青により、水影・やぐらにかけられていた幻術が解かれた。
暗く濁っていた薄桃色の瞳が、みるみる光を取り戻してゆく。そして最後は苦痛に歪んでいた。
「……オレは、何ということを」
照美メイと青、その他霧隠れの里の忍たちを前に、やぐらはガクリと膝から崩れ落ちた。水影として行ってきたこれまでの諸行。その全ての意味を一瞬に理解した。一代で、里をこれほどにまで貶めてしまった己の罪深さを呪った。
「すまなかった……」
床に手を着いたまま、やぐらは頭を垂れた。水影とはいえ、彼は背丈も外見もまるで子供のように幼く、その光景は彼らの同情を誘った。
「水影様はやはり、操られていたのか……?」
誰となくそのような憶測を口に出す。いや、憶測というよりも事実は明白だ。
「メイ、……いっそこの場で殺してくれ」
やぐらは、ポツリと言葉を溢した。
「水影様……。それは出来ません。確かに……多くの過ちを犯された。ですが、それらは全て何者かに操られていたためですわ。私たちも皆、協力します。お助けしますから……どうか」
水影を失うとなると、霧隠れの里の情勢は更なる混迷を極めるだろう。メイとその同志たちはそれを危惧していた。やぐらも、その点については理解している。道を誤ったから退くのは簡単なことだ。真に必要なのは、過ちを認め、正すこと。逃げるような退き方は、恐らく後々後悔するに違いない。未練も残るだろう。水影の座を退くのは、過ちを正した後でもできることだ。
「水影様、どうかお立ちください」
メイは、膝を屈めてやぐらに手を差し伸べた。
「すまなかった」
白魚のような美しい手。彼女の手は温かかった。人の肌に触れるのは、いつぶりだろうか。やぐらはゆっくりと立ち上がった。この執務室にいる忍の顔を一人一人、じっと見つめた。彼らはやぐらにとっての恩人に他ならない。だが、頭も心も、今の状況にはついていけない。その表情は曇ったままだ。
「頭を冷やしたい。……今は少し、一人にしてくれないか」
言葉を返す者はおらず、彼らは会釈して執務室を後にした。
彼らが全て出ていったのを確認すると、水影の笠と外套を机の上に置き、頭もすっぽりと覆うことのできる自分の外套を羽織った。水影の座から退き、責務を放棄する気はない。だが、今は一時、この場所から離れたいという気持ちは抑えきれなかった。
人知れず執務室を抜け出し、日暮れの街を屋根づたいに駆けた。同じ風景を見ていたはずなのに、今は違って見える。暗く湿った街が、更に暗く見えた。水影に就任した当時は、志があった。その志も描けなかったどころか、全く見当違いの最悪な結果を招いてしまった。吐き気が襲う。誰かに自分は夢を見ているのだと、言ってもらいたい。鼻の奥がツンとして、唇が震えた。
眼前に広がる広大な荒れた海。この霧隠れの里のある水の国は周りを海に囲まれている島だ。霧隠れの里の外れも、海に面している。こんな時間に海岸の絶壁を訪れる者はいない。そう思うと、気が緩んだ。箍が外れたように、その双瞳から大粒の涙が溢れ落ちた。両手で擦っても擦っても、止まらない。
「本当にお可愛そうな水影様だ」
やぐらは我に反って振り返ると同時に、身体が宙に浮いた。
「っぐ……」
仮面の男。こいつだ。オレはこいつに操られていた。確信はなくとも、直感がそう強く訴えてくる。仮面には一つの穴があり、そこから紅色に鈍く光る瞳が見えた気がした。抗えない。身体中から力が抜け、そして意識も遠退いていく。そして腹が抉られるような感覚を覚えると同時に意識を手放した。
「五影の名が廃るな。この程度か」
やぐらの小さな身体は、黒い焔に包まれ仄暗いに溟海に沈んでいった。
やぐらの心は揺れていた。今までに無いほど、激しく。それが隙を生んだ。全て仮面の男の計算通り。そろそろ、水影・やぐらの身から三尾を抜く時期を考えていたところだった。
「水影は、亡命または自害……っと」
このタイミングでやぐらの姿が消えたとなると、行き着く結論はそうなるはずだ。仮面の男はそう呟きながら、闇に消えた。
賑やかな声が聞こえる。こんなオレでも、天国に行けたのだろうか。
「サスケ、サスケっ!今日の夕飯どうする?味噌ラーメン?醤油?それとも豚骨?」
どうやらあの世にもラーメンがあるらしい。もし選ぶとしたら、胃もたれしづらそうな醤油を希望する。
「ふざけんなドベ。いい加減ラーメン以外のレパートリー増やせ」
「えー……。んならたまにはヒナタんち行く?」
「もういい。オレが作る」
「マジで?サスケの手料理上達してきててうまいってばよー」
水の流れる音、包丁で野菜を切っているような音。あの世はこんなに生活音がするものなのだろうか。いや、違う気がする。ここは、布団の中?いや、ベッドか?
