祖国を裏切り、故郷の……両親の、仇に付き従った最低の女。……私の姉さまはそんな人です。
腹立たしいことに、実力だけはある。迷宮都市から遠く離れたこの帝国においてさえ、その名声が耳に入ってくるほどです。……その時の私の内心と言ったら……はらわたが煮えくり返るというのも生ぬるい。
……もちろん。
人のことを言えた義理でないという自覚はありますよ。
リィオを滅ぼしたロイ・ローは当時、帝国軍に属していたのですから……。ならば、帝国そのものとて仇には違いがありません。
……その帝国に奉じる私とて、姉さまと同じ穴のムジナ。
わかっていますとも。……けれど。
……帝国軍には四人の英雄がおります。俗に、“簒奪王”四天王。今は一つ空席ができて、三人となっていますが。
“瞬撃”のマーク少佐。
“車陣”のオウル大佐。
“華憐”のスワロー大佐。
そして、空席となっているもう一人。筆頭にして出奔者。“抜剣”のロイ・ロー少将。……今では迷宮都市の“謀帝”と称賛されている忌々しい男です。──姉さまを、私から奪ったくせに。
……ロイ・ローのことは置いておきます。
話したいのは、四天王のスワロー大佐です。
とても慈悲深い方で、孤児院を経営してらっしゃるんです。……私のように、身寄りのない境遇の子供をね。引き取って面倒を見てくださっている。
ただ……。優しさといいますか、甘さが過ぎる方でもありまして。どうにも叱るとか厳しくする、といったことが苦手なご様子なのです。
そのせいで、成人しても孤児院に居座り、働かぬ子もいます。それも大勢。
……ヤバいですよね?
いくら何でもこれはよくないでしょって苦言を呈してみたんですよ、スワロー大佐に。本人のためにもなりませんよって。
そしたら「まぁまぁ。そんな目くじら立てなくったっていいじゃない。お金ならおかあさんが稼いでくるもの。仕事したくなったらあの子達だって自分から働くでしょ」ですって。
いやいや……。でも、孤児院内もそんな空気感なんですよね。……え? これ私おかしいの? 違うよね?
帝国軍に仕えることを決めたのは私の意志です。
詳しいことまでわかりませんが、帝国の上層部がリィオを焼く決断をしたくらいは察しがつきます。……けれど、帝国が仇であるからといって、帝国に住む人すべてが仇になるわけじゃありません。帝国そのものが悪であるということにもなりません。……今は、そう思えるんです。
何より……スワロー大佐に恩返しがしたいと思ったんです。
拾って、育てていただいた恩を。それに……彼女一人だけだと際限なくニートを抱え込んで破裂しそうで、心配だったのもありますけど。
帝国軍人をやるというのは、思った以上にハードでしたよ。
何せ、周辺国家に直接間接を問わず攻撃を仕掛けていますから。直接の軍事行動も多いですが、謀略調略も多い。元は名家の出自とはいえ……孤児院出身の私が中尉にまで昇進できたといえば伝わるでしょうか? 一兵士が、実力で成り上がれてしまうのが帝国ということです。
───
ある日、手紙が届きました。
宛名も、差出人も書いていない手紙です。……もちろん、捨てましたよ。普通にキモいですし。
でも、その手紙……。諦め悪く届き続けるんです。
……その都度捨てていたんですが、五通目でしたか。宛名が付きました。……私宛です。私宛でしたけれど、捨てました。……誰から送られてるかもわからないのに、開封なんてしたくないですし。
……。
続く六通目には、差出人が書かれてました。
……ロイ・ローからです。
反吐が出るような気持ちになって、捨ててしまおうかと思ったんです。衝動的に。……でも、出来なかった。
気になってしまったんです。あの男が、私に何の用があるのかと。……いえ、あの男を通して、姉さまの意志を確認したかったのかもしれません。
……そ、それに!
宛名と差出人がキチンとしている手紙を私情で捨てるのもよくありませんからね。今どきこんな古風な手段で連絡するやつなんかいるのかとびっくりですけど。電子メールとか使えばいいのに。
……元・帝国の英雄筆頭殿は文明の使い方というのをご存じないのでしょうか?
手紙には長々と敬具や近況報告が書いてありました。……正直言って、全然興味ないです。ロイ・ローのことなんて。
やっぱ捨てようかなと思ったんです。……そうしたらね、手紙の一番最後……追伸に短く封筒を開いて中を読めと書いてありました。……は? 意味わかんない。どういうこと?
