再び立ちあがろうと動かされているが、あまりの衝撃に目が回っているのか、元来そうなのか、動きはとてもトロい。

 また起き上がられてたまるか、と僕は一心不乱に杖を振った。

 

「す、ステューピファイ!ステューピファイステューピファイステューピファイ!!」

 

 何度も、何度も、必死でそう唱える。ロンが僕のことを羽交い締めにするまで、僕の手は止まらなかった。

 

「ちょっと、落ち着けって!もうトロールは気絶した!ほら見ろよ!お前の呪文で瀕死だ!」

 

「え、あ、気絶…?」

 

「ほら、見てみろよ。蹴飛ばしたって起きやしない」

 

 僕のことを解放して、トロールの体を足蹴にしながらロンはそう言った。隣のメガネの男の子、ハリーも頷いている。安堵が沸いて出るよりも先に振り返って、後ろにいたはずのハーマイオニーを探そうとした瞬間、誰かが僕に飛びついた。数歩後退りながらその人をどうにか受け止めると、ふわふわの茶髪が視界に入った。

 

「は、ハーマイオニー。よかった、怪我はない?」

 

「私のセリフよ!あんたたち3人ともバカよ!バカ!」

 

 心配で、不安でたまらなかった。そんな気持ちが彼女の声から伝わってくる。ロンは気まずそうに目を逸らしているし、ハリーは頬を掻いていた。元の原因、僕とハーマイオニーがここにいたきっかけが自分たちにあることを、二人はよく自覚しているらしい。

 

 その後、倒れたトロールと僕たち4人を見つけたマクゴナガル先生は真っ青になりながら「一体何を考えているんですか」と僕たちを叱った。続いてやってきたスネイプ先生も、いつもに増して険しい顔をしている。危うく死ぬところだったんですよ、という先生の言葉に僕たちは俯くしかできなかった。ハリーは頭を潰されかけたし、僕は咄嗟に使った呪文が効かなかったら怪我どころじゃ済まなかったかもしれない。

 

「寮に戻るようにという言いつけを破ってここにきたのはなぜです?まさか全員が女子トイレに用があったという訳ではありませんよね?」

 

 主に僕たち男の子3人を見ながら、先生が言う。どうやって説明したものか、と僕やハリー、ロンが顔を見合わせていると、ハーマイオニーが僕たちを背中に庇うように先生の前に一歩出た。

 

「ごめんなさい、先生。私のせいなんです。ルイとハリー、それにロンも悪くない。私が、きっとトロール程度なら大丈夫だと思って探しに出た私を、3人が助けてくれたんです」

 

 え、と声が出そうになったのを、ハーマイオニーに制される。ここに来るまでの経緯を隠すためとは言えども、かなり強引な嘘だ。多分、どこかしらで辻褄が合ってない。だって僕たち、お昼休みの後からずっとここにいたんだ。目撃した人だって、きっといる。

 

「ミスグレンジャー、それは本当ですか?」

 

 マクゴナガル先生が、僕たち全員の目を見ながらゆっくりそう聞いた。多分信じてもらえてない、というか絶対バレてる。とは思いつつも、僕は、僕たちは頷いた。ハーマイオニーがそんな嘘をつく意味が、僕にはよくわからなかった。泣いていたことを先生に知られたくなかった、それくらいの理由しか僕には思いつかない。もちろん、僕たちを庇う意味もあったんだろうけど。

 

「失望しましたよ、ミスグレンジャー。グリフィンドールから5点減点です。あなたたち3人も、自分がしたことが決して褒められることではなかったということは、ゆめゆめ忘れないように。」

 

「はい…」

 

「しかし、勇気ある行動だったのは確かです。3人にそれぞれ5点ずつ与えましょう。ただし、繰り返しにはなりますが、これを正しいことだったと天狗になることだけはしないように」

 

「はい、マクゴナガル先生」

 

「よろしい。後片付けは大人に任せて、あなたたちはもう寮に帰りなさい」

 

 マクゴナガル先生の説教が全て終わって、僕たちは少し肩を落としながら4人並んで廊下を歩いた。全員夕飯を食べ損ねたせいで、ぐーぐーお腹が鳴っている。

 厨房から食べ物を取ってこようか?と提案した僕に一番真っ先に食いついたのはロンで、一番渋ったのがハーマイオニーだった。こんなところでまで気が合わないみたいで、二人は少しだけ言い合いをした。でもその口論の勢いは普段に比べて格段に穏やかで、僕とハリーはそのわかりやすい変化に思わず笑いをこぼす。何が面白いんだ、と声を揃えて言われた時なんて、もはや笑いにとどめを刺された気分だった。

 

 しばらく笑いの余韻を引きずりながら、厨房で分けてもらったトリークルパイを四人で頬張って、僕たちはそれぞれ寮に戻った。とは言っても、ハッフルパフ寮に戻るのは僕だけで、残りみんなは全員グリフィンドールだけど。

 

 結局、部屋に戻った後も、仁王立ちで僕のことを待ち構えていたエリオットに捕まったし、ベッドに入れたのは消灯時間の30分後だった。結局、ハロウィンらしいことは何もできずじまいだったなと思いながら、僕は布団の下に体を滑り込ませて冷たいシーツに少しずつ体温を奪われながら眠りについた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

初めてのウィンターホリデー

 トロール騒動から、日も遠くないうちにグリフィンドール対スリザリンの試合が開催された。実はハリーが出ていたらしいけど、あいにく僕はその試合を観戦しに行くことができなかった。日程をすっかり忘れていたこと、取り組みたい課題が多かったこと、エリオットの魔法を見てあげたかったことの他にも、色々なことが重なって見に行けなかったんだ。ハリーの箒が暴走するハプニングがあったりしたらしいけど、結局グリフィンドールが勝利を収めたらしい。ハーマイオニーが嬉々として教えてくれた。そのついでに観戦に行かなかった文句も言われたけど。

 

 そんなこんなで、クィディッチも他の授業も、僕の知る限りは一応怪我なく終わっていった。気がつけばもう12月21日で、僕を含め、帰省する人みんなが荷造りのラストスパートにかかっていた。

 帰省する人は基本的に一律でウィンターブレイク初日にホグワーツエクスプレスに乗って帰るせいで、談話室はトランクと荷物で溢れている。僕は何にもぶつからないように気をつけながらその間を歩いて、きちんとしばらくのお別れを言うためにトランクを転がしながら急足で大広間へ向かった。

 

「お、荷物まとめてきたのか?」

 

 だらしなくゆっくりとご飯を食べているエリオットが、僕を見つけてそう言った。

 

「うん。エリオットは残るんだよね」

 

「ああ。戻れても孤児院だしな。あんなところで余分に冬を越そうだなんて、考えただけでゾッとする」

 

「すごく寒いって言ってたよね」

 

「そうなんだよ。寒い地域の上、暖炉もなければ壁も毛布も薄いところなんだ。食事も奪い合い。ホグワーツが天国のように感じられる。当分は部屋から出られないな」

 

「ご飯はちゃんと食べるんだよ」

 

「当たり前だ。食い意地は張ってる」

 

 だらしなくテーブルに突っ伏し始めた、エリオットはそれでも話すのをやめなかった。明るい茶髪が静電気で机や額に張り付いているのにイタズラ心をくすぐられて、自分のセーターを擦り付けた。何すんだよ、やめろ、と形ばかりの抗議は飛んできたけど、どうやらまともに反抗する気力はないみたいだった。多分、僕がいるうちに死に物狂いで課題を全部終わらせたからだと思う。うん、絶対そうだ。

 

「じゃあ、僕そろそろ行くね」

 

「おー…。あ、ポッターとかウィーズリーには挨拶してこなくていいのか?あっちの方にいたぞ」

 

「本当だ。言ってくるよ」

 

 グリフィンドールのテーブルの奥の方で魔法使いのチェスをしているのは、確かに見覚えのあるメガネと赤髪だった。近くに立っているのはハーマイオニーで間違いない。

 

「ハーマイオニー、ロン、ハリー、こんにちは」

 

「ルイ、こんにちは。随分と大荷物ね」

 

 振り返ったハーマイオニーの持っている荷物は、確かに僕のものに比べると少ない。僕は一体何をこんなに持って帰るつもりなんだろう。全部必要だと思ったんだけど…。

 

「えー、なぁんだ、ルイも帰省かよ。僕とハリーだけじゃん」

 

「ああ、そっか、ハーマイオニーも帰省だから。」

 

「ええ。二人にちょっとした伝言も伝えれたし、私はもう行くとするわ。」

 

「あ、ちょっと待ってハーマイオニー。僕も一緒に行くよ。じゃあね、ハリー、ロン、いいウィンターホリデーを」

 

 急いでハリーとロンの二人に挨拶をして、僕は少し先で待っているハーマイオニーを追いかけた。比較的入り口付近に座っているエリオットにもう一度だけバイバイと伝えて、僕とハーマイオニーは急ぎ足で駅に向かった。

 綺麗な赤に彩られたホグワーツエクスプレスに乗り込んで、僕たちはどうにか空いているコンパートメントを見つけ出した。腰を落ち着けて、やっと一息という感じだった。

 

「ねえ、ルイ。あなた、課題の進捗はどう?」

 

「一応一通り終わったよ。でも、魔法薬学のレポートは羊皮紙の長さの指定がなかったからもう少しやってもいいかなって思ってるところ。資料は図書室でたくさん借りてきたんだ」

 

「概ね私の予想通りね。私も同じ進捗よ。『冬休みが始まる前に課題が全部終わってるなんてありえない!』ってロンは言っていたけどね。最終日まで終わらないあなたがおかしいのよ」

 

「やりたい時にやるのが一番だよ、ハーマイオニー。僕たちは早くやりたいからやっただけ。そうでしょ?」

 

 渋々と言った様子で、ハーマイオニーは頷いた。このまま続けても、ロンの愚痴が出るばかりだ。さっさと話を変えちゃおう。二人は仲良くなってからもちょっとした喧嘩が絶えないんだ。

 

「ほら、そんなことより、君の家族の話を聞かせてよ。前から気になってたんだ。確か…、歯の状態を見る癒者なんだよね。伸びた前歯を元に戻してくれたりするの?」

 

「デンソージオの呪いのことを話しているのなら、それは違うわ。マグルの歯が突然伸びたりすることはないの。歯医者の仕事は、余分に生えた歯を抜いたり、虫歯を直したりするのが仕事。虫歯なんて、魔法界ではあまり聞き馴染みのない言葉かもしれないけれど」

 

 そんな感じで、マグルの世界について色々教えてもらったり、逆に魔法界について教えたり、と各々情報共有をして過ごしたりしているうちに、キングスクロス駅が近づいてきた。説明のために引っ張り出したあれこれをトランクの中に詰め込み直して、僕たちは汽車を降りた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

The First and the Last

 いつになっても新品のように輝く汽車がプシューと音を立てながら駅に到着した。開いた扉からゆっくりと降りてくる生徒は皆顔も、性別も、背も違う子ども達だった。20年ほど前までは、私もこの生徒のうちの一人だった。ルイを育てるようになってからはずっと思い出す暇もなかったようなとても懐かしい記憶が、少しだけ古びた匂いと共に思い起こされた。

 そうして感傷に浸りつつ、私は一人、プラットフォームに立ってただ一人の息子を待っていた。すぐ隣で、帰ったら最初にママのご飯食べたい、とルイと同じくらいの男の子が、母親に抱きついて甘えている。そうやって、続々と周りの夫婦が自分の子どもを見つけていく中、私は自分のペースでゆっくり歩くような息子を、じっと待っていた。

 

「父さん!父さん!」

 

 汽車から降りた瞬間、私の息子は私の存在に気がついて大きく手を振った。そのまま走ってこようとしたのを、隣の女の子に止められている。トランクを忘れるなんて、と呆れられているみたいだ。利発そうなその同級生は、ひょっとすると手紙に書いてあったミスグレンジャーかもしれない。

 そんなことを考えながら、私はゆっくりルイのいる場所に向かって足を進めた。

 

 トランクを両手で一生懸命引っ張りながら、ルイは私に向かって走り出す。あとちょっと、と言ったところでこの仕方のない子はそのトランクを手放して、代わりに私に飛びついた。それをしっかり受け止めて、私の腹に顔を埋めたそのまだ小さな頭を撫でた。

 

「ただいま!父さん!」

 

「おかえり、ルイ。さあ、ハグはあとでいくらでもできる。トランクと、それから君が置いてきてしまった友人を迎えに行きなさい」

 

「あ、えっと、ごめんなさい。久しぶりで、嬉しくて。ごめんハーマイオニー!」

 

「本当よ!トランクを2度も置いていくなんて!」

 

 ルイのトランクの近くで両手を腰に当てて怒っているのは、その名前からも、間違いなくミスグレンジャーのようだった。

 

「ミスグレンジャー、初めまして。私はアルバート・クラーク、この子の…」

 

「僕のお父さん!」

 

 自己紹介を我が子に遮られながら、私は彼女に右手を差し出した。

 

「は、初めまして。クラークおじさま、ハーマイオニー・グレンジャです。グリフィンドールで、えっと、ルイの友達です」

 

 拙く私の手を握り返しながら、彼女はそう教えてくれる。ルイから伝え聞いていた通りの子だ。

 

「ああ、そう聞いているよ。手紙で、ルイがとても努力家で素敵な友達を得たと教えてくれた。いつもルイをありがとう。君のご家族も、ここに迎えに来ているのかな?」

 

