―――――スタンピードの予兆とは、実際のところ気づいた時には既に手遅れである。魔物が徒党を組み、雪崩のように押し寄せる――――その主な原因は、強力な魔物の移動にある。
雪だるま式に巨大化するスタンピードが、まだ比較的小さいから『予兆』と言うだけ。実際は既に村がつぶれていたり、城壁に魔物が押し寄せていたりすることもある。
アイリスは『剣』の聖女の特性から、実際のところ聖女になってからはスタンピードに対処したことはない。
『剣』の聖女が生成できる聖剣『
聖女が選んだ者にしか扱えないが、絶大な力を与える聖剣であり――――実際のところ、かつてのセフィことゼーロスが生死の境をさまよいつつもスタンピードを収めた最大の要因であった。
選ばれた者以外は剣を握ることすらできず、今のところ適正者はゼーロスが変装していた時のセフィのみ。流石に公爵家三男を危険な土地に送り込むのはどうかという問題もあり、これまで出番がなかったわけである。
その点、防衛戦では問題はない――――当の本人たちが、全くお互いに気づいていない以外は!
(いやこれ、どうしますかね)
せっかくの愉しみではあるのだが、もちろん人命最優先。
己の主であるゼーロスが聖剣に握った時の活躍は―――握ってからの活躍は目覚ましいものである。
どうやら聖剣は一度振るうだけでも何かしらの影響があるらしく。聖剣を使って辛くも生き残ったゼーロスは、その後急激に上昇した魔力と身体能力によって第二師団長にさえ上り詰めた。
ゼーロスに伝えるのは確定事項。だが、どう伝える?
下手な伝え方をして、妙な拗れ方をするのは困る。困るが、事態は一刻を争う。
きょろきょろと、誰かを探している様子のアイリスは困った様子であり。
実際のところその探し人であろうゼーロスは己の愛馬を曳きつつ声をかけた。
「そうだ、アイリス。聖剣を借りてもいいだろうか」
(言った――――ァッ!?)
アイリスは遠くから聞こえる叫び声や、魔物の鳴き声に城壁へ目線をやって。僅かな逡巡と共にその手に深紅の輝きが集い――――火花が散って、そのまま虚空に留まるような不可思議な光景と共に黄金の柄が生成され。一拍遅れて、深紅の刃を下にして、剣はまるで豆腐でも切り裂くようにぬるりと地面に突き立った。
「その……気を付けて下さいね? 触れるときに――――」
「ありがとう。行ってくる」
スッ、と音も抵抗もなく引き抜かれた聖剣を下げて、ゼーロスは馬に飛び乗って駆り立てる。その光景は、目が零れ落ちそうなくらいびっくりして見据えたアイリスは、断面すら残っていない聖剣の痕と、離れていく聖剣の輝きを見比べて呆然としていて。
「……えっ? …………ええっ?」
「ええっと、すみませんアイリス様。確か聖剣は距離が近い方が威力が出ると伺ったのですが……」
「あ、はいそうですなるべく前にいかないと―――――なんで抜けるんですか…!?」
長いスカートの裾を持ち上げ、できるだけ急いで城壁に向かうアイリスになんと説明したものか悩んだ末に、とりあえず未来の自分の主に説明をぶん投げた。
「抜ける分には困らないので! あとで考えましょう!」
「そ、そうですね!?」
―――――――――――――――――
悲鳴が聞こえる。喊声が響く。
金属の打ち合う音、城壁の崩れる音――――そして魔物の多数の足音と大重量の魔物によって木材や金属が踏みつぶされる音。
それらが妙に遠いもののように聞こえる。
『聖剣』を手にしてから―――深紅の輝きと共に、身体に魔力が満ちていくのを感じる―――身体が軽く、聖剣のみならず鎧すらもまるで普通の服のような軽さに感じる。
馬上からだと不利か――――?
リーチが足りない、そんな想いに応えるように聖剣の刀身が伸びる。
驚きとともに一振りし――――更に伸びた聖剣が巨大なイノシシの魔獣を一撃で切り伏せる。
「これは…! なんとも! 使いこなし甲斐がある!」
刀身を戻し、伸ばし――――味方の槍に接触させてしまったところで、槍は何ともなかったにも関わらず、その先にいた魔獣だけ両断されたのを見て目を見開く。
「――――少し、無法すぎないか?」
試しに自分の腕に軽く刃を添えて―――――ほんのりと暖かい感触だけ残してずるり、とすり抜けた。腕には傷一つない。
敵だけを判別して斬れるのか!?