……封筒を破り開いて、内側を見て見ると……短く書いてあったんです。姉さまが、帝国に来るって。
……。
姉さまが、来る?
……なら。姉さまを……取り返せるかもしれない。あの男から。
恨みはありました。なんでここにいてくれなかったの、と。私を捨てたの、と。
……でも。一瞬過ぎったその考えの方が……あまりに熱量が強かった。私は衝動的に兵舎を飛び出しました。どこに行けばいいのかなんてわかってもなかったのに。
封筒には、姉さまが来るとしか書いてなかった。けれど……居てもたってもいられなかったんです。
──だからね。
新都で姉さまを見つけた時──運命だなんて。湯だった私の脳みそは、そんな都合がいい勘違いをしてしまったんです。……単なる偶然に過ぎないのに。
声をかけようと思いました。言葉なんてなんだってよかった。
「久しぶり、元気ですか?」でも「そのツインテール似合ってませんよ」でも。なんならいっそ、「なんで私を置いて行ったの! 裏切り者! 寂しかった!」……なんて飛びついて、泣き喚くのでもよかったかもしれない。
けれど……。
私の口から飛び出たのは、自分自身でも信じられないくらいに冷ややかな言葉でした。
「……。戻ってらしたんですか、姉さま。……いったいどの面を下げて?」……だなんて。
……撤回しようと思いましたよ、もちろん。でも、その前に姉さまの言葉が返ってきたんです。「……はっ。んなムキになって威嚇しなくたって、用が済みゃ消えるわよ」って。……売り言葉に買い言葉でしょう。わかってます。そんなことくらいわかるんです。
だって姉さまって喧嘩っ早い人でしたから。……少なくとも、私が知っている限りは。……私が、知っている限り。
…………わたし、なにもしらない。
不安が、押し寄せてきました。
姉さまは……どうでもよくなったんでしょうか? 私のことなんか忘れて、ロイ・ローの元で探索者としての暮らしを華々しく謳歌しているのでしょうか?
過去なんて……何もかも捨て去って。邪魔になってしまったのでしょうか?
……違う、そんなわけはない。
だって私がそうだもの。私は姉さまとの過去を邪魔だなんて思っていないもの。
辛くても、苦しくても。綺麗なばかりの思い出じゃない。血なまぐさくって、思い出すたび、胸が貫かれるみたいに痛くだってなる。
だけれど、捨てたいなんて思わない。思いたくない。
でも……。気が付いてしまったんです。
──姉さまは、私じゃないんだって。
もう、なにもかんがえたくなくなりました。
───
スワロー大佐は優しかった。
様子のおかしい私に気が付いて、休むよう言ってくれたんです。……けれど今は戦時下です。
“簒奪王”先帝陛下はすでに法国へ宣戦布告をした後。いつもの小競り合いでは済みません。私だって戦わなくてはいけない。
だというのに「帝国の大事だからって、あなた自身の人生まで投げ出しちゃダメ。……何も心配することないのよ。おかあさん、こう見えてとっても強いんだから!」なんて。……また、置いてけぼり。
部屋に引き籠って布団にくるまっていました。いつもの自分なら、空いた時間にやることなんていくらでもあったはずなのに……頭がグチャグチャで考えられなくて。
でも、静かな部屋で身じろぎせずにいると、嫌な考えがたくさん浮かんできて、もっと辛くなりました。
……じっとしているのも嫌になったので、散歩に出かけることにしました。
それで、帝都を歩いていたんです。何も考えずふらふら。そんなところに……突然、とんでもない音がしました。ドゴォッ!! って。
本調子でなくても、習慣というのは自然に出るものみたいです。……頭が少し冴えました。……ですので。
休職中とはいえ、私とて帝国軍中尉をいただいている身です。何か揉め事が起きているのなら、仲裁に入るのが責務です。……ゆえに。
音の方へ向かうと、暗い路地です。いかにもチンピラ者が好みそうな。……下手をやれば監獄街行きだというのに……戦意にあてられたのでしょうか? ハメを外すにしても、愚かだとは思いますが……。
……はたして、目的地には三人組の男女と、這いつくばっている男性がいました。
どうやら、単なる喧嘩やカツアゲという風ではない。痛めつけられているのは間違いなく帝国人で、パッと見た感じ、相当に過酷な拷問を受けていたように見えます。
男性はしきりに「すみません、許してください、もう一度機会を」と繰り返していて……。
……なるほど。
どうやら双方無関係から一方に始まった加虐行為という風ではない。
止めに入ろうかと思っていましたが、いったん取りやめて様子を見ることにしました。
もっとも立場が高いのは女性のようでした。
金髪で、見目が良い。けれど生理的に受け付けがたい嗜虐的な笑みを浮かべている。
女性は囁くように、けれども私の位置にまでくっきりと聞こえるような甘ったるい声で言いました。
「うふふ。……なぁんの心配もいらないのよぉ。愛はすべてを許しますからねえ。……ですから、あなただってもちろん、許されてるんですよぉ」
「あぎゃっ! ギッ! おっ、お許しください……! お許しを……!」
「ですから、許していますと言ってるでしょう? ……これはね、愛ですよぉ。
子供にお勉強を教える時……覚えの悪い子っているでしょう? そういう子が間違えをした時、かるぅくつねってあげると……これはダメなことなんだってわかってくれるんです。だからね、心配いりませんよぉ。わかるまで先生が教えてあげますからねえ」
「うぎゃああっ!」
……あ、愛とは?