「あ、はい。パパ…じゃなくて、お父様とお母様が」

 

「それなら、私ばかりが君を引き留めていてはいけないね。きっと君のご家族も君をお待ちかねだ、ミスグレンジャー。今日はありがとう、今後もルイをよろしく頼むよ」

 

「わ、私でよければ喜んで!えっと、ありがとうございました!失礼します!」

 

「バイバイ、ハーマイオニー!またホグワーツで!」

 

「ええ、また会いましょう!」

 

 パタパタとその髪の毛やコートを揺らしながら、ルイの学友はトランクを引きずって駆け出した。しばらくミスグレンジャーに手を振り続けて、その姿が見えなくなった頃にルイは振り向いて、もう一度私に抱きついた。私の背中に回された腕の力が、見なかった4ヶ月間の間だけで随分と強く逞しくなったような気がする。私を見上げるその顔に、不安げな色は一つもない。小さい頃から変わらない栗色の髪の毛を撫でていると、私は遠くに見覚えのある人影を見つけた。

 

「ルイ、あそこにいるセドリックは君の友だちのセドリックであってるかな?」

 

「え、セドリックいるの?ほんと?」

 

 私から手を離して、ルイはキョロキョロと辺りを見渡した。私が場所を指し示して見せると、私の息子は分かりやすくその顔を輝かせた。向こうもちょうどこちらに気がついたみたいで、爽やかな笑顔のまま手を振っている。隣にいるミスターエイモスに会釈をして挨拶をすると、人の良さそうな笑みが返ってきた。

 その間に息子同士で行われていた身振り手振りでの会話は、ルイによればとまた列車で会おうと言った旨のものだったようだ。

 

「他に挨拶をしておきたい友だちはいるかい」

 

「いるけど、学校に残ってるからここにはいない。エリオットのことは手紙で言ったよね。ハリーとロンはまだだっけ。えっと、二人はね」

 

「落ち着いて、ルイ。ひとまず煙突に向かいたいんだ。続きは家に帰って、ココアでも飲みながら聞かせてほしい」

 

「あ、うん。わかった。早く帰りたいもんね」

 

「一緒に帰ってクリスマスの準備をするんだろう?」

 

「そうだ、それも大事だった」

 

 なんだかんだ週に一回は手紙のやり取りがあったこともあいまって、私の知らぬ間に息子が凄まじい成長を遂げたような実感は湧かない。しかし、それでも、この小さな手はいつか私のものと同じくらいにまで大きくなっていくんだろう。

 ルイの方から繋がれた手を、私はしっかりと握り返した。子育ては、最初と最後の繰り返しだ。こうして手を繋ぐことさえも、いつが最後になるかなんて誰にもわからない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僕の家の匂い

 パチ、パチと弾ける暖炉のそばで、僕は毛布に包まりながらフルートを吹いていた。ホグワーツに持っていかな買ったせいで触るのが4ヶ月ぶりになってしまったけど、体は案外覚えているものだ。くるみ割り人形の小序曲の小さな妖精が舞うような軽やなリズムが身に染みる。

 手が悴んでリズムを外して、僕はその銀色の楽器から唇を離した。暖炉の横の一人用のソファーの柔らかさを背中に感じながら、やっぱりここは寒いなと思う。僕の家のあるこの辺りは、イギリスの中でも中々に冷える地域で、ホグワーツの石畳の冷たさも、あの森の土の温度に比べたらまだ暖かいものだ。少なくとも、知っている限りでは。

 僕のマグカップを持って戻ってきた父さんは、ゆっくり溢さないようにそれを僕に手渡した。

 

「熱いから気をつけて、と言いたいところだったけど、11歳にもなったし、もうそんなことは言われたくなかったかな」

 

「僕は、何歳になっても火傷には注意するべきだと思う」

 

「それも、うん、そうだね。…ゆっくり、気をつけて飲むんだよ」

 

「うん、ちゃんと冷ますよ」

 

 頷きながらそう返事をして、僕は浮かんだマシュマロをふー、ふーと口で吹いて動かしながら遊んでいた。甘いカカオの匂いが鼻をくすぐって、ようやく家に帰って来れたんだなとぼんやり感じた。

 僕がそうこうしているうちに父さんは僕の右前、つまり暖炉の正面のソファーに腰掛けて見たことのない本を取り出した。多分、新しく手に入れた本だと思う。書斎にはなかった本だ。ちょっと冷めてきたココアに口をつけながらそんな父さんを見ていると、僕の視線に気がついたのかその目が僕に向けられた。

 

「父さんの目って、…茶色?緑?」ふと気になって、そう聞いてみる。

 

「目の色…、気にしたことがなかったな。ルイにはどう見えるんだい」

 

「うーん、オリーブのなるヘーゼルの木みたい」

 

「ヘーゼルか。それならルイの目と同じだね」

 

 そう言って笑った父さんの目元には、少しだけ笑い皺ができている。同じ。とても心地のいい響きが、僕の胸の中を満たしていった。父さんと、同じ。じんわり体が、手が暖かくなって、僕は寒さも忘れて毛布の中から飛び出した。父さんの膝の上に飛びつくと、父さんが少しだけ「うっ」と声を漏らす。

 自分がもう大きく重くなっていることをすっかり忘れていた。慌てて降りて謝ると、父さんが僕の髪を乱しながら笑った。

 

「もう膝の上に乗せて本を読んであげることはできないな」

 

「うん…、大きくなっちゃった」

 

「そうだね。これからは、隣で一緒に読もうか」

 

 ぽんぽん、と自分の隣を叩きながら父さんは僕を見ている。フカフカのソファーに腰掛ければ、父さんが僕が放り出した毛布を魔法でかけてくれた。僕がぴったりと横にくっついて座っても、父さんは嫌な顔一つしない。父さんがまた本を開いて読み出したのを横から覗き込んで僕も盗み見る。並んでいる文字は見覚えのないものばかりで、多分ラテン語とかの本だろうなと予測をつけた。

 

「父さん、あの、…」

 

「聞いているよ」

 

「クリスマスの準備したい」

 

「ああ、そういう約束だったね。」ぱたん、と父さんはそのまま本を閉じた。

 

 立ち上がった父さんは、そのまま杖を一振りしてモミの木を近くまで持ってきた。どこからか取り出されたオーナメントの入った中くらいの箱も、その横に置いてある。

 

「いいよ、今すぐしようか。もう寒くはないね?」

 

「うん、大丈夫」

 

 膝にかけていた毛布を肩にかけ直して、僕はオーナメントの入った箱を手に取った。その中ら一つ選んで、手に取った。綺麗な、丸い黄色の飾りだ。今年は黄色にしよう、と心の中で決めて、僕は早速作業に取り掛かった。下の方から徐々に取り付けていって30分ほど経つ頃には、もう僕の手の届かないところだけが裸のまま残っていた。

 

「父さん、上の方やってほしい」

 

 去年は抱っこしてもらったけど、もう僕も大きくなったんだ。多分5フィートくらいある今の僕は、父さんには重すぎる。僕だって、そんなに重い人を持ち上げたいとは思わない。

 

「…ルイがやらなくていいのかい?」

 

「手が届かないから無理なの」

 

 そう事実を伝えると、父さんの手が僕の脇の下に滑り込んだ。ふわ、と体が浮く感覚がして、気づけば父の腕の中にいた。父さんより頭一つ高いところに、僕の目線がある。ここから見たら、モミの木なんて大した大きさじゃなかった。

 

「ほら。私にも、まだ君を持ち上げるくらいの力ならあるよ」

 

 確かに、父さんは片腕で易々と僕を持ち上げている。オーナメントを一つ掴んで、モミの木に引っ掛けた。暖炉の光を反射して、それはきらりと輝いた。去年も、こうだった。その前も、その更に前もずっと。

 

「来年は、もう無理かもしれないけどね」

 

 そう言って、父さんが笑う。なんだか、今日はいつもに比べてよく笑っている気がした。父さんがきちんとセットしている髪の毛をいじって少しだけ崩して、それから僕はモミの木の準備を終わらせた。時たま香るベルガモットは、いつも変わらず僕を安心させてくれた。

 その後もプディングの仕込みをしたり、父さんが作ったミンスパイの味見をしたりして過ごした。友達へ宛てた手紙やプレゼントは全て父さんのフクロウにお願いしたし、準備は万全と言っていいはず。

 

「おやすみ、ルイ。いい夢を」

 

「父さんもいい夢を、おやすみ」

 

 とうとう明日がクリスマス本番。わくわくする心とは裏腹に、体は連日の準備にくたびれていたみたいで、僕は布団を被ってすぐ眠りについた。

 

 

 

 

 

 シャンシャンシャンという鈴の音で僕は目を覚ます。下の階から聞こえてきているそれは、多分父さんが流しているレコードか、魔法で演奏している楽器のものだ。

 

「父さん、メリークリスマス!」

 

「メリークリスマス、ルイ。友人からプレゼントが届いているよ、開けておいで」

 

 通りすがりついでに父さんに抱きついて、それから僕は自分で飾り付けたモミの木の下に駆け寄った。最初に目についたのは、上品なシルバーのリボンがついた青い箱だった。父さんからのものに違いない、もうすぐ12年にもなる息子としての経験をかけてもいい。その箱を手に取って一度重さを確かめてから、僕はやっぱりそれを最後の楽しみに取っておくことにした。父さんからのプレゼントを一度横にずらして、僕は他のものに目を向けた。

 

 まず僕が手をかけたのは、そのすぐ横に置いてあった柔らかな黄色いリボンの少し素朴な感じの箱だった。

 

 中に入っていたのは高そうなインクと黄色い手袋。送り手は、セドリック。セドリック・ディゴリー。一緒に入っていたギフトカードには「インクは何かと物入りだし良いものを使ったほうがいい」ということと、「体に気をつけて」と言った感じのことが彼の少しだけクセのある綺麗な字体で綴られていた。

 前に談話室で話した時に、僕が手袋がないとぼやいていたのを覚えていてくれたのかもしれない。とても優しい彼らしい。

 

 明らかに本っぽい形をしているあれは、きっとハーマイオニーからのものだ。

 

 そう予測をつけながら丁寧にラッピングをほどくと、中からは案の定参考書が出てきた。それも、多分マグルのものが。こんなに表紙が薄くて、真っ青な本を、僕は見たことがない。フウーパーもびっくりの鮮やかさだ。開けようと本に手をかけると、ぐいんと表紙が曲がる。折れた、なんてことはなかったみたいだ。

 大量の書き込みが加えられたこれはどうやら辞書のようで、マグルに興味を持っていた僕のためにハーマイオニーが自らあつらえてくれたものらしかった。分厚いそれは、あとでじっくり見てみることにして、僕はひとまずその分厚い本とハーマイオニーがくれた手紙を横に置いた。

 

 ロンからのプレゼントは『クィディッチ今昔』という本だった。

 

 彼にしては珍しく自分で買った本だったものの、やっぱり活字は無理だから僕にあげるとのこと。そんな内容とあわせて一、二文しか書かれていない手紙からも彼の人となりが伝わってくるような気がして、僕は頬を緩めた。めくって一ページ目にロナルド・ビリウス・ウィーズリーと彼のフルネームを見つけて、僕は後でこの上に自分の名前も書き足すことに決める。その時はきっとセドリックのインクを使おう。

 

 次に開けた袋状のプレゼントはハリーからのものだった。

 

 ハニーデュークスのお菓子がたくさん詰め込まれた、まるでハロウィンみたいなプレゼント。好きかわからなかったからとりあえず色々詰め合わせた、と一緒に入っていた手紙に短くまとまって書かれている。ハリーは初めて蛙チョコを食べた時に蛙に逃げられたらしい。P.S.ルイもそうならないよう気をつけて、と体を気遣う言葉みたいにそんな忠告をしてくれたものだから、僕はくすくすと笑いを溢してしまった。

 

 友だちからのプレゼントで最後に残った小さな手のひらサイズの箱に手を伸ばして、僕はそのリボンをほどいた。

 

 中に入っていた小瓶に詰め込まれているのは、多分おできを治す薬だ。魔法薬学が苦手なエリオットにしては珍しく小言の一つも言われずに提出できていた、あの。それで苦手意識が一瞬消えて意気揚々と授業に向かったその日に鼻っぱしを折られていたのはいい思い出だ。やっぱりこんな陰湿な科目なんて嫌いだ、と部屋でふてくされていたっけ。

 添えられた手紙には、「今はまだこんなものしか贈れなかった。いつかまとめて返す」と書かれている。律儀な彼らしい言葉と、少しだけ崩れたエリオットの字。そして、とても彼らしいこの贈り物は大事にしまっておくとしよう。

 

 最後に、僕は青い箱を手にした。銀色のリボンに手をかけながら、僕は父さんを顧みた。

 

「父さん、プレゼント開けるね」

 

「ああ」

 

 開けた箱の中に入っていたのは不思議な布…、袋だった。広げてみればクァッフルが二個横並びで入りそうな大きさになる。底がすごく浅いけど。

 

「杖で叩いてから中を除いてみなさい」そんなことを考えていると、気づけば後ろに立っていた父さんがそう言った。

 

 父さんが僕が杖を携帯していないことに気がついて、僕の杖を”呼び寄せ”る。手に収まったその杖は、やっぱり未だに馴染まない。みなぎる魔力は僕には強すぎる。ぎゅ、と杖を握り直して、僕はトンと袋を叩いた。さっきと打って変わって、中にはそこそこ大きさがある空間が広がっている。