「……うわああああああ!!」
理解できないこの状況に、やぐらは起きるなり絶叫した。
「「あ」」
ナルトもサスケも一斉にやぐらを見た。やぐらも彼らの視線に気づく。
「…………ええと」
ずかずかと遠慮なく近づいてくる金髪の少年に、やぐらはわけがわからず思わずたじろいだ。
「よっ!まずは磯撫の声を聞いてくれってばよー」
「……?イソブ?」
「ん?なんだ、三尾の名前、知らねえの?磯撫ってのは三尾の名前だってばよ」
「何でお前がそれを!」
やぐらが人柱力であることは、里の重要機密だ。
「うーん……。それもこれもあれも全部、磯撫に聞いたら分かる。オレってば説明すんのニガテで」
なんとなく彼には逆らえない。というよりも拒否する気力を失う程に、彼が自分を信頼しているような気がして。そういう気持ちは言葉がなくとも、嫌でも伝わるものだ。
「わかった」
やぐらは腹に違和感を感じ衣服を捲ってみると、そこには見たことのない術式があったが悪いものでないことは分かる。そして、そこに三尾のチャクラを感じた。以前よりも、小さなチャクラだ。やぐらは目を閉じた。
「つまり、お前がうずまきナルトで、死にかけてたオレを拾って三尾のチャクラを封印したってことか。……全くわけがわからん」
「だろうな。オレはうちはサスケ。ちなみに、アンタを操って利用したヤツはうちはオビトだ。ヤツは死んだことになっているが、生きて闇に潜んでいる」
「そうか。……操られていたとはいえ、オレは取り返しのつかないことをした。早く里に戻らないと……」
「それは止めておいたほうがいい」
「お前に指図される筋合いはない」
「いいから聞け。……アンタが消息を絶って、約半月。その間に水の国周辺の海に三尾が出現した。人柱力に封印された尾獣は、その人柱力が死亡すると一旦同じ運命を辿り、一定期間の経過の後に再び出現するとされる。つまり……アンタは死亡したと考えられているはずだ。そこに戻って、アンタは何をどう説明するつもりだ?」
半月と聞いてやぐらは目を見開く。それほど長くこの二人はオレの面倒をみていたのだろうか。
操られていたとはいえ、過ぎた時間を巻き戻すことはできない。起きたことをなかったことにはできない。戻ったところで、信用も人望も何もない。今できることは、忍らしく影から支えることではないだろうか。
「全部終わったら、戻れるってばよ」
だが、全てを終わらせるには時間がかかる。あまりにも長い。
「お前たちは尾獣を剥がれた人柱力を助けているとか。ということは、オレの他にも同じような者がいるのか?」
「ああ。一人な。岩隠れの里のハンっていう忍だ。今は波の国でオレの知り合いんとこでのんびり暮らしてるってばよ」
「波の国か……。確かにあそこなら身を隠すには良さそうだ。だが……」
「どうしたんだ?」
「やはり、オレがここに残るのは難しいか?できることなら、お前たちに協力したい。ひいては、霧隠れの里のためにもなることだからな」
「うーん……有り難い話だけどさ、やっぱ里の壁はまだ厚くて……」
水影としてのやぐらの顔は広く知られていないため、里に残る手段が全くないとは言えないが、元とはいえ他里の影がいることが露見した場合、やっかいな問題になりかねない。
「そう、だろうな。わかっている」
隠れ里がなく、小さな離島である波の国は、暁にとって唯一の盲点に成りうる場所だ。時が来るまで、身を潜めるにはこれほど適している場所は他にない。やぐらもタズナの家に身を寄せることとなった。
「やぐらだ。よろしく頼む」
「おお!今度は超ちっさいガキか。イナリと遊んでやってくれい」
「……わかった」
素性を隠しているため自分は見た目通りの子どもではないとも言えず、タズナを前に強く出れないやぐらだった。