……いや、ヤバいよこれ。やべー女見ちゃった。え? ちょ……。え? 私これから、あそこ飛び込まなきゃなんないの?
いやでも……。内輪で変なプレイしてるだけって考えたら……。……いけない。つい取り乱してしまいました。
……愛、と聞いて最初に思ったのは、彼らの思想の気持ち悪さです。もちろん、愛そのものが悪いわけではありません。
その言葉を逃げ道に使って犯罪をする者達が、近ごろ増えているのです。……いわく、ゼルヴィナ教。
短絡的な結論ですが……。ひょっとすると、彼らはその関係者なのではないでしょうか?
「あらぁ? 愛の迷い子がまた一人……どうしたの?」
ためらっていると、“背後”から声がしました。いっそ毒々しいほどに甘いにおいと共に。
……これ、精神錯乱魔法だ。においと共に頭の中身を揺らされる感覚に、そう結論。急いで防御術を組み立てて、弾き出す。
そして振り返ると、先ほどまで男性をいたぶっていたはずの女が、いつの間にか後ろにいる。
「……趣味の悪い香水をつけてますね。親切心で教えて差し上げますけど、それ……オシャレのつもりでやってるなら、今すぐやめた方がいいですよ。友達なくしますから」
「あら、お気に召しませんでしたぁ? これけっこう評判いいんですけどねぇ。幸せな気分になれちゃうって」
「きっと陰口言われてますよ。あいつマジくせーよな。イエスマンやんのも楽じゃねえよなって」
「ご心配ありがとう。でもねえ、ゼルヴィナの子達はみぃーんないい子よぉ。悪い心なんてひとっつも持ってないの」
……やはり、ゼルヴィナ。
大司教アンナではない。資料で見ましたが、彼女はもっと……なんというか、平凡な印象です。眼前の女は明らかに平凡ではない。
女は楽しくって仕方ないというように、品性の欠片もない含み笑いを漏らしました。……警戒すると、地面を突き破ってツタが生えてくる。
反射的に片手剣を抜き放ち、切り払うと、女は「あらひどい」と他人事みたいに言う。……つくづく気味が悪い女です。
「ねえ、聞かせて? あなたの大切なものはなぁに? どんなものに心を動かされるの? 嫌いなモノは? 怖いことはなあに? ぜんぶ全部みぃんな取り出して、瓶詰にしてぇ……ラーネ先生が大切に保管してあげますからねえ」
「悪趣味もここまで来ると、いっそ素晴らしく思えてきましたよ。……教えると思いますか? あなたのような不審者に。ご存じないようだから教えて差し上げますけど、初対面の人にそれを言うのはセクハラなんですよ」
「うふふ、ふふ。……強がってますねえ。わかっちゃいますよぉ、先生には。
……あなた、最近イヤなことあったでしょう。苦しいことあったでしょう。自分が自分でなくなっちゃうくらいに痛いこと、あったでしょう。……そんな顔、してますよぉ」
「……ッ。
…………。知った顔、やめてもらえますか? 貴女なんかが何を知ってるっていうんです? 何がわかるっていうんです? おっさん相手に危ないプレイしてるカルト宗教の自称女教師のくせに」
……気にしたわけじゃない。刺さったわけじゃない。
こんな女の言うことなんか。こんな女がいうことなんか。……姉さま。
考えちゃダメ、考えちゃ。……姉さまのこと考えたら……わたしもう、なにもかもいやになっちゃう。
……。
魔力を練り上げつつ、剣を握る。
先に攻撃を仕掛けてきたのはあっちだ。間違いない。だから、公務執行妨害で逮捕してやる。
冷静にならなくちゃ。……戦いをするなら冷静でなくてはいけない。