 

「検知不可能拡大呪文…」

 

「よく学んでいるね。正規の手順で魔法省から許可を取って作ったんだよ。モーク革のポーチだ」

 

「すごい…。使ってみてもいい?」

 

 僕の目線は、袋に釘付けだった。父さんが作ってくれた、とても特別な袋。中には何を入れようか、ホグワーツでいつ使おうか。僕の頭はそんなことでいっぱいだった。

 

「ああ、呼び寄せを覚えてから使うことをおすすめするよ。かなり広げてしまったから、中で迷子になるかもしれない」

 

「それは、父さんが教えてくれるの?」目を袋から離して、振り返る。父さんと目が合った。

 

「君が嫌じゃなければ、そのつもりだよ」

 

 手が頭に伸びてきて、その大きくて柔らかい感触を感じた。僕の笑った顔が、父さんの目に映っている。

 

「ルイなら冬休み中に完璧に習得できるよ」

 

「僕、がんばるね。プレゼントありがとう。父さん」

 

「喜んでもらえてよかったよ、ルイ。改めて、メリークリスマス」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ドラゴンと寝癖と賢者の石

 ボー、と汽笛が汽笛を鳴らした。ゴトンゴトンと規則正しく揺れるコンパートメントの中で、僕はセドリックと向かい合って座っていた。ひとたびクリスマスが終わって仕舞えば、瞬く間に年が変わって、気がつけばもうウィンターホリデーが明けていた。初めての帰省は、びっくりするほどあっという間に終わったけれど、その収穫は決して少なくなかった。

 

「ルイ、お父さんからもらったポーチを見せてくれないか。ほら、手紙で教えてくれただろう?」

 

 対面に座ったセドリックが、ワクワクと身を乗り出して僕に聞いた。ジャケットの右ポケットに手を入れて、僕はその袋を出して見せると、彼の目は分かりやすく輝いた。

 

「当たり前だけど、見た目じゃ何もわからないな。中にはもう何か入れたのか?」

 

「とりあえず教科書とか小説とか、あとお小遣いを入れたよ」

 

「お小遣い?それは、盗まれたりしないか心配だな。君ってば意外と不用心だろう?」

 

「そんな僕を見越して、父さんはモーク革を使ってくれたんだ。ほら、触ってみて」

 

 僕に促されてセドリックが手を伸ばすと、シュルシュルと袋は体を縮こませた。茶色い革が徐々に徐々に小さくなって、セドリックの手がそれに触れるころにはもうすっかり姿が視認不可能になっていた。

 

「……見えなくなった」

 

「うん。魔法生物の皮で、持ち主以外が手を触れようとすると縮んで見えなくなるんだ」

 

「それは、最高の防犯だね」

 

「だから貴重品は全部ここに入れてる」

 

「賢い判断だ」

 

 はは、とセドリックが笑う。なんだか呆れたような納得したような、変な顔だ。彼らしくない。僕の説明に何か変なところでもあったのかな。それとも、使い方?

 

「セドリック、なんで___」

 

「はい、チョコ。食べるだろう?」

 

 何がおかしかったのか聞こうと口を開いた瞬間、僕の唇にチョコが押しつけられた。従うように口を開けると、それは僕の口の中に放り込まれた。

 

「……」

 

 食べながら喋るのはお行儀が悪い。そう思って、黙々と咀嚼を続ける。口の中に広がるほろ苦い甘味は、なんだか上品な感じがした。覚えのある味だ。

 

「あ、これ去年のと同じやつ?美味しい」

 

「おお、気づいたんだね。そう、僕のおすすめの銘柄だよ。気に入ったなら、君の誕生日プレゼントはこれにしようかな?」

 

「そうしてくれたらすごく嬉しいな、僕この味気に入った」

 

「じゃあ決まりだ。そういえば僕はこのウィンターホリデーの間にドラゴンを見に行ったんだけど」

 

「え、聞いてない!手紙で教えてくれてもよかったのに」

 

「サプライズにしようと思ってたんだ、写真もあることだしな。着いたら寮でみせるよ」

 

「やった」

 

 嬉しくてついつい頬が緩む。どんなドラゴンかな。オーストラリアニュージーランドオパールアイ種かな。それともスウェーデンショートスナウト?ルーマニアロングホーン種かもしれない。とにかく楽しみだ。写真で見せてもらえるなんて。

 

 ワクワクと胸を高鳴らせながら、僕はホグワーツエクスプレスの少し硬い椅子の上で足をぶらぶら揺らした。外に見える景色はすっかり白一色、雪景色だ。ホグワーツに着いたらエリオットと雪遊びをしなきゃ。それから呪文の練習をして、ハーマイオニーと課題を見せ合って。あと、図書室で新しい本も借りたい。

 

「ホグワーツが楽しみか?」セドリックが僕にそう聞いた。

 

「うん、楽しみ!」

 

 それは、心からの言葉だった。

 

 

 

 

 

 

 

 ホグワーツエクスプレスがホグズミード駅に到着したのは、日も暮れ始める頃で、長い列車の旅にくたびれた僕は寮に戻って早々に眠りについてしまった。そのせいでセドリックの写真を見ることも、エリオットとちゃんとした会話を交わすこともできなかったんだ。

 

 だから今日、ウィンターホリデー明けの学校初日、いつもより少しだけ早く目が覚めた僕は昨日やれなかったことを今日こそ全部やってやろうと覚悟を決めた。まずは荷物を整理しなくちゃならない。ベッドから飛び降りて、布団や枕を綺麗に元の場所に戻した後、僕はパジャマから制服に着替えた。新しく持ってきた本を棚に、服をクローゼットに入れていく。入りきらなかった本や、持ち歩いて読みたい本は全部袋の中だ。この袋は、ローブのポケットに入れておこう。

 急ぎ足、忍び足で部屋を出て階段を駆け降りると、暖炉近くのソファーにセドリックが座っていた。羊皮紙を広げて羽ペンを持っている。その隣には本が出してあった。ひょっとしたら、課題をしているのかもしれない。邪魔したら悪いと思って、僕は静かに隣に座った。読んでいるのは変身術の本みたいだ。

 

「おはよう、ルイ。今日は早いな」セドリックが羽ペンを走らせながら僕に声をかけた。

 

「あ、課題の邪魔しちゃった?ごめん」

 

「いいや、今終わったところだよ、大丈夫。それよりも、ほら、約束の写真だ」

 

 読んでいた本や書き込んでいた羊皮紙をしまって、セドリックはポケットから写真を取り出した。そこには、金属的な光沢を放つドラゴンが吠える様子がありありと映し出されている。少し痩せている子なのか、思っていたよりもお腹はぽってりしていない。右へ、左へと威嚇を繰り返すその姿は、写真越しでも圧力がひしひしと伝わってくる。

 

「すごい!ウクライナアイアンベリーだ!」

 

「ご明察。想像より大きくて驚いたよ。6トンあるのが普通だって言うのは本当らしい」

 

「最大のドラゴンだもんね。はぁ、写真なのに迫力満点だな」

 

「正直ちょっと怖かったよ。完璧に安全な訳でもなかったし」

 

 頬をかきながら、セドリックはそう言った。その時に揺れた髪の毛の先が、ほんの、ほんのちょっとだけチリチリしているように見えた。手を伸ばして触ってみたら、やっぱり少し傷んでいた。というか、焦げていた。

 

「火を吹いたの?ここ、チリチリだよ」

 

「ああ、わかるか?プロテゴがあともうちょっと遅れてたら髪だけじゃすまなかったよ」

 

「うわぁ、聞いてるだけで怖いよ。僕は実物は勘弁だな…。セドリックに怪我がなくてよかったよ」

 

「大丈夫さ、何があっても生き残る」

 

 髪の毛を触っていた僕の手を取って、握って、安心させるように彼は言った。ドラゴンは好きだけど、それはやっぱり学術的興味で、親しい人が危なかったなんて話を聞いてしまうと怖い気持ちの方が優ってしまう。セドリックの灰色の瞳が仕方なさそうに細められて、僕の手を離したその手が僕の頭を撫で回した。

 

「それに、こんな危険なことなんて早々ないんだ。大丈夫だよ」

 

 なんでかわからないけど、その言葉に僕はいたく不安になった。遠くで、ゴロゴロと雷雲が鳴っている。ピシャーンと雷がすぐ近くに落ちても、寮の中にその光はほとんど入り込まない。ハッフルパフが地下にあってよかったと初めて思った。

 

「ほら、エリオットが起きてきたみたいだよ。朝ご飯まだだろ?食べに行ってきな」

 

「うん、ありがとうセドリック」

 

 とん、と僕の肩に手を置いて、セドリックが部屋に戻っていく。通りすがりにエリオットや彼の友人に挨拶をしてから、彼は上級生の寮の方に消えていった。

 

「あ、ルイ。ここにいたのか」

 

 僕を見つけたエリオットがソファーの方まで駆け寄ってくる。頭の後ろ側に強めの寝癖がついていることを彼は知らないんだろう。ぴょん、と力強く跳ねた髪の毛が、彼が歩くたびに上下に揺れている。

 

「エリオット、寝癖ついてるよ」

 

「え、どこだ?」

 

「頭の後ろ。貸して、僕が直す」

 

 袋に向かって「アキオ、ヘアブラシ」と唱えれば、見慣れたそれが飛び出す。エリオットをソファーに座らせてその後ろに回れば、その元気な寝癖が存在を主張した。髪の毛が傷まないように優しく解かしていけば、寝癖は少しだけマシになった。

 

「まだか?」

 

「あとちょっと…。いやでも、濡らさないと直らないかも。一緒にお手洗い行く?」

 

「やめろ、これで十分だ。あ、いやその、…ありがとな」

 

 僕があれこれ口出したせいで、流石に恥ずかしくなったのか、エリオットは大袈裟に首を降って僕の提案を断った。少し気まずそうに目を逸らしながら、彼はお礼を口にする。

 

「あ、うん、そっか。わかった」

 

「……あー、ほら、ルイ。飯行くぞ」

 

「ほ、ホグワーツの朝ご飯久しぶりだな。味を忘れてる気さえするよ」

 

「俺はあんたがいない間に飽きるほど食べたけどな、大体のメニューは食べ尽くした」

 

 ハッ、と鼻を鳴らして、彼は言う。態度もとげとげにしてなんだか不機嫌な雰囲気を出してるけど、それに反してエリオットの顔は穏やかなままだ。だから僕は、これを居心地が悪いだなんて思ったことがなかった。エリオットのことを意地悪だと言う人はきっと、僕と見えてるものや感じてるものが違うんだ。でも、そしたら、しばらくは僕だけが君をひとりじめだ。

 

「何笑ってるんだ?」

 

「久しぶりのホグワーツが楽しくて。君もいることだし」

 

「お前…、すぐそういうこと言うのやめた方がいいぞ。変に勘違いした輩が寄ってくる」

 

「変なやから?」

 

「とにかくやめとけって話だ。他の部分は理解しなくていい」

 

 ぷらぷらと体を揺らして、エリオットが行儀悪く歩いていってしまった。慌ててそれを追いかけて、大広間で並んで食事をとった。大広間に座った僕たち二人の足元を冷気が包んだけど、僕たちの雰囲気はそれに釣られてギスギスしたりなんてしない。そうして食べたトーストだってちゃんと美味しかった。そのあと一緒に受けた授業でだって、僕たちは協力しあっていろんなことを乗り越えた。

 魔法薬学ではペアを組んできちんと調合を成功させたし、DADAの実践授業でもエリオットのサポートの甲斐あって僕は適切な威力で呪文を使うことができた。人にウィンガーディアム・レヴィオーサはかけられないけど、衣服にかけたら同様の効果が見込めるって学びも得た。

 まだ休日気分の抜けない同級生たちに比べると、僕たちは随分と充実した一日を送ったように思う。点数を稼ぐほどのことはできなかったけど、それでも。

 

「それで、ルイ。放課後のご予定は?」考え事をしながら歩いていた僕を呼び止めて、エリオットがそう聞いた。

 

 その調子には、少し茶化したようなものが含まれていた。片眉だけをあげたまま、エリオットは重ねて聞くように首を傾げた。変に丁寧な感じを崩さない彼の手に握られた杖は、ぷかぷかと教科書を浮かせている。手持ち無沙汰を誤魔化すように魔法を使うのが癖なのかもしれない、それだけコントロールが得意なんだろうな。すごいや。

 

「あー、図書館に行くよ。返さないといけない本も借りたい本もたくさんあるし」

 

「ふーん。じゃあ、俺は先に寮に戻ってるよ。また後でな」

 

「わかった、じゃあね」

 

 手を振って、別れる。城内を一人で歩いているのに、僕の心には不安も苛立ちもない。この場所は僕の味方じゃないけど、ここにいるいくらかの人は僕の味方なんだってことを僕は冬休み前の数ヶ月で知った。その上ありがたいことに、戻ってきてからも身に染みて感じるようなことがいくつかあった。

 だから、僕の足取りは軽い。図書室の中でも小さな足音にすら気を配ることはなかった。最低限気をつけていればいいのよ、とハーマイオニーが教えてくれたから。

 冬休み中に借りていた本を全て返して、それから僕は植物の本が置いてある本棚に向かった。珍しい魔法植物についての本はどこら辺かな。暴れ柳について書いてある本があるといいけど。