アホの腹心がいれば試しにちょっと髪でもカットされるか試すところだが――――魔獣に丸のみにされかけている兵士に向かって聖剣を振るい、無傷で放り出されて唖然としている兵士に近づきつつ聖剣を振り回して薙ぎ払う。
「――――一旦引け! 陣列を組みなおすんだ! 第二師団は俺に続け! 集団の横腹をぶち抜いて時間を稼ぐ!」
魔力を聖剣に込めると、深紅の輝きが炎のように蒼く、そして更に白く変わる。
「――――敵だけを切れるというのなら――――!」
全力で、全ての魔物を斬り捨てる―――!
「おおおぉぉぉぉッ!」
「聖剣、解放――――!」
城壁の上でアイリスが叫ぶのと同時に、限界まで輝きを束ねた聖剣の輝きが解き放たれ――――視界の全てが白く染まる。
振るわれた白い輝きは、熱波となって大地ごと魔物の群れを焦がし、溶かし、焼き尽くして。光が収まった時、残っていたのは赤熱して溶けた大地のみ。
瞬間的に、戦場に静寂が訪れる。
およそ視界いっぱいの魔獣が消滅し――――後続は戸惑ったように勢いを減じ。前衛となっていた集団も、勢いに乗った第二師団が横腹を切り裂いていく。
「――――ぐっ………この……」
全力疾走した直後のように息が切れる。
聖剣の輝きが巻き付くように腕を支えてくれるが、飛びそうになる意識を必死に繋ぎ止めて――――。
「隊長! 一旦下がってください!」
「もう、一撃くらいは――――」
意識が遠くなる。
遠くでアイリスが悲鳴を上げるのが、妙にはっきりと聞こえて――――そのまま馬上から転げ落ちた。
――――――――――――――――――――
目を覚ますと、心配そうにこちらを覗き込む聖女―――アイリスの横顔が、アリアと重なって見えて。思わず伸ばした手を、少しひんやりと感じる手で押しとどめられる。
「……無理をしすぎです。大人しく寝ていてください。スタンピードは収束に向かっているみたいで、白の騎士団もけが人だけで死者はいないそうです」
「………すまないな、想い人のことも心配だろうに」
アリアのことを思い出したからだろうか、つい口を突いて出た言葉にアイリスは頬を膨らませて拗ねたように呟いた。
「……わたし、そこまで薄情に見えていますか?」
「………………いや、違うぞ? ちょっと自分も気になったから、アイリスもそうかなと思ったというか」
と、正直に言ったところ更に視線が冷たくなる。
「………へぇー。そうですよね。起きた時はやっぱり好きな人がいいですよね」
「うっ」
明らかな失言だった。
「デリカシーが無くてすまない……。その、治癒と付き添い、感謝している」
「………はい。とりあえずマナの枯渇が原因だったのでしばらく大人しくしていてください。あと、右手ではしばらく魔法も使わないように」
「仕事は――――」
「右腕、見えてますか?」
包帯をびっしり巻かれた右腕。
落馬した時に受け身を取り損なった? と疑問が顔に出ていたのか、アイリスは聖剣を取り出しつつ言った。
「これは本来、誰でも扱えるものではないんです。それなのにいきなり全力で使うから……」
「治癒魔法とか……」
「魔力の過剰供給は、治癒魔法では治りません。むしろ右腕だけで済んだのが不思議なくらいです。……前に聖剣とか聖槍とか、聖女の出した武具を使ったこととかありますか?」
「いや……無い……と思う」
「ふふふ」
「すまん怖いんだが」
にっこり。笑みだけど目が笑っていないアイリス。
「無いのにあんな無茶をしたんですね」
「………いや、その………申し訳ない」
こうなるともう謝るしかない……と、そこでさっきの言葉を思い出した。
「そういえば、白の騎士団は死者なしだったか」
「ええ。誰かさんの無茶のお陰です」
ぐさり、と投げかけられた言葉が突き刺さる。が、それはそれとして、きちんと姿勢を正して功労者である聖女に、アイリスに向けて頭を下げた。
「いや、君のお陰だよ。ありがとう、アイリス。俺と、仲間と、あと前線の部隊も救われた」
「――――わたしは、べつに、何も……」
「聖剣が無ければ、救えなかった人が大勢いる。一番救われた俺が言うんだから間違いないさ」
「…………はい。ありがとう、ございます」
「なんでお礼を言ってるのにお礼で返すんだ?」
「……しりません」
「照れてる?」
「そういう理由じゃないです」
「アイリスは可愛いな」
「かわ………はぁ。もう行きます。大人しく寝ていて下さいね」
「ああ。良ければアイリスの想い人も紹介してくれ」
「………怪我人の方がまだいらっしゃるんです。元気なゼーロス様はちゃんと大人しくしていて下さいね!」
バタン、と心なしか強めに、しかし性格が隠し切れない丁寧さで閉められた扉を見て。
それからセフィとしてアリアを探しに行くべく、ベッドからこっそりと起き上がった。