カルト女の出方を窺いながら、小刻みに炎弾を放つと、ヤツは即座に足元からツタを生やして薙ぎ払いました。……続けざまに不規則に飛ぶ曲剣型の炎を投げつけてやると、ヤツはさらにその進路上へツタを生やして防御。……なるほど。あのツタはいくつも生やせる。位置もある程度操作ができる、と。
ならばと、直剣型の魔力を大量に生成、半分を上空からカルト女本人に向けて放ち、半分を周囲を円形に取り囲ませる。こっちは後詰です。
カルト女は軽く薙ぎ払えると思ったのか、時間差に向かい来る上空の剣をツタで対応しましたが、それが振れると爆発する性質を持つと知ると、ツタの数を一気に増やしました。……予想通り、罠とも知らず。
……これが狙いです。彼女がツタを生やして防御するならば、増やさせるだけ増やさせて、そのツタもろともすべて爆発させてしまえばいい。逃げ場がないくらい。
ここで、後詰を投入。
連鎖的な大爆発が起きました。
……爆炎が鎮まり、煙が晴れたあと。
はたして、そこには。女がいました。無傷ではない。明らかに重傷を負っている。
けれども、その面貌にうつる表情は……うすら寒さを感じるほどに、うっそりとした笑顔です。戦いが始まる前に浮かべていた……本人いわく、慈愛らしきそれと全く同質。……私。思わず、後ずさってしまいました。
「酷いことするわねえ。先生ってば、ちょっと怪我しちゃったわ」
「……はっ、……あ」
「怖がっているの? ……そうよねえ。わかるわぁ。人を傷つけるって、とぉっても怖いことよねぇ。
ひとつ、お話ししてあげるわ。……ラーネ先生ね、思い上がっていたの。人間よりもずっと幸福で、素晴らしい存在が自分なんだって、思い上がっていたことあったわ。……でもねえ、本当の本当に恐ろしい“暴君”の前では、どんな高尚な存在だって、等しくちり芥。生命に上下なんてなくなってしまうのよ」
女は見て、と言って、脱ぎ捨てました。……人間という、皮を。
そして内側から、おぞましい花人間が出てきたのです。
……ま、魔人……? 魔人が何故、迷宮都市の“暴君”を語るのです? ……いや、それ以前に何故魔人がゼルヴィナ教に属している? 意味が分かりません。
戸惑う私に構わず、花人間は自己陶酔した様子で続け……最後に「これは啓蒙よ。“暴君”という試練に対し、生き残った私が得た……至上の啓蒙」と締めくくりました。
「それじゃあ、あなたの中を見せて? 大丈夫。怖いことなんか、なんにもありませんからねえ。今のあなたを形作る何もかも抜き取って、それで……もっと幸せになれる素晴らしいものをたぁくさん、詰め込んであげますからねぇ」
「や……イヤ……っ」
「もしもーし。もしもーし」
私の心は……折れてしまいました。……ううん。強がってただけで、姉さまを拒絶してしまったあの日から。
姉さまの内に私の居場所がないって思ったあの瞬間から。……折れてしまっていたんでしょう。
甘い甘いカルト女の……ラーネの声が、シュカ・スカードレッドを解体するように響きました。
……やだ。
やだやだやだ。いやだよ。
わたしなにもすてたくない。
…………たすけて。
たすけてよ、
「……ねえさま」
「もしもーし。もしもー……。!」
「……はぁ。情けない声出してんじゃないのよ。しかもあんな再会の仕方したくせに。ホント調子いいんだから」
「……取り込み中ですよぉ。お引き取り願えますかぁ?」
「悪いわね。ちょっとそいつ体調悪いみたいだから連れて帰るわ。……保護者としてね」