 そう思いながら本棚をざっと見渡していると、視界の端にもふもふと広がった茶髪が映り込んだ。

 

「あら、ルイ。奇遇ね、今度は何の本を探しているの?」

 

「わあ、ハーマイオニー。まさか今ここで会えるなんて思ってなかったよ。今は暴れ柳についての本を探してるんだ。面白い植物だって父さんに教えてもらって」

 

「あなたのお父様が?クラークおじ様ってとっても素敵な方よね、初めて会った時思わずびっくりしちゃった」

 

「そうなんだよ、わかってくれる?父さんはすごいんだ!」

 

 オホン、遠くの司書机から咳払いが聞こえてくる。思わず盛り上がってしまったせいで、マダムピンスに睨まれたみたいだ。この話はまた今度ね、と息を潜めながらハーマイオニーに合図を送り、彼女も静かに頷いてそれに応えた。

 

「じゃなくて、暴れ柳の話だったわよね」声の音量を落としたまま、ハーマイオニーが話を再開した。

 

「そう。何かいい本を知ってる?」

 

「ええ、この本がおすすめよ。」

 

 ハーマイオニーが手渡してくれた本を受け取って、最初の数ページを捲る。目次には確かに暴れ柳についての項目が存在していた。かなりの厚みで手応えがありそうだけど、ハーマイオニーからしてみれば、きっとこれも軽い読み物なんだろうな。

 

「これはまだこの前読んだばかりなんだけど、とてもいい本だったわ。他の植物についても色々書かれていて…」

 

「悪魔の罠とか?」

 

「そう、デビルズスネア。あなたもう知ってるのね?」

 

「家にある本に書いてあったんだ。その時はちょっとだけ読んでそれからすぐやめちゃったけど、今ならちゃんと読み切れるはず。今度再挑戦して、いい本だったら君にも貸すね」

 

「そうしてくれたらとても嬉しいわ。ホグワーツにない本には中々手が出せないもの」

 

 やっぱり本が好きなんだな、と感じさせてくれるハーマイオニーの喋り方に、僕は思わず笑みが漏れた。笑ってしまったらマダムに睨まれることはよくわかっていたから、声は出していない。

 

「また何にもない時に笑って、あなたって変よ。ルイ。でも私、あなたのそういうところを気に入ってるのかもしれない」

 

「何もなかったわけじゃないんだけど…。ううん、やっぱ何でもない」

 

「そう?…あ、それよりルイ。知らなかったら知らないでいいんだけど、少し聞いてみてもいい?」

 

「もちろんいいよ」

 

「えっとじゃあ、その…。ニコラス・フラメルについて何か知らない?」

 

 まさかあの君でも調べあげられなかったの?口から出かかったそんな言葉は、至って真剣なハーマイオニーの表情に堰き止められた。まさか、僕が彼女に教えてあげられることがこんなところに転がっているなんて。そんな思いで、僕は必死で頭の中の本の記憶を手繰り寄せた。

 

「こっち、ついてきて」

 

 頭の中の検索に引っかかった本を探しに、僕は本棚の間を縫うようにして歩く。錬金術の歴史についての本があるのは…。あった、この棚だ。

 

「ここ座って、ハーマイオニー」

 

「え、ええ…」

 

 呼び寄せた本を机の上に置いて、僕は『賢者の石』という項目を開いた。見開き一行目には、こう書かれている。

 

________Nicolas Flamel is the only known maker of the Philosopher's Stone. The Philosopher's Stone is a legendary substance with astonishing powers. It will transform any metal into pure gold and produces elixir of life, which will make the drinker immortal.

 

「賢者の石…。賢者の石!そうよ、私は何を考えていたのかしら!ありがとう、ルイ!この本借りるわね!」

 

「え、あ、ちょっと、ハーマイオニー!」

 

 大きなその本を抱えて走り出したハーマイオニーを呼び止めようとした僕の声は、マダムピンスの一睨みによって鎮められた。代わりに借りようと思っていた本を急いで袋に詰め込んで、僕は彼女の後を追った。賢者の石の何が彼女の琴線に触れたのかは、今の僕には全くもって不明だったけど、でもとにかくそれがなんであれ、その一端に触れた以上僕は最後まで関わろうと思ってしまった。

 

 彼女の背中を追いかけたのは、これで二回目のことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

四人の大作戦

「まだ本当かどうかはわかっていないの、今夜聞きに行って確かだったら教えるわ。あ、でも、あなたを巻き込んでいいのかしら?おじ様に心配をかけるのも良くないわよね?」

 

 あの日、追いかけた先に待ち受けていたハーマイオニーのそんな言葉が、丸一日たった今でも僕の頭の中に突っかかって離れなかった。エリオットにも上の空だと言われてしまったし、セドリックにも元気出してとチョコをもらってしまった。

 流石に、このままというわけにもいかない。今日こそ、今日こそハーマイオニーを問いたださなきゃ。そう思いながら、僕はせっかくの天気を無碍にする覚悟でホグワーツ城内を歩き回っていた。ハーマイオニー捜索にあたって気がついたことだったけど、僕って彼女を探す時、図書館にいなかったらもうあとはお手上げなんだね。寮に入るわけにもいかないし、本当に困った。

 

 そう思いながらも足を止めずに進んでいると、曲がり角の先から聞き覚えのある声がした。

 

「ハグリッドが話してたのは不審者なんかじゃないよ」

 

 ハリーの声だ。ひょっとしたら、という一縷の希望に賭けて、僕は歩く速度を早めた。

 

「スネイプ。きっとスネイプだよ。だからつまり、あいつはフラッフィーをどうやってなだめるのかも知ってるんだ!」

 

 確信めいた声で、ハリーはそんな言葉を続けた。横に並ぶロンとハーマイオニーは神妙な顔でそんな彼の言葉を聞いている。なんだか、嫌な予感がした。なんだか、というには随分とはっきりとした感覚だったけどとにかくダメだ。先生に容疑をかけようとしているあたりで、すでに何かがおかしい。

 

「は、ハーマイオニー」

 

「え、ルイ?あなたなんでここに、」

 

「そんなことより、今のどういうこと?フラッフィーって?なんでスネイプせんせ、い…」

 

 捲し立てるように開かれた僕の口は、彼ら3人の背後の大きな黒い影の登場によって閉じざるを得なくなった。突然喋るのをやめた僕を、不思議そうな顔で3人が見つめている。それも、「どうしたのかね」という聞き覚えがないわけがない深い声で焦ったものへと変わった。

 ぎこちない動きで、3人はゆっくり振り返った。僕の目線は、陽の光の下でも尚暗いままのスネイプ先生の目に釘付けだった。今から変に目を逸らしても却って目立ってしまうから、目をつけられてしまうから。凶暴な魔法生物と対峙しているような気持ちで、僕は決して音を立てず、背中も向けず、先生に向き合っていた。

 

「諸君らのような若いグリフィンドール生が、このような天気のいい日に屋内で何を?」

 

「あ、そ、その、えっと」

 

 目を向けられたハーマイオニーが、まごつきながらなんとか答えようとしている。普段授業で綺麗に手を上げて、ハキハキと発言をする彼女からはおよそ想像もつかないような姿だった。

 

「おや、ハッフルパフ生もご一緒とは…。ミスタークラーク、ミスグレンジャーの代わりに答えていただいても?」

 

「は、い、えっと、僕が眩しいからどこかの空き教室で遊ぼうと提案しようとしていたところです」

 

「そうか。しかし、気をつけたまえよ。誰が君たちに疑いの目を向けるかわかったものではないのだ」

 

「疑い、ですか?」

 

「何か企んでいるのだろう、と勘繰られるのは誰であっても勘弁願いたいものだよ。ミスタークラーク、遊んでいる暇があれば、ミスターハートリーと魔法薬学の復習でもしてはいかがかな?」

 

 では、と視線に込められた意を汲み取って、僕は重たいローブを翻しながら去っていくスネイプ先生の背中を眺めた。後ろから、ロンが大きくはあとため息をついたのが聞こえる。まだ先生の姿が見える距離なのに、不用心なところは変わりないみたいだ。

 

「た、助かったよルイ。命拾いしたぜ…」

 

「ハリー、それで、どうするのよ。仮にあなたの予想が合っていたとして、私たちにできることってある?」

 

「行けばいいんだよ、僕たちも。今夜、三階のあそこに向かおう」

 

 ぐ、っと決意の表情を固めて、ハリーは重々しくそう言った。ゴクリ、とロンが唾を飲んで、ハーマイオニーが静かに深く頷く。僕が、僕だけが、何一つわかっていない。

 

「え、いや、ちょっと待って二人とも。僕にも事情を話してよ。三階、フラッフィー、先生。気になることがいっぱいだ」

 

「……ハリー、ここは私から説明するわ。でも、ここだとちょっとアレね。さっきルイが言ってたみたいに、空き教室を探しましょう。ホグワーツはこんなに広いんだもの。その上天気もいいとなったら簡単に見つかるわ」

 

 言い切ったと同時に早速教室探しを始めたハーマイオニーの後ろを、僕、ロン、ハリーの3人がついていった。あいつが先頭なんて珍しいよな、と小声でハリーに話しかえたロンを、ハーマイオニーは足を止めてまで振り返って睨む。ハーマイオニーが言われっぱなしじゃなくてよかった、と内心思いながら、僕は少しだけ呆れてしまった。ロンも懲りないものだ。

 なんか睨まれたんだけど!と彼は表情で必死に主張しながら僕たちを見比べたが、ハリーも僕も、それに対して何か言ってあげることはしなかった。ハリーだけは、ロンの肩にポンと手を置いて慰めている。

 

「よし、ここにしましょう。あなたたちはそこに座ってちょうだい」

 

 満足のいく空き教室を見つけて、ハーマイオニーはその中に我先に踏み入った。僕たちを横並びに座らせてから、ハーマイオニーはさながら教壇に立った教師のような風格で僕たちの前の机に腰掛けた。

 

「まず、状況をおさらいしましょう。ルイのために時系列順で話すわね。まず、私たち三人は”うっかり偶然”、三階の立ち入り禁止の廊下と、そこにある部屋に入っちゃったの。そこにいたのがフラッフィー、頭が三つある大きな犬よ」

 

 うっかりと偶然を妙に強調してハーマイオニーがそう語る。「夜中に抜け出して」と言うために口を開いたロンは、彼女の鋭い眼差しによって言葉途中で渋々口を閉じた。

 

「頭が三つ?」僕がそう聞くと、今度こそ喋ってやるとロンが目を輝かせた。

 

「そのうち納得せざるを得なくなるよ。すっげえデカいんだからな。そう、黒くて、デカくて、とにかく大きい。もうめちゃくちゃに!」

 

「それは、ロン何人分くらいの大きさなの?」

 

「ど、どうだろう。5…、いや10かもしれない」

 

 ひょっとしたら20くらいあるかも!僕の一言で、予想外にそう騒ぎ始めたロンを、ハーマイオニーがビシッと一喝して宥めた。ごめんね、と小さな声でロンに謝る。いつものことだよ、と笑った彼の顔が、強い不快感を滲ませるようなことはなかった

 

「フラッフィーを見た時、私はそれが仕掛け扉を守るように置かれていることに気がついたの」

 

「流石の観察眼だね、ハーマイオニー」

 

「え、ええ、ありがとう。えっと、…オホン、それで私たちはそこに何が隠されているのかを知るためにハグリッドに聞きに行ったわ。結果はルイも知っての通り、賢者の石が隠されてるだろうって推測に落ち着いた」

 

 まあ、ほとんど確証は取れているんだけど。と彼女は小さく続ける。ニコラスフラメル云々のことはやっぱりここに行き着くらしい。僕は心の中のわだかまりが納得と一緒に消えていったことを感じた。

 

「それで私たちはスネイプ先生が賢者の石を狙って何度も侵入を試みてるんじゃないかって仮説を立てて…」

 

「さっき今夜忍び込むことに決めたんだ。わかった?ルイ」

 

「えっと、うん。説明ありがとうハーマイオニー。それにハリー」

 

 ハーマイオニーもロンもハリーも、みんな真剣な顔をしている。まだ一年生とは言えども、3人とも立派にグリフィンドールの勇猛果敢さを体現しているみたいだった。

 まさかそんな、悪の策略みたいな問題が起こっているなんて想像もしてなかった僕は、しかし彼らの話を嘘だと決め行けるようなことができなかった。少なからず本当の話だと言う予感がした。ホグワーツに入学してから、いや杖を手に入れてからよく感じるようになった予感だ。今のところ大きく外れたことのないこれを、やっぱり僕は無視することができなかった。

 

「僕も、一緒に行くよ」

 

 自分の気持ちを固めるようなつもりで僕ははっきりそう言った。それに戸惑った顔をしたのはハリーとロンだった。

 

「え、でも君、戦うの苦手そうだよ」

 

 ハリーの心からの言葉に、ロンは勢いよく頷いた。本当に大丈夫?怖くなっても逃げられないんだよ。本当に心配して、二人はそう声をかけてくれている。

 

「ハリー、ロン。心配しなくても、ルイは途中で逃げ出したりしないわ。トロールの時のことを忘れたの?彼は私たちのために最後まで力を緩めなかったじゃない」

 

「…確かに。普段はちょっと頼りない感じだけど、いざとなったらめっちゃすごかったな。すちゅーぴふぁも使ってたし」

 

 ロンが納得したように頷いて、神妙な顔で当たらずとも遠からずな呪文の発音を披露した。

 

「ステューピファイよ。失神呪文。適切な判断だったわ、流石私の読書仲間ね」

 

 呆れた顔をロンに向けた後、彼女は誇らしげに僕をみた。なんとなくきまりが悪くて顔を逸らす。あの時の僕は必死すぎて、よく考えられてなかったし、判断を褒められても困ってしまう。

 

「じゃあ、うん。ルイも一緒に行こう。ロンももう納得したでしょ?」

 

「異論ないね」

 

「私は最初から賛成だったわよ、ルイ」

 

「うん、ありがとうハーマイオニー。…じゃあ、えっと。作戦を立てる?」

 

「そうしましょう。とは言っても、あの仕掛け扉の下がどうなってるか全くわからないから、そこに行くまでの作戦しか立てられないけど」

 

 腰掛けていた机から立ち上がって、ハーマイオニーが右に、左にと歩きながら考え込んでいる。何があるのかを想像しているのか、行くまでの方法を考えているのかはわからない。

 

「先生たちがこぞって守りをかけているらしいし、きっと手厚く歓迎されるでしょうね。本当にどうしましょう。色々と復習しなくちゃ」

 

「そればかりは行ってみなくちゃわからない。でもどうにかするしかないんだ。スネイプを止めなくちゃ」

 

 メラメラと闘志を燃やして、ハリーとハーマイオニーは作戦を練った。辿り着いた先の作戦を。

 

「え、っと待ってハーマイオニー。そもそも3階にはどうやって行くの?まさかみんな目眩しの呪文が使えるなんてことはないよね、僕使えないよ?」

 

 向かう手段を、少なくとも僕はもっていない。じゃあごめんね、と置いていかれるような気がした。だって今の三人はすごく前向きで熱心だ。僕がいなくなっても仕方ないしで済まされてしまいそう。

 別に三人を責めたいわけじゃないけど、僕、行かなくちゃ。行かないといけない気がするんだ。

 

 ぐるぐるとそんな考えを巡らせている僕とは裏腹に、三人は互いの顔を見やってにっかり笑った。

 

「それは楽しみにしておいて。今夜22時にハッフルパフ寮の入り口前で待っていてくれたらいいから」

 

「あ、誰にも見つからないよう気をつけろよ。特に監督生!うちのパーシーと、スリザリンの奴は特にダメだ」

 

「樽の影に身を潜めて待っていてちょうだい。三人で迎えに行くわ」

 

 みんな口々に僕に言いたいことを言って、言い切って、それで満足して口を閉ざしてしまった。そうと決まったら今のうちに寝ておきましょう。ご飯も食べなくちゃ。パタパタと空き教室から出て行く三人を、僕はぽけっと見つめていた。よくわからないけど、なんとかなるらしい。

 

 とりあえず三人を信じないことには始まらないから、一人で頷いてどうにか納得して、僕も空き教室を出た。さっきまで四人で賑わっていた空間も、僕が出てしまえば元の誰もいない寂しい空間に逆戻りだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

フラッフィーとトラップドア

 夜十時。約束通り、ルイはハッフルパフの入り口、つまり樽の前で待機していた。その手には杖が握られている。見つかりませんように、と祈るのに必死で、彼は自分の手が手汗まみれになっていることに気がついていない。

 

「ルイ」

 

 何もない空間から突然自分を呼ぶ声がして、ルイは悲鳴にならない悲鳴をあげながら杖を思いっきり振り下ろした。すぽん、と手の中から飛び出していったその杖を、どこかから生えた腕が捕まえた。

 

「驚きすぎじゃないか?」

 

 そう言った声は、よく知って赤毛の男の子の声にそっくりだった。ルイが恐る恐る自分の杖を取り戻すためにもその腕に近づいていると、小さく女の子の笑う声がした。

 

「そんなにビクビクしなくても攻撃したりしないわよ、ルイ。ほらハリー、ルイの杖を返してあげて」

 

「ごめんルイ。からかいすぎたね」

 

 ふぁさ、と布の捲れる音がして、どこからともなく合わられたクロークが床に落ちた。その中から、昼にルイと待ち合わせを約束した三人が出てくる。

 口をぽかんと開けたまま、ルイはハリーに差し出された自分の杖を受け取った。

 

「ほら、みんな詰めて入って。これ一枚でどうにか四人分に間に合わせないといけないんだから」

 

 ハーマイオニーを先頭にして、その右と左をロンとハリーが埋めた。必然的に、ルイはハーマイオニーの後ろに立つことになる。曰くハリーの持ち物であるらしい透明マントを頭から被って、一行は3階の禁じられた廊下へと向かい始めた。

 前三人が周囲に気を配りながら、目的地のことだけを考えている中、ルイだけは慎重に足元と歩くペースに気をつけていた。右にいっても左にいっても、早すぎても遅すぎても誰かしらにぶつかる。そのプレッシャーの中で、ルイは慎重に歩いていた。

 今から対峙する三つ頭の犬の方がよっぽど怖いはずなのに、ルイは友だちの足を踏んでしまわないようにすることの方に気を取られていたのだ。

 

「あ!」

 

 突然足を止めてハーマイオニーが声を上げる。危うくぶつかりかけたルイは少しだけバランスを崩しながらなんとか立ち止まった。ハーマイオニーの髪が柔らかく左右に揺れているのを、ルイは暗がりの中でギリギリ認識していた。

 

「大きな音を立てるなよ、ハーマイオニー。見つかるだろ」

 

「そんなことより大変よ。フラッフィーをなだめるには音楽がなくちゃいけないじゃない。私楽器なんて持ってないわ。」

 

 悪態をつくロンを半ば無視するように、ハーマイオニーが取り乱した。丁寧にピアノが置いてあるなんてことないものね!と叫んだその姿はヤケクソそのものだ。

 

「あ、本当だ。どうしよう、歌う?」

 

 ハリーがしょうもない、でも案外妙案かもしれないアイディアを出している横で、ルイは少しだけおずおずと声を出した。

 

「あの」

 

「ルイ、何か思いついたの?聞かせて、今すぐ!」

 

「僕その、今フルート持ってるよ」

 

「マジ?ルイって予言でもできるの?それともなんでもかんでも持ち歩いてるの?じゃなきゃありえない!」

 

「いろいろあるんだ、えっと後で説明するからとりあえず進もう。もしかしたらこれで解決するかもしれない」

 

「そうだね。ハーマイオニー進んで、早く行こう」

 

「え、ええ。ごめんなさい。ここからは静かに行くわ」

 

 少し気が急いた様子のハリーに、他の三人は特に何か言葉をかけることをしなかった。ロンとハーマイオニーはその騎士道精神から、まあそんなものだよねとハリーの態度に納得していたし、ルイは頭の中で演奏のリハーサルをするのに忙しかった。

 

「この先よ」辿り着いた木の扉の前で、ハーマイオニーが静かにそう囁いた。

 

 彼女の杖先は鍵に向かっている。アロホモラ、彼女がそう唱えるとその古びた鍵が一人でに開く。

 

「あ、ちょっと待って。入る前にルイ、フルートを…」

 

 ハリーがルイの方へと振り返って、その光景に目を見開いて言葉を途中で止めた。キラキラと輝く綺麗な銀色の筒を、ルイはその手に持っている。暗くてその姿がよく見えないのが残念に思えてくるくらいに、ハリー目にはその筒がルイによく似合って見えた。

 

「もう組み立てたよ。いつでもいける」

 

 目尻も眉尻も少し下がっているようないつもの顔とは違い、今のルイの顔には何かが宿っていた。役割意識に近しいそれは、少し臆病で、慎重な彼を今ここまで動かしていた。フルートを持つ手は震えていなかった。何度も、何度も、何度もノアの横で弾いてきたそれに対して、ルイが尻窄みになることもなかった。

 

 ルイが唇を楽器に近づけて、ハーマイオニーに目配せをする。ギィ、と彼女の手によって開けられた扉が音を立てて、中には予想していた通りの大きな、大きな三頭犬がいた。

 

 スゥ、と後ろで呼吸の気配がして、それからすぐに綺麗な音色が不気味な部屋を満たした。ハーマイオニーも、ハリーも、もちろんロンもみんな一斉にルイの方へと振り返る。一音ずつ丁寧に紡がれている美しいそれは、確かに自分たちの学友が奏でているものだった。

 しかし、振り向いたところでルイと目があうことはない。ニコリ、とルイが笑いを返すこともまた、なかった。その顔は至って真剣に、じっと大きな三頭犬を見つめている。

 その視線につられるように、透明マントの中から一行はフラッフィーを見上げた。

 

 不思議そうに首をかしげながら、三つの頭はそれぞれ別の方向を見て音の出所を探している。ルイたちから見て一番右側の頭は、部屋に置いてあるハープを見つめていた。

 きっと、スネイプがあれを使ったんだ。ハリーは内心でそう思った。しかし、誰にもそれを共有しなかった。なんだか演奏の邪魔をしてはいけない気がしたのだ。それは、同じくハープ気がついたハーマイオニーにとっても、犬の迫力に圧倒されているロンにとっても同じことだった。

 

 ドシン。

 

 最初に眠りについたのは一番右の頭だった。次に左、そして最後に真ん中が、同じくドシンと凄まじい衝撃と共に眠りについた。最後の衝撃によって生じた風圧が、彼らが被っていた透明マントを吹き飛ばす。

 

 一瞬足りとも動じずに、ルイはただ演奏を続けた。ルイには、ルイにだけは、ヴァイオリンの音色が聞こえていた。父さんがいつも彼に弾いてくれた、伸びやかで綺麗な音色が。ルイはただ、それに身を委ねるようにフルートを弾いているだけだった。いつものようにルイは実家のあの暖炉の前に立っていたし、いつものように父さんに見守られていた。

 

 しばらくして、小さな春のような可愛らしいテンポが、少し勢いのある陽気なものへと変わる。きっと曲が変わったのだろう、とハリーとロンは思う。二人は顔を見合わせて、ルイの方へ視線をやりながらすごくない?すごいよな。と無言で会話を交わしていた。

 一人行動を始めたハーマイオニーは、仕掛け扉を視認しながらくるみ割り人形の行進曲だわ、と思う。勇気づけられるような音色を聴きながら、ハーマイオニーはその扉に手をかけた。幸い、この大きな犬の体が扉に乗っかっているなんてこともなく、それはすんなりと彼女一人の手によって開けられた。

 

 ひゅう、と扉の奥底から風が吹き上げる。

 

 一体、何があるのだろう。そんな予感に、それを覗き込んだハリー、ロン、ハーマイオニーは背中を粟立てた。潜在的に備わっている恐怖が駆り立てられるくらいその扉の中は真っ暗で、底が見えない。

 

 そうやって三人が自分の腰が引けていくのを感じている間にも、ルイはその大きな犬から一切目を逸らさずに演奏を続けていた。曲が終わって、また新たな曲が弾かれ始まる。今まで習ってきた全ての曲を弾き切るようなつもりで、ルイはフルートを奏で続けていた。

 今度の曲を知っていたのは、ハリーとハーマイオニーだった。ゆったりとしたテンポのこの曲は、ハリーにとっては一度だけテレビで見たことのある映画の曲だったし、ハーマイオニーにとっては何度も見た誰もが知っている少し古い映画の曲だった。ロンにとっては、初めて聞いたただのマグルの歌だったが、それでも三人はなんとなく顔を見合わせて、頷きあった。

 せーの。声に出さずに心の中でだけそう思って、ハリーは穴の中に飛び込んだ。次いでハーマイオニー、ロンも飛び入る。残されたのは眠った三頭犬と、ルイ、そして華麗なフルートの音色だけだった。

 

 ルイは三人が扉の中に飛び込んだのを視界の端で捉えながら、ゆっくりともう演奏されていないハープの元へ近づいた。なんだか妙に頭が冴えていくのを、ルイは肌で感じていた。色々なことが解ったような気がした。例えば、このハープがきっと、三頭犬による破壊を一瞬でも遅らせることができる位置だったからここに置かれたのだろうこと。だからルイはそのハープの側に立って演奏を続けた。体も、顔も、その大きな犬の方を向いている。入ってきた方の扉は、それゆえ視界に収められていない。

 

 

 ずっと笛を吹いていた。少し音を外しても、テンポが遅れても、とにかく止めずに弾き続けた。少しずつ息が上がってきて、そのせいでペースが速くなって。それでもルイは手を止めなかった。

 

 

 どれくらい時間が経ったんだろうか。それすらもわからなくなるほどの長い長い、時間が経ったあと、不意にルイの肩に誰かが触れた。笛から指も、顔も離さず、ルイはゆっくりと振り返った。

 

「綺麗な音色じゃ、得意なのかね?」半月型のメガネ越しに、年老いた目がルイを見ていた。

 

 ダンブルドア校長!なんでここに?演奏を止めないと失礼じゃないか?というかそもそもここにいることは重大な規律違反で。でも演奏を止めたら犬が起きちゃう。でも校長先生が。

 ルイの頭の中で、考えがぐるぐると渦巻いた。フルートを吹くのに必死で、役割を全うするのに必死で、彼はダンブルドアの表情が至って穏やかなものであることに気がつけなかった。

 

「友のため、ここに残ったのじゃな。君は、アルバートによく似ておる」

 

 長い髭を撫でながら、ダンブルドアは穏やかな声でルイに言った。アルバート・クラーク、つまり父に似ていると、そう言ってくれた。ふとダンブルドアが絶えず演奏を続けていたルイの演奏を片手で制して、それでようやくルイは楽器から口を離した。開かれた仕掛け扉に視線を移した校長先生に対してどういうところが、と聞くことはできず、ルイは自分の気持ちを抑えざるを得なくなった。弾き終えたフルートは、その両手でぎゅっと握られている。

 

「君は、もう十分にやってくれたとも。あとは儂に任せて、寮に帰りなさい。」諭すように、好々爺は言った。

 

 しかし、今のたった一言ではルイは動かないことを偉大なる校長先生は知っていた。外見だけでなく内面までもがアルバートにそっくりなこの子ならば、きっと食い下がるだろうことを、知っていた。

 

「え、でも、その…。みんながまだ中にいるんです、校長先生。三人だけで行ってもらっちゃったんだ、僕はフラッフィーを足止めしなくちゃならなかったから」

 

 小さな、少し急いだ口調でルイはダンブルドアにそう伝える。ルイは自分のことだというのに、どうしたいのかも、何がしたかったのかもよくわからなかった。自分が何をすればいいのかがわからなくて、お先真っ暗で。そのせいでルイがどうにか安定させていた足場が、ガタガタと音を出して崩れ始めた。

 

「つまり、君は皆の無事を心配しているんじゃろう?」

 

「………はい、心配。心配してます」

 

「そうじゃな。そして、その気持ちは十分儂に伝わった。」ポン、とルイの頭に手を置いて校長はそう告げた。

 

 ルイが見上げたダンブルドアは、炎に照らされたその長い白い髪も相まって、なんだかとっても偉大に見える。もとより偉大ではあるのだが、その凄さの実感というかそう言った類のものが、ルイの中に芽を出したのだ。

 

「だからほれ、寮へお戻り。ミスターハートリーと、ミスターディゴリーが君を探して城内を走り回っておったよ。早めに顔を見せてあげることじゃ」

 

「はい。……みんな、大丈夫なんですね」

 

「ああ。君の友人は、儂が責任を持って中から連れ戻してくる」

 

 こくり、と頷いて、ルイは部屋の入り口の方へと向かった。最後、ドアノブに手をかける前に、校長先生の方へと振り返る。かけたい言葉や聞きたいことはたくさんあるはずなのに、言葉がまとまらないがために、その視線はじっとダンブルドアを見つめるに留まった。

 

「お行き、ほれ」

 

 校長に促されて、ルイはハリーの持ち物である透明マントを拾い上げてから、ゆっくり外へ出た。ハリーのマントを袋に詰め込みながら、ルイが遠ざかっていくのをしかと見届けて、ダンブルドアは小さく、誰にも聞こえないような音量でつぶやいた。

 

「あの子の表情は、母の方に似たようじゃな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

学年末試験と針とりんご

 あの後、無事先生たちに回収されたハリー、ロン、ハーマイオニーは一時的に病棟の住人になったりしたものの、全員すぐに目を覚まして学校生活に復帰した。僕だけが無傷でなんだか申し訳がない気持ちになりながらも、三人の元へ足繁く通ったものだ。

 賢者の石が破壊されることをダンブルドア先生が直々に伝えに来てくれたりしたけれど、でも、あんな事件があった後でもホグワーツは変わらなかった。一時期、新しい噂のせいでハリーの名前がよく城内で上がっていたけど、それも五月に入ればすぐに収まったしね。学年末試験が迫ってきているこの時期にもなれば、他の人のことを気にしている暇がなくなっちゃうんだと思う。

 特に上級生たちは皆、ピリピリとした雰囲気を出しながら談話室で互いに教え合いながら勉強に励んでた。あのセドリックですら少しだけ疲れや苛立ちをその顔に滲ませていた。今度は9割に乗るのが目標だから頑張らないといけない、ってイライラしちゃってるお詫びにこっそり教えてくれた。目標を他人に知られるとからかわれるから嫌なんだって。真面目の何が悪い、って少しだけむすっとした声で言ってた。

 

 いやでも、強いていうなら変わったところもあったかもしれない。うん。あの日は、僕が初めて夜に寮を抜け出した日でもあったわけだから。セドリックとエリオットは、それはもうカンカンで、僕はひんひん言いながら冷たい床の上、ではなくそこに置かれたクッションの上に座らされて二人からじっくりみっちりお説教を受けた。ダンブルドア校長先生から、父さんにも連絡が行ったみたいで、父さんからも心配の手紙が来てしまったし、それは少し変わったことだったのかもしれない。

 でも、吠えメールが来ることはなかったし、二人に嫌われるようなこともなかった。結果的にはよかった、と言えるような気がする。

 

「ルイ、本当にわからない。無理だ。魔法薬学は無理だ、もう諦めよう。トロール並でいい、俺には無理だ」

 

 湖の畔で寝そべっているエリオットが、隣でそう呻いた。彼が演習問題を解き終わるまで、と決めていた僕のちょっとした考え事兼振り返りは、勉強の終了ではなく集中力の枯渇によって終わりを迎えた。

 

「ダメだよ、エリオット。やるって言ったのは君でしょ?おできを治す薬以外にも作れるようになるんだ、って数分前まで息巻いてたじゃないか」

 

「もういい。魔法薬学は無理なんだ。ちまちまちまちま材料を測って、大鍋をかき混ぜて、爆発させて、また測って…。もううんざりだ!いやだ!」

 

 バタバタと手足を振って暴れ始めたエリオットを、僕は止めるでも責めるでもなく木の根に腰掛けたまま見守った。必要とあらば大の字になって魔法薬学を拒否するエリオットをどうにかなだめながらここまで来たけど、流石にもう集中力の限界みたいだった。

 

 今日はもうやめにしておこう。僕がそう結論付けるまでは限りなく早かった。

 

「じゃあわかったエリオット。次は決闘の練習をしよう。DADAの実技の勉強だ。得意でしょ?僕にもコツとか教えてよ」

 

 木の根から立ち上がって、お尻や膝についていた土を払いながらそう言うと、エリオットはとても短く、簡潔にこう言った。

 

「力まない。以上」

 

 的を射ているけどもっと詳しく言って欲しい、と言うのが僕の正直なところだ。先生に聞いても、ハーマイオニーに聞いても、もちろんエリオットの聞いても答えは同じ。緊張しすぎとか、力み過ぎとか、杖を握る手に力を込めすぎとか。それこそ、僕だってうんざりだった。

 

「もう。せめて起き上がって杖を構えるそぶりくらいしてよ」

 

「レヴィオーソ。」寝っ転がって喋りながら、というとんでもない片手間に僕を浮かばせながら、エリオットはこう言った。

 

「この状態の俺の呪文を避けれるようになってからじゃないと文句は受け付けないぜ」

 

 日頃から乱用している甲斐もあってか、エリオットはここ1年間弱ですっかり浮遊系の呪文をマスターしたみたいだ。ぷかぷかと自分の体が浮かんでいる感覚は、飛行術で感じるものとはまるで違う。うまく制御できない体でどうにかバランスを取ろうともがいてしまって、咄嗟だとうまく杖を振ることすらできなくなる。

 

「それも、そうなんだよなぁ。はぁ、とりあえず降ろして。実技試験用に一緒に対策練って欲しい」

 

 杖一振りで降ろされたルイはどうにか転ばずに着地した。エリオットはもうすっかり目を瞑って寝る体勢に入っている。

 

「寝ないでよ」

 

「寝てない、目を閉じてるだけだ」

 

「じゃあ目を開けて、あと立って。それと僕の技も受けて。…いや、それは危ないか。えっと、じゃあ見ててね」

 

「はいはい」

 

 立ち上がってぐっと伸びをしたエリオットの横で、僕は真剣に杖を構えた。試験範囲の上から順に試していこうかな。まずは、デンソージオだ。

 ほとんど起伏のない滑らかな自分の杖を握りながら、僕は心の中で杖の動きと発音を復習した。エリオットの一歩前に出て、僕はしっかり狙いを定めた。目標は、目の前の木。人体にしか影響のない呪いだから呪文が木に当たってそのまま何の外傷も残さなかったら成功だ。

 

「デンソージオ!」

 

 ひゅん、と杖が風を切る。放たれた先では、鳴るはずのない重たい音が響いた。ドゴン、表すならそんな感じの音だったと思う。

 

「おいおい、木がえぐれてるぞ。歯が伸びるだけの呪文で」

 

「なんでこうなっちゃうんだろう」

 

「俺が聞きたいくらいだよ」

 

 そうだよね、と苦笑いがこぼれる。「はぁ」と深いため息をつきながら、僕は表皮が削れてしまった幹を撫でた。

 

「得意不得意は誰にでもあるし、基本的に恒常的なものだ。一々気を落としてられないぞ、ルイ。できないならできないで、できることに励めばいいんだよ。少なくとも今は、な」

 

「うん、…そうだよね。君の言う通りだ。実技が出来ないなら筆記を頑張ればいいってことでしょ?」

 

「あー、まあ、そう言うことになるのか?変身術に力を入れろって意味だったけど、まあ、その捉え方もあながち間違っちゃいないな。俺は魔法薬学は実技も筆記もできないから、DADAで挽回するつもりだけど」

 

「それって挽回って呼べるの?」

 

「抜きん出てる科目が一個あれば出来損ないではなくなるだろ?」

 

「うーん?まあ、そっか」

 

 気を取り直して杖を懐にしまい、僕は防衛術の教科書を開いた。開いて、簡単に理論を読みなおす。デンソージオやリクタスセンプラ、エヴァーテスタティムに、タラントアレグラ。この類の、直接人間に呪文をかけて相手を一時的に足止めするような呪いは基本的に非殺傷性であることが多い。その法則性に、僕は最近気がついた。インセンディオにしたって、人に向かって打っているだけで人に対して直接呪文をかけているわけではないんだ。危害を加えるには相当な覚悟が必要になる、ってことなのかな。明確に、杖を向けないといけないから…。

 

「というか、ずっと気になってたんだが」

 

「うん?何が?」

 

「あんたのその杖って、本当にあんたを選んだのか?それにしちゃ、随分と暴れん坊に見えるが」

 

「一応ちゃんとオリバンダーのお店で購入した杖だよ」

 

「一応、ってことはお前も納得いってないんだろ?魔法界の杖事情はよくわからないが、そういう時は専門家に聞くのが一番ってのはマグル界でもこっちでも変わらないだろ。サマーホリデー中にでも、見てもらった方がいいんじゃないか?」

 

「うん、うん…。考えておくよ」

 

 僕がどうしようか考え始めたのと同時に、エリオットは荷物をスッキリまとめて、よし!今日の勉強終わり!と言いながら城の方へ向かい始めた。もちろん、僕を横に伴って。

 

 そうやって半ば引きずられるようにして湖の畔を後にした僕はこっそりと、帰っても部屋か図書館で勉強しようと決めた。

 

 

 

 

 それから数日後、中庭で教科書を読み耽りながら変身術の応用を試していたところだったと思う。全く知りもしない生徒が、僕に話しかけて来たのは。いや、正確には、僕の知っている人に紹介されて僕のところに来た人だったけど、でも結局のところ、僕が相手を知らないことに変わりはなかった。

 

「こんにち、こんばんは。じゃなくて、ごきげんよう?えっと、る、ルイ…、えっとミスタークラーク、であってるよね。って、あの、まあ確認しなくても知ってるんだけど、えっと」

 

 彼が最初に発した挨拶…、というか言葉はそんな調子のものだった。ゆっくりと顔をあげてその声の主を確かめると、そこには頬にまだ丸みが残る幼い顔立ちの男の子がいた。僕よりも背は高いはずなのに、自信なさげに曲げられた背中のせいで身長は変わらないように感じられる。

 

「…こんにちは、えっと、ミスター・ロングボトムであってるよね?グリフィンドールの」

 

「あ、うん、そうだよ、ネビル・ロングボトム。僕は、ネビル」

 

「うん。それで、僕に何の用かな?ネビル」

 

「あ、その……。ぼ、僕は、君が…得意だって聞いて、ハリーから。今もしてたでしょ?変身術。だから、そしたらロンが教えてもらいなよって。僕、すごく行き詰ってて、だからそのままここまで来ちゃったんだ。」

 

「えーっと、うん。ちゃんと教えられるかどうかはともかく、確かに僕は科目の中では変身術が一番得意だ」

 

「授業で見てても、その気づいたから、ちょっとだけ知ってた。でもよく考えたら、話した事もない人に魔法を教えるなんて、きっと面倒だろうなと思って、だから今帰るね」

 

「え、ちょっと、帰らないでよ。待って待って、ネビルってば」

 

 そそくさとそのまま一人で納得して背中を丸めながら本当に帰ろうとし出したネビルをどうにか呼び止めて、僕は隣に座るように促した。中庭の石で出来たベンチを、ペシペシと何度か叩いて示し続けていると、ネビルはようやく、渋々といった様子でそこに腰掛けてくれた。

 

「それで、ネビルはどこで詰まってるの?」

 

「針が、……針がどこにも刺ってくれないんだ!どれだけやっても!きっと僕には才能がないんだよ、一番簡単な変身術ですら失敗させて見せたんだから。飛行訓練でも箒が暴走したし、手首を折った。もう散々だ!僕には才能がないんだ!」

 

 わっ、と声をあげて取り乱し始めたネビルをどうにかなだめながら、僕はゆっくり話を聞いてあげた。初めて接するタイプな事もあって、円滑とは言えないようなコミュニケーションだったけど、でもとにかく、彼が何に躓いているのか、僕はすぐにピンと来た。

 

「ねえ、ネビル。君、裁縫したことないでしょ?」

 

「ないよ。なんで?」

 

「裁縫をしたこと、つまり針に触ったことがないと、変身させるのは中々に骨が折れる作業になるんだ。だって、具体的な想像がこの魔法のベースなんだよ?ぱっと見の見た目がぼんやり浮かぶだけじゃ、成功させるのは至難の業だ」

 

「そ、そうなの?」

 

 きょとり、とした顔でネビルは呟く。変身術の教科書からそれに関連するいくつか文章を抜粋して、読み上げれば、腑に落ちたのか彼は何度も激しく頷いた。確かに、針について知っていることは少ないかもしれない、と小さな声でぶつぶつ呟いている。当たり前だ、なんで気づかなかったんだろう、と言葉が続くにつれ、その声も徐々に大きくなっていった。

 集中して考え事に耽っているのを見守りながら、僕は袋の中からこの前の練習の成果物である針を一本呼び寄せた。マッチ箱に収められた針は、その大きな空間の中で、揺らされるたび一人カタカタと音を立てている。そうか、わかったぞ!と言いながらネビルが見つめていた手のひらの上に、僕はそっとその針入りのマッチ箱を置いた。

 

「ほら、この針をあげるよ。想像する時の参考に使って」

 

「い…、いいの?貰っちゃって、」

 

「うん。僕がかけた変身術だからしばらくしたら解けちゃうかもしれないけど、でもその場しのぎにはなるはずだ。一応先生のお墨付きも貰ってるし、クオリティーには問題ないはずだよ」

 

「え、これ変身させたマッチ棒なの?信じられないや!手触りも光沢も、本当に金属みたいだ!……あれ?光沢と、手触り?僕が今まで作ったのはずっと木みたいにざらざらしてて、ぼこぼこしてて、それがそのままだった」

 

「あ、すごい。いいところに気が付いたね。ここから先は感覚論だから教えてあげられることがなくて困ってたところだったんだ。その調子で色々考えながらやったら、きっとできるようになるよネビル。本当だ」

 

「うん、うん!なんだかやる気が湧いてきたよ!ありがとう、ルイ。君って、頭がいいだけじゃなくて、優しい上に教えるのも上手なんだね!今度またお礼をするよ!ありがとう、じゃあね!ありがとう!」

 

 何度もありがとう、と口にしながら、ネビルは大きな笑みを顔に浮かべて、全力で手を振りながら中庭を出て、城内へと駆け戻っていった。普段とは全く違うタイプとの会話だったせいで、どっと疲れが押し寄せてきて、僕はふぅ、とため息を吐いた。でもそれは、ただ単にくたびれたからこぼしたものではなかった。

 僕の中にあったのは、少しの疲れと、大きな達成感だった。自分の得意科目を他人に教えられることのその誇らしさには、勉強をしてきた意味の全てが詰まっている、という言葉に今の自分ならば全力でそれに納得できるような気さえした。自分の好奇心を満たすために本に齧り付いているだけだよ、と普段の僕ならば本心からそう言うところを。

 

 なんとも晴れやかな気持ちだった。今なら、ねずみを嗅ぎタバコ入れに変身させることができるような気さえする。頬が緩むのを感じながら、僕は変身術の教科書を閉じて、今度は天文学の教科書を開いた。防衛術も、天文学も、魔法史も、変身術と同じくらい、もしくはそれ以上に頑張らなくちゃ。

 そうして本に齧り付きはじめてからしばらく、僕は本になんだか赤みがかかっていることに気が付いた。顔をあげて周りを見てみれば、もうすっかり日が暮れ始めていた。そこで、教科書がピーブスのイタズラでなくなっているかもしれない可能性が思い当たった僕は、急いで教科書を置いてあった場所に目を向けた。でも、驚くべきことに、そこにあったのは本の山でも、本の残骸でもなかった。

 

「セドリック!びっくりした、いつからそこにいたの?」

 

 夕日でいつもより赤みが増した髪の毛の隙間から、セドリックのグレーの瞳が見え隠れしている。彼は手に持った緑のリンゴを、シャリッと齧って、それを飲み込んでからようやく口を開いた。

 

「ルイ、君すごい集中力だったな。僕が君を見つけてから、もう3、4時間は経ってるよ」

 

「そんなに?何か僕に用があったなら声をかけてくれてもよかったのに」

 

「ああ、いや、用はなかったよ。顔を見たから挨拶しようと思ったんだけど、真剣だったからさ。邪魔しちゃいけないと思ってね。試験勉強しながら君を待ってたんだ、不思議と僕も集中出来たよ」

 

 違う場所だと新鮮味があって集中しやすかったりしてね、と笑いながらセドリックはわさわさ僕の頭を撫でた。ホグワーツで僕の頭を撫でるような人は、彼だけだ。最初は年が近いとさえ思っていたのに、授業が始まってから、同じ寮で過ごすようになってから、僕は日に日に彼が兄のように思えてきた。僕よりもたくさんのことを知っていて、僕よりも大きくて、僕よりも強くて、それで、僕に対してとても暖かい。

 僕はこの、彼の手のひらが大好きだ。僕を励ましたり、褒めたりしてくれるこの手のひらが。

 

「さ、もうお腹も空いてくる頃だ。大広間に向かおうか」

 

「うん。お昼ご飯食べ損ねちゃったから、お腹ぺこぺこ」

 

「ルイ、集中するのはいいことだけど、ちゃんと食べないと出る力も出なくなるよ?」

 

「あ、えっと、うん。ごめんなさい、セドリック。気をつけるよ」

 

「是非ともそうしてくれ。ルイが病棟の世話になるところはそう何度も見たいものじゃない」

 

「僕があそこに行ったのは、エリオットの箒が頭にぶつかったときの一度きりだよ」

 

「そうだね、ホグワーツの生徒としてはかなりの快挙だ。僕は次の6年間でそのカウントが増えないことを祈ってるよ」

 

 イタズラな微笑みを浮かべながら、セドリックはそう言って先導するように大広間の方へ向かって歩いていく。その背中を追って、僕も歩いた。ハッフルパフの席の奥の方に座っていたエリオットに声をかけて、結局僕たちは三人並んで喋りながら夕食をとった。

 

 期末試験まであと数日。最後の詰め込み作業をするこの時期に、こうして普通にお喋りに興じる時間が取れた事は、結果としてかなりいいものとなった。リフレッシュの大切さを実感して、今後もより一層節度をもって励むことができるようになったし、それに、僕の成績は決して悪いものではなかった。

 学年でトップのハーマイオニーに比べてしまったら、そりゃあ見劣りするけど、筆記だけ見てみれば僕は彼女に特筆して劣っていたわけではなかった。それに変身術ではなんと彼女よりもいい成績を成績を取ることが出来た。筆記実技合わせて満点だったんだ。結果が出た日のうちに僕は急いでこれを手紙に書き起こして、父さんに梟を飛ばした。急遽セドリックの梟を借りることができてよかった。生徒全般に貸し出されている配達用梟は特急で運んでくれたり、気を利かせてくれたりしないから。

 その時に父さんが返してくれた手紙に大喜びではしゃいでいたら、本当にパパが好きなんだなとロンに呆れた顔で言われてしまった。ハーマイオニーが「贔屓目なしの私から見てもとても素敵な人だったわ!」とロンに反論している中、僕は一人、大好きで何が悪いんだろう…と思考の海に深く潜り込んでいた。

 

 きっと悪いことはないはずだと案外すぐに、つまりその日のうちに、結論づけて、僕はいつもと同じ時間にベッドの中に潜り込んだ。エリオットと、あと他のルームメイトたちにおやすみ、と言ってから、僕は目を瞑る。ベッドのすぐ隣の机の上で、エリオットが宿題のためにカリカリと羽ペンを走らせているのを聴きながら僕はゆっくり呼吸を繰り返した。

 

 寮対抗杯の結果発表が終わってしまえば、残る今学期の日程はサマーホリデーの開始を待つだけになる。来年の学校も、帰省も、ホリデー中の文通も、全部全部楽しみだ。

 

 世界の広さを教えてくれてありがとうホグワーツ。大好きだよ、ホグワーツ!

 

 そんな思いを胸いっぱいに抱きながら、僕は眠りについた。

 

 

 

 

 

 

 

 

僕たちの夏休み

 バサバサバサ、という力強い翼の音が僕の意識を浮上させる。薄ら眼を窓辺に向けると、セドリックのミミズクが首を90度傾げて僕を見つめていた。なんでここにいるんだろう、と覚醒し切っていない頭で考えて、天井に木製の飾りがないことに気が付く。なんだか部屋が白い。僕の机って、こんな形だったっけ。

 

 ああ、そっか、帰省…。ゆっくりと、僕はその事実に気がついた。

 

 のそり、と布団から脱出して、僕は立ち上がりながらスリッパに足を滑り込ませる。ミミズクが加えた手紙を受け取って、その宛名を確認する。『親愛なるミスタールイ・クラークへ』と綴るその字は、確かに見覚えのあるセドリックの字だった。自室のペン立てからペーパーナイフを取り出して、僕はその手紙を開けた。

 

 親愛なるルイへ

 

 少しずつ暑くなってきたけど、ちゃんと帰省を楽しんでるかい?ミスターアルバートによろしく伝えておいてくれると助かるよ。あと、日頃の感謝もね。僕の父さんが君のお父さんと文通を始めたらしいんだ。高頻度で送り付けてないといいんだけど。

 こんな手紙を書いているからには、もちろん自分のことも話さないとな。僕の方は心配しなくていい。今回はドラゴンを見に行かないから。代わりに、ご存知の通り、大きな庭を借りてクィディッチの練習をするんだ。その日まであと二週間くらいだな。楽しみにしてる。ちゃんと二人揃って来てくれよ、遅刻はなしだ。飛ぶ時間が減るからな。

 あと、言ったと思うけど箒はあるから、心配しなくていい。水筒と杖だけもって来てくれ。

 

 セドリックより

 

 ほとんどクィディッチのことしか話していないセドリックに、僕はクスクスと静かな笑いが込み上げて来た。ぺたぺたとスリッパを鳴らしながら上機嫌で一階に降りると、キッチンからチッチッチッとトースターの音が聞こえてくる。僕がホグワーツにいる間に父さんがどこかからもらって来たものだ。

 

「おはよお」

 

「おはよう、ルイ。朝食は直にできるよ、テーブルの準備をしておいてくれるかい?エリオットと一緒にね」

 

「エリオット、」

 

 なんで父さんの口から、僕の友達の名前が出てくるんだろう。不思議に思って、首をかしげていると父さんがふんわり笑って、僕の頭を撫でつけた。

 

「寝癖がついたままだよ、ルイ。身支度がまだだなんて珍しいね、学校の疲れが溜まったのかい?」

 

「はよ、ルイ」

 

 ピョコリ、とエリオットが父さんの後ろから顔を出した。ローブでも寝巻きでもない彼のことを、僕は初めて見た気がする。

 

「本当に寝癖がついてる、珍しいな」

 

「……エリオット?」

 

「まだ寝ぼけてるのか?あんたが俺を家に招待してくれたんだろ」

 

 僕の頬を軽くつねって、伸ばして、エリオットは言った。眉を顰めて、呆れているのに嬉しそうな顔をしている。そういえば、僕は昨日もこの顔を見た。彼の丁寧すぎる挨拶を笑ってしまった僕に、彼は同じ笑顔を向けた。

 

「さあ、二人とも。手伝ってくれるね?」

 

「もちろんです、ノアおじさん。ほら、ルイ。行くぞ」

 

「え、あ」

 

 ぐい、と腕を引かれて、少しだけバランスを崩す。まだお皿もカトラリーも手にしていないのに、僕はダイニングテーブルの前に突き出された。僕の友人は、随分と張り切っているみたいだ。エリオットは頑張ろうと思えば思うほど杜撰になるからなぁ。箒の暴走も十中八九それのせいだ。だってあれ以降すました顔で僕よりもずっと高く速く飛んでるんだよ?絶対そうだって。

 

「はい、皿並べておいて。俺はフォークとかも取ってくるから」

 

 僕がそんなことを考えていると、手の中にお皿が押し込められた。落とさないように慌てて受け取って、僕は一枚ずつ丁寧に机の上に置いた。三個、三角形になるように丸い机の上に並べた。

 

「おじさん、コップと水差しってありますか?」

 

「あの棚にしまってあるよ、ありがとうエリオット」

 

「お世話になっている身として当然です、キビキビ働かせてください」

 

 一晩越えてすっかり緊張が解けたエリオットは、もう自然に父さんと話せるようになっていた。昨日のように変に丁寧になることもなかったし、ましてや声が裏返ったり吃ったりすることもなくなった。僕と話す時と同じトーンで会話に望めている。父さんも、新鮮だからか楽しそうだ。日に日に濃くなっている目尻の笑い皺を後押しするみたいに、嬉しそうに目を細めている。

 

 そんな僕の父さんと、僕の友人を見て、僕は感じたことのない気持ちになった。父さんに頭を撫でて欲しくなって、エリオットに名前を呼んで欲しくなるような、そんな気持ちだ。よくわからないまま、僕は二人のところまで歩いて行って、とりあえず次の仕事をもらった。

 食事中に、父さんとエリオットが交わしていた会話に耳を傾けることすらできなくて、僕はもそもそご飯を食べた。この変な気持ちは、ずっと晴れないままだった。

 

 一通り家事を終えて、二人で課題に取り組むことになって。それで僕の心はようやく少しスッキリした。薪をくべていない暖炉の前であぐらをかいて、床に教科書と羊皮紙を並べて、僕たちはお喋りしながらダラダラと習ったことをまとめ始めた。

 

「ルイ、その本とって」

 

「はい」

 

 ゆっくり読んで、ゆっくり書いて、来年のことを話し合った。2年生になるからにはきっともっと難しくなるから、ちゃんと勉強しようってこととか、新しい魔法でどんなことができるようになると思う?とか。そういう話だ。そうしている間羽ペンを絶えずカリカリと動かしていたエリオットがふと顔をあげて、そういえばと僕を見ながら口にした。

 

「最近自分の箒が欲しくて、小遣い稼ぎを頑張ってるんだ。大分違うってセドも言ってたし。多分行ったことなかったと思うけど、俺、ゆくゆくはクィディッチチームに属したいんだ」

 

「そうなんだ?すっかりクィディッチの虜になったね。残念ながらワールドカップは去年だったけど、でも次の4年生になる前の夏休みにあるやつは見に行けるよきっと」

 

「ああ、そうだといいな。チケット取れたらその時は一緒に行こう。それまでにあんたに色々教えてやれるようになっておくよ、解説役が必要だろ?」

 

「僕だけの解説役になってくれるんだ。約束?」

 

「ああ、絶対だ」

 

「へへ、じゃあ楽しみにしてるね」

 

 僕の頬が不自然ににやけるのを感じて、僕は取り繕うように上から笑顔を浮かべた。おう、楽しみにしておけと返事をしながらエリオットが羊皮紙に視線を戻したのを見て、僕も自分の手元に視線を戻した。

 

 そうやって課題をしながら少し喋って、ご飯を食べたりおやつを食べたりして、僕たちは約束の日までの二週間を過ごした。ハーマイオニーやロン、ハリーに手紙を送ったりもした。残念ながらハリーからの返事は届かなかったけど。

 まあそれはともかく、箒に集中できるように全ての復習を終わらせてやると息巻いていたエリオットは、宣言通りに課題を終わらせてこの日に挑むことができた。同じペースで進めた甲斐あって、僕もあらかた終わらせることができている。

 

「ミスターエリー!それに、ミスタールイース!ようこそ、練習場へ!」

 

 練習場に到着した先で待ち受けていた恰幅の男性が、僕たち二人を気前よくあだ名で迎え入れてくれる。人の良さげな笑みを浮かべて、彼は僕たち二人の肩に手を置いた。

 

「私の息子と仲良くしてくれてありがとう。エイモス・ディゴリーだ。今後とも是非友達でいてやってくれ」

 

「もちろんです、あんなにいい友人、いい先輩は他にいません」

 

「そうか、そうか。そう言ってくれると嬉しいよ。何しろ、私の自慢の一人息子だ」

 

 メガネの奥で誇らしげに緩められた目尻になんとなく父を思い出していると、僕たちの真後ろから空気を切る音が鋭く鳴った。

 

「セドリック!」エリオットがそう叫ぶ。

 

 箒から軽々飛び降りたセドリックと僕たち二人が各々再会のハグやら握手やらを済ませた頃、どこかからか箒が追加で2本飛んできた。待ってましたとばかりに目を輝かせるエリオットを見て、セドリックが「これは将来有望だな」と笑いながら僕に同意を求めてくる。もちろん、僕に異論なんてない。

 

 空を元気に飛び回って追いかけっこをする二人を、僕は一人だけゆっくりじっくり飛びながら見守っていた。

 

 近くに飛んできた二人を余裕を持って避けただけだというのになぜか標的が僕に変わって二対一で追いかけられたりしたけど、まあ楽しい時間だったと思う。僕のことをすぐに捕まえたくせして、「やっぱルイも才能あるよ」なんて言ってきたエリオットの頬はつねってやった。君の方がすごいんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新学期の前に

 そうして、長いはずの夏休みが意外と短く過ぎていくことを感じながら、僕と父さん、それにエリオットはダイアゴン横丁へ来ていた。ホグワーツから新年度の持ち物リストが届いたのだ。父さん曰く、今年の教材にはよくわからない本を選んでいるらしい。難しいという意味ではないみたいだけど、父さんが僕にくれたのは曖昧な微笑みだけだった。読書家の父さんが、本に対してよくわからないというなんてとても珍しいことだったけど、僕がそれを長く思考に留めていられることはなかった。

 ダイアゴン横丁についてすぐ、あまりにも人で溢れ返っている本屋の中でどうにか端の方へ移動することに必死にならざるを得なかったからだ。どうにか本棚の影に入り込んで一息ついたと同時に、僕は先客に気がついた。

 

「ルイース・クラーク?」

 

 限りなく白に近い金髪の男の子が、僕をそう呼んだ。綴りだけ見て仕舞えば、僕は確かにLouisだ。文字だけで僕を知っている人なら、確かに僕をそう呼ぶのかもしれない。

 

「…ドラコ。ドラコ・マルフォイだよね?ごめん、邪魔したかな?僕もこの人だかりから逃れたくて。えっと、君もそう、なんだよね?」

 

「見てわからないか?あの間抜けな集団に自ら混ざりに行こうとは思わないね」

 

 高飛車で、偉ぶっている。いつだったか、ロンが彼をそう表現したことを僕は思い出した。こうして話してみると、確かにそうなのかもしれない。でも、別にそれでいいとも思う。僕に向けられた彼の言葉に傷ついたり怒ったりするほど、僕は自分の中に大切なものを持ち合わせていない。

 

「僕も、あの人混みは勘弁かな。というか、今はそれよりも君が僕の名前を知っていたとに驚いてるよ。話したこともないわけだし」

 

「学年次席様の名前は、嫌でも目に入ったさ。それに、そういう君も僕の名前を覚えているじゃないか」

 

「だって、ドラコだよ。素敵な名前だ。ホグワーツの教訓にも出てくる、Draco dormiens nunquam titillandusってさ。まあ、これは眠っているドラゴンをくすぐるなって意味なんだけど、でも綴りが同じだから覚えてて」

 

「……」

 

 黙ったままに奇怪そうな目つきで、目の前の彼は頭からつま先まで僕をじっくり観察した。お眼鏡に適ったのか否かよくわからないまま、彼はフンと鼻を鳴らしながら僕から目を外して本棚を探し始めた。案外すぐ近くに置いてあった本を引っ張り出して、彼がそれを読み始める。僕たちが習う範囲よりも、少し先の魔法薬学の指南書だ。

 

「魔法薬学で…、確か次席だったよね。ミスタードラコ、の名前を見た気がする」

 

「なんだ、次席様は自分が負けた相手すら覚えていないのか?…ああ、総合で二位だったから知る必要もなかったのか」

 

「あ、いや、その、自分の名前のすぐ上にあったのは覚えてて…。応用問題が解けたんだなぁすごいなぁ、って思ってたんだけど。あ、そうだ、せっかくの機会だから聞いてもいい?僕あの応用問題どうしてもわからないところがあってさ」

 

「いいと思ったのか?それならとんだ見当違いだ、他をあたれ。それこそ、主席のグレンジャーとかな。……小賢しい___血め」


「…?ねえ、今なんて」

 

 小さく呟いた彼の言葉を僕が聞き逃したのと同時に、店の入り口付近からルシウス・マルフォイ!!と怒鳴る大人の声がした。ドラコと顔を見合わせて二人で本棚の影から顔を出して様子を見ると、何やらロンにそっくりな赤毛のおじさんと、ドラコにそっくりなホワイトブロンドのおじさんが取っ組み合いを始めていた。チラリ、とドラコの様子を見ると彼はなんだか、微妙な顔をしていた。多分僕も今、同じような顔をしていると思う。

 

「今日という今日は目にものを見せてやる!」

 

「それは、こちらのセリフ、ですな!ミスターアーサー!」

 

 胸ぐらを掴み合って本格的な殴り合いを始めた二人に僕は思わず口角がひくつくのを感じた。少し、見ていられなかった。ドラコのお母さんらしき人と、ロンのお母さんらしき人がやめなさい!と怒鳴っているが、二人はそれを一切気に止めず喧嘩を続けている。ついには胸ぐらを掴み合ってゴロゴロと転がり回り始めた大人二人、囃し立てる双子らしき人影。サイン会?のために集まった婦人方が揃って眉を吊り上げている。僕はもう今度こそ目を閉じた。ことが収まるまでじっとしていようと決めて。

 

「____ミスタールシウス」

 

 静かなのに、やけによく通る声が、突如店を静めた。

 

「見てわからないか!今は取り込み…」

 

 途中までその声の主に抗議しようとしていた声が、なぜか尻すぼみになる。

 

「ミスターアーサー」

 

「なん、だ…?」

 

 困惑したような声が、聞こえてくる。「お二方、一度店を出ましょうか」そう口にしたのは、確かに覚えのある声だった。覚えがあるどころじゃない、これは、これは…。

 

「ノア、お前なんで」

 

「アルバート!年長者をそのように扱っていいと教えた覚えはない!」

 

 父さんの声だ。魔法で店の外に放り出された二人の後を追って、ウィーズリー家とマルフォイ家、あと僕もゾロゾロと外へ出た。立ち上がらされたおじさん二人は、父さんの手によってすっかり身なりを整えられたあと人の邪魔にならない場所に移動させられた。

 

「頭が冷えたようで何よりです、先輩方。ご子息ご子女の前で、長々と地べたを転がり周りのはきっと本意ではないと思って場所を移させていただきましたが、よろしかったですか?」

 

「あ、ああ…。そうだな、いてくれてよかったよノア」

 

「いいか、アルバート。貴様に止められずとも、私は勝利を収めすぐにこの場を去っていた。裏切った一族ごときに私が遅れを取るわけが…」

 

「ミスタールシウス」

 

「……」

 

 そうして沈黙した場で父さんから気まずそうに目を逸らした赤毛の方のおじさん、ミスターアーサーが妻と思わしき人と耳を引っ張られながら連れていかれ、残ったミスタールシウスとその奥さんはその場に残った。なんとなく場の流れで隣り合って一緒に見守っていたドラコの様子を、父さんの行動で気を損ねていないと良いけどという心配も込みで伺うと、なぜか彼も僕の方を見ていた。

 

「…あの、あの方は誰だ?知っているか、クラーク。あの状態の父上を止められる人がいるだなんて、12年間の僕の人生で最大の発見だ」

 

「え、えっと」

 

「知り合いなのか?教えてくれ。ウィーズリーを見かけると、父さんはいつもああなんだ。あいつを見かけた時なんて、特にひどい。今回はその中でも最悪だった。それを止められるような優れた魔法使いとは是非とも知り合っておきたいんだ。純血か?混血か?まさかマグルではないだろうな?いやそれはないな、ありえない。父上がそのようなものに魔法を行使されることを許すはずがない」

 

 怒涛の勢いで捲し立てたドラコは、ここ数分の中で一番の口数だった。そんな彼に、僕の肩は必死で揺す振られている。僕の父さんだよって教えてあげたくても、この揺れの中で口を開いたら舌を噛みそうだ。自分のお父さんの方を眺めながら、ドラコは僕のことを見もしないままとにかく前後に揺らし続けた。

 

「ああ、ルイ。ここにいたんだね、探したよ。……おや?君は、ルシウスの息子のミスタードラコであってるかい?」

 

「え、あ、はい。え?」

 

 タイミングよく僕を見つけてくれた父さんに安堵しながら、僕はさっきまでの揺すぶりに目を回して本棚に手をついた。ぐらり、と手元が崩れたのを感じて、自分が今掴もうとしたのがただ積み上げられただけの本だということに気が付く。時すでに遅し。まだ回っている視界から考えても、うまく受け身を取るのは難しいかも。そう思って、僕が目を瞑った瞬間、僕に訪れたのは痛い衝突ではなく、誰かの腕の中に収まった感覚だった。遅れてどさどさどさ、と本が倒れていく音が聞こえてくる。

 

「ルイ、怪我はないかい?」

 

「うん、ありがとう父さん」

 

「…は、父さん?クラークの?」

 

「えっと、うん。そうだよ。アルバート・クラーク、僕のお父さん」

 

 目をまんまるに見開いて僕と父さんを見比べたドラコは、それから「似てるな…」ととても小さく呟いた。僕たちが親子であるということに心底納得したような声だった。

 ミスタールシウスとミスナルシッサがドラコを連れて行ってからも、エリオットと合流したりハーマイオニーと久しぶりのハグをしてからも、僕の気分は上がったまま落ちることを知らなかった。つまり、一日中。必需品を全て買い集めて家に帰ってから、僕は一人小さく、新学期になっても見かけたらドラコに挨拶をしようと決めていた。

 

 父さんと僕を似ていると称してくれる人に悪い人はいない、という価値観で生きている僕は、彼のあの一言ですっかり絆されてドラコを友達認定したのだ。まあ、それをドラコ本人が知るのはこれからしばらく後のことになるんだけど。

 

 そうしてトランクケースに荷物を詰め込んだり、新学期の教科書に軽く目を通したりしている間に夏休みは終わりを迎えて、僕たちは去年に比べて一人多い同伴者を伴ってキングスクロスへ向かった。

 

 

 

【一年目終わり】




こんなに長いのにここまで読んでくださってありがとうございます。

楽しんでいただけていたら幸いです。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。